表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今世では恋を諦めた伯爵令嬢ですが、前世の夫が今世で執着してきます  作者: 陽ノ下 咲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/17

第六話 探し求めた唯一の①(エドガー視点)

 エドガー・アルヴェインは、庭園を去っていく少女の背中を、静かに見送っていた。

 艶めく金色の髪が、午後の陽光を受けてやわらかく揺れる。

 風が吹くたび、その細い髪が光を含み、まるで金糸のようにきらめいた。

 彼女は振り返らない。

 それでもエドガーは、遠ざかっていくその背中から、一瞬たりとも視線を外さなかった。

 胸の奥に、長い間押し込めていた感情が、静かに溢れ出してくる。


「……やっと、見つけた」


 その声は、こみ上げるものを押さえきれず、かすかに震えていた。


 長い、長い時間を越えて、ようやく辿り着いた。

 もう二度と触れることはできないと思っていた、あの人に。


 エドガーはそっと、目を閉じる。

 脳裏に浮かぶのは、彼がエドガーとしてこの世に生を受けた時から既に覚えていた、遠い昔の記憶だった。




 ルミナリア王国の王太子、アレクサンダー・ルミナリア。

 それが、かつての彼の名だった。

 古い歴史を誇る大国、ルミナリア王国の正統なる後継者。

 

 だが、彼が生まれた頃の王国は、父王の治世によって急速に腐敗し始めていた。

 王である父は暴君だった。

 贅沢と酒に溺れ、国の財を私物のように使い、民の苦しみなど顧みようともしない愚王。

 その周囲には、同じように腐った貴族たちが群がっていた。

 彼らは王の機嫌を取りながら、国の富を好き放題に吸い上げていく。


 その結果、重い税に苦しむのは、いつも民だった。


 アレクサンダーがその現実を知ったのは、まだ八歳の頃のことだった。

 城下の様子を知りたくて変装をし密かに城下へ出たとき、聞こえてきたのは、民の嘆きの声だった。


「もう払えない……これ以上税を取られたら、家族が飢えてしまう……」

「王は我らのことなど、何も見ていない」


 幼い王子の胸に、その言葉は深く突き刺さった。

 城へ戻った後も、その声は耳から離れなかった。

 そして、このままではこの国は終わってしまうと悟った。


 王が国を壊すのならば、自分が王を倒すしかない。

 それが、まだ幼い王子の出した結論だった。


 やがて年月が過ぎ、アレクサンダーは密かに志を同じくする家臣たちと手を結んだ。

 そしてある夜、王城は血に染まった。

 父である王と、その側近たちは討たれた。

 王族による反乱。だがそれは、国を救うための革命だった。

 

 若き王が誕生した瞬間だった。

 それからアレクサンダーは、王として生きた。

 民を守るために、そして、傾いてしまった国を、立て直すために。

 侵略してくる国には容赦しなかった。

 そのうち、他国からは、殺戮王などという異名まで付けられた。

 それがルミナリアへの侵攻の抑止力になるなら、使わない手は無いと思った。


 一方で、守るべき民には常に誠実であり続けた。

 法を整え、腐敗した貴族を排し、国の仕組みを作り直す。

 その結果、ルミナリア王国は再び強国として力を取り戻していった。


 けれど、まだ問題が残っていた。

 戦争で勝つことはできる。だが、民を守り続けるための、守りの力がこの国には足りなかった。

 そこでアレクサンダーが目をつけたのが、フランシス王国だった。

 フランシス王国の王家には、戦や災厄で傷ついた民を癒す、癒しの魔力がある。

 小国でありながら国を保っていられるのは、その力があるからだと聞いた。


(確かあの国には、王女が一人いたはずだ)


 現国王に代わってからというもの、フランシス王国は政情も不安定で、国力も決して高くない。

 ならば、ルミナリアと同盟を結ぶことは、あちらにとっても利になるだろうと、そう判断したアレクサンダーは、政略結婚を申し入れた。

 すると、フランシス王国の王は驚くほどあっさりと了承した。


 そして、ルミナリア王城に、王女が訪れた。

 その姿を見た瞬間、アレクサンダーはわずかに息を呑んだ。

 その姿は、王女とは思えないほど、細く、儚かった。

 風が吹けば折れてしまいそうなほど華奢で、どこか全てを諦めた様な寂しい雰囲気を纏っている。

 けれどなぜか、目が離せなかった。


 緩やかにカーブを描く柔らかな金の髪、透き通るような白い肌。

 そして、聖なる癒しの魔力を持った、澄んだ湖を思わせる静かな青い瞳に、自然と目が吸い寄せられた。


 以前、一度だけ垣間見たことのあるフランシス王国の王女は、今目の前にいる、彼女ではなかった。

 幼いくせにやけに尊大で、王族であることを盾に人を見下し、その振る舞いは、まだ子供とは思えないほど傲慢だったはずだ。


 だが、目の前にいるこの女も、確かにフランシス王国の王女であることは間違いない。

 瞳に宿る魔力が、それをはっきりと物語っていた。


(二人、居たのか……)


 驚くと同時に、彼女が祖国でどういう扱いを受けてきたのかを瞬時に理解し、アレクサンダーは、密かに眉を顰めた。


「初めまして。フランシス公国より参りました、カトリーナ・フランシスと申します」


 緊張しているのだろう。

 それでも彼女は、美しい所作で丁寧に一礼した。

 その姿を見た瞬間、アレクサンダーの胸の奥が、ざわりと揺れた。


「よく来てくれた。安心するといい」


 口から出た言葉は、自分でも驚くほど穏やかなものだった。


「其方を蔑ろにするつもりはない」


 彼女は少し驚いたように目を瞬かせたあと、ほっとしたように、ほんの少し頬を緩めた。

 その表情を見た瞬間、胸の奥で、また、先程感じたむず痒いような違和感が広がった。

 それが何なのか、アレクサンダーには分からなかった。


 それから、この国で過ごす彼女の姿を見ているうちに、アレクサンダーは、まるで聖女のような人だと思うようになった。

 毎日の質の良い食事と穏やかな生活のおかげで、彼女の血色は、ここへ来た頃とは見違えるほど良くなっていた。

 その柔らかな表情が、彼にはとても眩しく映った。

彼女は誰に対しても優しく、どんな時も自分を顧みず、他人のことばかりを考えて行動する人だった。


 侍女が疲れていれば気遣い、怪我をした騎士がいれば惜しむことなく癒しの魔力を使い、城の者たち一人一人の名前を全て覚えていた。

 一日のほとんどの時間を費やし、癒しの魔力を込めて聖堂で祈り続けるその姿は、どこまでもルミナリア国への献身と、慈愛の心に満ち溢れていた。


 そんな王族を、アレクサンダーは見たことがなかった。

 彼の周囲にいた人間は、皆どこかで欲にまみれていたからだ。

 だが、彼女は違った。何も求めず、ただ、誰かの役に立ちたいと願っている。

 その在り方が、アレクサンダーには眩しく見えた。


 そして、いつしか、彼女と話す時間が増えていた。

 政務の合間、庭園での短い会話、食事の席での何気ない言葉。

 その時間だけは、王としての重責を忘れられた。

 けれど、アレクサンダーは、その感情の名前を知らなかった。

 幼い頃から裏切りと死の気配の中で生きてきた王は、人を愛するということを知らなかった。

 だからそれが恋だということに、気づけなかった。



 彼がその感情を理解したのは、彼女を失った、その瞬間だった。


 アレクサンダーが駆けつけたとき、彼女はすでに瀕死だった。

 彼は膝をつき、彼女の身体を抱き上げた。

 肩を支える腕が、震える。

 カトリーナは、ゆっくりと目を開いた。

 朦朧とした意識の中、彼の顔を見て、そっと微笑みを浮かべた。


「……どうか、あなたが……幸せでありますように」


 腕を上げ、かすかにアレクサンダーの頬に手が触れた。

 蚊の鳴くような小さな掠れる声で呟くと、その腕はポトリ、と地面に落ちた。


 その瞬間、アレクサンダーは彼女に対するこの感情が、何なのかを理解した。

 自分が、彼女を心から愛していたことを、この時になって、彼はやっと気付いたのだった。


 だというのに、腕の中で、彼女の体温が急速に失われていく。

 冷たくなっていくその身体を強く抱きしめながら、アレクサンダーは強く思った。


 お前がいないこの世界で、私は幸せになどなれない、と。



 その時だった。

 自分が抱きしめている彼女の身体から、何かが滲み出しているのが見えて、アレクサンダーは、はっと息を呑んだ。


 まるで生き物のように彼女の周囲にまとわりつき、ゆっくりと命を削り取っている、黒く、濁った禍々しい気配。

 その異様な感覚に、アレクサンダーの背筋が凍りついた。


 だが同時に、脳裏に浮かんだものがある。

 以前にも、同じような気配を感じたことがあった。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なるほど。 アレクサンダーから見ていた景色が分かって、物語が立体的になってきました! ヾ(・ω・*)ノ 政争に明け暮れていたから自身の恋情にも気付かないのは悲劇ですね。 (;∀;)
第六話まで読み終えて、アレクサンダーのカトリーナへの一途な想いが胸に深く刺さりました。長い時間を経てやっと出会えた相手に抱く切なさ、そして失うことへの恐れが物語全体に静かで重い余韻を残します。王として…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ