第七話 探し求めた唯一の②(エドガー視点)
その気配を感じたのは、ルミナリア王城で行った、属国の王族が集う宮廷晩餐会でのことだった。
挨拶に来た、カトリーナの腹違いの妹のリリィ王女。
あの女の纏う気配は、どこか不気味で、今カトリーナにまとわりついているものと同じものだった。
当時はあの女が発しているあの得体の知れない不気味さの理由が分からなかったが、今、はっきりと分かった。
これは呪いだ。カトリーナは、リリィに呪いをかけられ、殺されたのだと。
その時、アレクサンダーの視界が、ぐらりと揺れた。
腕の中のカトリーナは、もう目を開けることも、自分に笑いかけてくれることも、二度と無い。
その現実が、彼の胸を激しく締めつけた。
喉の奥から、低い声が漏れる。
「……カトリーナ」
名を呼んだ瞬間、アレクサンダーの胸の奥で、何かが壊れた。
カトリーナはもう、ルミナリア王国の王妃だった。
彼の妻であり、ルミナリア王国の王族である。
それを、他国の王族が呪いで殺した。
それが何を意味するのかすら分からぬ王族が、民の上に立つなど、笑わせる。
アレクサンダーは歪んだ笑みを浮かべた。
そこにあるのは嘲りではなく、明確な敵意と、容赦のない怒りだった。
国を越えた王族殺害は、すなわち、宣戦布告と同じ意味を持つ。
その時、理性が何かを言おうとしたが、その声は、湧き上がる怒りに塗り潰された。
アレクサンダーは、ゆっくりとカトリーナの身体を抱きしめる。
既に冷たくなったその身体を、壊れそうなほど強く。
そして、静かに呟いた。
「……絶対に許さない」
その声は、恐ろしいほど冷えていた。
ルミナリア王国は、その年、フランシス王国へ侵攻した。
現国王の悪政により、フランシス王国はすでに内から崩れかけていた。
結果は誰の目にも明らかだった。
ルミナリア軍は瞬く間に国境を突破し、フランシスの防衛線を崩していった。
城は落ち、逃げ惑う王族は捕らえられた。
アレクサンダーは捕らえた王族の中から、リリィの姿を見つけ、睨みつける様にその姿を見た。
リリィのその瞳には、狂気の色が宿っていた。
「あなたが悪いのよ」
リリィは、顔を歪めて笑っていた。
「あんな女……、死んで当然だったのよ……」
その言葉を聞いた瞬間、アレクサンダーの胸にあった怒りが、激しく燃え上がった。
その炎は、決して消えることのないものだった。
王族は全員処刑され、フランシス王国は滅んだ。
そしてフランシスは名ばかりの属国から、ルミナリア王国の完全な支配下へと落ちた。
以後、その地はルミナリアの領地として再編されることとなった。
復讐は果たされた。
けれど、彼の元には、何一つ戻らなかった。
アレクサンダーは、もうこの世界で生きていたくなどなかった。
カトリーナのいない世界に、もはや生きる意味などなかった。
だが、それでも彼は、真の王だった。
自分の為だけに、自国を見捨てることなど、できるはずがなかった。
だからアレクサンダーは生き続け、国を治め続けた。
後継には、信頼できる第二王子の息子を指名した。
だが王位はすぐには譲らず、国を完全に安定させるまでは、王として立ち続けた。
戦を終わらせ、法を整え、国を繁栄させた。
王としての責務を、彼は最後まで果たし続けた。
歴史とは常に、権力者にとって都合の良い形に書き換えられ、語り継がれるものである。
ゆえにこの一連の出来事も、後の世においては、まったく異なる姿で記録された。
賢王アレクサンダーが、腐敗しかけていたフランシス王国の実権を引き継ぎ、これを立て直した、と。
だがその実は、ただ一人の妻を奪われた男の、あまりにも個人的な怒りと悲しみによる復讐に過ぎなかった。
どれほど年月が流れても、どれほど国が栄えても、彼の心にあったのは、ただ一人の女性だった。
淡い金の髪、静かな青い瞳、優しい微笑み。
その記憶だけが、彼の胸に残り続けていた。
そして、長い人生の終わりが訪れた。
老いた身体はもうほとんど動かず、王の寝室には、静かな空気が流れていた。
アレクサンダーは、天井を見上げた。
長い、長い人生だった。
戦い続けた人生だった。
だがそれも、ようやく終わる。
胸の奥に、静かな安堵が広がる。
唇が、ゆっくりと動いた。
「……カトリーナ、やっと、お前のもとに逝ける」
紫の瞳から一筋涙が溢れ、頬を伝った。
最期の時、アレクサンダーは、静かに微笑んでいた。
*
そして、エドガー・アルヴェインとして生まれ変わった彼は、ついに彼女を見つけた。
セシリア・ヴァルモンド。
初めて彼女の姿を見たのは、王城の庭園だった。
祈るように目を閉じ、静かに佇む少女を見たその瞬間、全身が沸騰するかのような激情に貫かれ、心臓が激しく脈打った。
彼女の身体を、淡く美しい光が包んでいた。
どんな宝石よりも、どんな奇跡よりも美しい、柔らかく、澄みきった癒しの魔力。
そのオーラを見た瞬間、エドガーは理解した。
間違いなく彼女が、カトリーナの生まれ変わりであると。
次の瞬間、衝動が身体を突き動かした。
駆け寄って、この腕の中に閉じ込めたい。
もう二度と離さないように、強く抱きしめたい。
そして、もう自分から逃げられない様に、自分以外の誰の目にも触れられない様に閉じ込めて、そこから二度と出したくない、と。
けれど、足を踏み出しかけた、その瞬間、エドガーは、はっと我に返った。
脳裏に蘇ったのは、前世の記憶だった。
怒りに呑まれ、復讐に狂った自分。
歴史的には賢王などと称えられているが、その実、激情のままにリリィを殺し、さらにその家族であるフランシス王国の王族を、ことごとく滅ぼした。
あれが間違いだったとは思わない。
カトリーナを呪い殺したのだから、許す理由など、どこにもない。
だが、それでも、セシリアにとっては違う。
彼女にとってアレクサンダーは、前世の家族を、そして故郷の国を滅ぼした男なのだ。
カトリーナが、故郷で良い扱いを受けていなかったことは見て取れた。
けれど、あの心優しい彼女が、家族やフランシス王国をどう思っているのかについては、生前、一度も聞いたことがなかった。
だからこそ、自分がそのすべてを奪ったと知ったとき、彼女が何を思うのか、想像することができなかった。
いや、正確には、想像することは、怖くてできなかった。
もしも、前世の自分がアレクサンダーだと知った彼女に、怖がられ、憎まれ、拒絶されてしまったら。
そこまで考えた時点で、エドガーは、ぎゅっと拳を握った。
そんなことになれば、自分はきっと、一生立ち直れない。
絶対に知られるわけにはいかない。
だから、アレクサンダーとしてではなくエドガー・アルヴェインとしてセシリアに出会い、彼女に近づくことを決めた。
そして、彼女に好きになってもらいたい。
前世では、始まる前から、欲しいのは魔力だと線を引いてしまい、夫婦でありながら、彼女と心から結ばれることは最後までなかった。
今世こそは、彼女の心が欲しい。
その上で、今度こそ、彼女を幸せにしてみせる。
そんな決意を胸に、彼はその場を離れた。
*
そして今。
庭園を去っていった愛しい少女の背を思い返す。
そうなることは少し予想もしていたが、やはり拒絶されてしまった。
だが、長い時間をかけてようやく見つけた彼の唯一無二の最愛の人を、そんなことで諦められるわけがなかった。
まさか、こんな近くにいるとは思わなかった。
自分がルミナリアに転生したのなら、もし彼女が転生するならフランシスに生まれているはずだろうと思っていた。
だからエドガーはこれまで、何度もフランシス領へ赴いていた。
フランシスは前領主の死後、新たな領主に代わった。
表立った変化はないが、どこか落ち着かない空気が漂っている。
その調査を言い訳に、フランシスに留まり、カトリーナの生まれ変わりが居ないかを探していた。
公爵という立場は、こういう時には都合が良かった。
だが、それも、もう必要ない。
彼女がこの国にいるのなら、自分がこの国を離れる理由など、どこにもない。
そうと決まれば、現地の者へと引き継ぎを済ませ、今後の監視を任せると、早々にルミナリアに戻ってきたのだった。
エドガーは静かに息を吐いた。
前世のアレクサンダーは王だった。
それ故、国のために生きるしかなかった。
けれど、今は違う。
彼は低く、静かな声で呟く。
「今度は、お前を一番に生きる」
国のためでも、民のためでもなく、たった一人のために。
探し求め続けた、唯一のために。
エドガーはもう一度、庭園の出口を見る。
そこにはもう、彼女の姿はない。
それでも、胸は満たされていた。
幸せに心が震え、唇が、わずかに笑みを描いた。
「やっと会えたんだ」
低く、甘い声だった。
「もう、逃がしてやるつもりなんてない」
長い時を越えて、ようやく見つけたのだから、どれだけ拒まれても、諦めてなどやらない。
今度こそ絶対に、お前を手放さない。
「覚悟しておけ」
その声には、狂おしいほどの執着が滲んでいた。
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陽ノ下 咲




