お父さん救出大作戦その3、もしくはシンタグマメソドロジー、そしてベッコウ
実際、穴の底は浅かった。ユータとトッペンが底に降り立つと周囲が急に明るくなった。
天井は低い。背の高い大人ならつかえてしまうだろう。トッペンとユータには関係ないが。
廊下は左に緩やかにカーブしている。トッペンが進んで、ユータがその後を追いかける。
「ちょっと特殊な空間だな」
何が? とトッペンがユータの独り言に聞き返す。
「いちおうハウスドルフ空間ではあるんだけど、両側イデアルではないみたいだな。左イデアルなんだよ」
「それで左に曲がってんのか」
「そういう意味じゃない。割り算ができないんだ体をなしてない」
「割り切れないことなんて、世の中にいくらでもあるよ」
「そういう意味でもないんだけど。片方を欠落させてるから、一方通行で何かを閉じ込めてる。何を閉じ込めてるかはわからないけど…、あ、そこはダメ」
先行するトッペンが左側に現れたゲートをくぐろうとする。それを見たユータが急いで止める「入るところは教えるから、それまで曲がらずに真っ直ぐ行って」
「曲がってるぞ?」
「そこは曲がってていいんだよ。曲がってるけど真っ直ぐなんだ。本当に曲がるときはちゃんと言うから」
面倒だな、とボヤいたトッペンはユータに言われるまま真っ直ぐに走った。
道なりに点々と現れる左側ゲート、その間隔が次第に狭まり、流れるように後方へ流れ去る。唐突に右前の壁に現れた右側ゲート。
お? と首をそちらに傾けたトッペンにユータの声が飛ぶ。
「よーし、そこ、下に、下の穴に飛び降りて」
うっかり飛び越してしまったトッペンは、あわてて前脚をふんばり、後方宙返りで穴の中に飛び込んだ。
今度の穴は底がない。ないというか、とても深い。普通の穴ではなさそうだった。いつまでも落ち続けるような感覚だが、落ちる速度が増すようには感じなかった。次第に周囲が暗くなり、トッペンは少し心細くなる。でも…、とトッペンは勇気を奮い立たせた。亜空間走路ではこんなことはしょっちゅうなのだ。いちいち泣いていたらユータに笑われる。
思いのほか簡単に着地したのでトッペンはホッとした。突然周囲が明るくなって…
「トッペン、トッペンじゃない。なんてこと…」
甲高い声が頭の真上からして、鳥の羽ばたきが聞こえた。
「コイントスか」
見上げたトッペンが驚きの声を上げる
「なんとも久しぶりだ。またオマエと会える日が来るなんて、泣けてくるぜ」
「本当に、トッペン」
ヨウムのコイントスは、自然のヨウムにはない極彩色の羽根を羽ばたかせ、トッペンの前に降り立った。瑞々しく輝く黄緑の羽根を膨らませると、喜び勇んで言う「嬉しいわ。犬なんて早死にが多いから、もうアンタには会えないと思ってたのよ」
「ちょ、会った途端に憎まれ口かよ」トッペンは軽く犬歯を剥いた「あいかわらずの別嬪さんが、その口の悪さで3割引きだ」
「そっちこそお世辞の旨いのは変わりなくてビックリよ、犬のくせに。まあ、そんなことはどうでもいいわ。ねえトッペン」
ヨウムはたどたどしくパピヨンに近づくと、しなだれかかるようにその耳に囁きかけた「アンタが来たってことはユータもいるんでしょ?」
「やあ、はじめましてコイントス」いつの間に、トッペンを追って底に着いたユータは、コイントスにむかって深々とお辞儀した「あl会えてとてもうれしいよ。そしてキミがいるということは、この空間は…」
「そう、ココはシンタグマメソドロジー」コイントスは優雅に羽ばたくとユータの周りを旋回し、その肩にとまると、言った「デザイナーズチルドレンのゆりかごよ。ねえ、ユータ、お願いがあるのよ。アナタとトッペンに」
「なんなりと」
ユータは言い、それに響きを合わせるようにコイントスが言った。
「アタシとベッコウを、ベッコウをここから連れ出して」
「了解、引き受けた」
「え? ベッコウちゃんいるの?」トッペンは頓狂な声をあげると首を振って辺りを見渡す「どこにいるんだ?」
「あそこ」
ユータは真っ直ぐに天井を指さした。
闇、というよりは不定型な何者かを直接混ぜ合わせたような虚空。
それはゆっくりとした螺旋で、鳶が滑空する姿のように、淡い空色のワンピースの裾をはためかせながら回転しつつ落ちてくる。
スピードが緩やかなのは、空気をはらんでというよりも、重力定数を変えているみたいな降り方だった。
少女は笑顔のまま、左右に広げたユータの腕の中に舞い降りた。
「はじめまして、ユータ。会えてとても嬉しい」
顔の半分を覆うような大きな縁のメガネが、とてもかわいらしい。
「あのね、ベッコウ」ユータはベッコウを抱えたまま、彼女の顔に自分の顔を近づけた「お願いがあるんだ」
「なんなりと」
「ボクのお父さん知らない?」
ベッコウは、クスリ、と微笑むとユータの両腕をすり抜けて地面に降り立った。そしてクルリと踵を返して歩き出す。
ベッコウの前方にピンク色に輝く丸い穴が現れた。穴は輝きを収めながら楕円に拡がってゆく。発光する楕円の手前までよどみなく歩いたベッコウは、微笑みながら振り向いた。
「ついてきて、ユータ」ベッコウは言った「今日はワタシの十才の誕生日、そんなたいせつな日にユータが来てくれるなんて、ホントに素敵なプレゼントだ」
そしてベッコウはその淡い微笑みを置き去りに、薄桃色の楕円の中に消えた。
次回投稿は01/10 18:00の予定です