中央地下鉄南北線編
みなさんこんにちは。SEKIREIです。
2025年にNetflixで公開され、先日劇場公開も行われた「新幹線大爆破」ですが、
それに着想を得て「地下鉄大爆破」なるものを書いてみました。
長~くなっていますが、ぜひ最後まで読んでいただけると、ありがたいです。
ちなみに、舞台は架空の島の地下鉄となっています。路線図などはこちらからどうぞ
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=26858883
↑こちらの方が読みやすいかも...
まだ夜明け前で辺りは暗い。作業服を着た男はカバンを肩に掛けて通用口に向かう。いつもは厳重に施錠されているはずの扉が、今日は何故かわずかに開いていた。警備員の姿もない。
ーまぁ良い。
男は内心でそうつぶやき、静かに扉を開けた。
ここは中央地下鉄東西線の南町車両基地。規則正しく整列した車両が、冷たい銀色の塊となって静まり返っている。生命の息吹のない、無機質な感じだ。兎にも角にも男は迷いなく歩みを進める。バラストの音のみがジャリジャリとあたりに響く。
男は立ち止った。目の前には保守用のディーゼル機関車がいる。おもむろにカバンを地面に置き、中から工具と不穏な塊を取り出す。男は手際よくそれを機関車の床下に取り付けた。
一連の作業を終えると、男は小さく頷いた。何かを確信したかのように。
そして今まさに、
「地下鉄大爆破計画」が静かに幕を開けたのだった。
男ー鈴木裕作は足早に公衆電話へと向かう。まだ日の出前で辺りは暗い。
「終わったか。」
電話口の向こうでもう一人の男の、緊張と期待が入り混じった声が響く。
「ああ、すべてが動き出した。」
「裕作さん......これで、彼も...」
「報われるだろうよ。」
裕作は受話器を強く握りしめて言った。
「もう一仕事終えてからそっちに帰る。まぁ、9時前には着くさ。」
「わかった。...幸運を祈るよ。」
電話はそこで切れた。ツー、ツー、ツー、という音が狭い空間の中に響く。彼は一度深く息を吐き出し、夜明け前の静寂の中へと姿を消した。
ーここは中央地下鉄南北線倉田車両基地。今日も数多の列車がここから出ていく。そして、人々の生活を支えるー
運転士ー織田卓也はまだ薄暗い車庫の中でひとつづつ指さし確認を行っていく。彼はこの動作を数えきれないほど行ってきたが、一度として手を抜いたことはない。彼の目つきはプロフェッショナルそのものである。
「前照灯、ヨシ。尾灯、ヨシ。27S快速新浜津行き、ヨシ。」
彼は運転台に戻り、座席に座る。そして輸送指令に連絡を入れる。
「こちら電留2番線、27S。出区点検完了。異常ありません。」
「27S出区点検完了の旨、了解。
信号開通まで待機していてください。
出区後倉田駅3番線に入線、予定通りの発車お願いします。」
「27S了解しました。」
織田は業務用タブレットを見る。今日も倉田駅発新浜津行きの快速電車に乗務する。倉田駅は10時8分の発車となっている。しばらくすると、出区時刻が近づいていることに気づく。そして、前方の信号を確認。
「識別点灯、入換進行、時刻ヨシ。逆転ハンドル前。」
列車はついに動き出す。
「制限40。」
列車はゆっくりと始発の倉田駅へと向かう。
プルルルルルルル... あちらこちらで電話の呼び出し音が鳴る。ここは中央地下鉄のコールセンター。毎日多くの相談などを受け受けている。
勤務歴15年とベテランのオペレーター、木次美和は今日も電話対応に当たるべく、準備をしていた。
ちょうど対応の準備が整ったころ、さっそく電話が鳴った。こんなにも早く電話が鳴ったのはいつ振りだろうかと思いつつ、電話を取る。
「はい、中央地下鉄お客様相談センターの木次です。ご用件をお聞かせ願えますでしょうか。」
この会話の様子はモニター上にチャット形式で表示される。
「よく聞いてください。」
変声機を使ったような声がした。木次は不審に思いつつ、電話口の向こうの人物の話を聞く。
「中央地下鉄南北線の27S列車に爆弾を仕掛けました。」
思いもよらぬ内容に彼女は耳を疑った。これまでの経験でこのような電話がかかってきたことは一度もない。
「すみません、もう一度内容をお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「これが嘘ではない証拠として、東西線の南町車両基地の保線列車にも爆弾を仕掛けました。その爆弾はあと6分後に爆発します。」
木次は恐怖と驚きの表情でマネージャーを呼ぶ。マネージャーはモニターに表示された文言に絶句するも、すぐに警察と輸送指令への連絡を決めた。マネージャーは直ちに輸送指令に連絡した。
「先ほど、不審な電話がかかってきまして、南北線の27S列車に爆弾を仕掛けたというんです。
「なんですって!?本当なんですか?」
「どうも嘘ではないことの証拠に東西線の南町車両基地の保線列車にも爆弾を仕掛けたといっていて、そのほうはあと6分で爆発するそうです。」
「そんな...わかりました。では、私のほうから南町車庫のほうに連絡を入れておきます。」
「お願いします。」
指令長ー三笠誠はこの状況を受け入れられずにいた。これまで不審物騒ぎなどはあったが、ここまでのものは経験したことがなかったのだ。しかし頭のどこかに、どうせいたずらだろう、という気持ちを持っていた。
三笠は車両基地に連絡を入れる。
「爆弾ですって?そんなものがうちに?」
「そうです。時間がありません、はやく作業員を避難させてください。」
「そんなこと言われたって、今一番忙しい時間なんですよ。大体いたずらなんじゃないの?」
「とにかく、あと4分しかありませんから。早く!」
「...わかりました。」
車両基地では多くの作業員が車両の点検や整備をしていたが、一斉に退避命令がでたため、何が起こったのかもわからずに詰所へと駆け込んでいった。
「何があったんですかね?」
「なんか事故?」
そして車両基地への連絡の4分後、爆弾は轟音とともに爆発した。地震のような揺れもあった。あたりには保線車両の残骸が散らばる。その様子を目の当たりにした作業員たちは何も言うことができなくなっている。指令長もモニター越しにこの様子を見ていた。ついにこの話は現実のものとなり、これから起こるであろうことを考えてか、絶望のまなざしだった。
プルルルルルルル...またもや電話が鳴る。しかも今度は輸送指令に直接かかってきた。
「はい...こちら輸送指令、指令長の三笠です。」
「見たか、今のは。」
「ええ...」
「これで嘘ではないとわかってくれたか。」
「ええ...いったい何が目的なんです。」
「爆弾は列車の先頭と最後尾に設置した。一度50キロを上回るとスイッチが入り、その後に50キロを下回ると爆発する。せいぜい気を付けるんだな。目的だが...まぁ "過去の重大な秘密の公表" とでも言っておこうか。ついでに身代金5000万もだ。まだ安いほうだろう。それじゃあ。」
「おい、ちょっと...」
電話は切れた。指令所内には沈黙が走る。そして大型モニターでは現在の列車の位置を示すランプが点滅を繰り返している。27Sはまだ倉田駅にいるようだ。三笠は、全司令員に向けて言った。
「どうやら本当のことのようです。しかし、これに屈するわけにはいかない。何としても乗客・乗員を守り抜きましょう。27S以外の列車は退避設備、または留置線のある駅で退避。道を開けます。他の路線も必要に応じて運転見合わせをし、本数を調整してください。私は、27Sに連絡をします。」
三笠は緊張した面持ちで電話を握る。そして27Sにつなぐ。時刻は10時8分42秒。ちょうど27Sの倉田駅出発時分だが、うまくすればスイッチが入る前に列車を止められるかもしれない。そして27Sに電話がつながる。
「はい、こちら27Sです。」
「こちら輸送指令です。現在の速度を教えてください。」
「速度ですか?今は...51キロです。」
ーこの瞬間、地下鉄大爆破計画が動き出した。もう取り返しのつかない方向へとー
「どうしたんです、いきなり速度なんか聞いて。」
「落ち着いて聞いてください。あなたの乗務している27Sに爆弾を仕掛けたとの電話がありました。これは、訓練などではありません。」
織田は一瞬天を仰ぐ。彼にとってもこれは初めてのことであった。しかし、このような時こそ冷静でいなければならないと思い、マニュアルの内容を思い出す。
「...わかりました。では、次の駅で臨時停車して車両点検を実施します。」
「いえ...走り続けてください。爆弾は50キロ以下になると...爆発してしまいます。」
「そんな...ってことは止まれないんですか!?このままどうしろと言うんです。いづれ終点になって止まる羽目になりますよ?」
あまりの衝撃に先ほどとは一転、織田は動揺してしまう。受話器を握る手は震えている。
「まずはATOを自動運転モードから手動運転モードに切り替え、速度は60キロに抑えてください。駅は全て通過です。我々も最大限対処に当たります。」
織田はこの受け入れがたい事実を受け入れるに他ならなかった。
「わかりました。」
織田はATOを手動運転モードに切り替えた。そして、マスコンを握り、奥へと倒す。列車は徐々に減速してゆく。その手は強く握られている。彼の顔はいつも以上にこわばっていた。乗客の生死が彼の手にかかっているのだ。
「はい...わかりました...」
輸送指令から連絡を受けた車掌の小崎勝は動揺を隠せない。隣には便乗している同僚の前田敦がいる。彼も電話口から聞こえた内容に絶句しているようだ。
「小崎さん、本当なんですかね。爆弾ってのは。」
「まぁ、輸送指令がそう言ってくるんだから本当なんだろうけれど。」
「我々だけで対処できますかね?」
「さっき指令長が言っていたように、協力者を探そう。」
「じゃあ、僕がアナウンスしますよ。鉄道関係の人を探すんですよね?」
「そうだ。よろしく頼んだよ。私は、車内を点検してくるから。」
そう言って小崎は乗務員室を後にした。
そして、彼は荷物棚をくまなく調べる。他にも座席の下や貫通路付近などあらゆる場所を調べた。しかし、不審なものは何一つなかった。
「車掌さん、何してるんですか?さっきから網棚を調べてるっぽいけど。」
「あっ、いや、大したことではありませんよ。念のためです。」
「そうかい。随分と用心深いんだね。」
小崎は苦笑いをして次の車両へと向かった。そのころ、前田は車内放送をしていた。
「えー、お客様にお知らせいたします。ただいま中央地下鉄の関係者、もしくはほかの会社の方でも構いませんが鉄道関係者の方を探しております。関係者の方がいらっしゃいましたら、巡回中の車掌、または乗務員室までお越しください。」
すると、小崎のもとへ名乗りを上げた人が来た。
「あのー、私、中央地下鉄に勤めているのもなんですが。」
「私もです。今、二人でお出かけ中で。何かあったんですか?」
「お二人とも地下鉄の方?それはよかった。乗務員室の方へ、早く。」
乗務員室へ戻る道中、乗客から何があったのかと尋ねられることもあったが、小崎は、大したことではありませんから、とだけ言った。
「前田さん、こちらのお二人が地下鉄関係者のようです。」
「おぉ、佐々木さんに落合さんじゃないですか。」
「あれ、皆さんお知り合いで?」
「えぇ。同期です。たまに飲みに行ったりもするんですけどね。」
「なるほど...それよりもマズいんですよ。この列車が。」
小崎は今ここにいる三人が皆知り合いだったことに気を取られかけていた。しかし、事態は刻一刻を争う。こうはしていられないと思い、早速二人に事実を伝える。
「先ほど輸送指令から連絡がありました。この列車に爆弾が設置されているとのことです。そしてその爆弾は50キロを下回ると爆発すると言っています。お二人にはいろいろとご協力をお願いすると思いますが、いいですか。」
「まさか...そんなことになっていたなんて。」
「わかりました。やれることなら何でもやりましょう。なんせ我々車両部の人間ですから。」
「いやぁ、それは頼もしいです。これから、頑張りましょう。」
小崎は力強く言った。そして残りの三人も頷いた。その表情からは強い責任感が感じられる。
指令所では指令員たちが慌ただしく対応に当たっていた。そして三笠も各司令員に指示を出す。
「18Kは西町駅止まりで、すぐに車庫に引き上げてさせてください。07Sは細川駅で退避です。」
三笠の的確な指示のもと、指令員たちは各列車の運転士に指示を出す。
「えー、18K運転士、あなたの車は西町止まりで、お客様の降車後は車庫に引き上げてください。」
「07S運転士、次の細川駅で退避をお願いします。」
指令所には緊張感が走る。もちろん、事故が起こらないように指示を出しているが、もし指示の内容を間違って伝えていたら、もし別の列車に指示を出してしまったら、この事の重大さを前にして指令員たちの緊張度は増す。無線で各列車に指示を出す声、キーボードの音、人々の足音、電話の呼び出し音、喧騒も増してゆく。
そしてまもなく、警視庁の捜査一課特殊犯捜査係から大宮真司警部補、ならびに捜査員たちがやってきた。重厚な指令所の扉を開けて彼らが入ってくると、すぐに三笠が彼らのもとへ駆け寄る。指令員たちはその様子をじっと見守る。
「警視庁の大宮です。」
「指令長の三笠です。」
「話は聞いています。爆弾が仕掛けられたとのことですが。なにか要求の方はありましたか。」
「ええ。身代金として5000万、あと重大な秘密の公表も要求していました。」
「そうですか。...わかりました。では、我々も全力で捜査にあたります。」
「よろしくお願いします。なんとしてでも、乗客と我々の仲間を助けてください。」
三笠は深々と頭を下げた。何度も、何度も。
捜査員たちは長机に持ってきた資料などを広げ、ホワイトボードには現段階で分かっている情報などを書き込んでいった。
ー『27S 先頭車・後尾車に爆弾』『50km/h以下で爆発』『秘密の公表・身代金5000万を要求』ーこのように次々と書き込まれていった。
列車は本来停車する予定の駅に近づく。しかし、もちろん止まることはできない。そのことを小崎はアナウンスする。
「ご乗車の皆様に連絡いたします。間もなく停車駅でありますが、この列車は運行上の都合により通過することと致しました。次駅ご利用の方につきましては大変ご迷惑をおかけしますことお詫び申し上げます。」
小崎は少し不安な表情でアナウンスをした。もしかしたら今のアナウンスで乗客が何かを察してしまうのではないか、もしかすると大きな騒ぎが起こってしまうのではないか、そう思うと不安でたまらなかった。
列車は駅を通過した。いつもならだんだんゆっくりと減速してくところを、そんなそぶりも見せずにただただ通過していく。もとから通過駅であったかのように。駅の蛍光灯は一筋の帯のように流れている。
案の定、車内ではざわめきが起こり、何人かの乗客は顔を見合わせたり、窓の外をしきりに見たりしていた。そんな中、一人の男性客が乗務員室までやってきて、ゴン、ゴン、と扉をたたいた。
「車掌さん、やっぱり何かあるんじゃないの?さっきは車内を点検したりして。」
小崎が恐れていた質問だった。しかし、すかさず前田が、
「大丈夫ですよ、お客さん。降りられない、なんてことはありませんから。すぐに駅で降りられますから。」
と言ってその彼をなだめた。彼は少し納得いかないような表情をしつつも、もといた位置へと戻っていった。
「いやぁ、ありがとうございました。でも、大丈夫なんですか、あんなこと言って。」
小崎は前田のサポートに感謝した。しかし、さっきのすぐに降りられる、という言葉は嘘であるのに大丈夫かと思う。
「まぁ、いいんですよ。いずれ本当のことをお伝えする時が来るかもしれませんし。」
小崎はその楽観的な言葉に苦笑した。本当のことを伝えるなんてまだまだ後のことで、もしかするとそれに及ぶまでもなく解決するのではないか、という思いもあったからだ。しかし、そんな気持ちはこの受け入れがたい現実に直面して、それからの逃避であったのかもしれない。そして前田もそうだったのかもしれない。少なくともそう一筋縄でいくものではないのだ。
指令所では依然として三笠の指揮の下で列車の整理が行われていた。そこに一本の連絡が入る。
「こちら西森駅、佐藤です。たったさっき線路に人が立ち入りまして、痴漢の犯人だとかなんだかって言われてて、全然動こうとしないんです。それで退避の19Kが緊急停止したのですが、3番線と4番線の分岐を塞ぐ形で止まってしまっているんです。27Sって3番線通過予定でしたよね。大丈夫ですか?」
この連絡を聞いたほかの司令員はすぐさま西森駅の配線図を広げる。
西森駅は2面4線で島式ホームが二つ並んでいる。27Sの走行する下り線は3番線と4番線、上り線は1番線と2番線である。そしてその西森駅に退避予定の19Kが線路内人立入により停止してしまっていると言うのだ。
司令員たちは慌ただしく配線図を長机に広げる。思いがけない事態にその手には汗がにじむ。三笠は各列車の位置を示す電光掲示板や手元の配線図を見る。また、手元には模型の列車を持っている。その模型を動かしながら司令員たちに言った。
「27Sの逆線運転を行う!西森駅手前の渡り線で上り線に移動、しばらくは上り線を逆走する。」
すると、それを聞いていたほかの司令員が間に入る。
「それではだめです!いま上り線には22Hがいます。それも西森駅退避予定なんです。だからここで逆走させたらぶつかってしまいます!」
「いや...大丈夫です。西森駅の到着予定時刻を見たところ22Hは5分半、27Sは5分でしたから、そのわずかな時間差で22Hを先に1番線に入れれば回避できるはずです。ほぼ同時刻にはなりますが。22Hには速度の向上、27Sには私が速度を抑えるよう指示します。
「ですが少しでもタイミングがずれたら...」
司令員は無謀ともいえるこの計画に反対しようとした。もちろん、それしか方法がないことはわかっている。しかし、もしうまくいかなかったら、と考えると心配でたまらなかった。しかし三笠は彼の反対を遮り、
「これはやれるかやれないかの問題ではない。やらなければならないんです。時間がありません。早くしましょう。」
司令員たちは三笠の言葉を受け、各自の配置に戻る。
そして三笠は受話器を取り、目を閉じるーたしかに彼の言うとおりだ。ぶつかるかもしれない。おそらく彼もこれしか方法がないことはわかっているだろう。しかしここで何もせずに爆発させるよりも少しでも可能性のあることをやるべきだー
受話器を持つ手に力が入る。呼び出し先を27Sに設定して電話をかける。
「運転士さん、何やってるんですか。早く降ろしてよ。」
ゴン、ゴン、と運転席後ろの窓をたたきせがんでくる。しかし、織田はこの状況において手を離すわけにはいかず、答えることがかなわない。
車内ではパニックが起きかけている。人々のざわめきはどんどん増し、身内を心配した人からの電話の着信音、子供の泣き声が聞こえてくる。織田はひとまず輸送指令にこのことを報告しようと考える。その時、ちょうど輸送指令から連絡が入る。
「こちら輸送指令です。織田さん、よく聞いてください。」
「ちょうどよかった。今は車内が...」
三笠は織田の話を遮るように言う。
「今、あなたの列車の前方、西森駅に故障車がいます。それを回避するために上り線に駅手前の渡り線で転線してもらいます。」
「...わかりました。」
間髪入れず、三笠は話を続ける。
「ただ、その上り線からは22Hが向かってきています。」
「そんな...ぶつかってしまうじゃないですか!?我々を殺す気なんですか!」
「いや、22Hは1番線に入線します。そして、あなたの27Sは2番線に入線させます。ただ、ほぼ同時刻になってしまうので、衝突の危険があります。ですから、速度を落としてください。55キロほどにです。これぐらいの速度であれば、まだ大丈夫でしょう。」
「...やっぱり殺す気じゃないですか!50キロで爆弾は爆発するんですよ?そんなことしたら危ないじゃないですか!」
予想外の連絡に織田は感情的になる。しかし、三笠は一貫して冷静に、
「...時間がありません。爆発させることはしません。」
「...わかりました...大丈夫...なんですね?」
「ええ、大丈夫です。早く、速度を落として。少しでも時間を稼ぐんです。」
三笠との連絡は切れた。そして織田はマスコンハンドルを強く握り直し、奥へと倒す。B1、B2、B3…とブレーキを強める。次第に列車は減速し、55キロまで減速した。
織田の額や首元に汗がにじむ。もとより緊張状態にあったうえ、さらに危険を冒しているのだから、極限まで追い詰められかけているといっても過言ではないのかもしれない。
依然として車内のざわめきは収まらない。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「どうなってるんですか?」
「早く停めてくださいよ!」
乗務員室近くにはひっきりなしに乗客がやってくる。そんな中、小崎は乗務員室を出て、織田のもとへ小走り気味に向かう。途中では多くの乗客に声を掛けられた。しかし、いちいち対応している余裕はなかった。事態は刻一刻を争うからだ。
「大丈夫ですかね。」
小崎が運転室の扉を開けて、開口一番言った。
「...まぁ、正直、わかりませんね。できることは限られてますから。」
織田は無理やり口角を上げて答えた。
二人は前方を見つめる。そして遠くの方に一つの明かりが見える。西森駅はすぐそこまで迫っている。そしてその明かりは確実に大きくなってきている。
「まもなく渡り線ですね。少し揺れるかもしれません。」
織田はこの線区を長い間運転しているため、それぞれの区間の制限速度などは全て頭に入っている。そして、その渡り線の制限速度は35km/hである。そこに55km/hで突っ込んだら危険なことなど言うまでもない。
「車内にアナウンスしておきますね。」
小崎はアナウンス用のマイクを手に取り、アナウンスを始める。
「この先、ポイントを通過しますので、大きく揺れる可能性があります。なるべく空いている座席にお座りください。お立ちになられるお客様はつり革や手すりにしっかりとおつかまりください。」
普段も始発駅や終着駅でこのようなアナウンスをすることはあるが、その時とは全く状況が違う。一歩間違えれば、脱線し、爆発するかもしれないのだ。
案の定一部の乗客は不安を訴えてくる。しかし、そんな乗客たちに対応している時間はない。とにかく着席するように言ってその場をやりすごした。
その頃指令所では張り詰めた空気の中、三笠は手元の時計とにらめっこしていた。
「22H、まもなく西森駅入線します!」
指令員は逐一列車の情報を伝えている。
「27S、間もなく渡り線通過します!」
三笠は受話器を手に取り27Sに連絡する。
「織田さん、聞こえますか。列車の速度を53キロに落としてください。」
少し語勢を強めて言った。
「そんな...なんで...」
「衝突を避けるためです。数秒の差が命取りですよ!」
織田にも三笠が衝突を避けるために必死なのは伝わってくる。しかし、爆破する速度までの猶予がほとんどない。これではあまりにも危険すぎる。そんなことを思って速度を落とすのをためらっていると、マスコンを握る手を小崎がぐっとつかみ、そのまま奥へと倒した。その手は熱く、震えているようだった。
「危ないじゃないですか!」
織田は反射的に小崎の手を振りほどいてマスコンをNの位置へ戻す。しかし、即座に彼の意図に気づいた。
「今はできることをするしかありません。あれこれ考えている暇はないんです。」
小崎は冷静に言った。彼自身もとても怖かった。しかし三笠をはじめとする指令員を今は信じるほかにない、と思っていた。そして、列車の速度計は53km/hを指していた。
列車は渡り線に接近する。
「27S渡り線に差し掛かります!」
指令所でも前面の大きなモニターからその様子は確認できた。
織田と小崎は固唾をのんで前方を見つめている。そしてついに、上り線へと転線する。
車両は大きく揺れた。荷物棚に置いてあったものが落ちてくることもあった。車体を大きく傾け、車輪からは火花も散る。そうして列車は上り線へと転線できた。
織田と小崎の肩からは張り詰めていた力がわずかに抜けていくようだった。指令所でも、指令員たちの安堵のため息が漏れた。
しかし、これで終わりではない。ここからが山場である。依然織田の手はマスコンを強く握り、汗が一向にひかない。左側には停車中の19Kが見える。そして前方にはーたった今1番線に入線中の22Hがいる。
二人とも終始黙っている。もはやこの未曾有の事態に対して口を動かす余裕がないのだろう。ただただ緊張と不安の表情で前を見つめている。
警笛を鳴らしながら27Sは西森駅の2番線に入線する。
「27S西森駅走行中。22Hはまだ走行中です!」
駅のホームから佐藤が指令所に様子を連絡する。27Sが高速で駅を走行するのに対し、22Hは停車のため減速している。どんどんと両車両の距離が縮まってゆく。
二人の緊張も最高潮に達する。両車両が近づく様子に、今まで前方を見ていた小崎は思わず目をそらす。それに対し織田は食い入るように前を見つめている。
そして22Hの最後部と27Sの先頭がぶつかろうとしたとき、小崎も織田も構えの姿勢をとった。頭を腕で覆い、目もつぶっている。
指令所では三笠たちはただただ祈るように連絡を待っている。三笠は受話器を握り、いつでも電話に出れるようにしている。その手は恐怖からか震えている。
列車はー 間一髪で衝突を免れた。二車両の距離はわずか十数センチほどであった。もしもあのとき速度を下げるのが遅れていたら今頃列車は爆発していただろう。
列車は後尾車も西森駅を抜けた。前田たちは無事に難関を乗り切ったことを互いに喜び合った。といっても大はしゃぎするわけにもいかず、笑顔で、固い握手を交わした。織田と小崎は少し遅れて自分たちが無事であることに気づく。
「...織田さん...やりました...よ。」
「...これは...その...本当に...っ...」
「成功したんですよ!!生きてますよ!!」
小崎の言葉に織田は言葉も出ずに涙を流している。白手袋には涙をぬぐった跡がくっきりとついている。
すぐに織田は涙を抑え、指令に連絡する。
「こちら27S、織田です。無事、西森駅通過しました!」
指令所では大きな歓声と拍手が沸き上がる。三笠の表情も安堵に変わる。
「わかりました。本当に一時はどうなることかと思いましたよ。では、今度の渡り線で再度下り線の方に転線してもらいます。あちらは速度制限が厳しくないので、幾分か安全でしょう。」
三笠の落ち着いた声に、無線を聞いている織田たちも安心する。
「はい、わかりました。ありがとうございます。」
しかしまだ問題が解決したわけではない。まだまだ先は長い。そのことを思うと一概に大喜びできないのであった。
織田達が安堵するのとは裏腹に、乗客たちの怒りは最高潮に達する。それまでの不安は怒りへと変化してゆく。荷物棚から荷物が落ちてくるほどの揺れ、そして異様に接近した車両、それらから乗客たちが不安に思うのも無理はないだろう。しかも乗務員に尋ねてもあいまいな返答ばかり。それらが積み重なって怒りへと変わってゆく。
「俺はここで降りるんだ!!停めてやる!!」
そう言ってある男がドア横の緊急停止ボタンに手をかけた。周囲の乗客が息をのむ中、それを見た小崎は運転室から飛び出し、その手を振り払った。
「何するんだ!さっきから駅には止まらないし、あんたらに訊いたってなんも答えてやくれないし。」
「勝手に操作されては困ります!どうか落ち着いて。」
「いいや、ここで降りるんだ!どけ!!」
再び男は非常停止ボタンへと手を伸ばした。小崎はその手をつかみ、ボタンから遠ざけた。その瞬間、頭の中が真っ白になった。しかし、喉の奥から、無意識に言葉が飛び出してきた。
「あなたは...我々を殺す気ですか!!」
小崎はしばらくしてその言葉が最も発してはならない言葉の一つであると自覚した。
「殺すって...どういうことだ!」
小崎はただただ突っ立っている。肩を揺さぶられようとも何も言わない。
そして周囲の乗客も小崎に詰問する。
「そうよ!一体どうなってるの!」
「早く降ろしてくんないかなぁ。止まればいいだけでしょ?」
「こちとら商談に間に合わなくていろいろパーだよ!どうしてくれるんだ!」
そして小崎は逃げるように運転室へと向かう。そのあとを乗客たちは追ってくる。
運転室では騒動の一部始終を聞いていた織田が心配そうに小崎を見る。
「大丈夫ですか、小崎さん。しばらくここにいるといいですよ。」
「...」
小崎は黙っている。
「どうしたんです、小崎さん。まぁ、あれだけきつく当たられたらそうもなるでしょうけれど。」
「...」
「小崎さん?」
織田は不安に思い始める。まさかこれまでの心労がここで一気に表へ出てきてしまったのだろうか。彼も相当無理をしていたに違いない。そうすればこれまでの落ち着き様は異常なものだったのかもしれない。織田はここで彼をさらに痛めつけてはならないと思い、しばらくそっとしておくことにした。
列車後部では前田たちも対応に追われていた。佐々木・落合も対応に駆り出されている。しかし一向に収拾がつく気配がしない。前田は輸送指令に急いで連絡をする。
「こちら27S、前田です。車内はパニックです!何を言っても無駄なんです!本当のことを話すしか...」
「いや、それは待ってください、前田さん。今はまだ何の解決策もたっていません。そんななかで状況だけ話してもパニックが増すだけです。もう少し、粘ってもらえませんか。今我々も解決策を練っていますから。」
「そう言われても...まぁ...もう少し粘ってみます。」
前田はそういう返答が返ってくるに違いないとは思っていた。ただ、多くの乗客を前にしてかなり疲弊していた。もう限界に近い。半ば諦めの気持ちで再び乗務員室を出ると、車内アナウンスで小崎の声がした。
「ご乗車の皆様、お静かに願います。これより、皆様に今起こっていることについて、説明いたします。」
乗務員一同皆驚いた。これは輸送指令に許可を得て行ったものではないからだ。完璧に小崎の独断である。
小崎の声は重々しかった。そして非常に気迫に満ちた声であった。
そして小崎はアナウンスを続けるー
「ご乗車の皆様、お静かに願います。これより、皆様に今起こっていることについて、説明いたします。」
こう言って小崎は説明を始めた。
「小崎さん、何やってるんですか?だめですよ、勝手に言っちゃ!」
織田は小崎を止めようとした。まだ輸送指令からは情報開示は許可されていない。そんな中で勝手に公開するのはさらなるパニックを生むだけだと思ったからだ。
しかし、小崎は聴く耳を持たない。彼はすでに本当のことを言うにあたっての決意を固めていたのだろう。織田の制止をものともせずアナウンスを続ける。
「今、皆さんご存じのとおりこの列車は止まることなく走り続けています。なぜならば、この列車には爆弾が積まれているからです。」
「爆弾」の2文字を発した途端、列車内は今までの状況からは考えられないほどに静かになった。車内には列車のモーター音やトンネルに反響した走行音などのみが響いている。何のざわめきも起こらない。
「列車が倉田駅を発車したころ、ある人物から電話がありました。それによると、その爆弾は速度が50キロを下回ると爆発するとのことです。なので、列車は常に50キロ以上を維持して走行しています。ですから、駅に停まること、ましてや減速することもできません。」
小崎は一貫して冷静に語っている。あらかじめ言うことを決めていたかのように、淡々と、言いよどむことなく放送を続ける。
「ですから、お客様の皆様にお願いです。どうか、どうか落ち着いてください。今現在、指令所や警察と協力して解決の糸口を探っています。また、この列車には優秀な運転士や技術者も乗り合わせています。この列車が爆発することがないよう、皆で全力を尽くしてまいります。ですから、皆さん一度落ち着いてください。これ以上騒ぎ立てても解決はしません。どうか我々を信じてください。皆さんの命は、私たちが全力で、最後までお守りします。」
小崎は受話器をそっと置いた。織田は前面の窓ガラスに反射して見える小崎の顔を時々見ていた。その表情は固く、しかしながらどこかに自信が感じられるものだった。
その頃、車内は大パニックに陥るーと思われたが、裏腹に拍手喝采が沸き起こった。
「そうだ、騒いだってしょうがない。協力しよう!!」
「みんな頑張ってるんだしね。」
さっきまで乗務員室に押しかけていた人々も、座席でSNSを必死にチェックしていた人も、周りの様子を伺い、ぎこちないものであったが拍手を始めた。
しかし、まだまだ先は長い。爆弾は解除されたわけでも何でもない。この良い雰囲気もまたすぐに壊れてしまうかもしれない。少なくとも、この先に誰も経験し得ない困難が待ち受けているのは明白であろう。
やがて輸送指令の方にも連絡は行った。
「そうですか。ついに公表してしまいましたか...でも、今のところ騒ぎにはなっていないんですよね?」
指令所で三笠は前田と連絡を取っていた。
「はい。なんというか、協力しよう!!みたいな雰囲気になっていて...まったく予想外でした。」
「それは意外ですね。わかりました。また何かあったら報告してください。」
「了解です。」
すると、小崎が運転室から前田らのもとへ戻ってきた。
「小崎さん、大変でしたね。」
「すいません...指令の指示もなかったのに...」
「大丈夫ですよ。というか、言って良かったじゃないですか。なんか皆さん協力的になりましたし。」
「確かにそうですね...途中で、体調不良の人がいないか訊いて回ってる人とか、赤ちゃんの相手をしている人がいましたよ。」
「本当ですか。やっぱり効果抜群でしたね。」
「...疲れました...」
「まぁ、しばらく休むといいですよ。ここで。」
小崎は椅子に腰かけた。列車同士が衝突寸前になったのを目の当たりにし、なおかつ次々やってくる乗客の対応にもあたったのだから、それなりに疲労は溜まっていた。前田たちの心配りに感謝しつつ、乱れた呼吸や心拍を整えていた。
その頃、輸送指令では三笠をはじめとして今後の計画が立てられていた。
「早期の解決は難しそうですね。」
「南北線内ですべて終えるのは無理かもしれません...」
指令員たちはそれぞれの意見を話し合っていた。その末、三笠は判断を下した。
「では、このような案はいかがでしょう。おそらく南北線内で解決することは不可能でしょう。刑事さんたちも捜査に難航しているようですから。ですから、西町駅手前の連絡線で東町線に転線します。そうすれば、かなり時間が稼げるでしょう。」
それを聞いた指令員たちもそれに付け加えるように意見を出し合った。
「東町線って確か北中部鉄道線との連絡線がありましたよね?もし時間が足りなかったらそっちに流すこともできるんじゃないですか?」
「東町線は直線区間が多いので救出作戦とかがやりやすいかもしれませんね。」
皆手元の地図や路線図、電光掲示板を見たりしながら議論をしている。そして、議論を基にして、三笠は乗客救出計画を立てた。
「いいですか、皆さん。これから乗客救出計画について説明をします。
まず、27Sを西町駅手前の連絡線で東町線へ移します。その後、東町線内で乗客の救出を行います。もしも時間が足りなくなった場合、北中部鉄道に要請して27Sをそちらへ移します。万が一の事も考えてその先につながっているTRにも27S受け入れの相談をしておきましょう。」
「大丈夫ですか?ただでさえ爆弾を積んでいるのに、2社も了承してくれますかね?」
「何とか説得しましょう。でなければ乗客・乗員の命が危ないです。」
三笠は直ちに指令員たちに役割を割り振った。東町線の運転整理や各社への連絡、あとは27Sが南北線を抜けた後のダイヤ復旧などすべきことは山積している。
「こちら輸送指令、三笠です。27S、聞こえますか?」
「はい、こちら27S、前田です。」
「ーという計画になっています。まだ具体的な救出方法に関しては決まっていませんが、できるだけ早くにお伝えできるようにします。」
「ご丁寧にありがとうございます。みんなあなた方のことを信頼していますからね。よろしくお願いします。」
それを聞いていた小崎たちも少し安心したような表情を見せた。ただ闇雲に走り続けるよりもまだ希望を見出しやすかったのかもしれない。
指令所では指令員たちが忙しそうに駆け回る。そして電話の呼び出し音、足音、キーボードの音などいくつもの音が交錯している。そしてその端の方ではホワイトボードと長机を中心に刑事たちが情報収集と捜査に当たっている。
すると、指令所の入り口ドアが開いた。そしてそこからは中央地下鉄の社長である向井善昭と秘書の小林祐香が顔を出していた。
すぐに三笠は向井らを中へ迎えた。
「話は聞いてます。爆弾が設置されたということですが。」
向井は机の上に並べられた地図や資料などを見ながら言った。
「私の方からご説明しましょう。」
向井らに大宮は現在の状況や打開策・今後の計画について説明した。
「それで、27Sの乗客の方々はこのことについて知っているんですか?」
「ええ...今のところパニックになってはいませんが、何が引き金になるかわかりませんからね。細心の注意を払っています。」
今度は三笠が答えた。そこに、1本の電話が入る。発信元を見ると、公衆電話となっていた。
「おそらく犯人からでしょう。出てください。」
大宮は三笠にそう促した。すでに奥の方で複数の刑事がヘッドホンをつけて準備している。
「はい、指令長の三笠です...」
「社長と話がしたい。代わってくれ。」
「わかりました...」
「社長と話がしたいと言っています。」
電話は三笠から向井へ渡された。依然刑事たちは逆探知を試みている。また、ヘッドホンから聞こえる音声を注意深く聴き、なにか手がかりはないかと探っている。
「社長の向井です。」
「随分と早かったですね。近くにいらしたんですか?」
犯人ー鈴木の声は重く聞こえる。だが淡々としていてる。向井は少しの恐怖を感じた。そしてその声の後ろでは行きかう車の音がする。
「偶然隣にいたものですから。ところで一体何を目的としているんですか。秘密の公表だなんて...お金なら用意できますから、隠し事なんて...ありませんよ。」
「いいや、違う。お前らは取り返しのつかないことをした。到底金では解決できないことだ。」
鈴木はこみ上げる怒りを抑えて話していた。
「あんたには思い当たることがあるはずだ。しかしなぜ認めない...」
「何のことを言っているんですか?とにかく、爆弾の解除方法を教えてください。あそこには、多くのお客様と我々の仲間が乗っているんですから。」
一瞬向井の顔が引きつる。焦りからか口調も早口気味、語勢も若干強くなる。
兎にも角にも向井は爆弾の解除を求めた。人命保護はもちろん、会社の名誉にも関わると思ったからだ。実際に爆発されれば死者が出ることは避けられない。何の手も打てずに爆発すれば、何をやっていたのか、と問い詰められるだけだ。そんなことを考えていると鈴木が新たな要求をした。
「...会見を開け。世の中に広く周知するんだ。包み隠さず...」
そこで電話は切れた。いままで忙しそうにしていた指令員たちも足を止めて向井らの方を見ている。刑事たちは早速発信元の情報の割り出しに動いていた。そして向井は棒立ちだった。
「社長、いったん戻りましょう。今後のことが決まり次第、三笠さんたちには連絡します。」
小林がそう言うと、向井らは指令所から出ていった。
そんな折、一人の刑事が大宮に向かってささやいた。
「あの社長、怪しくないですか?なんか隠しているというか...」
「まだわからない。突然の事態に動揺しているだけかもしれないだろう?決めつけるのにはまだ早い。」
大宮自身、少しの疑いはあった。しかし、中央地下鉄に関する大きな不祥事はここの所聞いていない。ひとまず刑事たちに会社についての調査も行うよう指示し、彼は今後の捜査方針を立てるべく、椅子に腰かけた。
向井は急ぎ足で廊下を歩いた。小林には先に戻るよう伝えた後、向井は外階段の踊り場へ行った。そしておもむろに携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけた。
「もしもし、私です。どうです、調子は。」
「久しぶりですね。まぁ、ぼちぼちやってますよ。でも、なんで突然電話をくれたんです?」
「いや、その...もしかするとあのことを知っている人がいるかもしれない...」
「そんなっ...あのことは誰にも言っていませんし、知っているのは我々だけだと思いますよ。」
電話の向こうで喋っているもう男は驚きを隠せず、動揺している。
「まぁ、まだわからないけども...ちょっと来れるか?」
「もちろん、いつ頃行けばいいんです?」
「できるだけ早く来てくれ...こっちについたらまた連絡してくれ。すぐに向かうから。」
「...わかりました。これから向かいます。」
「よろしく頼むよ。」
そう言って向井は通話を終えた。建物内に通じる扉を開き、再び急ぎ足で社長室へ戻る。
「すまない、待たせてしまった。」
社長室に着いた向井は開口一番、小林に向けて言った。
「社長、会見はどうします?いつ頃開きますか?」
「そうだな...なるべく早く開こう。20分で準備できるか?」
「わかりました。準備させます。」
「すまないが、少し1人にさせてくれないか。ショックが大きくてね...」
そんな演技も交えて小林を外へやると、向井は頭を抱え込み、机に突っ伏した。同時に会見の内容も考えていた。
おそらく犯人はあのことを知っている。それであんなことを言ってきたのだ。ここで下手に隠蔽すれば犯人を刺激してしまうかもしれない。かと言って全て公表することはできない。こうしているうちにもリミットは迫ってきている。線路は無限に伸びているわけではない。事態の収拾を付けるには公表に他ならないのかもしれない。だが...
そんなこんなで15分が経過した。小林がノックして入ってきた。
「失礼します。会見の準備が整いました。もうマスコミの皆さんも集まっています。」
「そうか。ありがとう。では、行くとしよう。」
向井は重い腰を上げて会見場へと向かった。
テレビでは臨時ニュースとして会見の様子が生中継されるようだ、会見場の床には数多の配線、奥にはテレビカメラ、そして椅子には多くの記者が詰めかけている。
向井は緊張していた。人命が優先なのは言うまでもないが、会社を疎かにするわけにもいかない。うまくバランスを取らねばならない。もし犯人を刺激するような発言をしてしまったら...最悪の事態が頭をよぎる。思いは足取りで向井は会見の舞台に立った。
会見の前、向井のもとへ2人が到着した。指令所から三笠に代わって副所長、そして警視庁の方からは大宮がやってきた。3人は会見場に入ると、まずは深々とお辞儀をした。報道陣のカメラのシャッター音とフラッシュの点滅が繰り返される。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。司会進行の小林です。まずは指令所副所長より状況報告を致します。」
「中央指令室副所長の渡辺です。私より現在の状況についての説明を致します。」
渡辺は手元の資料、そして背後のモニターとともに状況の報告を始めた。今後の方針についても公表した。また、爆弾に関する情報を公表した際には報道陣からどよめきの声が上がった。
「ー皆さん、落ち着いてください。ただいま我々が全力で対処に当たっています。爆発させるようなことは致しませんのでご安心ください。」
渡辺はどよめきの収まらない報道陣をなだめる。しかし事の重大さに対して彼らからの挙手は止まらない。
「後ほど質疑応答の時間は設けます。今しばらくお待ちください。」
小林は速やかな進行のため、彼らを制止する。
「続いて警視庁の方からです。」
「警視庁の大宮です。現在の捜査状況についてご報告します。」
大宮も犯人からの要求や、犯人から電話が何度かかかってきたことなど支障のない範囲で説明をした。
段取り通りで行けば間もなく向井の話が始まるころであった。すると、小林の携帯電話に電話がかかってきた。報道陣たちにはしばらく待つよう伝えて、いったん部屋を出た。
そして彼女が部屋へ戻ってくると、向井のもとへ向かった。
「先ほど犯人からまた電話があったそうです。例の秘密を公表しろ、とのことです。どうされますか。」
「...いや、まぁ...なにも公表すべきことはない。向こうは勘違いをしている。無視しておこう。」
向井は犯人からの度重なる要求に内心おびえていた。とはいえ、会社を守ることも社長の責務であると考え、いったんはうやむやにしておくこととした。
「お待たせしました。最後に、社長の向井からです。」
向井は席を立ち、マイクを握る。シャッター音が一斉に響き渡り、フラッシュも照り付ける、
「この度は、不安と、混乱を招いてしまったこと、深くお詫び申し上げます。現在の状況、並びに捜査の進捗については先に述べた通りでございます。今回の件に関しまして、我々は人命救助に向け、人員を総動員して対処しております。」
この間、シャッター音は絶えることなく鳴っていた。そして向井はとうとう”秘密”に触れることなく話を終えた。
「これにて会見を終了いたします。では、報道の皆様は、あちらの出口よりお帰りください。」
会見はは予定より20分早く終わった。本来とるべきはずの質疑応答の時間を設けなかったからである。
「ちょっと待ってくれ!質疑応答があるって言ったじゃないか!どうなっているんですか!」
「私たちだって訊きたいことがたくさんあるんです!」
向井は真っ先に席を立ち、退出した。続いて小林も深々と礼をして部屋を後にした。渡辺と大宮は質疑応答がなくなったことに疑問を抱き、顔を見合わせる。そして、向井や小林に続く形で退出した。大宮は、1人の刑事が言っていた、"なにか隠している"という言葉についていよいよ真剣に考え始めなければならなかった。
報道陣からの声は収まらない。しかし、これは向井の頼みによるものであった。小林が電話について話をしたときについでに伝えていたのである。
怒りに満ちた会見場の後方では2人の誘導スタッフが立っているが、どうしたものかと困惑しあっていた。
渡辺、大宮は向井らと別れ、足早に指令室の方へ戻っていった。小林も社長室の方へ戻っていった。向井は1人屋上へ向かった。安堵と不安の入り混じった気持ちで、会見場の喧騒を遠くに聞きながらエレベーターへ向かうのであった。
ところ変わって薄暗い廃倉庫の中、鈴木は見ていたテレビを消した。その手は怒りに満ちているようであった。
「裕作さん、向井は何も言いませんでしたね。」
「...」
ただただ電源の切れた暗い画面を眺めている。怒りもあれば、呆れ、失望の念も入り混じっていた。
「電話...かけてくる...」
鈴木は倉庫を出て近くの公衆電話へ向かった。
「なんか、変な感じでしたね。」
スマホから会見の生中継を見ていた佐々木と落合は不思議そうな表情をしている。会見の様子を聞いていた前田もどこか腑に落ちない様子だ。
「何か隠してるんですかね?」
前田は2人に問いかけた。
「いやぁ、こんな時に隠し事なんて...第一そんなことは噂にも聞いたことがありませんからね。」
落合は確かに不思議な感じではあったものの、未曾有の事であることを考えると一概に疑うことはできなかったのである。不思議がっていたのは乗客たちも同じである。車内では多くの乗客がスマホを片手に、不思議そうな表情で話していた。
指令所でもざわめきが起こっていた。三笠は27Sやそのほかの列車への連絡の指揮をとる片手間に記者会見の様子を見ていたが、どこか悶々としていた。あの歯切れの悪さは何かを隠しているのかもしれない。しかしこんな緊急時にこんなことを考えていていいのか...眉間にしわをよせて、グルグルと指令所内をうろついていた。
そこに渡辺と大宮が戻ってきた。指令員たちが渡辺に対して会見の様子について問い詰めた。
「なんというか...変な感じがしたんですけど、あれは一体?」
「私もわからないんです。本当は質疑応答があったんですけど、急遽取りやめになって。社長がいったん席を立った後、今度は顔色を悪くして戻ってきたんです。緊張してたのかなんだかわかりませんけど...」
指令員たちは渡辺に聞いても無駄だと覚った。どこか納得いかないような面持ちでそれぞれの持ち場へと戻っていった。
大宮は仲間のもとへ戻って第一声、
「この会社について調べよう。」
と言い放った。大宮は、長年の刑事としての経験から、あの向井の様子には何かあると確信した。そしてこの事件のキーは"秘密"にあることも薄々察していた。そしてそれはほかの刑事たちも同感であった。再度捜査方針を立てるため、彼らは資料などが山積みになった長机の周りへ集まった。
向井は1人で廊下を歩いている。すると、あの男から電話がかかってきた。
「あぁ、着いたのか。」
「ええ、着きました。どこへ向かえば?」
「えーっと...地下駐車場に来てくれるか。あそこなら人の往来も少ないだろうから。人目に付くのはまずいだろうから。」
「わかりました。向かいます。」
こう言い終えると向井は速足で地下駐車場に向かった。男もエントランスから地下駐車場に向けて歩き始めた。どこか動揺しているような、不安げな表情で向かった。
プルルルル...指令所にまた電話が入った。どうやら鈴木からの電話のようだ。刑事たちは逆探知の用意をすぐさま済ませ、三笠に応答するよう言う。
「どういうことです。社長と話をさせてください。」
三笠はすでにこんなところであろうとは予想していた。自分でさえも困惑するものであったから、犯人から何かしらのアプローチがあると思っていた。
「いや...その...我々にもわからないんです。社長は今いませんし...」
「あぁ、呆れた。もとより期待はしていなかったが。」
電話越しにもわかる呆れっぷりだった。すこしばかりため息が漏れるのも聞こえた。
「期待っていうのは...どういうことですか?」
「せいぜい頑張ってください。あなた方が奮闘しているのはよく知っていますよ。でも上があんなのじゃあ、何にもなりませんよ。可哀想な人たちだ。」
そう言って電話は切れた。しかし、それをそばで聞いていた大宮たちは確信した。犯人は確実にこの会社へ強い想いを抱いている。それはとてつもなく大きな、強い、深い想いである。よく聞くようなリストラへの恨みといったものの比にならないようなものではないのかと思った。
大宮は刑事たちに向かって言った。
「一連の会話からみんな気づいたと思う。犯人の話しぶりはこの会社に何か強い恨みを持っているかのようだった。この会社の関係者、特に何らかの理由で辞めさせられた人や損害を被った人を中心に調べていく。いいか。」
刑事たちは「ハイ!」と揃った返事をした後、机の上の資料を読み漁ったり、聞き込みをすべく手帳とペンをもって指令室を後にした。
三笠はその様子を見て、
「頼もしいですね。」
とだけ大宮へ言った。大宮は「いえいえ」と言わんばかりに頭を掻いている。
27Sは間もなく西町駅に接近する。段取りではここの連絡線で南北線から東町線へ転線することになっている。そのほかに乗客を救出するための救援列車を仕立てたりとやるべきことは山積している。三笠もまた、指令員たちの雑踏の中へ入っていった。
向井は地下駐車場へ続く階段を下っていた。鉄製の扉を開けると、そこには彼が呼び出した男、松本伊知郎が立っていた。松本は向井を見るなりすぐさま駆け寄った。
「あのことがばれたんですよね...一体どうするというんですか?」
「まぁ、落ち着いて。車の中で詳しいことは話そう。」
そう言って向井の公用車へ二人は乗り込んだ。車内には沈鬱な空気が流れた。車に乗り込んで最初に口を開いたのは向井であった。
「何も疑っているわけではないんだ。ただ、まさかどこかに言ったりはしていないだろうな、と思って。」
「そんなことしませんよ。あのことについては絶対に口外しないと取り決めたじゃないですか。」
「そうだよな...疑ってすまない。今回呼んだのは、今一度口外しないように頼むためなんだ...」
「...言いにくいことではあるんですけど...」
「なんだ?何か問題が?」
「これを機に公表すべきではないでしょうか。あの時の判断がきっかけでこんな事態になっているんでしょう。ましてや多くの一般人を巻き込んでいるんです...」
「何を言っているんだ。第一世間はどっちを信じると思う?テロ犯の主張と被害者であるともいえるこちら側の主張と。」
向井は恐れていた。松本が事態の大きさに怖気づいてどこかに言いふらしてしまうのではないかと。会社を守るためにもなんとしても松本はこちら側につかせておかねばならない、と思った。
「ですが実際にそういう事件で明るみに出た事実も存在するわけですし...一度ひびが入ったら広がっていくのは一瞬ですよ?」
「確かにそうかもしれない。でも、我々にはそのひびを埋めることができるんだよ。そのためにも、まずは絶対に口外しないことを頼みたいんだ。そうだな...なにか条件を付けてもらってもいい。それ相応の事を頼んでいるからな。」
「いや、そんな見返りみたいなものは求めませんよ...でも、いいんですか?本当にそれで。」
「とにかく、乗客の救出はもう計画されている。それさえ済めばあとはこちらのものだ。警察も犯人探しに全力を挙げている。そうすれば残りは時間の問題に他ならない。まさか警察だってうちに乗り込んでくることはないさ。」
向井は乗客さえ助けられればあとはどうにでもなると思っていた。乗客も救えず、会社の闇が世に出ては大問題だが、乗客の救助、という大きなポイントが付けば、あとのことはうまく隠し通せるだろう、とさえ思っていた。
しばらく二人は議論を続けた。やがて、向井の携帯に呼び出しの連絡が入ったことから、二人は別れた。向井は一人元来た階段を上がってゆき、松本は向井の姿を見送ったのち、別の出口へと向かって歩き始めた。
松本は薄暗い地下駐車場を、蛍光灯の光に照らされながら歩いた。ふと彼は向井の利己的で、保身的な態度に対して憤りを覚えた。これまでそんなことは思ってこなかったのにだ。そして足を止め、しばらく考えた。
ーこのまま何もしなくてよいのだろうか。今この瞬間も恐怖におびえている人々がいるに違いない。しかし口外しようものなら向井との約束を裏切ることになる。これまで彼にはよくしてもらっていた。ましてや会社自体も危ない。確かにうやむやにすることぐらい簡単だろう。それでここまで来たのだから。しかし、必ずいつかは綻びが生じるはずだ。手遅れになる前に公表するべきではないのか...
松本は葛藤の末、踵を返し、向井がさっき上っていった階段に向けて歩き出した。煮え切らない表情ではあるが、足は確実に進んでいた。かつて中央地下鉄で働いていた松本は、遠い昔の記憶を頼りに指令室へと向かう。それよりも前に警備員に止められたが、社長に来るように指示されたと言い、加えて時間がない、と半ば強引に突破し、指令室の扉の前までやってきた。その頃には表情に迷いはなく、責任感に満ちたものであった。
ゴン、ゴン、ゴン、と指令室の重厚な扉をたたいた。ノックをしても応じてくれるかと不安ではあったが、すぐさま、指令員らしき人が出てきた。
「あの...どちら様でしょうか?」
「松本と申します。今回の事件についてお話ししたいことがあるのですが...」
指令員は訝しげな表情で大宮のもとへ行った。だれか怪しい人物が入ってきた、とでも説明しているのだろうか。すぐに大宮がやってきた。
「警視庁の大宮です。お話とは、何でしょうか。」
「この事件の原因について、思い当たる節がありまして...」
すぐさま近くで話を聞いていた刑事に、聴取の記録をするよう、大宮が目でサインを送った。
「では、あちらの方へ。なるべく詳しくお願いします。いいですね。」
「もちろんです。」
そう言うと松本は指令室の角の方のスペースへ通された。
大宮はこれは事件の解決に向けた重要な一歩だと感じた。この人の証言でなにか重要な手掛かりが得られるかどうかによって、犯人確保に向けて大きく前進するかもしれない。大宮も期待とともに、聴取を始めた。
大宮たちが聴取に取り掛かる一方、三笠たちは再び緊張の瞬間を迎えていた。まもなく27Sが南北線から東町線の線路へ転線するのだ。しかし、連絡線はカーブがきつく、制限速度が40キロである。連絡線へ入るための分岐器、そして急カーブを制限速度の1.5倍近くの速度で通過しなければならない。脱線する可能性も十分に考えられる。だが、ここで別路線に移って時間稼ぎをしなければ、爆発を免れることはできないだろう。三笠たちの緊張がまた高まる。
小崎は運転室から出て、後方の乗務員室へ向かって歩いていた。その途中で乗客に再びの揺れに備えるよう、言って回った。やはり、恐怖を訴える乗客は少なくない。小崎は、乗客たちの恐怖を和らげることができないかと考えたが、この状況下でそれは無理だと思った。そこにもどかしさを感じつつ、彼はしっかり手すりに摑まるよう促して、再び歩き出した。
織田は変わらず前方を見つめていた。時折速度計を見ては、しっかり60キロを維持できていることを確認した。彼も恐れを感じていた。制限速度を大幅に超過して通過するのだから、かなりの危険がある。できれば先ほどのようなことは二度と味わいたくなかったが、乗客たちの命を守るるための判断である。彼は覚悟とともにマスコンを握っていた。
「お客様にご案内いたします。まもなく、列車は東町線の線路へ転線します。その途中で揺れることがあります。空いているお席にお座りいただくか、近くのつり革や手すりにしっかりおつかまりください。」
前田は転線に際して先ほどからこのようなアナウンスを続けている。乗務員室の窓から乗客の様子を見ると、不安そうな表情の人が多い。ただこの列車に偶然乗り合わせただけでこのような目に逢ってしまった彼らを気の毒に思いつつ、無差別に人々を巻き込んだ犯人に対して怒りを覚えた。
三笠は列車の現在位置を祈るように見入っていた。常にギリギリの状態で走行しているため、いつ何が起こってもおかしくない。しかし、ここまでそれを乗り越えてきた織田たちや指令員たちの存在を信じることが今できる最善の事だろうと考え、ただただ前方の表示板を見つめている。
列車前方に分岐器が見えてきた。いつもとは違い、レールは連絡線側を向いている。織田は一度深呼吸をした。マスコンを握る手に力が入る。それは来たり来る揺れに備えているかのようでもあった。
列車は分岐器を通過、ついに連絡線に侵入した。急な左カーブで、遠心力で体が大きく右に傾く。線路と車輪がこすれて甲高い音が車内に響きわたっている。また、車体も遠心力で右に傾いて、車輪からは火花が散る。乗客も座席から振り落とされまいと近くの手すりにしがみついている。衝撃の大きさに悲鳴をあげる人もいた。荷物棚のバッグなどもズルズルと動いてしまうほどの遠心力である。
そんな中織田はマスコンを手前に倒し、列車の速度向上を試みた。カーブのきつさに速度がみるみる落ちていたのだ。速度は遅いに越したことはないが、爆弾を抱えた状態ではそんなことは言っていられない。55キロ、54キロ、53キロ、と刻一刻と50キロに近づいてゆく。その時、前方に東町線との合流地点が見えてきた。カーブもだんだんと緩くなってゆき、ついに列車は加速を始めた。そして大きな揺れとともに、時速60キロまで回復した27S列車は轟音を上げて東町線への転線を完了した。織田の体からは力が抜け、肩も下がっていくのを感じた。
指令室で列車の現在位置を見ていた三笠は、微動だにしない。他の者たちも手を止めてみている。ただかすかに空調の音がするぐらいであった。
これにて「地下鉄大爆破 中央地下鉄南北線編」はお終いです。ここまでいかがでしたでしょうか。
次からは「地下鉄大爆破 中央地下鉄東町線編」になります。そちらの方も読んでいただけると嬉しいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
by SEKIREI




