氷の下の声
雪は,音を吸い取っていた。
列車の窓から見える景色は,遠い昔に見た夢のように静まり返っている。白い野原を,黒い枝の木々がゆっくりと通り過ぎていく。
リアン・エステルは,硬いシートの上で手袋を外し,窓に指先を押しあてた。冷たさが皮膚を透かして骨まで伝う。それは,十年前のあの日と同じ冷たさだった。
リュセリア王国北部,ヴァルデン。
かつて彼が生まれ,そして逃げ出た町。
駅に降り立つと,吐息は凍るように白く吹いて消えた。
ホームに人影はない。
彼の足跡を消す,雪の上をなぞる風に,彼さえも消えてしまうような心地がしていた。
「……戻ってきたんだな」
声に出しても,誰も応えなかった。
宿の近くまで歩くと,町の形は昔のままだった。
木造の屋根,鈍い色の窓ガラス,凍った路面の光。
だがそこにあった店も人の声も,どこか別の時代のもののように感じられた。
リアンはポケットから一通の封筒を取り出す。薄い灰色の封筒には,見覚えのある筆跡で「リアンへ」とだけ書かれている。
送り主は——カイ・ノルド。
だが,その名の主はもうこの世にはいない。
十日前、突然届いた手紙。消印の日付は三年前。
なぜ今になって届いたのかは全くもって分からない。
宿に入る前に,リアンは川へ向かった。
雪を踏む音だけが,夜気の中で細く響く。
ヴァルデン川は,町を南北に分けて流れていた。
冬の川面は分厚い氷に覆われ,ところどころに透明な層ができている。氷の下を流れる水が,淡く青い光を宿して揺れていた。
彼は,かつての遊び場だった小さな橋の上で足を止めた。
あの頃,カイと二人で石を投げては,どこまで遠くの氷を割れるかよく競った。
カイの笑い声が,今もこの川辺に残っている気がした。
リアンはゆっくりと手紙を開く。
中には,わずか数行の言葉が記されていた。
「リアン。あの日、君が見たものは間違っていない。
けれど,本当に沈んだのは
俺じゃない。」
手紙の最後に,カイの署名はなかった。
氷の下から,かすかな水音がした。
リアンは思わず身を乗り出す。
薄い氷の向こうに,何かが蠢いたように見えた。
風が吹き,雪が舞い上がる。
その一瞬,どこからか声がしたような気がした。
——リアン,と。
彼は息を呑み,川面を見つめた。
だが,もう何も聞こえなかった。
指先に残るのは,冷たい氷の感触のみ。
それでも彼は確かに感じていた。
この川の底に,まだ終わっていない物語が沈んでいる。




