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【第3部】第1章

 冬の冷たい風が街を渡るころ、新聞売りの声が東京を駆け抜けた。


 【藤蔭宮月子内親王、婚約白紙に――神経衰弱のため婚儀取りやめ】


 見出しは人々の目を奪い、電車の中でも茶店でも噂が飛び交った。

「お可哀想に」「鷹ノ科宮殿下も気の毒に」

 だが騒ぎは長くは続かない。数日も経てば別の話題にかき消され、世間の関心は移ろっていった。


 ただ一つ、藤蔭宮邸だけは違った。

 典仁親王は役人を前に言い放つ。

「報道は“神経衰弱”で統一いたせ。宮家の威信を傷つけることは許されぬ」

 退出した役人の背を見送りながら、澄子妃は袖の中で爪が食い込むほど拳を握った。

 ――娘は、殿下にとってただの“駒”に過ぎぬのか。


 やがて春が来た。庭の桜は例年にも増して見事に咲いたが、几帳の奥に横たわる月子の瞳は虚ろなままだった。


「まあ、見事な花……月子や、綺麗でしょう」

 澄子妃が声をかけても、娘は応えなかった。

 食卓でも箸をつけることは少なく、芙美子が「せめてもう一口だけ」と勧めても、首を横に振る。

「……喉を通らぬの」

 澄子妃は唇を噛み、箸を静かに置いた。


 雨の季節には、澄子妃は寝台に寄り添い、娘の手を握りしめながら扇を動かした。

「いつか晴れた日に、一緒に庭を歩きましょうね」

 返事はなく、雨だれだけが部屋を満たした。


 一方その頃、学習院の寄宿舎では談話室に新聞が広げられていた。

「やはり病弱だったらしい」

「鷹ノ科宮殿下も災難だな」

「蓼科の跡継ぎが関わっていたという話もあるぞ」

 学生たちは笑い混じりに囁き合った。

 三雲英介はその声を聞きながら拳を握りしめた。

「やめろ……」

 言いかけた言葉は喉で凍りつき、机に爪を立てるしかなかった。

 ――真実を知るのは自分だけ。止められなかった悔恨が胸を焼いた。


 夏の夜、蝉の声が騒がしく響くなか、芙美子は団扇で月子を扇いだ。

「姫様、お水を……」

「……秀隆は?」

 掠れた声に几帳を払って典仁親王が入ってきた。

「その名を二度と口にするな」

 澄子妃は俯き、肩を震わせた。


 秋には紅葉が庭を染めた。

 月子は窓辺に腰かけて落ち葉の舞う庭を見つめていた。

「母上……私、いつまで……」

 澄子妃は娘の手を取り、答えに詰まった。


 蓼科伯爵邸では日々、夫婦の争いが激しさを増していった。

「私が陛下の姪としてこの家に嫁ぎ、跡継ぎを産んでやったのに! あなたの無能があの子を破滅させたのです!」

「無能はどちらだ。母の情ひとつ与えず、権威を笠に着たのはお前だ!」

「情? 跡継ぎを繋げることこそ母の務め! あなたに母の何がおわかりに!?」

 食卓に座っても箸をつけず、女中たちは顔を伏せて膳を下げた。

 廊下の陰で小声が交わされる。

「もうお屋敷は持たぬかもしれませんね」

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