第十話 埋められる外堀②
「そんなすぐに断ろうとせずに、一度デートでもしてみろよ。あの方の凄さを分かって、きっとお前も好きになるから」
クラウスは、興奮を隠しきれない様子で、瞳を輝かせながらまくし立ててそう言った。
「……は?」
セシリアは、一瞬、クラウスの言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
(……デート?)
よりにもよって、あの厳格な兄の口からそんな軽い言葉が出てくるとは思ってもいなかった。
「兄上……」
思わず低い声が漏れる。
普段であれば、任務や訓練の話しかしない兄が、まるで社交界の若者のようなことを口にしている。
その違和感に、セシリアは眉をひそめた。
「本気でおっしゃっているのですか?」
「ああ、もちろん本気だとも」
迷いのない即答だった。
むしろ、なぜ疑うのかと言わんばかりの顔をしている。
「私も最初はただの噂だと思っていたが、実際にお会いして分かった。あの方は別格だ」
クラウスが語気を強め、話を続ける。
「剣も立つし、頭も切れる。それでいて人の心の機微にも聡い。あんな人間、そうそういるものじゃない」
珍しく饒舌なその様子に、セシリアは内心でため息をついた。
(……これは、完全に惚れ込んでいるわね)
視線を細め、クラウスを見つめる。
普段から自分にも他人にも厳しい兄がここまで言うのだから、よほど入れ込んでいるのだろう。
だが、それとこれとは話が別だ。
「それでも、私には関係のないことです」
きっぱりと言い切る。
「すでにお断りしていますし、今後もそのつもりはございません」
言葉に一切の揺らぎはない。
それでもなお、クラウスは引き下がらなかった。
「だからこそだ。断るにしても、ちゃんと知ってからでも遅くはないだろう?」
「必要ありません」
ぴしゃりと返す。
そのやり取りを横で聞いていたゼノンが小さくため息を着いた。
「……セシリア」
その声音から、ゼノンが明らかに困っている事が伝わってきた。
これ以上同じ話を続けても埒が明かないと判断したセシリアは、静かに息を吸い込む。
軽く視線を落とし、この場を収めるための、確実な理由を伝えるべく、ゆっくりと顔を上げた。
「お言葉ですが」
改まった口調で、はっきりと告げる。
「私はすでに、我が君主であるフィオナ王女に忠誠を誓った身です」
その言葉には、揺るぎない誇りが込められていた。
「それなのに、大切な主を裏切るような真似をして、結婚など出来ません」
騎士として、そして一人の人間として、それは決して譲れない一線だった。
言い終えた瞬間、室内にわずかな沈黙が落ちる。
これでこの話は終わりのはずだと、そう思ったのに。
目の前の父と兄は、なぜか同時に眉を下げ、困ったような表情を浮かべていた。
「……?」
違和感に、セシリアは小さく首を傾げる。
自分の言い分は、何も間違っていないはずだ。
むしろ、これ以上ないほど正当な理由のはずなのに、なぜ、そんな顔をするのか。
「それがなぁ……」
ゼノンが、ぽつりと口を開く。
けれど、その先の言葉を続けるのをためらうように、視線を逸らした。
明らかに、言いにくそうな様子。
その様子に、胸の奥がざわりと波立つ。
(……嫌な予感がする)
直感的に頭を過ったその予感は外れなかった。
ゼノンの言葉を引き継ぐように、クラウスが口を開く。
「この話を持ってきたのは、そのフィオナ王女なんだよ」
「…………は?」
思考が止まった。
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
フィオナ王女が、この縁談を……?
「……え?」
間の抜けた声が、ぽつりと漏れる。
頭の中で、言葉の意味を何度も反芻する。
だが、どう考えても結論は変わらない。
セシリアの主である王女がこの話を持ってきたということは、それはつまり。
(私の意思を尊重するどころか、むしろ……)
逃げ道を、塞がれている?
じわじわと理解が追いついてきた瞬間、セシリアの口がわずかに開いたまま固まる。
先ほどまで自分が口にしていた断る理由が、根本から崩れ去っていく感覚。
忠誠を理由に拒むこともできない。
主自身が関わっている以上、それはもう、そういうことだ。
「……そんな……」
あまりにも、想定外の展開に、思わず情けない呟きが漏れた。
そんなセシリアに、ゼノンは更に言葉を続ける。
「それから、先方は、もしセシリアが結婚後も王女の護衛を続けたいのであれば、続けても構わないとまで言ってくださっているそうだ」
一拍置いて。
「正直な話、ここまで良い話は、絶対に他にはないぞ」
セシリアはゆっくりと視線を落とした。
確かにその通りだと、そう思ってしまった。
胸の奥で、何かがじわじわと締め付けられる。
逃げ場がない、そんな感覚。
エドガー・アルヴェイン公爵本人の申し出だけでも十分に厄介だったというのに、そこにフィオナ王女まで関わってくるとは。
その上、父も兄も公爵を高く評価し、この縁談を強く推している。
まるで、最初からすべて計算されていたかのような、偶然とは思えないこの流れ。
思い出すのは、あの時の彼の穏やかな微笑み。
そして、真っ直ぐに向けられた言葉。
ーー私はあなたのことが好きだ。
「……っ」
無意識に、拳を握りしめる。
あの言葉が、今になって別の重みを持ち始めていた。
本気、だったのだ。
軽い気持ちではなく、最初からここまで見据えていたのかもしれない。
そう思った瞬間、背筋にわずかな寒気が走る。
同時に、胸の奥に妙な熱も灯った。
理解できない感情が、ぐちゃぐちゃに絡み合っていた。
しばらくの沈黙の後、セシリアはゆっくりと顔を上げた。
だが、その表情にはまだ整理しきれない戸惑いが色濃く残っている。
父も兄も、そんな彼女を静かに見守っていた。
二人とも、縁談には完全に乗り気だが、あくまで最終決定は、セシリアに委ねてくれている。
それが余計に、この状況の重さを物語っていた。
(……どうして、ここまで……)
心の中で、そう呟く。
エドガーがここまでする理由が、全く分からない。
ただ一つ、はっきりしているのは、自分は今、確実に追い詰められているということ。
そしてその中心にいるのが、あの男だということだ。
セシリアは小さく息を吐いた。
もはや、ただの縁談の申し込みではない。
これは、逃げ道を一つずつ塞いでいく、周到な布石だ。
そう理解せざるを得なかった。
流石に外堀を埋められ過ぎている。




