お父さん救出大作戦その2、もしくはイインチョーのお父さんに欠席届を託けること、あるいはアユタヤ
「さすがにもう追って来れないだろ、いい気味だ」
「それはそうだけど」ユータはトッペンほどご機嫌というわけではない「当初予定していた入り口じゃないところから入ったから連結点を組み直さなきゃならないな」
「面倒なのか? ユータ」
「面倒ってほどじゃないけどね。他の人に聞いた方が早いかな?」
「他の人って…、亜空間連結点オレたち以外の人なんているわけ…」
亜空間では距離の概念が著しく不安定だ。実空間の物体は符号として通過するのがやっとだから、トッペンの言い分は正しい。
「あ、いたいた。イインチョーのお父さーん」
ユータはトッペンの言い分を無視して探し当てた人物に話しかける。トッペンの言っていることは正しい。正しくはあるのだが、吉祥頑頭は亜空間の入り口で停滞していた。だから話しができるのだ。
「やあ、ユータ君」
麻のスーツ上下ににカンカン帽という、なかなかに古風な出で立ちの吉祥頑頭は娘のクラスメートに和やかに笑いかけた。
「イインチョーのお父さん」ユータは再度話しかけた「ボクのお父さん、どっちに行ったか知りませんか?」
「それなんだけどね」ガントーは哀しげな顔で答える「見失ってしまったんだよ、それが。正直、亜空間はあまり得意じゃなくてね。実空間だと南下しているのだと思うけど」
「それだけ教えていただければ大丈夫です。どうもありがとう」お辞儀をして亜空間に再突入しようとしたユータは、思い直したのか振り返ってガントーに言う「すみませんけど、今日、学校を休むって先生に伝えてもらえませんか。たぶんお母さんがもう言ってくれてるとは思うんだけど、忘れてたら困るので」
「ああ、いいよ」ガントーは即答した「ユータ君のお父さんのことはユータ君に任せたほうが良さそうだ」
それじゃあ、気をつけて、と互いに声を掛け合った二人はそれぞれ自分の走路に入った。
「なあ、ユータ」ガントーと別れてすぐにトッペンが訊ねた「なんでシノノメちゃんのパパさんがこんなところにいたんだ?」
「仕事だよ」
「仕事?」
「イインチョーのお父さんって、ボクのお父さんを監視するのが仕事なんだって」
「え? そんな仕事あるのか?」
「あるらしいよ」
「何でウチのパパさんなんか監視するんだ?」
「さあ?」
「でもさあ」トッペンはなかなか納得してくれない「帰っちゃったよ。シノノメちゃんのパパさん」
「うん、帰ったね」
「仕事は?」
「終わりにしたんじゃない? お父さん、見失ったみたいだし」
トッペンはまだ何か言いたげだが、亜空間走路の出口が近い。連結点の再構成がそろそろ終わるというわけで、無駄口を叩いているヒマはあまりなさそうだ。
ユータとトッペンの周囲を淡い光が囲み、それが次第に強くなって空間が真っ白に輝き出す。
終点を抜ければ…
そこはアユタヤ。
アユタヤは十年前から閉鎖されている。
ユネスコの世界遺産管理のため、と言うわけではなく、タイ政府による通行制限というわけもない。単純にアユタヤに誰も入れなくなった。
アユタヤは特殊な心理障壁で守られている。ユータとトッペンが現出したすぐ隣に二十人ほどの武装集団がいた。
「何してんだろうな」
トッペンは、キャンキャン言うが、こっちも不可視隠蔽障壁を張っているので、彼らが気づくハズもない。
武装集団は指揮官の号令のもと、隊列を組んで前方へ進んでいく。
一糸乱れぬその行進は、しかし、アユタヤ遺跡の手前でクルリと曲げられ、元来た方に戻されてしまう。しばらく進んで、不意に戻されてしまったことに気づいた彼らの顔に失望の色が浮かんだ。
――またか。
指揮官が声を張り上げ、もう一度隊列を組み直した。緊張した面持ちで前進命令を出すも…
――また戻される。
「ありゃ、もう帰っちゃうのか」とうとう市街のほうにむけて歩き出した武装集団に、がっかりしたトッペンがぼやく「面白いから、もうちょっと見たかったのに」
「もう何度もやらされてるんだろうなあ」気の毒そうにユータが言った「普通に行けそうに見えるからね。しょうがないんだろうけど」
ユータは無造作に遺跡の方に歩いて行く。あわてて足下からトッペンが吠えた。
「オレたちは大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。原理はボクたちの周りに張ってある不可視障壁とほぼ同じだよ」
「例のバカには見えない、ってヤツ?」
「そうだよ、ほら」
ユータは言いながら、ずんずん先を歩いて行く。トッペンもその脚にまとわりつくようについてくる。さっき武装集団が戻された位置を難なく超えた。
「ボクらには関係ないんだ。たいしたことじゃない。でも、ここから先はやっかいかもね。なんと言っても彼女がいるんだし」
ワット・プラ・マハータト、今日も菩提樹の根元に御座す仏頭は、気のせいか、普段より機嫌が良さそうに見える。
ユータは深々と仏頭にお辞儀をした。トッペンはというと、仏頭よりもその隣にあるドアの方に心を奪われていた。
ドアは地面についていた。開けたら、たぶん、そのまま地下に行ける、そんな風に思わせるドアのつきかただった。
ユータはドアに歩いて乗ると、取っ手の部分にある電子錠の上にしゃがんだ。
「開くかな?」トッペンがのぞき込む。
「開かないドアはないよ」
ユータはライフツールジャケットから電パチ棒を取り出した。正式名称はよく知らないがユータは電パチ棒と呼んでいる。
電子錠には鍵穴が無かったので、電パチ棒を小さなディスプレイに突き立てた。リストバンドに仕込まれているインジケーターが巡回色で明滅し、一瞬だけ、白色に光る。ゴトン、とドアの奥が鳴った。
開いた? とのトッペンに答える間もなくドアが無音でせり上がる。ユータは右足を蹴って飛び退いた。トッペンはヒョイと無造作に飛び降りる。慣れたものだ。
四隅を金属柱で支えられたドアは3メートルほど上昇して、止まった。
「ここ降りるのかぁ?」
矩形穴を恐る恐るのぞき込んだトッペンに、ユータが笑いながら答える「もちろんだよ」
「パパさんのビーコンは?」
「ここで切れてる。どこかはわからないけど正則空間じゃないのは確かかな」
怖いの? と聞いてきたユータは笑顔のままだった。怖がってると思われるのは死ぬほどいやだ。トッペンはひとつ身震すると無言で穴に飛び込んだ。
次回投稿は01/03 18:00の予定です