S2-7 誰が為のスクエアか【推理編】
にわかにステージの周りが騒がしくなってきた。ミス黒志山大学の結果発表が予定を早めて行われるらしい。雨天を考慮して繰り上げられたのだ。
観客へのアナウンスを聞き終えた光はベンチから立ち上がった。
「行こう」
会話は中途半端だったが、ミスコンが催されている前で続ける気にはなれない。しかも話題がオカルト研究会の怪しい降霊術なのだから、なおさらだ。
「光さんはミスコンにエントリーしなかったんですか」
ちょっとした出来心で日向が尋ねると、光は無表情のまま、
「大勢の前で無駄に愛想を振りまくなんて。やってられるか」
と素っ気ない返事。
笑顔の安売りはしないか。まあそうだよな。光さんはこういうの苦手だもんな。日向は妙に納得して、きびきびと歩く光の後をのんびり追いかける。
「花火大会。雨、大丈夫ですかね」
「そう簡単に中止にはならないと思うけど。ちょっと早いけど向かうか」
性格的に真逆のふたりだが共通点はいくつかある。そのうちのひとつが、人ごみが苦手なことだ。
豊平川沿いの会場から少し離れた、中島公園で花火を観るつもりだ。
コンサートホールや天文台がある園内は、夏祭りの期間は歩くのさえ困難なほど混み合うが、花火大会はそれほどじゃない。穴場スポットだ。レトロな外観の「豊平館」の背景に上がる花火は幻想的な眺めである。
夏のデートといえば花火だろう、と光が誘ってくれた。言動は男勝りだが性根はロマンチックな彼女である。
キャンパスの端にある三号館から地下二階に降りると、地下鉄駅の入り口に直結している。通路を進むと途中から壁の色が変わっていて、大学と駅の境の目印になっている。
地下鉄で大通駅まで行き、南北線に乗り換える。改札口を通りホームへの階段上に着くと、吹き上げてきた風が光のスカートと後れ毛を揺らした。
光は背筋をしゃんと伸ばしたまま階段を降りていく。エスカレーターは自分のペースで進めないから嫌なのだという。そんな彼女に付き合っているうち日向も階段に慣れてしまった。
電車は二つ前の駅を発車したらしい。電光掲示板が知らせてくれる。ホーム柵の前に並ぶ客のほとんどがスマホに視線を落としているが、光だけは焦れたように日向を見上げてきた。
「赤井を逃がした後は?」
「ああ、はい……スクエア」
日向はおぼろげに呟く。忘れていたわけじゃない。というか、ずっと考え続けていた。
思考はまだ終着駅に着いていないが、各駅停車のように事実をひとつひとつ辿りながら進めていこうか。光の力を借りて。彼女の斬新な発想が解決のヒントになったことは一度や二度じゃないのだ。
「僕は、赤井さんの代わりにスタート位置の箱まで進みました」
うむ、と光は首肯して「赤井が抜けて、スクエアがすぐ止まるのはマズいからな」
「で、無人の箱を通り過ぎて、次にいる如月さんの肩を叩きました」
「二つ先まで進んだのか?」
「赤井さんが逃げる時間を稼ぐためです」
スクエアを不正に成立させるには、『四人の中に外からもう一人が加わる』他にこんな方法がある。四人の中の一人もしくは複数がルール外の動きをすることだ。
赤井を逃がすため、わずかな間でも時間稼ぎをしたくて、日向は二つ先の箱まで進み、不正にスクエアを続けた。
レース素材に包まれた肩に触れたとき、如月アスミは震えていた。
霊なる存在が降臨したと本気で信じていたのだろうか。想像すると、さすがに罪悪感がふつふつと、
「如月アスミざまあみろ」
涌いてこなくなった。さも天罰のように言い放った光に、日向は苦笑いする。
「本当に嫌いなんですね。如月さんのこと」
「当然だ。日向をオカルト研に誘い込みやがって」
誘惑されたのは赤井なのだが、この話題には触れないほうが身の為だろう。「次は?」と急かしてくる光に、日向は弱ったように頬をかいた。
「次、といっても、僕はしたのはそれだけです」
「はあ?」
「いずれ長月さんが赤井さんがいない無人の箱に着いて、異常に気付くのは確実ですから。その時点で騒ぎになるだろうと覚悟していました。なのに……」
「スクエアは続いた」
日向は光に大きく頷く。そう続いたのだ、不条理にも。
汽笛と轟音が近づいてきた。電車がホームに到着してひときわ大きな風が吹き込む。二人は最後尾の車両に乗り込む。二駅先で降りるので、座らずに扉の付近に並んで立った。
車内は冷房が効いて涼しい。ゆるやかな揺れとともに電車がホームを離れていく。
「長月か?」
光がぽつりと言った。
「日向と同じように、奴が二つ先の箱まで進んだ?」
「それだと最後の状況と矛盾します。長月さんは、スタート時と同じく如月さんのひとつ先にいましたから」
「逆走した……いや、無理か」
「思い出してくれましたか。さっき説明したとおり、スクエア中は常に誰かが移動しています。うかつに箱を出ると、移動中の誰かに見られてしまう。部屋が真っ暗だったり、僕らが目隠しをしていたなら別ですが」
儀式的に不可視性を高めるのが好ましい、と長月はコメントしていた。安全上の理由で断念したらしいが、奇しくもそれが推理を限定する要素になっている。
「如月さんがスタート位置に戻るまでスクエアは続きました。逆走できない以上、長月さんひとりが立ち回ったとは考えづらい」
「つまり?」
「外から誰かが加わった。〈五人目〉の登場です」
光は一瞬驚いたように唇を震わせたが、「やっぱり」とすぐに得心顔になった。
「結局は不正のため〈五人目〉を用意してたってことか。誰だよ? 三郎か?」
「うーん。赤井さんがわざわざ戻ってきたとは思えませんしね」
日向はあいまいさを語尾に残しつつも、頭のなかにスクエアを描く。長月、如月、日向。そして、五人目を配置する。
「当初の計画では、三郎さんが教卓の裏あたりにスタンバイして、機を見てスクエアに加わる予定だったのだと思います。でも、想定外の事件が起きてしまった。
赤井さんがスクエアを抜けて僕が不正に移動したことです。三郎さんは、同時に異変に気付いた長月さんと示し合い、スタート位置の箱に入って“不正スクエア”の二周目をスタートさせた」
「もしかして、ゴミ袋のかさが減っていたのも関係しているのかな」
「あ、僕も同じこと考えてました。万が一姿を見られたときの用心で、さっと羽織れるマントみたいなものをゴミ袋に隠していたのかなと。取り出した分、かさが減ったんですね。上から紙ごみを突っ込んでいたのもカモフラージュっぽかったし」
「小賢しいなぁ」
カーブで電車が大きく揺れて、日向はとっさに手すりを掴む。
光は体幹がしっかりしているのか体勢を崩さずにバランスを保っていた。身体能力の差。こういうときに引け目を感じてしまう日向である。
手すりの上にあるスポーツジムの広告が目に入る。まだ間に合う、夏の肉体改造。バスケ部を辞めてから、体力が落ちないよう走ったり筋トレをしているが効果は薄い。筋肉質な体を目指しているのに、ガリガリ化が進んでいるような。やはり自己流ではダメなのだろうか。かといって、高校生の身分ではジムに通うのも無理だし。
先頭の車両がコースに沿って大きく蛇行する。日向は再び足元に力を入れる。地下道を走る列車は闇の中をうねる巨大な蛇のようだ。体勢が安定してから話し出す。
「そのまま一周終えて、スタート位置の箱に着いた長月さんが三週目をスタート。
三郎さんと長月さんが連続で無人の箱をスタートし、不正スクエアは続きました。〈五人目〉は僕の肩を叩いた後、箱の外の死角に潜み、隙をみて抜け出したのだと思います」
おそらく、如月が“雪男”を発見した騒動に乗じてだろう。
それにしてもあれは一体何だったのか。何の意図であんなものを置いていったのか。どこか引っかかる。
「やっぱり異常だな、オカルト研は」と光。「日向と赤井みたいな一般人を巻き込んで。スクエアが成功したっていう既成事実さえ作ればよかったんだろう。正気の沙汰じゃないよ。黒幕の如月の差し金か」
マフィアのドンかラスボスみたいに如月アスミを評して、光は不快感をあらわにする。
「僕は、彼女だけは企みに関わっていなかったと思います」
如月をかばったのが面白くなかったのか、光が喰ってかかってくる。
「どうして如月を除外するんだよ!」
「除外だなんて……。むしろ、あのスクエアは彼女のためのものだったんじゃないか、と僕は考えてます」
豊水すすきの駅で停車する。降りる客はまばらで乗り込む方が多い。
乗車客が持つ傘の先から雫が垂れていた。外は雨が降っているのだろうか。さりげなく観察しつつ、日向は、怪訝そうな顔の光に向き合う。
「光さんが言うように、僕と赤井さんにスクエア成功を吹聴させるのが目的なら、赤井さんがスクエアを抜けた時点で破綻してますよ。けれど、彼らは僕と赤井さんの悪事を黙認した上で、スクエアを続行した。掟破りをした僕らに厳重注意してスクエアをやり直しさせてから、〈五人目〉を加えてもよかったのに。
そうしなかったのは、僕らにスクエアを信じさせるのは二の次で、優先すべきことがあったから。そう仮定すると、他の不審な点も理解できます」
「不審な点?」
「まず、三時までに儀式が成功すると断言したことですね。参加を渋る僕と赤井さん説得するためとはいえ、具体的なリミットを設けるメリットはないでしょう。三時までに絶対成功するなんて、かえって胡散臭いな、と僕は感じましたし」
「わかった――」
考え込むように俯いていた光の目に力が宿った。
「三時までにスクエアに加わるように、と暗に三郎に伝えたんだな?」
日向はつられて微笑む。「僕らを説得すると同時に、三郎さんにも指示を出していたんですね」
「絶対に成功する儀式は種も仕掛けもあったわけか」
「おかしな点は他にもあります。スクエアのルールについて。儀式中は、振り向かない言葉を発しない盆踊りで移動する等は良いとして、『待機中に箱の外を覗くのは禁ずる』――このルールを部外者の僕や赤井さんが守る、と本当に信じていたのでしょうか?」
「お前は守ったのか」とずばり迫ってくる光に、日向は気まずそうに首を振った。
「盆踊りをカンニングするため、ちらっと覗いちゃいました」
「じゃあ赤井も怪しいな。でも、ルールを破っても咎められるわけじゃないだろ。三郎は外の見張りだし、長月も如月も注意できないし」
「注意をしたところで、自身もルールを破って外を覗いた、とバラしているようなものですからね」
「たしかに。取り締まりようがない、微妙なルールだ」
「そうなんです。下手したら、三郎さんがスクエアに加わる瞬間を目撃されてしまうリスクを孕んでいるのに」
「致命的じゃないか」
「ごもっとも。しかし、確実にルールを守る、と彼らが信じられる人物があの中に一人だけいました。それが――」
「オカルト狂いの如月アスミか?」
電車が止まって乗車客が次々と席を立つ。大通駅に着いたのだ。
白目をむいた日向の腕を光が引いて、扉が閉まる寸前に降りた。危うく乗り過ごすところだった。思考に集中するとき、日向はいつもよりもさらに動きが鈍くなる。
人ごみのなかで光と日向は指を絡めた。はぐれないように、というよりは、互いの存在を確かめるため。
ふとしたら己を見失ってしまいそうなほど、大通駅には雑多で自由な風が流れている。路線だけでなく、さまざまなものが交差して通り過ぎていく。
「如月さんはオカルト研の創始者だそうです。誰よりも純粋にオカルトを信仰していた。来年卒業する彼女の悲願を叶えるため、長月さんと三郎さんは、どうしてもスクエアを成功させたかった」
「すべては如月のためだったってこと?」
南北線のカラーであるオレンジ色の標識を目で追いながら、光が独り言つ。
「私は……正しくないことをしてまで願いを叶えてもらいたいとは思わないけどな」
僕も。そう答えようとして、日向は押し黙る。
一心不乱に盆踊りをしていた如月アスミの必死な姿が頭をよぎった。スクエアが成功した、と喜ぶ彼女の嬉しそうな表情も。
彼らには彼らなりの経緯があって、すべてを理解できるとは到底思えない。知ったような顔で批判するのは傲慢ではないか。
実のところ、まだ後ろ髪を引かれるような感覚が残っている。
最後に三郎が消えていたのはなぜだろう? “ヌイグルミ”を置いていった意味は? パズルのピースはすべて埋まっていないのか。
アンニュイな気分に沈んでいるところ、日向の腹がぐうっと鳴った。あれだけ食べたくせに、もう空腹に襲われるとは、なんという燃費の悪さ。大学祭での彼の暴飲暴食っぷりを知らない光は、「花火が上がるまで時間があるし。どこかで食べていこうか」と気遣ってくれた。
日向は曇った顔色を一転させて、ぱあっと明るい表情になった。
「オーロラタウンに美味しいカレーパンの店があるんです。半熟卵カレーのパンが絶品で」
大嫌いな幽霊を演じきった労をねぎらい、光に奢ってあげよう。思いついた日向は財布を探ろうとして――蒼ざめた。
「日向? どうした」
「か、鞄を忘れた……」
「そういや、コインロッカーに預けてるんだっけ。どこのコインロッカー?」
「黒志山大学前駅」
世にも申し訳なさそうに答えた日向に、光は大きく息をついた。
「スタートに逆戻り、ね」