D.D.D戦記 ~三佐さん禁断症状が出る~
人気MMORPG〈エルダー・テイル〉日本サーバ最大の戦闘系ギルド〈D.D.D〉。
そのギルドホールと完全に同じ外観を持った部屋で、一人の女性が手元の書類に目を通している。
まだ若い女性だった。齢の頃は20を越えた頃というところか。
だが、その落ち着いた気配と変わらぬ表情は、快活な若さよりも、冷静沈着な姿勢を伺わせる。
MMORPGのプレイヤーが、そのゲームの舞台とそっくりな異世界へ迷い込んでしまうという超常現象、〈大災害〉。
その発生後において、彼女の落ち着きは殊更に稀有なものだった。
彼女の名は高山三佐。
〈D.D.D〉の幹部級のプレイヤーであり、「三羽烏」と称されるギルドの代表的な存在の一人だ。
「……市場の件はリチョウさんにお任せします。ただし、青果についてはアキバにおける人数比相当分プラス数%の確保に留めるように。〈D.D.D〉が買い占めた、という風評は後のことを考えれば避けるべきで……いや、言うまでもないことでしたね」
手元のメモ帳に倉庫の在庫を記録した報告書の要旨を書き写しながら、彼女は念話……ゲーム時代のプライベートボイスチャットの流れを汲む、プレイヤーの能力……を切った。
今のプレイヤーたちは、ゲーム時代のキャラクターと同じ容姿、性能を持った超人〈冒険者〉の肉体を持っている。念話もまた、その〈冒険者〉に備わった特殊能力の一つだった。
原因不明の異世界への漂流。
ゲームのキャラクターと同じ身体能力、不死性、財産を備えた肉体の獲得。
帰還方法も不明。運営の説明はなし。ログアウト不可。
そんな混乱の中で、彼女の元には矢継早にギルドメンバーからの報告の念話が寄せられる。
「はい。無所属の入団希望ですか。わかりました。とはいえこちらの受け入れ体制も限界があります。今後は、メンバーの知己を中心に声がけを」
「わかりました。その件については、先達に任せることにしましょう。こういう話は〈西風〉のメンバーが専門家でしょうから。こちらとしては、ギルドの女性メンバーを中心に情報提供と注意喚起を。ギルドの掲示板を利用しても構いません」
「もしもし、ダル太ですか。クシ先輩は無茶をしていませんか? なら結構。引き続き見張りを。あと、ヤエ先輩の挙動からは目を離さないように。特に商人の動き、可能であれば市場の相場関係について。あの人は性能の高い悪質な愉快犯ですから。少しでも怪しい動きがあれば逐次報告を」
次々に報告に対する指示を出す様は、まるで大企業の管理職を思わせた。
しかし、彼女の現実世界での職業は、それとは似ても似つかぬ、保育所の職員という立場である。
こうした情報を曲がりなりにも裁いてこられたのは、現実における職業経験というより、生来の冷静さと、〈エルダー・テイル〉で身に着けてきた大規模戦闘の経験によるところが大きかった。
複雑な状況を把握、複雑な問題を細分化し、段階を噛み砕いて目標を設定、人員を配分する。
戦域哨戒班として培ったノウハウが、この極限状況で彼女を支えていたのである。
「……でも、ちょっと山ちゃんセンパイの顔色、悪い気がしますねー」
「まあ、内憂外患、問題は山積みでゴザルからなあ。三佐さんはめたくたがんばってるでゴザルよ」
高山三佐の周囲で報告書類の整理をしながら、ギルドメンバーが小声で言葉を交わす。
たしかに、内憂外患の言葉通り、〈D.D.D〉が抱える問題は膨大だった。
たとえば、〈大災害〉直後、この事態に巻き込まれた〈D.D.D〉の人数は1,000名を越える程度であった。しかしそれが今や、1月足らずでおよそ5割程度増加している。
多くはフリーのレベルの低い〈冒険者〉が知人を通じて落ち着ける場所を求めた結果であったが、来るもの拒まずのギルドの方針をいいことに、中には「巨大ギルドに所属し、その後ろ盾を背景に無法をする」ことを目的として入団する者も出始めた。
巨大であるということは末端まで目が届きにくいということと表裏でもある。〈D.D.D〉は大勢力ではあるが、この街において、その人数は1割以下でしかない。一部の暴走で悪評が立ち、街で孤立すれば、この街を本拠地とした運営が立ち行かなくなることは目に見えている。
こうした問題への対処や、現状把握への情報収集、そして、人数の増加に伴う既存ギルドメンバー、新規メンバーの衝突など、数え上げれば頭痛の種にはキリがない。
もちろん、その全てを高山三佐が処理しているわけではない。
ギルドマスターであるクラスティは当然として、ブロック化された各部隊・各部署の幹部メンバーがそれぞれの管轄において対応をしてはいる。
それでも、全体の状況を把握し、戦力の配分を検討する立場の彼女に大きな負担がかかっていることもまた、確かな事実なのであった。
殺到する念話が途切れ、部屋に沈黙が訪れる。
書類にメモを取る音と書類をめくる音だけが周囲を支配し……
「センパイ、お茶をお入れしましょうか? ……色つきのお湯ですけど」
おそるおそる、ギルドメンバーの一人が声をかける。
高山三佐は顔を上げ、何か口にしようとして、
「お願いしま……ぐっ」
バランスを崩し、そのまま机に倒れこんで額を強打した。
全く容赦も加減もない、受け身などありはしない全力打撃。
突っ伏した横顔を伺うと、瞳は焦点があっておらず、顔色ももはや青に近い。明らかに健康体とは言い難い状況である。
沈黙が再び周囲を支配し、一呼吸。
「せ、センパイ!? 大丈夫ですかーっ?」
「三佐さんが! 三佐さんが過労でござるよ?! ベッドに担ぎこむでゴザル! 今こそ秘密結社『三佐さんファンクラブ』の出番でゴザルなっ!」
騒ぐギルドメンバーをよそに、高山三佐は弱弱しく腕を机に置かれた皮袋に伸ばし、届かずに諦めて、唇を動かした。
「ユズコ……。すみませんが、その中身を……」
「は、はいっ!」
ユズコと呼ばれたギルドメンバーの少女は慌てて皮袋の紐を緩め、中身をひっくり返す。すると、彼女の手のひらに落ちてきたのは、緑色の円筒形の物体……若干の潤いを帯びた、植物の茎を輪切りにしたものだった。
少なくとも、こんな薬品系アイテムがあるとは、聞いたことがない。だが、とりあえず言われるがままに、その物体をユズコは高山三佐に手渡した。
すると、高山三佐は躊躇うことなくその植物の茎を口にくわえ……
噛み千切るでも、飲み込むでもなく、ただ、そのまま。
ただ、もごもごと口を動かして、それをなめているらしいことはわかる。
「……ぇ?」
「……はい?」
何が起きているのか理解できずぼんやりとするギルドメンバーを尻目に高山三佐はしばしその茎をくわえ、そして、そのまま、勢いよく上半身を起こした。
瞳は再び焦点を取り戻し、心なしか顔色も回復している。
なまじ表情がほとんど変わらないだけに、その変化は特に顕著に目立っていた。
「はふはひはひは。はんひゃひはふ」
「真顔で謎の物体をくわえながら喋るのはどうかと思いますー」
「むあー!? ユズコ殿なぜ止めるでゴザルか! むしろそれがいいでゴザルのにああなぜこの世界では録音機能が存在しないでゴザルかって女性二人の視線が痛い!? でもそれもイイ!」
「……助かりました。感謝します」
「ゴザルさんの妄言は鮮やかなくらい完ッ璧にスルーですねー。いつもの調子復活です」
高山三佐は手元のグラスにその茎を入れると、ぐるりと首を一回転させた。
先ほどの弱弱しさはすでになく、平素の堂々とした態度を取り戻している。
そのあまりの変貌ぶりに、ユズコは高山三佐に問いかけた。こんなアイテムの存在は聞いたことがない。もしもそれだけの効果がある疲労回復効果をもったアイテムがあるのならば、それはすさまじい発見ではなかろうか。
「あの……センパイー。これ、何ていうアイテムですか? 幻想級の薬草とかです?」
「サトウキビです」
「……はい?」
「ですから、サトウキビです。オキナワのエネミーがよくドロップしますね。多少レアな程度の素材アイテムですが。表皮を剥いてしゃぶると甘いです。美味です」
淡々と答える高山三佐。その言葉自体に、おかしいところはない。
そういうアイテムがあることは、ユズコも知っている。
なるほど、この茎は、サトウキビを輪切りにし、一口サイズに切り分けたものだったらしい。
だが、だとすれば先ほどの劇的な効果はなんであったのか?
「でも、センパイ、これであれだけ疲れてたのが一瞬で回復しましたけど……」
「先ほどの件は心配をかけました。疲労ではありません。ただの糖分欠乏です」
「とうぶん、けつぼう」
「はい。糖分が欠乏し、集中力が切れただけですが、何か」
「いや、普通、人は糖分が切れただけであんなデッドリーな状態にならないんじゃないかと思うのですがー……」
「……はっ、まさか、三佐さん超甘党説!? 甘いもの好きすぎてちょっと食べられないといらいらして集中力ぶちーん、とかいう可愛らしい一面が発覚! スイーツ三佐さんは甘党すぎて糖分が切れると禁断症状しちゃうの☆ なーんて、まさかそんなコミカルな一面が大人の女性高山三佐さんにあるはずが……」
事態をまぜっかえすようにからかった男性ギルドメンバーの言葉に、高山三佐の表情が硬直する。
冗談のつもりで口にした言葉が及ぼした影響に、男性メンバーは、おそるおそる、問い返す。
「……図星でゴザル?」
「いえ断じて趣味嗜好によるストレス反応などではありません。今は非常事態です。脳は常に稼働し、この新規状況に対応するための手段を模索し続けている。そうした中で、脳活動のエネルギーたりうるブドウ糖に分解される砂糖を身体が要求するのは非常に合理的かつ科学的な反応であり、つまりこれは趣味嗜好による問題というよりも必然的な身体の要求。ましてや、病的な砂糖依存症によるβエンドルフィン受容体の反応などでは全くもってありはしないのです」
いつになく饒舌な高山三佐の反応。
それに、ギルドメンバー二人は顔を見合わせると、深く深く頷き合った。
「な、なんですかその生暖かい視線と沈黙は?!」
「別にー?」
「なんでもないでゴザルよー?」
「でもまあ確かに、あの事件からこっち、甘いものって限られますもんねー。しんどいですよねー」
「果物系と調味料ぐらいでゴザルからなあ。しかも今は流通もぐちゃぐちゃでゴザルし。入手も難しい。スイーツジャンキーにはつらいところでゴザルな」
「だ、誰がスイーツジャンキーですか! 違います! 単に私は少し人より甘いものが好きなだけで……」
「わかってますよー」
「皆まで言うなでゴザル。嗜好品を集めるのは現状だと厳しいでゴザルからなあ」
「わ、私だって物資補給の厳しさは把握してますし、私物の砂糖を節約すべく節制はしているのです! 白湯には砂糖を四杯までと決めていますし! サトウキビも小分けにして一回あたりの摂取量は減らしていますし! 果物は一日一回朝と昼!」
「……三佐さん、それでよくオフの体型もスリムですよねー」
「驚異的な燃費の悪さでゴザルな……。あと徹底的に語るに落ちてるでゴザル」
「と、とにかくっ! この話はこれで終わり! あと、このことは他言無用に願います」
「わかってますよー」
「拙者らを信じるでゴザルよ!」
◇ ◇ ◇
「……なるほど。面白い話を聞きましたね」
ドアの向こうの薄暗がりで輝く眼鏡の反射に、室内の三人が気づくことはなかった。
◇ ◇ ◇
その日から、〈D.D.D〉ではクラスティと有志による戦闘情報収集班による短期遠征が定期的に開かれた。目的意識を抱きにくいこの環境にありながら、彼らの士気はなぜか非常に高く、また、戦果として得られた様々な果実が高山三佐への差し入れとして提供されたという。
それと連動し、一部ギルドメンバーの「三佐さんプレゼントスイーツ素材狩り」が過熱。
ギルド上層部がブレーキをかけるまでの数日間の間に、アキバ中で「美味しい(果実が収穫できる)狩場を〈D.D.D〉が押えにかかっている」という噂が曲解されて広まり、風評を払うまでしばしの期間を要したのは、別の物語である。
その風評が、とある〈冒険者〉の問題意識を喚起し、このアキバの街を変えることになったかもしれないという可能性もまた、ここで語るべきではない、むしろ世界の本流と言うべき別の物語なのであった。