1-5 要注意
スゥ、ピィィ。スヤスヤ。スゥ、ピィィ。
「ギャァァッ。」
『李や』の裏から、野太い男の悲鳴が聞こえた。
「ほえっ。今、何時って六時前じゃん。もう。」
飛び起きた朱里がポスンと枕に頭を置き、布団を被って二度寝する。
「ちょっと見てくる。」
ハー、ラー、スーが欠伸しながら朱里に伝えた。
「李社で掟破りして、魂を齧られたんでしょ。」
ムニャムニャ。
『李や』は慶長七年創業の老舗旅館。杉並区高井戸一丁目、甲州街道の西にある。
情報収集のため高井戸の高台に李の若木を植え、その東に旅籠を建設。
当時としては珍しく、宿場女郎が一人も居なかったので清廉潔白、品行方正な御仁に好まれた。
旅籠は旅館となり、現在も営業中。
客室数は九部屋と少ないが、完全禁煙の木造二階建て。『クレジットカードでの先払い制』で一名、一泊二食付きで百五十万円から。
仲居が朝夕、食事を部屋に運んでくれるヨ。
『李社』は独立系裏取屋、『金文屋』の表。
金文屋が関東における情報収集の拠点として『李や』を建設したが手狭となり、李の横に立派な石灯籠を据えて転居。
そこがナゼか『旅の神』『薬の神』として崇められ、神格化したのが始まり。
李社は鬼率高めだが、神使は妖狐。
国つ神で在らせられる狼鬼を守るのは己だと思っているので、狛が据えられる度に食らい尽くす。
結果、狼狐は『狛殺し』と呼ばれるようになった。
鳥居の前に『撮影および飲食禁止。違反すれば神罰が下る』と書かれた、英語併記の立て札がある。破ると狼狐のオヤツになるので要注意。
因みに魂を齧るダケで、殺しはシマセン。
「おはようございます、狼狐さま。」
「おはようございます、ハラスーさま。」
李鬼神で在らせられる狼鬼、鳴海神で在らせられる浦見も社持ち。
神議り@出雲に呼ばれるが、二柱とも隠り世公認企業の長。特例により宴会不参加だが、神使も大忙し。
狼狐は李社の主神、狼鬼に。ハラスーは鳴海社の主神、浦見に仕える神使。のんびり出雲観光する暇など無い。
加えて仕置屋と裏取屋は仕事上、関わりを持つ事が多く、同士でもある。
「コイツら、朝っ腹からナニ考えてるんでしょう。」
「ねぇ。」
白人の中年男性、二人組。海パン一丁、頭には水泳用メガネ。首から提げているのはスマートフォン。
ほろ酔い気分で女風呂を盗撮する気だったのだろう。蓋の開いた500㎖の缶ビールが二本、賽銭箱の上に置いてある。
コンビニ袋の中には、未開封のカップ酒が四本。レモン味とピーチ味、マスカット味の缶チューハイが二本づつ。
どれダケ飲む気だったんだ?
「おや、コイツら常習犯だ。」
金文屋の番頭、狼徒がフォルダ内を確認。
「ウチの風呂かい。」
「いいえ、狼鬼さま。撮影されているのは公衆トイレ、エスカレーター。コレは恐らく、ショッピングモールの授乳室ですね。」
変態じゃん。
「番屋に引き渡しましょう。」
狼狐が人の姿に化け、ガラケーを手に微笑む。
「そうだね。石畳に躓き伸びるなら、ビール一口では怪しまれる。だから通報する前にさ、缶ビールの中身を全て、コイツらの腹に流し込もう。」