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今世では恋を諦めた伯爵令嬢ですが、前世の夫が今世で執着してきます  作者: 陽ノ下 咲


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第十五話 突然のキス(エドガー視点)

※十四話『突然のキス』のエドガー視点の話です。

「では、行こうか」


 そう言って差し出した手に、彼女はほんの一瞬だけ躊躇いを見せた。

 やはり、警戒されている。

 そう理解しながらも、その指先が自分の手に重なった瞬間、胸の奥が熱を帯びた。


 そのまま並んで歩き出す。

 庭園は、穏やかな光に包まれていた。

 見える景色のすべてが美しく整い、どこか現実味が薄く感じる。

 だが、隣にいる彼女の存在だけが、やけに鮮明だった。


「セシリア嬢、歩くペースは早くないか?」


 自然に口をついて出た言葉に、彼女は迷いなく答える。


「問題ございません、公爵様」


 その呼び方に、わずかに眉をひそめる。

 距離があるとそう感じてしまうのは、きっと自分の我儘だ。

 けれど、だから何だというのか。

 自分はそんな些細な我儘よりも、もっと深く、彼女に近づきたいと思っているのだから。

 そんな気持ちを胸に秘めて、問いかけた。


「……できれば、爵位ではなく名前で呼んでもらえないか。それから、私も敬称なしで、セシリアと呼びたい」


 セシリアが目を瞬かせるのを横目に、その反応を確かめる。

 少しでも距離を縮めたかった。


「……はい。構いません」


 緊張を滲ませつつも彼女が口にした了承の言葉に、胸がドクンと高鳴る。


「エドガー公爵……」


 けれど返ってきた呼び方は、やはり一線を引くもので、咄嗟に否定の言葉を伝えた。


「爵位はいらない」


 セシリアが一瞬迷い、言い直す。


「では、……エドガー様」


 その響きに、ふっと胸が緩む。

 望んでいる形にはまだ遠い。だが、それでも先ほどよりは確かに近い。

 そのわずかな変化が嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。


 ほんの少し距離を詰め、さらにもう一歩踏み込む。


「様もいらない。なあ、セシリア、……エドガー、と呼んでくれないか?」


 けれど、その願いは少し困った様な声で、断られてしまった。


「さすがにそれは出来ないです……」


 予想していなかったわけではない。

 それでも、どこか残念な気持ちが湧いてきてしまった。


「まあ、仕方ないか」


 軽く肩をすくめながらも、そのやり取りすらどこか心地よかった。

 その時、セシリアがポツリと、呟く様に声を出した。


「エドガー様、いただいた縁談のお話なのですが」


 きっと、このまま曖昧にするつもりはないと、そう判断したのだろう。

 セシリアが小さく息を吸う気配に、エドガーはわずかに息を詰めた。


「私などには身に余る、大変ありがたいお申し出ではございますが、」


 改まった声音で、その可愛い唇から、無慈悲な言葉が紡がれそうになり、


「待てっ、セシリア!頼む、待ってくれ……!」


 その瞬間、彼女の言葉を遮っていた。


 了承以外を受け入れる気は、最初からない。

 だからといって、ここではっきり拒絶を突きつけられるのは、やはり堪える。

 一度言葉にされてしまえば、引き留めるのは、今よりずっと難しくなる。

 なんとかして言いくるめようと、畳み掛けるように話す。


「縁談の件は、こちらの意思を伝えておきたくて急ぎ、フィオナ王女を介して申し込んだんだが……答えを急いでいるわけではないんだ。だから、今、無理に答えを出さなくていい」


 フィオナ王女を介したのは、それだけが理由では無く、セシリア自身に、既に逃げ場など無いのだということを、言外に分からせる目的もあった。

 そんなことを伝えたところで、彼女の心が遠ざかるだけだと分かっているので、それをここで口にするつもりは無いが。


「……ですが、」


 なおも言い募ろうとするセシリアに、エドガーは諭す様に語りかけた。


「そもそも私たちは、お互いのことをあまり知らないだろう?」


 視線を逸らさず、言葉を重ねる。


「まずは、あなたのことを知りたい。そして、私のことも知ってもらいたい。決断するのは、それからでも遅くはないはずだ」


 そう言いながら、エドガーは内心で思う。


 本当のことを言えば、今すぐにでも彼女のすべてを奪ってしまいたい。

 けれど、無理に手に入れたところで意味はない。

 欲しいのは、形だけの関係ではなく、彼女自身の心だ。

 だからこそ、嫌われることだけは、何があっても避けなければならない。

 幸い、彼女に他に想う男がいるわけではない。

 縁談を拒んでいる理由は、フィオナへの忠誠心によるものだと聞いた。

 そして、そのフィオナ本人が、この縁談に協力的である以上、焦る必要はない。


 フィオナはこれまで、セシリアに言い寄る男性が現れるたびに、彼女の意向を汲んで、セシリアが自らの専属護衛であることを理由に、それを遠ざけてきたらしい。

 けれど、エドガーに対しては最初からとても好意的だったことは、嬉しい誤算だった。


 時間をかければいい。

 彼女の中に少しずつ想いを芽生えさせ、それを逃さぬよう、丁寧に育てていけばいい。

 そのための機会を、ここで手放すわけにはいかなかった。


「頼む、セシリア。どうか、私にチャンスをくれないか……この通りだ」


 勢いのまま、頭を下げる。

 セシリアが驚いたように息を呑む気配が伝わってくる。

 だが、それで構わない。

 この程度で機会を得られるのなら、頭など、いくらでも下げる。


「わ、分かりましたから……!頭を上げてください」


 セシリアのその言葉に、エドガーは顔を上げた。


「本当か……!よかった。ありがとう、セシリア」


 込み上げる安堵と喜びから、咄嗟に、彼女を抱き寄せて、口付けてしまいそうになり、どうにかその感情を抑えこんだ。

 そんなことをすれば、全てが台無しになってしまう。

 エドガーは、ぎゅっと拳を握りしめて、衝動を押し込めた。


(焦るな。ここで信用を損なうわけにはいかない)


 そう自分に言い聞かせ、平静を装って、彼女へと視線を向ける。


「では早速だが、セシリアのことを聞かせてほしい」


 そして、エドガーはできるだけ穏やかな声音で続けた。


「先程は流れてしまったが……あなたの好きなものを教えてはくれないか?」


 そう告げると、彼女の表情がわずかに変わった。

 どこか懐かしそうに遠くを見るような目をした後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「先程飲んだ、この国の茶葉を使ったお茶が好きです。少し渋いですけれど、後味がすっきりしていて……」


 セシリアはそこで一度言葉を止め、ゆっくりと、思い出に浸るように言葉を続けた。


「ずいぶんと昔にも、今日のように、あのお茶をある方とご一緒したことがございます。……その時の穏やかなひとときは、今でも心に残っている、大切な思い出です」


 胸の奥を、ぎゅっと強く掴まれたような感覚が走った。


 その語り口、その懐かしさを含んだ微笑み、その奥に滲む面影を、知っている。

 あの時間は、自分だけが大切にしていたのではなかった。

 彼女もまた、同じように覚えてくれている。

 確かにそこにあったものとして、彼女の中に残っている。

 そのことが、どうしようもなく嬉しかった。

 嬉しくて、苦しくて、耐えられないほどに胸がジンと熱くなった。


 もっと知りたい。もっと聞かせて欲しい。

 その時間を、どう思っていたのか。どれほど、大切だったのか。

 自分と同じように、思ってくれていたのか。


 その瞬間、先程まで必死で抑えこんでいた欲望が、理性を簡単に追い越した。


 欲しい、という気持ちだけが脳を占拠し、体が勝手に動いていた。

 

 彼女の細い肩を半ば強引に引き寄せ、その小さな唇に自らのそれを重ねた。

 唇の柔らかさとほのかな温もりに、思考がさらに霞む。

 逃げようとする気配すら、愛おしいと感じてしまう。


 駄目だとどこかで理解しているのに、止められない。

 彼女の息が乱れ、かすかな声が漏れる。

 そのすべてが、感情を煽った。

 もっと触れたいと、どうしようもなく思ってしまった。


 さらに手を出しかけたその時、彼女に突き飛ばされた衝撃で、はっと我に返った。


「……!」


 目の前で、彼女が頬を上気させ、息を乱している。

 そしてその表情には、はっきりと嫌悪が浮かんでいた。


 それを見た瞬間、頭が一気に冷えた。


「私はなんてことを……!すまない、セシリア……!」


 言葉が、ほとんど衝動のままに溢れる。

 取り返しのつかないことをしたという感覚が、胸を締めつける。

 

「いえ、もう結構です。……ですが、もう、二度と私の前に姿を見せないでください」


 突きつけられた言葉に、一瞬、思考が途切れた。

 けれど、ここで終わるのだけは、絶対に避けたい。


「それだけは、どうか勘弁してほしい。お前と会えないと私は、生きている意味がないんだ。頼む、許してほしい。好きなんだ、お前のことが……」


 体裁も、立場も、すべてどうでもよかった。

 ただ、失いたくない、それだけだった。


「狂おしいほどに……」


 自分でも驚くほど、感情がそのまま零れ落ちた。

 拒絶される覚悟をしながら、ただ待つ。


 彼女は、小さなため息をひとつ吐いた後、言葉を続けた。


「……そこまで言うなら、分かりました。ですが、これからは勝手にこんなことはしないと約束してください」


 その言葉に、息が止まりそうになった。

  

「分かった……!約束する!ありがとう、セシリア……」


 思わず顔を上げる。

 視界が滲みそうになるのを堪えながら、それでも笑ってしまう。

 情けない顔をしている自覚はあった。

 それでも、感情を抑えられなかった。

 彼女が、ここにいる。まだ、繋がっている。  

 それだけで、今はもう、十分だった。




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