第四話 懐かしい瞳①
そして今、二十歳となったセシリアは、自分自身をとことん鍛え上げ、王女専属の護衛騎士として仕えるまでに、成長していた。
ある日の昼のこと。
セシリアは護衛任務の合間の休憩時間に、王城の庭園を一人でゆっくりと歩いていた。
庭園には年中、色とりどりの花が咲き誇り、甘くやわらかな香りが風に乗って漂っている。
この場所は、セシリアにとって、そして、カトリーナだった頃の自分にとっても、とても特別な場所だった。
王城で働くようになってからというもの、彼女は空いた時間があると、よくこの庭園へ足を運んでいた。
どこか神秘的な空気が漂う、美しさと静けさに満ちた空間。
ここにいると、心が落ち着いた。
この庭園のガゼボで、かつてアレクサンダーと過ごした穏やかな時間を思い出すだけで、涙が溢れそうなほど、懐かしい気持ちになった。
セシリアは花壇の前で足を止める。
色鮮やかな花々が、陽の光を受けて静かに揺れている。
そっと目を閉じて両手を胸の前で組み、静かに祈った。
すると、懐かしい魔力が祈りに乗って、身体の奥から湧いてくる。
セシリアにはもう、前世のフランシス王家の血は流れていない。
けれど、その魂に刻まれた魔力が、今世の身体にも宿っていた。
セシリアはそのことに気がついてから、人前では一度もその力を見せたことが無かった。
この力が、とても強力な事を前世からよく知っていたから。
知られれば、前世の様に、国単位の政略結婚の道具となってしまうかもしれない。
たとえそうならなかったとしても、今の様に、自由な生き方はきっと出来なくなるだろう。
だからこうして一人きりの時にだけ、この国のために祈りを捧げていた。
この人生は、自分のものだ。絶対に誰にも奪わせたりしない。
そんな決意を胸の奥で静かに確かめた、そのときだった。
「セシリア嬢」
不意に、後ろから声がかかった。
落ち着いたよく通る声に驚いて、セシリアは目を開き、振り返った。
そこに立っていたのは、背の高い、すらりとした体躯をした一人の青年だった。
短く整えられた亜麻色の髪に、彫刻のように整った顔立ち。
どこか冷たい印象すら感じさせるほど端正な美貌だった。
青年は一歩近づくと、優雅な所作で軽く一礼した。
「失礼。突然声をかけてしまって、驚かせてしまったかな」
落ち着いた声音だった。
礼儀正しく、品のある話し方に、セシリアは我に返り、慌てて姿勢を正した。
「いえ……」
だがセシリアが言葉を続ける前に、青年が名乗る。
「私の名前は、エドガー・アルヴェインだ」
セシリアの瞳がわずかに見開かれる。
アルヴェイン公爵家。
王国でも指折りの名門貴族であり、若くして当主となったエドガーの名は社交界でも広く知られていた。
当然、セシリアも耳にしたことがあった。
だがそんなことよりも。
セシリアはどうしても、彼の瞳から目が離せなかった。
彼の深く揺らめく紫の瞳に引き寄せられていた。
深く静かなその色が、遠い記憶を刺激する。
まるで、ずっと昔に見た誰かと、同じ色をしているような気がした。
エドガーは、まっすぐにセシリアを見つめていた。
その視線は驚くほど真剣だった。やがて彼は、静かに言った。
「ずっと、あなたと話してみたいと思っていたんだ」
その言葉に、セシリアは思わず瞬きをする。
目の前のこの男性とは、これが初対面のはずだ。
それなのに、その言葉は不思議なほど自然に心へ落ちてきた。
セシリアは少し戸惑いながら答える。
「……え、私に、ですか?」
「ああ」
エドガーは穏やかに微笑んだ。
その笑みを見た瞬間、胸の奥が強くざわめいた。
(え、突然何で、……どういうこと?)
不思議に思い、さらに聞こうとして、セシリアは言葉を失った。
彼の瞳が、あまりにも幸せそうに光を宿していたから。
それはまるで、長い年月をかけて探していた宝物を、ようやく見つけたかのような、そんな表情だった。
セシリアの胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
なぜだか、その視線を受けていると、逃げ出したくなるような気持ちと、目を逸らしてはいけないような気持ちが同時に湧いてくる。
セシリアは思わず戸惑いの表情を浮かべた。
だって、どう考えてもおかしい。
公爵家当主である彼と、伯爵令嬢であるセシリアが個人的な接点を持つ機会など、これまでなかったはずだ。
その時、セシリアは挨拶もできていなかったことに気づき、はっとした。
相手は公爵だ。礼を欠くのは不敬に当たる。騎士として、それは恥ずべきことだ。
戸惑いながらも、わずかに冷静さを取り戻し、セシリアは腰を落として挨拶をした。
「ご挨拶が遅れ、大変申し訳ございません。セシリア・ベルフォードです」
「知っている」
即答でそう返された。そして、ほんの僅かに目を細める。
「あなたのことは、よく」
その言い方が、妙に意味深に聞こえて、セシリアは内心で首を傾げた。
もしかして、社交界の場で顔を合わせたことがあるのだろうか。
記憶を辿ろうとして、ふと、胸の奥がざわめいた。
エドガーが、さらに言葉を続ける。
「王女専属の護衛騎士にして、剣を握る伯爵令嬢」
その声には、どこか楽しげな響きがあった。
「あなたの噂は、王都でも有名だからな」
それを聞いたセシリアは、ほっと肩の力を抜いた。
それならば納得できたからだ。
王女の護衛として王城に出入りし、騎士の訓練にも顔を出す自分の存在が、多少なりとも目立つのは仕方がない。
ただ、それでも、彼の視線は、ただの興味とは少し違う気がした。
まるで、何かを確かめるような。あるいは大切な物を見つめるような、そんな視線。
「それは……光栄です」
その視線に耐えきれなくて、セシリアはしどろもどろに返事をする。
そんなセシリアを見ながら、エドガーは嬉しそうに微笑んだ後、言った。
「だけど、あなたに興味を持った理由は、それだけじゃないんだ」




