S2-2 スクエア【前編】
こんなエピソードをご存知だろうか。
とある山岳部のメンバー四人が、登山している最中、ルートを誤り遭難してしまった。
吹雪が強まるなか、彼らは幸いにも山小屋を発見した。中に入ってみると、長い間使われた形跡はなく、暖を取れそうな道具はなかったが、吹雪から逃れることはできそうである。
夜が更けるにつれて、寒さは次第に耐えがたいものとなった。眠ったら低体温症で死んでしまう、とおそれた彼らは朝まで起きているためのアイディアを思いつく。
小屋の四隅にそれぞれが立ち、最初の一人が壁伝いに歩き、次の角にいる二人目にタッチする。次に二人目が三人目に、三人目が四人目に……という具合にリレー形式で回り続ける方法だ。
真っ暗闇で互いのぬくもりを確認しながら、リレーは早朝まで続けられた。
翌日彼らは無事に救助されたが、後日メンバーのひとりが青い顔でこう言った。
『あのリレーが続いたのはおかしい。だって、考えてみろよ。
四人目が歩いていっても次の角には誰もいないはずだろう。スタート地点にいた一人目は二人目がいた角に移動しているのだから』
ようするに、リレーを成立させるため、得体の知れぬ五人目が参加していた、というオチである。五人目とはいったい何者なのか。四人を救うために現れた心霊か。それとも……
山小屋の一夜、のタイトルで知られる有名な怪談である。
「彼らの場合、きっと、反時計回りをしていたのもポイントだろうな」
怪談を長々と語ったのち、オカルト研究会の会長は、切れ長の目をうっとり細めた。
「反時計回りは、太陽の動きに反しているから負に属するといわれている。ゆえに、オカルティズムな儀式では重要な意味を持つわけだ。ほら、日本でも、お盆に還ってきた死者を送り出すための『盆踊り』があるだろう。あれも大抵は反時計回りで進む」
「あ、なるほど……」
「大がかりな盆踊りと違って、スクエアに必要なのは『四角い部屋』だけなんだが。今年は部員不足で肝心のメンバーが集まらなくてね」
滑らかなスピーチに聞き入っていた日向は、急に白けた気分になる。
人数が足りないから、大学祭で暇そうにしていた一般人をスカウトしてきたわけか。オカルト研究会は深刻な人手不足らしい。ついさっき通り過ぎた陰陽五行研究会の模擬店には、たくさん人がいたようだが、この差は何だろう。
半袖シャツから出た腕をさする。鳥肌が立っていた。
冷房が効いているので暑さは感じないが、空気がよどんでいる。どことなく不健全なオーラが蔓延している気がする。
『山小屋の一夜』の暗闇を演出したかったのだろうが、窓を覆う暗幕の、ほんの数ミリの隙間から射し込む陽のせいで、うす暗い程度にとどまっている。地球から約一億五万キロメートル先にある太陽のおかげだ。夏の暑さにはこりごりだが、今だけは、お日さまに感謝せずにはいられない日向であった。
教室の前方には黒板と教卓。液晶テレビとスピーカーが天井から吊り下げられている。
黒板にぴったり付けられた教卓の脇に、ゴミ袋が置いてあった。市指定の黄色い袋。パンパンに膨らんでいる上、十字結びの紐の間から無理やりゴミを突っ込んだのか、いびつなかたちに変形している。
そして、講義用の椅子と机が片付けられたスペースに、電話ボックス大の直方体が四つ。四角形を描いて配置されている。展示用パネルを連結して作ったものらしい。ボックスに一人ずつ入って、リレーを行うつもりなのか。でも――
「僕ら二人しかいないじゃないですか」
スクエアには最低四人が必要だ。日向が疑問を口にすると、廊下側から男女の声が近づいてきた。
「この中に入るの?」と、はしゃいだ男の声。「そうそう」とねだるような女の声。
「……は?……え?」
出入り口の暗幕がめくり上げられ、男が姿をあらわした。
顔の輪郭も体のフォルムも丸い。青いシャツを着ているので、日向は、某有名猫型ロボットを思い出した。厚ぼったい唇を真ん丸にひらいて、まるでそこに居てはいけない存在のように長月と日向を凝視している。
「オカルト研究会にようこそ。僕は会長の長月です――ええと」
「赤井さん。修士課程の二年生。私たちの“儀式”に協力してくれるって」
長月に応じたのは、男の後ろから顔をのぞかせた女である。
凛々しい目元が特徴的な美人。こんな真夏に漆黒のロングワンピース姿だが、袖部分がレースで透けているので、暑苦しい印象はない。手足が長い、すらりとした肢体。光と少し似ている。
が、流し目でしなを作った彼女に、やっぱり違う、と日向は思い直す。光は皆の前でこんな表情はしない。細い指をすっとこちらに向けて、
「彼は?」
「俺の高校の後輩、水無月君」長月は今度は日向に、「彼女はオカルト研の創始者で、四年生の如月アスミさんだよ」
「みなづきって旧暦六月の? キレイな子……名前も『月』繋がりですばらしい。私、今年がスクエアを成功させる最後のチャンスなの。よろしくね」
顔をぐっと近づけられ、握手を求められた。女性恐怖症ぎみの日向は、さりげなく握手を逃れ、如月アスミから離れる。ふわっと独特の香りが漂う。どこかで嗅いだことのある匂いだった。それもごく最近だったような。はて、どこでだったろう。
「メンバーが揃ったことだし。さっそく始めようか」
スクエアに必要な人数が揃って、長月のテンションは最高潮に達しているようだ。目尻が垂れた優しい瞳は狂気をはらんでいる。
「ちょっと待ってください!」日向は慌てて口を挟む。「まだ儀式に参加するなんて言ってませんし。それに、僕、三時から約束が」
「オレもバイトあるんだけど!」赤井も必死に主張する。
「あら。夕方まで暇だって教えてくれたでしょ、赤井さん。私と過ごすって約束してくれたのに」
「それは、君と、ふたりっきりだと……」
如月アスミが色っぽく返すと、赤井はどぎまぎした表情になり反論は尻すぼみになった。
日向と同じように、彼も、いいように誑かされ連れられてきたに違いない。おそらく色仕掛けで。
「心配無用だよ、赤井さんと水無月君。三時までに儀式は成功しますから。必ず、ね」
はっきりとした口調で、長月が豪語した。
堂々とした立派な態度につい頷きそうになるが、日向はぶんぶんと首を振る。
必ず成功するだって? その自信は何を根拠に基づいているのだろう。
三時までにスクエアが成功しなければ、「波長がいまいち合わない」とか「霊の調子が悪い」とか難癖をつけ、儀式を延長するに決まっている。
やはり断るべきだろう。親切にしてくれたことには感謝するが、こんなふざけたサークル活動には付き合いきれない。日向はぐっと拳をにぎって一歩前に出る。ようし。
「あのぅ……成功しなくても、三時になった時点で抜けていいですか?」
遠慮げにそう訊ねた。性格上、なかなか強気な態度をとれない日向であった。光がこの場にいたら、「そんなお人好しだから、良いように利用されるんだ!」と叱られるに違いない。
長月は、白い歯をみせてサムアップをした。
「もちろんだよ。赤井さんも、三時までよろしくお願いします」
「……三時までなら」
「じゃあ、決まりね。――三郎は?」
赤井に微笑みかけた如月アズサが、長月に問う。
「三郎なら陰陽五行研究会にいるんじゃないかな。いや、パントマイム研か。三つもサークルを掛け持ちしているから」
「困ったね、この大事なときに」
如月がスマホを操作して耳に当てる。電話で呼び出すつもりらしい。コール音が二回ほど漏れ聞こえて、彼女が一言も発さないうちに、男が暗幕をくぐって登場した。「遅れました」と野太い声で一言。
「なんだ、近くにいたのね。彼、左衛門三郎雄太。苗字が長いから三郎。儀式の見張り役」
「見張り?」
「儀式の途中、外から邪魔さないように。廊下に見張り役を置くことにしたんだ」
長月が日向に答える。
フランケンシュタインに似てる……。
三郎に、想像上の怪物を連想した日向はごくりと唾を呑み込んだ。体格は平均より華奢なくらいなのに、いかつい顔のインパクトが凄すぎる。目が合うだけで後ずさりしたくなるような威圧感があった。赤井などは明らかにビビッていた。外見だけで、逆らう気が失せるような強面だ。
侵入者の見張り役、というよりは、日向と赤井をスクエアから逃がさないための見張り役ではないか。そんな考えに思い当たり、日向は三度ぞっとした。