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今世では恋を諦めた伯爵令嬢ですが、前世の夫が今世で執着してきます  作者: 陽ノ下 咲


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第三話 前世の記憶②

 フランシス王国を出たとき、カトリーナは初めて広い世界を見た。

 そして、同時に、ルミナリア王国の豊かさに驚いた。

 城から遠く離れた村でさえも、穏やかで満ち足りた空気に包まれている。

 人々の表情は明るく、子どもたちは笑っていた。

 それは、彼女が生まれ育った国では決して見ることのなかった光景だった。


 この国の王は、どれほど優れた人物なのだろう。


 本当に久しぶりに、感情が動いたカトリーナは、そんなことを考えながら、王城へと向かったのだった。




 初めて対面したアレクサンダー王は、月光を思わせる銀髪に、深い光を湛えた紫の瞳を宿した鋭く整った顔立ちの男で、カトリーナはその姿に圧倒されてしまった。

 寡黙で、表情は乏しいが、その瞳の奥には、確かな理性と強い信念が宿っていた。

 

「初めまして。フランシス王国より参りました、カトリーナ・フランシスと申します」


 小国のフランシス王国とは全く違う、大国の荘厳な王城の謁見の間での挨拶の際、緊張で少し声を震わせてしまったカトリーナに、彼は静かに言った。


「よく来てくれた。安心するといい。其方を蔑ろにするつもりはない」


 王としては随分若い、けれど圧倒される様な重厚な迫力のある彼から発せられた、静かに響く言葉。

 その一言に、どれほど救われたか分からない。

 異国から、国交の為に遣わされた、代替えの姫。その立場はとても重く、そして孤独でもあった。

 そんなカトリーナに対し、アレクサンダーはとても誠実だった。

 愛の無い政略結婚のはずが、カトリーナは第一印象から既に、彼に好意を持ったのだった。


 そして、共に過ごす時間が増えるほどに、アレクサンダーへの敬意は深まっていった。

 この国の穏やかな日々が、彼によって守られているのだと知ったからだ。


 人を信じる気持ちは、とうに捨てたものだと思っていた。


 それでも、カトリーナのその想いは、いつしか愛へと変わっていた。


 国民の為に日々奮闘している彼に、自分の力が少しでも役に立てるのならば、どんなことも厭わない。

 そんな想いを抱くほどに。


 それからカトリーナは、癒しの魔力を使い、城の礼拝堂で祈りを捧げるようになった。

 この国の民が安らかに暮らせるように。そして、アレクサンダーが背負う重荷が、少しでも軽くなるように。

 カトリーナは毎日、精神がすり減ることも厭わずに、魔力を込めて祈り続けた。


 けれど同時に、政略結婚で嫁いだ自分が、彼に愛されるはずがないことも分かっていた。

 求めらているのは自分ではなく、カトリーナの身体に流れる、癒しの魔力なのだということは、百も承知だった。

 それでも、この城で過ごす日々は、とても幸せだった。

 メイドも執事も優しく、皆が彼女を敬ってくれた。

 自国では、母が死んでからはいつも不安で、夜、深く眠ることなど出来た日は無かった。

 けれど今、この国で、穏やかに眠ることが出来ている。

 カトリーナ初めて、心から安心して日々を送れることの幸せを、噛み締めていた。


 だが、その幸せも、長くは続かなかった。


 結婚から一年が過ぎた頃、属国の王族が集う宮廷晩餐会が開かれた。

 そこにフランシス王国の王族も訪れていた。

 王と王妃、そして、リリィ。

 久しぶりに顔を合わせた妹は、以前にも増して、その美しさに磨きがかかっていた。

 だが、王に挨拶に歩み寄ってきたリリィの視線は、カトリーナではなく、まっすぐにアレクサンダーへ向けられていた。

 彼の姿を凝視して、リリィは、一瞬、大きく目を見開いた。

 まるで信じられないものを見るような、驚いた表情だった。

 次の瞬間、リリィの顔から驚きがすっと消え、代わりに悔しさを滲ませた瞳が、今度はカトリーナへと向けられた。

 それは、鋭く刺すような視線だった。

 その視線を受けた瞬間、胸の奥に、フランシス公国での日々の記憶がよみがえった。

 幾度となく向けられてきた、あの冷たい視線。

 思わず肩が震えそうになった、その時だった。

 そっと、背後からアレクサンダーの腕が伸び、カトリーナの腰に静かに回された。

 まるで、大丈夫だと言うかのように。

 勇気づけるように回された手は、確かな温もりを持っていた。


 あまり感情を表に出すことの無い王だったが、その仕草はあまりにも自然で、まるで仲睦まじい夫婦のように周囲の目には映ったことだろう。

 その光景を見たリリィの瞳が、ゆっくりと歪むのを、カトリーナは確かに見た。

 羨望、嫉妬、そして、憎しみ。あらゆる負の感情がリリィの周りを煽っていた。

 リリィは、カトリーナが自分より幸せそうであることが、どうしても許せないようであった。


 けれど、カトリーナにとっては、そんなことはもう、どうだってよかった。

 アレクサンダーの逞しい腕が、カトリーナの心を勇気付けてくれたから。


(私にはアレクサンダー様がいる。それに、私はもう、この国の王妃。この国を心から愛しているもの……)


 今はもう、かつて抱いた言いようのない悲しみも、あの日リリィに向けた爆発するほどの憎悪も、すべてが遠いもののように思えた。

 過去はもはや、今の自分とは切り離されたもの。

 これからはただ、アレクサンダーが治めるルミナリア王国のために尽くしていきたいと、心から、そう願っていた。

 そして、そう思えたことが、とても誇らしく、嬉しくもあった。

 そんな風に思わせてくれたのは、間違いなくアレクサンダーだった。

 そしていつか彼に、この気持ちを伝えられたらいいと、そう思った。



 そして、その数日後のこと。

 カトリーナはその日も城の礼拝堂で祈りを捧げていた。


 その時、突然、強烈な胸の痛みに襲われて、そのままその場に倒れ込んだ。


 霞がかかったように、視界が揺れる。

 何もかもが遠く、周りの音さえもくぐもっている。


 その時、誰かが、必死に自分の名を呼んでいる気がした。


 重たい瞼を、わずかに持ち上げる。

 滲む視界の中に映り込んできたのは、アレクサンダーの姿だった。

 胸の奥で、微かに何かがほどけた。

 ぼやけたままの輪郭を、確かめるように見上げる。


 けれどそこにあった表情は、いつもの寡黙で無表情な彼のものではなかった。

 今にも泣き出しそうに、苦しげに歪められた表情。


(どうして、そんな辛そうな顔をしているのですか?そんな辛そうな顔を、しないで……)


 そう思った。

 けれど、その思いすら、朦朧とした思考の中で、すぐに霧散していった。


 指先に、わずかな力を込める。

 届くかどうかも分からないまま、そっと手を伸ばした。

 彼に何かを伝えたかった、はずだった。

 大切なことを言わなければいけない気がして、唇がかすかに動く。


 けれど、自分が何を口にしたのかを確かめる前に、すべては白く溶けていった。

 彼の腕のぬくもりだけを、かすかに感じながら、カトリーナの意識は静かに途切れていく。


 最期の瞬間、カトリーナの胸に浮かんだものは、後悔だった。


 結局、最後まで気持ちを伝えることができなかった。


 アレクサンダーが自分を愛してくれるはずがないことは分かっていた。

 けれど、それでも伝えれば良かった。


 「あなたの妻になれて幸せでした」と。

 

 暗闇に沈みながら、彼女は思った。

 もしも、もう一度生きられるなら、今度は、違う生き方をしたいと。


 カトリーナは深い後悔の中、静かに目を閉じた。




 前世の記憶を一気に取り戻した十歳のセシリアは、静かに息を吐いた。


「……できれば、思い出したくなかったわ」


 前世の自分は弱かった。

 誰かに愛されたいと深く思いながら寂しい幼少期を送り、その後せっかく出会えた最愛の人へ思いを伝えることもせず、一方的な恋を抱えたまま、無様に死んだ。

 そんな人生は、もう二度と繰り返したくない。

 それに、自分がもう一度、ルミナリア王国に生まれ変わったところで、もう、愛した夫はこの世にいない。

 前世を思い出してしまった以上、彼以外を愛することなど、できるはずもない。

 だから、今世では恋はしない。

 それにこの瞬間から、セシリアには、どうしてもやり遂げないといけないことが出来た。

 誰にも依存せず、自分の力で生き抜く力をつけて、それを成し得なければならない。

 そのために必要なのは、強さだ。

 心も、身体も、もう誰にも搾取させない圧倒的な強さ。


 セシリアは木剣を握り直した。

 まだ小さな手だったが、その瞳には確かな決意が宿っていた。


 この人生は、自分のものだ。

 だから今度こそ、誰にも奪わせたりしない。




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― 新着の感想 ―
ん? リリィは結婚したくなくて回避したんじゃ? (´・ω・`) カトリーナが幸せそうだから反発してそんな感情が湧いたのか……。何だか歪んだ思想ですねぇ。 (・–・;)ゞ うーん、同じ時間軸だったり…
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