S2-6 脱出ロジック【解説編】
「誰のため?」
「ダメだ、暑すぎる。僕、冷たいものを買ってきます。光さんもどうですか」
光がかぶりを振ると、日向は額の汗をぬぐって、ハワイアンダンスサークルの〈かき氷屋〉に吸い込まれていった。ムームーを着た女子店員がにこやかに応対してくれる。
戻ってきた日向は、七色のシロップで染められたレインボーかき氷を手にして、首に花輪をかけている。
「今の店員さん、黒志山高校のOGみたいで。サービスで大盛りしてくれました」
浮かれている恋人を、光は冷めた眼差しで見た。
「何を楽しそうに会話していたんだ?」
「模擬店のことで確認したい点があったので教えてもらいました」
「ナンパされなかっただろうな」
「まさか。後輩だから優しくしてくれただけでしょ」
「日向は人の下心を察する能力を身につけた方がいいぞ。そんなんだから面倒ごとに巻き込まれるんだ」
やっぱり叱られた。
オカルト研究会での一件を伝えたからには、忠告されるだろうと覚悟はしていたが。
日向は小脇にかかえていた緑茶のペットボトルを光に渡して、イベントステージ前のベンチに座った。灼熱の太陽の下で、プラスチック製のベンチには熱がこもっている。イベントの切れ間なのかステージは無人で、観客席は閑散としている。こみ入った話をするには好都合だ。
「ん? そういえば鞄はどうした。学校が終わってから、真っすぐここに来たんだろ?」
「邪魔になると思って、駅のコインロッカーに預けてきました」
「変だな」
「僕がコインロッカーを使うのがそんなに変ですか」
「違うよ、さっきのオカルト研の話」
「具体的にどういう点がおかしいと思います?」
日向は七色のグラデーションが美しいかき氷にスプーンを突き立て、めちゃくちゃにかき混ぜてから口に含む。つーんときたのかぎゅっと瞼を閉じた後、満足げな顔になった。真夏のかき氷、最高。
「どうって全部だよ。はじめから終わりまで全ておかしい。オカルト研も赤井って男も気に入らないし、特に日向――あんな嘘を吐いたってことは、何かを隠しているんだろ」
光の回答に、日向は吹き出してしまった。
まったく論理的じゃなく、直感的だがやけに鋭い。彼女自身を端的に表しているかのようだ。
「幽霊の類は信じていないからな、お前は。宇宙人は信じてるくせに」
「……本当にわからない人だな。彼らの存在は科学的にも証明されているのに。(作者注:証明はされていません)で、その嘘とは?」
「しらばっくれるなよ。長月にも指摘されていただろう、『なぜ最初にいた箱からひとつ先の箱にズレているのか』って。なにが『気づいたらあの箱にいた』だよ。オカルト狂いの如月アスミのせいでスルーされたけど、明らかに出まかせだな」
「まあ、はい。そうです」
あっさりと認めた日向に、光はさらに言い募る。
「スクエアは反時計回りで、逆戻りは不可。日向のひとつ先の箱にいた赤井が消えて、その場所に日向がいるってことは、日向が赤井を追い出した――いや、逃がしたんだな?」
「スマホを没収されて時間もわからないし、焦ってたっていうか。赤井さんにも同情してたし」
「言い訳せずにはっきり言えよ。ムカついてたって」
「……うん。そうですね……僕、怒ってました」
口に出してから、日向はあらためて自覚する。
強制的にスクエアに参加させられたのが自分だけだったら、あんな行動は起こさなかったかもしれない。お人好しで物事に流されやすい。己とよく似た赤井を前にして、無性にイライラして我慢できなくなったのだ。
「でも、どうやって赤井に逃げろと伝えた? 盆踊り唄が流れているからって内緒話をモタモタしていたら、長月たちに不審に思われるだろう」
「スマホにメッセージを打ち込んだのを見せようとしたんですが、没収されていて無理でしたしね。でも、これがありました」日向はシャツの胸ポケットから皮手帳を出して、「長月さんが射的屋で当てたのを僕にくれたんです。ペン付きでいつでもどこでも書き込める優れモノですよ」
『箱を出たら逃げてください。後は何とかします』
それだけを走り書きして、ページを破り、赤井の肩を叩くタイミングで手渡した。
「教室は暗幕のせいで薄暗かったけど、読み書きできないってほどじゃありませんでした。メモを見た赤井さんは戸惑ってましたけど、大丈夫って背中を押したら、スクエアから離脱しました。いなくなってたってことは、無事に脱出できたんですね。よかった」
「いや、よくないよ」
光は緑茶のペットボトルを傾け、喉をこくこくと鳴らして飲む。
「だって、見張り役が居たんだろ? 名前なんだっけ」
「左衛門三郎雄太さん」
「すごい苗字。三人分くらいの名前が入ってるみたいだ。いや、その三郎が出入口で見張っていたのに、赤井を逃がそうとするなんて無茶な。まさか、その時点で三郎がいないことに気づいていたのか?」
「いいえ全く。正直僕も逃げ切れるかは半信半疑でした」
弱ったように破顔した日向を、光は目の端でにらむ。
「なんだそりゃ。まさか、赤井を囮につかって騒動が起きている間に、自分だけ逃げようとしたとか」
「あ、その方法は思いつかなかった。光さん、頭いい!」
「おい」
「ごめんなさい、冗談です」
日向は大口を開けてレインボーかき氷の最後のひとさじを味わう。空になった容器をごみ箱に放った。ナイスイン。運動音痴の彼だが、今日のコントロールはめずらしく冴えている。
「たとえ赤井さんが逃げ切れなくても、スクエアを中断させられる勝算が、僕にはありました。あわよくば止めさせられるだろうと。きっかけは、教卓の横にあったゴミ袋です」
立て続けに意味深な発言をされ、光は眉間のしわを深くする。
「説明したでしょ。ほら、スクエアが始まる前はパンパンに膨らんでいたゴミ袋が、途中でかさが半分になっていたって。なぜ儀式中にゴミが減ったのか、そもそも何が入っていたのか、色々と疑問はあるけどひとまず置いておいて。
問題は、スクエアの最中に誰かがゴミ袋に触れたことです。決定的でしょ」
「経過を省かずに説明しろよ」
短気な光も、彼の遠回しな言いぶりに慣れてきたらしい。これも一年間付き合った成果だろうか。冷静に努める光に反して、日向は小さな子どもみたいにキラキラした瞳で楽し気だ。不思議に対するときの彼はいつもこうだ。
「じゃあ、光さん。スクエアを成功させるためにはどうしたらいいと思いますか」
「リレーを二周目以降も続けるには、ってこと? それは不正ありきで?」
「もちろん」
「ならば簡単だ。リレーは本来、五人いないと続かないんだろ。四人の中に、外からもう一人が加わればいい」
『山小屋の一夜』の怪談を聞いていた光は難なく答える。
「そのとおり。逆にいえば、外から誰かが加わった可能性がある限り、スクエアの信憑性は失われてしまいます」
信憑性。その言葉を日向は殊更に強調した。
「三郎さんが見張り役と聞いて、ただでさえ少ない会員をスクエアに参加させないなんて勿体ない、と腑に落ちなかった。でも、それは見当違いでした。
かき氷屋の店員さんに確認したら、模擬店を開いているサークルは教室を締め切ってはいけない決まりがあるそうです。儀式の場を密室にできないオカルト研のスクエアでは、見張り役は重要な役割を担っていたわけですね。侵入者を防ぐという大切な役目が」
「スクエアの信憑性を守るために?」
「にもかかわらず、あのゴミ袋ですよ!」
光が相づちを打つと、日向は身を乗り出した。
興奮すると話し相手との距離を縮めるクセがある。無意識なのが厄介だが、今は光が相手なので問題はない。光は負けじと顔を近づけてやった。
「スクエアの途中で、ゴミ袋に誰かが触れた件か?」
「はい。その誰かとは誰でしょう? スクエアに参加していた四人のなかの一人でしょうか?
待機中にこっそりと箱を抜け出し、教卓の裏に隠れつつゴミ袋の中身を取り出してから、次の自分のターンが回って来るまでに戻った。一見可能に思えますが、これはかなり厳しい」
「そうか? 器用な人間ならできそうじゃないか」
ポニーテールのしっぽを触りながら光が言う。
「いいえ、実際に参加するとわかりますが、スクエアの最中は常に誰かが箱の外を移動しています。
肩を叩くタイミングだけ全員が箱の中にいますが、それも二、三秒の間。誰にも目撃されないようゴミ袋まで往復するのは至難の業です。加えて、ゴミを取り出す手間もかかる。あのゴミ袋は、取っ手の紐が十字縛りにされて、紐の間からもゴミが突っ込まれていました。ゴミ回収の日の朝みたいに」
「うちのママも袋が破れるんじゃないかってくらい突っ込んでるよ。貧乏くさいって言ったら、袋も無料じゃないんだから節約の知恵よ、って怒られたけど」
「僕も最近カナさんに家事を覚えなさいって、ゴミ出し当番を任されました。あれなんででしょうね。紐を縛ってからゴミを突っこみたくなるの。伸張率の限界に挑戦したくなるっていうか」
近所に住む幼馴染の名前を出した日向は頭のうしろを掻いて、脱線しかけた話を戻す。
「つまり僕が言いたいのは、そういう状態の袋の紐を解いてゴミを取り出すのは、さぞ手間がかかっただろうってことです。スクエアを抜けて次のターンが来るまでせいぜい三十秒~四十秒。
スクエアに参加している四人の仕業というのは、どう考えても現実的ではありません。では、他の誰の仕業でしょう? 僕はそれを見張り役の三郎さんか、彼以外の人物の仕業と考えました」
「三郎か彼以外?」
復唱して、なんだ、という表情を光がする。
ゴミ袋に触れたのは三郎かそれ以外の人物。もったいぶった言い方をしているが、なんてことはない、当たり前のことではないか。日向は真面目な口調のまま続ける。
「まず三郎さんの仕業だった場合、どういうことになるでしょう」
「どういうって?」
「ゴミ袋を弄っていた間、短時間とはいえ彼は見張りを離れていたことになります。もしその間に誰かに侵入されたとしたら? 百パーセント、彼の責任です」
「誰も入ってこないよう内側からしっかり見張っていた、と屁理屈をこねるかも」
「作業中に一瞬たりとも目を離さなかったといえるでしょうか? そもそも見張り役のくせに持ち場を離れた彼に非があるんです。胸を張って屁理屈はこねられないでしょう」
続いて、と指を二本立てる。
「三郎さん以外の人物の仕業であった場合。二つのパターンに分けられます。
ひとつは、スクエアの途中に侵入した者の仕業であるパターン。言うまでもなく、三郎さんに落ち度がありますね。何のための見張り役か、お前の目は節穴か、というやつです」
「……日向。だんだんと口が悪くなってきたな。大丈夫か」
「全然。むしろゼッコーチョーですよ」
「なんで片言だよ。暑さのせいでおかしくなったのか」
舞台上で野巻アカネ扮する女神を意識してみたのだが、光には通じなかったらしい。日向は、心配そうに顔をのぞきこんでくる彼女に微笑み返してから次に進む。
「ふたつめ、いきます。スクエアが始まる前、もっというなら僕と赤井さんが来る以前に潜んでいた何者かによる場合」
「日向と赤井を連れてくる前に?」
「はい。これもう最悪ですよね。あの教室は、スクエアで使った箱を除けば教卓の裏くらいしか隠れられる場所はありません。オカルト研のメンバーにバレないよう潜むのは不可能に近い。裏を返せば、彼らが〈五人目〉を潜ませていたと疑われても仕方のない状況だ」
「それって」
「はい。明らかな不正です」
光が息を呑む気配がした。
ゴミのかさが減っていた、ただそれだけの事実が不正の証拠に結びつくなんて。
凛々しい目元を険しくさせた彼女に、日向は相好を崩した。ヒートアップしていた二人の間の温度が一気に下がる。
「けど、僕がしたかったのは不正を暴くことじゃありません」
「は?」
「儀式中にゴミ袋が弄られた事実が、いずれの場合も、スクエアの信憑性が失われることになると訴えたかっただけです。赤井さんを逃がしたのを責められたときの自衛手段として」
つまるところ日向が目指していたのは、詭弁を弄して、スクエアから抜けること。いわばクレーマーだ。結局、赤井は逃げ切ったので披露する機会は失ってしまったが。
議論が思わぬ方向に逸れてしまい、光は呆れたように膝の上に頬杖をついた。
「もしそうなったとしても上手くいったかな。お前の話はゴミ袋のかさが半分になっていた事実が出発点になっている。長月と如月が認めなかったらどうするつもりだったんだ。そんなことはない、ゴミ袋は満杯ではなかった。まだまだ詰め込んでから捨てるつもりだった、ってさ」
あくまでもオカルト研のテリトリー内での戦いである。正しいことが「否」とされることもあり得るのではないか。
「物証をあげます」
「物証って?」
「ゴミ袋です。光さん、さっきお母さんが袋が破れる寸前までゴミを詰めるって教えてくれましたけど。そういう状態で縛った紐はどうなるでしょう」
「伸びるな。ビニールだから。ママは無理しすぎて切ったこともあるぞ」
日向は満足げに頷いて、「ゴミのかさが半分しかないのに、ビニール紐が伸び切っているというのはおかしいでしょう。矛盾してる」
「まあ。言い訳するには苦しいか」
「それでも抵抗されたら、さすがにお手上げですが。僕は、オカルト研の人たちは妄信的で変わってるなとは思いましたが、常識がまるで通じない相手とまでは感じませんでした。理詰めで話せば認めてくれるだろう、と。それも期待でしかないですけどね」
肩をすくめた日向に、いいだろう、という風に光は顎を引いた。
「それから、お前は何をしたんだ?」
「……それから」
つぶやいた日向は回想するように遠い目をする。実際、その後、彼も予想していない展開が待っていたのである。