現代怪談・霊の呼ぶ寺~ぼくらは前期高齢少年団~
一
「かわいそうやから、そのウミガメいじめんと海へ返してやり。おじちゃんが百円やるさかい」
カメの上に乗って遊んでいた男の子たちは、声をかけてきた勝の顔をうっとうしげに見上げた。だが、再び視線を戻すと、彼の呼びかけを無視して仲間たちと遊びを続けた。
「なあ、頼むさかい助けったってぇな。ほら、苦しいから砂の中で手足をバタつかせてもがいてるがな」
悪童連中の頭とおぼしき子供に、勝はかがみ込んだ顔を近づけた。
「おっさん、きょう日、百円ではアイスクリームいっこしか買われへんで」
最近のクソガキらしい生意気な口ぶりで、リーダーは頼みを一蹴、カメの頭を竹の棒でつつき続けた。
困惑の表情でしばらく子供たちの動きをじっと見つめていた勝はとうとう小さながま口を取り出し、子供の頭数に合わせ三百円をつかみ出して渡した。
受け取った子供は、さほどうれしそうな顔もせず、仲間をうながすと砂浜を駆け出し村へ走って行った。
財布をポケットに戻した勝は、うれしそうにウミガメに向かい声をかけた。
「もう子供に捕まったらあかんで。早う家へ帰りや」
そう言うと、カメの甲羅を抱えて波打ち際まで運び、海の中へそっと押し出した。
「定置網にかかったらあかんで」
満足そうに彼は叫び、手を振った。
「何をしてんねん、こんなとこで。ワシらが甲羅干しでうつらうつらしてたら、おらんようになってしもうて」
「ひとりでブツブツ言うてたけど、大丈夫か。まだボケるんには早いで」
後ろで八郎と吉造の声がしたので、彼は振り返った。
「いや、カメが砂の中でもがいてたから、海に返してやってたんや」
話を半分程度説明して、彼はウミガメの泳いでいる海面あたりを見やった。
ここは、郊外の海水浴場。とはいっても、ビキニ女がかっ歩するようなメジャーな場所ではなく、海の家が一軒あるだけで、何とか浜町営海水浴場と書かれたトタンのアーチ看板がさびしく立っているこぢんまりとした海岸だ。
その海の家利用券を、勝が近所のミニスーパーで行われていたサマーセール感謝祭の福引でゲットした。
券は二人分だったが、引き当てた本人を除いて、八郎と吉造が足らぬ残り一人分を割り勘にし、そろって海水浴にやってきた。
「そろそろ日が暮れかけてきたで。引き揚げる用意せんと」
八郎の言葉に、勝は、
「ほんならもう一泳ぎしてくるわ。それでお開きにしよか」
と、叫ぶなり海に飛び込んだ。
他に能力はないものの、泳ぎだけには自信のある彼は抜き手を切って沖へ向かった。
夕日はまもなく水平線に沈もうとしている。蒸し暑さのよどんだ都会と違い、広々とした大空を見上げながら波間に浮かんでいるのは心地よい。何年かぶりの海水浴に、名残は尽きなかった。
しばらくして、彼は岸へ戻ろうと向きを変えたが、泳いでも泳いでも砂浜が近づかない。それどころか、どんどん遠くへ流される気がする。
彼はあわてた。どうやら、海岸線から沖へ向かう払い出しの流れに巻き込まれているようだったが、岸へ戻ろうとあせった彼は気づかず、流れに逆らおうとした。
風や潮流によってできる離岸流は速く、巻き込まれるとオリンピック選手でも戻るのは不可能といわれている。いったん海岸線に対し平行に泳ぎ、流れの途切れたところで波打ち際へ向かえばいいのだが、パニック状態になってしまったら最後、冷静な判断はなかなか難しい。
どんどん彼の体力は消耗していった。ついに力尽き、波間に沈もうとしたそのとき、足元に硬いものが当たった。
二
勝の体を持ち上げるようにして浮かび上がってきたのは、助けたウミガメだった。
「背中にお乗りください。竜宮城までお連れします」
彼は、甲羅にまたがった。なぜか水着が消えていて、素っ裸だった。波がさらったようだ。
二人は、海底のユートピアに向かい深く沈んでいった。
「ご主人さま、あれが竜宮城でございます。きれいでしょう」
サンゴや海草に囲まれ、きらびやかに建つ海の都をカメは指さした。勝は、絵にも描かれぬその美しさに目を見張った。
竜宮の方も、浦島太郎以来という陸からの客人だけに全員総出で出迎えた。
「まあ、どんな方かしら。イケメンだといいけど」
とヒラメ嬢。
「わたしは、心のやさしい方がいいわ。見てくれなんかどうでもいいの」
と、タイはロマンチストらしく目を輝かせた。
「あらっ、カメさん二匹でお迎えに行ったのかしら」
「ええっ?」
「だって、亀太郎さんの上に首がもう一つ!」
「どこどこ」
「ほら、あのまたがっている男の方の足の間から首を出してる」
「あらホント。でも」
官女たちの話を耳にした乙姫さまも、じっと目をこらし近づいてくる客人たちを眺めていたが、突然三人はほおを染めた。
「ちょっとアンタ、なんで前へ出るねん」
「アンタこそ、アラフォーにもなって。ちょっと若いもんに譲ったろという気はないんか」
「はしたない。お前たちは、召使なのだから私より後ろに控えていなさい」
「うるさい! オバハン」
「なんやてーっ」
二匹目のカメさんを見つけた彼女らは、その立派さに見ほれ、われ先にと争奪戦を始めた。
「あれー、なんや竜宮城でえらい取っ組み合いやってるで」
「本当、 どうしたんだろ。いつもは皆しとやかなのに」
勝は、自分の持ちものが原因でいさかいが起こっていると気づかず、ウミガメといっしょにその中へ飛び込んで行った。
「あかん、だれや抱きついてくるのは。痛い痛い、そんなとこ引っ張ったらあかん」
タイにヒラメ、それに乙姫さままで加わっての大乱闘に彼も青い顔。あわてて引き返そうと海面に向かって必死でもがき始めた。
「いらん、いらん。タイもヒラメもいらん。乙姫さまもかんにんして。タイもヒラメも……」
「おい、大丈夫か。何がタイもヒラメもや?」
「しっかりせえ。死んだらあかんで」
「何やえらいエエもん食うてる夢みてるみたいやなあ」
「食い意地の張ってるやつやさかい、あの世に行きかけても食べもんが浮かんでくるんとちゃうか」
意識を取り戻した勝は、砂浜に横たえられていた。覆いかぶさるようにして、八郎と吉造が見下ろしている。
最後の一泳ぎをと飛び込んでいった勝がなかなか戻ってこない。心配して二人が沖を探すと、彼が大声で助けを求めながら流されていくのが見えた。
あわてて八郎が飛び込み救助に向かうと同時に、吉造は海水浴場に備えられていた救命浮輪を抱え、後を追った。
先に着いた八郎は勝の髪をつかんで引っ張ろうとしたが、あいにくつかめるほどの毛は残っていない。そこで、大事な部分を握り締め、追いついた吉造と協力して海岸まで引き揚げた次第だった。
「何や、乙姫さんに引っ張られたんと違うんか」
落胆した勝を見て、
「刺し身を食うてる夢でも見てたと思うたら、おとぎ話の世界に行ってたみたいやな」
丸裸でぐったりしている勝の介抱をしながら、二人は笑った。
「ところで、海水パンツなしで泳いでたんか」
吉造の問いに、
「いいや、はいてたんやけど。波で流されたんちゃうか」
と、元気を取り戻した勝は答えたが、二人のまゆは曇った。
「ほな、金は?」
聞かれた勝は、はっと思い出した。
年金生活のつましい生活、少しでも節約しようと、唯一ポケットのついている勝のパンツへビニール袋に入れた全員の金を保管していたのである。ロッカー代をケチったのがわざわいした。
「帰りの電車賃もあらへんやないか」
三人は、肩を落とした。
三
暗くなった町外れの道を、三人は疲れた足取りで歩いていた。
「テレビで田舎に泊まらせてもろうてるのは、有名人やからや。ワシらみたいな一般人、だれも入れてくれへん」
「そらそうや。どこの馬の骨かわからんジジィ三人組が夜中に乗り込んできたら、断られて当たり前や」
「戸ひとつ開けてくれへんやんけ」
持ち金をすべて失くし、途方に暮れた彼らは家族に電話しようと思ったが、あいにく勝の家族は夏休みで上海万博へ、八郎の妻は親戚に不幸があったため信州の実家に滞在中で、明日でないと戻らない。吉造はひとり暮らし。
とにかく、今晩一晩をなんとか過ごし、明朝、八郎の妻に金を持ってきてもらうことにした。
だが、皆まったくの一文無し。一夜を過ごす場所どころか、夕食をとることさえできず、空腹を抱えてさ迷っているわけである。
もはや民家も途切れ、山道にさしかかっていた。
「ああ、腹へったなあ」
「昼に海の家でうどん食うただけや」
「その辺に大根でも生えてへんか」
鵜の目鷹の目であたりを見回していたが、腹のタシになるようなものは見当たらなかった。
そのとき、先頭を歩いていた勝が声を上げた。
「あっ、あんなとこをジイさんが歩いていきよる」
空腹と疲れでぐったりとうなだれて歩いていた二人も顔を上げると、月の光でかすかに浮かび上がる人影が見えた。
「あの人に頼んでみよ。おーい、そこのおじいさん、ちょっとすんまへん。ちょっと、待っておくんなはれ」
前かがみで杖をついた老人は、曲がり道に消えようとしていた。
「あのじいさん逃したら、もう人なんかこの辺におらへんで。今晩野宿や」
「ほんまや。ヤブ蚊に刺されて顔がふくれ上がるがな」
「早よ追いかけよ」
三人は歩を速め、老人を追った。そして、山肌に沿って角を曲がったとたん、彼らは目を疑った。
だれもいない。
「あれっ、じいさん消えてしもうた」
「そんなアホな」
「ほんまや。だれもおらへん。幽霊みたいや」
峠へと続く道は、月明かりにうっすら光っているだけで、人っ子ひとりいない。 みなは顔を見合わせた。
「不思議や。確かにじいさんが歩いてたのに。みんなも見たやろ?」
振り返った勝に、二人はうなずいた。
そのとき、
「あっ、あそこに明かりが見える。家があるんや」
八郎が、山腹にともっている灯を指さし、叫んだ。
「あんな山の中、人が住んでるか。狐火とちゃうか」
吉造はいぶかしそうに、まゆにつばをつけた。
「何でもエエ。とにかく行ってみよ。腹が減ってたまらん。明日カネ払うよってに、一晩泊めてくれって頼んでみよ」
リーダーの八郎は、明かりに向かって速足で歩き出した。二人はそれに従った。
四
三人が着いたのは、荒れた古寺だった。
山門は傾き、寺号額はくもの巣が幾重にもかさなって、その名を読むことはできなかった。土塀も崩れて、本堂に通じる石畳は雑草が覆いかぶさり、往年の面影をしのぶことさえできない。
右手の庫裏から漏れる明かりがなければ、まったくの廃寺と見られてもしかたなかっただろう。
彼らは顔を見合わせ、おとなうかどうかためらった。だが、ほかに選択肢はない。門をくぐり、庫裏へと向かった。
「ごめんください。お邪魔します」
外から声をかけたが、返事はない。鍋の煮える音が戸のすき間から聞こえ、人の動く気配がした。
「すみません。夜分恐れ入ります」
彼らは声を上げ、戸をたたいた。こんどは通じたのか、しばらくして戸が開いた。
出てきたのは、蓬髪の老婆だった。まさしく破れ寺にふさわしい。
背の低い女は、うさんくさそうに彼らを見上げ、露骨にいやそうな顔をした。
「道に迷って困っております。一夜の宿をお貸しいただきたい」
雰囲気にのまれたのか、少しばかり大時代的な言い回しであいさつをした。
「ウチはだれも泊めん。早よ帰ってくれ」
言うなり、女は戸を閉めようとした。
しかし、彼らも必死だった。閉まりかけた戸から無理やり体をねじ入れた。
「海でおぼれて、財布を波に持って行かれてしまいましてん。お願いですさかい、何か食べさせて、一晩泊めてくれまへんか。あしたになったら、ヨメはんに代金を持ってこさせてお払いしますよってに」
もはや、格好をつけていられない。日ごろの言葉に戻って頼み込んだ。切羽詰まった男たちの形相に、老女はたじたじとあとずさった。
いくらあつかましそうなバアさんでも、夜半男三人に乗り込んでこられてはひとたまりもない。断ったら、何をされるかわからない。老婆とて、命は惜しい。
しぶしぶ彼らを招き入れざるを得なかった。代金という言葉が決断の後押しをした。
「そのかわり、何もないぞ。雑炊だけじゃ」
彼女はぶっきらぼうに答え、建物すみの小部屋へ案内した。
「増水でも氾濫でも結構、口に入るもんやったら、何でもいただきまっさ」
くだらぬ軽口をたたいて、三人は部屋へ入った。
老女が台所へ戻って行ったあと、彼らはまわりを見回した。仏事のさいのとうろうや炊き出し用の什器が周囲に積んである。どうやら納戸部屋のようだ。
すえたにおいが部屋中に漂っていた。だが、雨露をしのげ、蚊の襲撃を避けられるのはありがたい。
しばらくして、老女が三人分の膳を持ってきた。質素なものだったが、寺だけに多人数のまかないに慣れているのだろう、年寄りの割りに手際がいい。
「お代わりはないぞ」
捨てぜりふを残して立ち去ろうとした老女は、思い直したかのように振り返り、ひとこと付け加えた。
「それから、奥の部屋をのぞいてはならん。わかったな。のぞくとどんな仏罰が当たるかわからんぞ」
こう言い置くと、彼女はぴしゃりとふすまを閉め、廊下を戻って行った。
五
「奥の部屋に、何があるんやろ」
見るなと言われて、見たくない者はよほどの変人だろう。雑炊のおわんを抱えた勝は障子を少し開け、廊下の突き当たりを覆う暗やみを透かした。
「見たらあかん、と言うてるんやからのぞかんとき。バアさんのご機嫌をそこねて追い出されたら大変や」
「そやそや」
見たがり屋の勝には興味津津だったが、二人にたしなめられ、しぶしぶ障子を閉めた。
台所に戻った老女は夕食の後片付けをしながらひとりごちた。
「あいつらに押し切られて、つい家に入れてしもうたが、明るなったら厄介なことになりそうじゃ。今晩中に追い出しとかんとあかん。何かいい方法は、うーん」
しばらく考え込んでいた彼女は、
「おお、そうじゃ」
と、手を打った。
「本堂に古い棺おけがひとつ残っておった。あれを使って、ふふっ、ひひっ、いひひひひひ」
その笑い声を聞く者がいたとしたら、あまりの気味悪さに全身が総毛立ったに違いない。
老女は、さっそく本堂に向かい須弥壇の背後に回り込んだ。
まもなく引きずり出してきたのは、以前死者が運ばれてきたときに使われていた棺おけ。葬儀の最中に仏が息を吹き返し、元気に戻っていったため残されていたものだ。
それを本尊の前に安置し、灯明と線香に火をつけた。
「これで、出来上がりじゃ。ちょっとおどかしてやったら、あんなジジィすぐ逃げて行きよるやろ。いーひひひっひ」
まばらに残った前歯をむき出しにして、再び気味の悪い笑い声を上げた。
庫裏に戻った彼女は、三人のいる納戸部屋へ現れた。
「急の使いが来て、ちょっと町まで出かけねばならんことになった。もしかすると、今夜は帰れぬかもしれん。留守番を頼む」
思いもかけぬ話に、八郎らは当惑した。まったく見も知らぬ地で一寺の留守居を預かるのはいささか不安である。
だが、無理を言って泊めてもらった手前、断るわけにもいかない。少々ひきつり気味ながら笑顔で承諾した。
「あ、それからもうひとつ頼みたいのじゃが。実は、明日葬儀があって、仏さまを本堂にお預かりしておる。灯明を絶やすわけにはいかぬ。通夜を兼ねて、夜伽をお願いしたい」
彼女は、ぎらりと目を光らせた。拒否はさせぬというきついまなざしに、三人はやはりうなずくほかなかった。
「では、頼んだぞ」
最後の言葉を残すと、老婆は門を出て行った。
そのころ、寺に通ずる山道では二人の男が――。
六
「昔は檀家も多うて、信者のお参りが引きも切らん寺やったのに、住職が倒れて寝たきりになってからというものは荒れ放題。今では、下働きのばあさんがひとりで面倒をみてるらしいワ」
「そうでっか。ほな、仕事はやりやすいでんな」
「オレオレ詐欺で失敗し、大麻栽培で捕まり、とうとう田舎町でのコソ泥まで落ち込んでしもうた」
「まあ食うていかんなりまへんよってになあ、ワシらも」
歩きながら話しているのは、だれが見てもうさんくさそうな二人連れ。内容からして、これから空き巣か強盗でもやらかそうとしているようだ。
「そやけど、なんでそんな貧乏寺を襲いまんねや?」
「そこや。ここ何年も葬式一つ出したことのない寺やっちゅうのに、ちゃんと食うていけとる。相当小金を貯め込んどるんやないかという村のウワサや。そこで、とりあえず旅の駄賃稼ぎをさせていただこうかというこっちゃ」
しゃべっているうち、二人は寺の近くまで来ていた。
「おっ、ばあさんが出てきた。どこかへ行きよるんやな。ちょっとそこの木の陰に隠れよ」
男は、手下に合図して身を隠した。その前を、ふろしき包みを手にした老女が集落の方へ下っていった。
やり過ごした彼らは、その後ろ姿を見ながらほくそえんだ。
「神さんは、ワシらの味方や。これでもう金は手に入ったようなもんや」
「ついてまんなぁ、兄貴」
と、取らぬタヌキの皮算用をはじいた二人だったが、大きな誤算だったのは神さまがよくご存じだった。
七
「仏さん、ほっといてばあさん出ていってしまいよった。疲れてんのに、お通夜せんならん」
「灯明を欠かさんようにして、きっちりお守りをせんと、化けて出るで」
「追いかけて聞いてみたら、仏さんは高利貸しのバアさんで、よっぽど金に未練があるのか、金返せ、金返せと繰り返しながら死んだんやて」
雑炊を口に運びながら、三人は気味悪そうに首をすくめた。
「ほな、食べ終わったら、本堂へお参りしょうか」
急いでおわんをかき込み始めた二人を尻目に、
「だれもおらんようになったから怒られることもないやろ。ちょっとお代わりしてくるワ」
と、勝は空のおわんを持って台所へ。雑炊を注ごうとしているところへ、突然戸ががらりと開いて例の二人組が入ってきた。
「わっ、びっくりした」
「だれや、あんたらは?」
無人だと思っていた寺に人がいたので、二人組は驚いた。
あわてた子分の方は、ウロがきたのか、
「あ、あの、バアさんが行ってもうたから、それで……」
と口走ってしまった。
いらんこと言うな、とばかり兄貴分は男の足をぎゅっと踏み、目で合図を送った。
ところが、勝は早とちり。
「逝ってもうた? ああ、あの仏さんのご親戚。 いやそうでっか。それなら、もうおまつりしてありまっさかい、本堂の方へどうぞ」
と、笑顔で彼らを招じ入れた。
思わぬ勘違いに喜んだ彼らは、
「すんまへん。いや、もっと早よ来るつもりだしたけど、いろいろ忙しうて。ほな、参らしてもらいまっさ」
と、話をうまくつなぎ、本堂へと向かった。
「あのー、ろうそくと線香は絶やさんようにしておくんなはれ。消えたら、迷うて出るて言うてましたで」
ひと言付け加え、勝は二人を見送った。
八
こちらは老女。
いったん寺を出、皆に村へ向かったと見せかけてから、あぜ道を伝い寺の裏側へ回った。土塀の破れ目から境内へと戻った彼女は、用意していた経帷子に着替えて棺おけの中へ。
そこへやって来たのは、うまく勝をごまかした二人組。棺の前に座り込み、一人は念仏を唱え始めた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「兄貴、兄貴」
「うるさい。お前もやらんかい。格好つけんと怪しまれるやないか」
「そやけど、兄貴」
「うるさい言うとるやろ。お経がわからんかったら、口の中で適当にモゴモゴとやっとれ」
「そやかて、兄貴、ろうそくがちびて、もう火がちょろちょろしてまっせ。早よ取り換えんと消えてしまいまんがな」
「まだ大丈夫や。ほうっとけ」
「そない言うても、消えてもうたら、ゆうれんが出るて」
「あほか、お前は。死んだ人間が出てくるかい。もっと落ち着け」
「でも、もし出てきたら、怖うおまんがな。ワシ小さいときからヘビとゆうれんは相性が悪い」
「うるさいなあ。出てけえへんようにしたらエエんやろ。出て来なんだら」
言うなり男は、棺おけの横にあった釘と石をつかんだ。
「何しまんねん。それは、最後のお別れが終わったあとに、ふたを打ち付ける釘でんがな。そんなん、いま使うたらあきまへん」
弟分は、あわてて止めようとした。しかし、男は気にせず、続けた。
「エエがな、エエがな。手間省けたいうてみんな喜ぶ」
と、かまわず、釘をたたき始めた。
驚いたのは、中の老女。あわててふたを持ち上げようとしたが、男が押さえつけながらゴンゴンと長い釘を打ち付けたからたまらない。助けを求める声も、その音にかき消され、完全に中に閉じ込められてしまった。
「めちゃくちゃしまんなあ。知りまへんで、怒られても」
「かまへん、かまへん。葬式のときはワシらここにおらへん」
と、わいわい騒いでいるところへ八郎らがやって来た。
「エー、このたびはご愁傷さまで」
「ええ人でおましたのになあ」
「ホンマ、ホンマ。惜しい人を。ズスッ」
本人に会ったこともないのに、三人は適当にあいさつをした。
「ところで、何で亡くなりはりましてん?」
突然聞かれた弟分は、言葉につまった。
「それは、その、あの、あれでんがな。ほら、あの、下半身にある」
と、しどろもどろ。
「下半身の何でっか」
「ぢ、痔で」
「ええーっ、痔で死にまっか?」
「あ、いや。間違うた。ほん近くにあるもんやさかい。あの、前立腺を患うて」
「ぜ、前立腺?」
「そう、そうでんねん。長い間患うてた前立腺の病気が悪化して」
彼は口から出まかせを言ったのだが、病気の名前が悪かった。
「前立腺て、あれは男の病気だっせ。女の人にはありまへんがな。仏さんは、おばあさんでっせ」
いたたまれず、兄貴分の男が彼のそでを引き、小声でたしなめた。
「あほか、しょうむないこと言いやがって。ちょっと考えんかい。男でも女でも通用する病気は、ほかにいっぱいあるやろが」
怒られた男は、頭をかいた。
「いや、この間オヤジがあの病気で入院したもんで、つい」
こう答えると、すぐさまいぶかしげな顔をしている八郎らに向き直った。
「おかしおまっしゃろけど、実を言うと、ワシの母親は性転換してましてな、もとは男でんねん。それで、あれだけは残してたもんで、グシュッ。こんなことやったらついでに取っておいてもろうたらと」
「ほなら、あんたを産んだんは?」
「エエッ?」
「いや、あんたを産んだ人でんがな。お母はんが男やったら、妊娠できまへんやろ」
「ええ、まあ」
「ほんなら、あんたを産みはった人がいまっしゃろ。それは、だれでんねん」
切羽詰まった男は、苦し紛れに答えた。
「いやあ、都合良う父親も女から性転換してたもんで、オヤジがワシを身ごもって……」
兄貴分は、男の口をふさいだ。
「すんまへん、急に親が死んだもんやからコイツちょっと神経がおかしなって。明日の葬式の打ち合わせもせんなりまへんので、ちょっとあちらで」
というなり、彼は弟分を連れ去ってしまった。
九
庫裏へ戻って行く二人を見送っていた八郎らの背後で、勝が大声を上げた。
「あ、ろうそくが、ろうそくの火が消えかかってるがな。あんだけ言うといたのに、新しいのに替えてくれなんだんかいな、もう」
後ろを振り返ると、炎がパパッパパッと明滅を繰り返している。
「ほんまや。早よ継いだらんと天国行かれへん。勝、新しいのに取り換えたりぃ」
言われた彼はあたりを探したが、ろうそくを入れた箱が見つからない。
「あれへん。どないしょ」
「その経机の下にないか。え、ない? 座布団の下敷きにでも。ン、見当たらん? 弱ったなあ。あ、そや、そこの燭台にあるやないか。燃え残りやけど、消えるよりマシやろ」
と、八郎は須弥壇の方を指さした。
「ほら、ご本尊さんの前、ほら、ほら、ご本尊さんの。それは花活けや。違う、それは木魚やないか、それは銅鑼、いや、ご本尊さん。え、ご本尊さんがわからんか。ほら、その中央におられる仏さん」
うろたえる勝に、八郎らいら立った。
「仏さんやったら、仏さんて言うてえな。そんなゴホンゾンなんて英語使うて」
「英語ちゃうわい」
「あほやな、コイツは」
と、騒いでいるうちにジジッ、ジジッと最後の輝きを残し、ろうそくは燃え尽きてしまった。
あたりは真っ暗やみとなった。
「き、き、消えてしもうたがな」
ふるえ声を出して、勝は八郎にしがみついてきた。
「こ、こわい」
「だ、大丈夫や。死んだ人間は何も悪させえへん……、はずや」
そう言う八郎の手もかすかに動いていた。
ギ、ギギ、ギーイッ。
「な、なんや、あの音は」
青い顔になって吉造も二人にすり寄った。
ギギッ、ググッ、ギィーッ。
静寂の中に何かのきしむ音が響いてきた。三人は抱き合いながら、見えぬやみをすかした。
ズズッ、ズズ、ズズッ。
と、何かがずり落ちかけている音も加わった。
そのとき、雲間から月が出て、うっすらと周りの輪郭が見えるようになった。
「な、何や棺おけの位置が変わったように見えへんか」
「そ、そんなあほな。ひつぎが勝手に動くかいな」
「そやけど、ふたもちょっと持ち上がってるみたいやで」
棺の中は空気が薄くなり、息苦しくなっていた。このままでは早めにお参りせんならんと思うと、年寄りとはいえ、ばか力が出たのだろう。突っ張る両手がふたを徐々に持ち上げ、釘が抜け始めていたのである。その動き回る振動で、棺はだんだん前にせり出してきていた。
だが、何せ前回使われたのは太平洋戦争の末期、物資不足の折で材料が粗末だったのと、長年ネズミや虫に食われていたためもうボロボロ。そこへ、死にものぐるいで力を入れたため、とうとうふた板が抜けた。
ベリッ、ベリベリベリ、バリーッ。
「金返せーっ」
割れ目から青白い手が突き出て、空をつかんだ。
「でっ、出たー!」
十
本堂から逃げてきたコソ泥たちは、八郎たちにのぞいてはならぬと老婆がいましめていた奥の間にやってきた。
「この部屋に金庫があるというウワサや。早う仕上げてずらかろ」
こう言うと、男は部屋の障子に手をかけた。
「ウン、ウンッ。おかしい開けへん。どないなってんねん。おい、懐中電灯でこっちを照らせ」
命じられた男は腰に挟んだライトを取り出し、障子を調べ始めた。
「あきまへんで。敷居に釘で留めておますワ」
「くそっ、釘抜き、その辺にないか」
「そんなん、置いてまへんで」
「しょがないなあ。ほな、いっしょに引っ張ろ。ええか、一、二の三でいくぞ。わかったな。それ、一、二ッ……」
一方、本堂では。
ガラガラガラッ、ドスン。
あわてて逃げようとした勝が祭壇をけ飛ばしたため、半分落ちかかっていた棺おけが三人の上に転げ落ちた。
「痛たたた、金返せぇ~」
「だははははは。た、助けて」
ひつぎにのしかかられた皆は、われ先に逃げようとしたが、腰が抜けているため思うように体が前に進まない。そのうえ、八郎のズボンを吉造が握り、吉造のベルトを勝が、その足首を棺おけの割れ目から伸びた老女の手がつかんでいた。
「八ちゃん、何で先に逃げるんや。ワシら見捨てる気か」
「い、いや。先に行って、げ、玄関の戸を開けとこかと思うて。みんな逃げやすいように」
畳をはうようにして彼らが進むと、ひつぎもズスッ、ズスッと引っ張られ、開かずの間の方へジリッジリッと進んで行った。
「さあ、引くぞ。一、二ィ、三ッ、ウーン」
「か、固いでんな、びくともしまへん。五寸釘でも打ったあるんとちゃいまっか」
「もっと力入れんかい。さあ、もういっぺん行くぞ。そーれー」
「あいた!」
「えっ、開いたか?」
「いや、障子に指はさんだ」
「あほっ」
「そやけど、何や本堂の方がうるそうおまっせ」
「本堂なんかどうでもエエ。それよりも、もう一回、それ、一、二ぃ、三ンっと」
ギ、ギシッ。ミリッ、ミリミリミリ。
「お、動いた。もうちょっとや。ウーン」
メリメリ、バリッ。
数珠つなぎで進んできた四人は、本堂と庫裏をつなぐ廊下のところで、棺おけが左右の柱に挟まれ、前進できなくなった。
あせった八郎は、自分ひとり逃れようと思いきり足を引っ張った。勢いで、つながっていた棺のふた板が完全に破れて、老女が飛び出した。反動で四人は、力任せに障子引っ張り外してしまった二人組と思い切り衝突。バランスをくずして、双方開かずの間に倒れ込んだ。
バリバリバリ、ドドドシーン。
老婆に片足をつかまれたままの勝が、障子ごと室内に転げ込んだのは布団の上。寝ている人間の顔をのぞき込んだとたん、またもや金切り声を上げた。
「ギャーッ、ミ、ミ、ミ、ミ……」
くちびるを震わせながら、そでを引く勝に吉造は、
「な、なんや。まだ何かあるんか。セミみたいにミンミン鳴き声上げて」
と、布団をめくり上げ、中を見るやいなや、
「ミ、ミ、ミ、ミ、ミミミミ……」
これまた彼も、同じように鳴き出した。
「なんや、吉ちゃんまで勝のマネしてそんな声を。うわあ、ミミミミミミミ……」
最後には八郎まで顔を引きつらせ、いっせいに叫んだ。
「ミヒ、ミヒ、ミヒラ、ミヒラ、ミイラやあ~」
この声でびっくりし、のぞき込んだ例の二人組も腰を抜かし倒れ込んできた。はずみで、からからに干からびたミイラの手が勝の首筋へまとわりついた。
「ぎょぇーっ」
ジョ、ジョ、ジョ、ジョ、ジョーッ。
大声とともに、液体の流れ出す音が暗やみの中に響いた。
布団に横たわっていたのは、頭巾をつけた法衣姿の男のミイラだった。口は断末魔の叫びをとどめたかのように大きく開き、暗黒の地獄の底を思わせる二つの眼窩は、うつろに天井をにらみつけていた。
「あわ、あわ、あわ」
「ミン、ミン、ミ、ミ、ミ、ミ」
「みひら、みひぃら~」
「タイもヒラメも」
「金返せ~」
静かな寺は、一転阿鼻叫喚の地獄と化した。
十一
喫茶ヴェルサイユに集まった三人は、ほっとした表情でコーヒーをすすっていた。
事件以来、連日警察で事情を聞かれ、やっと一息ついたところだったのである、
「あのとき、駐在さんが来てくれなんだら、どうなってたやろ」
ミイラに抱きつかれた首筋と、老婆につかまれた足首をさすりながら勝はつぶやいた。
「ヘンな二人連れが山道をのぼって行ったという村人の通報で見に来てくれたんや。おかげで、泥棒はつかまったし、ばあさんも年金詐欺で警察へ連れていかれてしもうた」
八郎は、がっくりうなだれながら連行されて行く老女を思い出してか、暗い顔をみせた。
警察の調べによれば、住職は何年も前に病死していたそうだ。だが、若いころ小学校の教員を兼職していたため、共済年金を受けていた。
死亡届を出すと、支給が打ち切られてしまい、老女が路頭に迷わなければならないため、生きているようによそおっていたという。最近はやりの幽霊年金族である。
やせ衰え即身仏状態になって他界したのをさいわい、役場の職員などがやってきたときは、頭巾に緋の衣を着け仏壇に向かって座らせたのを背後から見せて、「いまお勤め中で忙しい」などと追い払っていたという。生前とったテープの読経を聞かせるという手の込んだ手法も講じていた。
元々細身の男性だったのでミイラになってもわからなかったと役場の担当者は話しているが、これはマユツバで、一応訪問して確認したという形だけつくっておけば、後日問題が起こっても言い逃れができるという役人特有の方便というのが関係者の見方である。
「まあ年寄りやから、刑務所行きはないやろけど、帰されてからどうやって食うていくか心配やな、あのさびれた寺では」
まゆをひそめた吉造を、ママがさえぎった。
「ところが、大違い。あの事件で、お寺は心霊スポットとして大人気になってるんよ。宿坊を開いたところ、大勢押しかけて来て、予約が取られへんほどなんやて」
「ええっ、そんな話があるんか」
「夜になると、山道にお坊さんが現れて、後をついていくとスーッと消えるといううわさが立ったんで、毎晩ワイドショーの中継車やレポーターが来て地元は大騒ぎらしいわ」
連日の事情聴取でまったくテレビが見られなかった八郎らは、思いもかけぬ話に目を丸くした。
「ワシらが見たのは、早う成仏させてくれという住職の霊やったんかもしれん」
長い間かび臭い部屋に置かれていた遺体のことを思いやると、八郎は同情せずにはいられなかった。
「保釈になったおばあさんが、夜中に本堂へ置かれた棺おけの中から、金返せーって手を出すパフォーマンスを始めたんやて。これを見てみんなワーッと盛り上がり、携帯で写真を撮るツアーが売り切れやとか。この調子やと住職のエエお墓も建てられそうやと檀家総代は喜んでるわ」
心残りだった老女の身の振り方に光明が見えたことに、彼らは一応ほっとした。
「でも、けしからん話やね。死んだ人の年金をあてにするやなんて。年寄りの風上にも置けん」
憤懣やるかたないママの鼻から噴き出した息が、コーヒーの伝票を隣のテーブルまで飛ばした。
「うん、でもしかし、それだけ金のない人間も多いというこっちゃ」
「親の介護で会社までやめて、再就職でけへんという人もおるよってになぁ」
「年金や社会福祉など世の中問題だらけや」
「そんなエエかげんな行政で、ワシらのもらう年金死ぬまでもつやろか」
だれかが吐いたこの一言に、
「怖い話やなあ」
と、みな首をすくめた。
(おわり)
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