魂の声
異らす
変えるなど
──これは、私が望んでいた薫りだ。優しくて、大切にしたい。あの人の血をひく、唯一の暖かさだ。
全 思風は寝ぼけ眼に思考を働かせる。
「……っ痛!」
ズキズキと、頭に鈍い痛みを覚えた。頭を触ってみれば、小さなたんこぶができている。これはいったい何かと考えながら体を動かした。
「あっ、思。気がついた? 大丈夫?」
ふと、頭上より、子供の声が聞こえる。それは紛れもない、愛しい子の声だ。
けれどあの子は背が低いはずだと、頭上より届く声に疑問を持つ。まだ頭痛が癒えておらず、それのせいで幻聴がしてしまったのだろうとため息をついた。
しかし……
「もう、思ってば! 無視しないでよ!」
視界に銀の糸が流れた。同時に、端麗な顔立ちの子供がのぞいてくる。
全 思風は、鳩が豆鉄砲を食らったような表情になった。直後、「はあ!?」というすっとんきょうな声をあげる。
どうやら彼は横になっていたようだ。さらには華 閻李の膝の上で眠ってしまっていた。
これには普段の飄々さは消え失せ、顔を真っ赤にさせながら言葉にならぬ何かを発する。
──ちょっ、えーー!? な、何で小猫が私を膝枕しているのさ!?
混乱が頂点に達し、ついには金魚のように口をパクパクとさせてしまった。しどろもどろになりながら耳の先をどんどん赤くさせていく。
「小猫の膝、枕……? わ、私が!?」
寝顔を見られたことへの焦りは微塵もなかった。ただ、愛しい子の膝を枕にして眠っていたという事実だけが、全 思風の全身をお湯のように熱くさせていく。
「……そ、それは何て幸せなことか! いや! 寝ていた私に嫉妬してしまうじゃないか! おのれーー! 私め! なぜ小猫の膝を一人占めにした!」
「いや、どっちも思だよね?」
ひとりで暴走している全 思風に、華 閻李が鋭く返した。
けれどそれすらも頭に入らぬ彼は、華 閻李がいかに可愛らしいかなどを延々と語る。
「……あ、駄目だね。この人、話聞いてくれないや」
あきれるしかない子供は、側にいる仔猫を撫でて遊ぶことにしたようだ。
白い毛並みに黒の縦じま模様が入った仔猫こと白虎は、嬉しそうにお腹を出す。ゴロンと無防備に仰向けになり、にゃーにゃー鳴いた。
□ □ □ ■ ■ ■
全 思風がひとりで暴走した夜が明けた。空には照りつくすばかりの太陽が昇っており、関所で起きた惨事が嘘のように静かである。
「とりあえず私たちは、扉を死守した兵を探そうか」
「うん。でも、どうやって?」
どこにいるのかすらわからぬ者を探すのは至難の技だ。あてがあるわけではないことも相まって、困難である。
しかし彼はそれをわかっているようで、ふふっと微笑した。
「あてもなく探るのは得策じゃないからね。私なりのやり方でやろうと思う」
秀麗な顔を、少しばかり悪に染める。鴉のような瞳を深紅に※異らし、両目に焔を被せた。
瞬間、青白い焔が彼の体を包む。しかしそれは熱くはなく、むしろ心地よさすらあった。
『──この場をさ迷いし魂あるならば、私の声に答えよ。我が名は冥王にして、死者の血を轟かせる者』
男らしい低い声が、広い空間にいるかのように響き渡る。どこか不思議で、聞きいってしまうような声は艶めかしい。
そのとき、三つ編みにした濡羽色の髪の紐がゆっくりとほどけた。腰まで伸びた長い髪は形を崩し、少しだけうねっている。
けれどそれを気にすることなく、深紅に彩られた瞳を細めた。
『さあ、おいで。私を王と認めし者たちよ。私の大切な子を嘘つきにさせないでおくれ』
それは願いか。それとも強欲か。
どちらともとれる語り口はやまないまま、片足で地面を軽くたたいた。瞬刻、地の表面が蒼く発光する。そこからふわふわとした何かが、数えきれぬほどに現れた。
「え!? これってな……」
突然のことに驚愕する華 閻李の唇へ、全 思風が指をあてる。白い歯をこぼし、子供の好奇心を煽りたてた。
興味ありげに瞳を輝かせる華 閻李の細腰をぐいっと引きよせ、再度笑いかける。
子供の蜘蛛の糸のように細く、朝露に濡れたという錯覚すら生む銀の髪を片手で掬った。さらさらの髪は彼の太い指の間から落ちていく。
「思?」
全 思風は愛しい子の問いに答えなかった。代わりに子供の耳へと自らの唇を近づける。
「小猫、この光は、ここで死んだ者たちの魂だ。君の見た夢の内容が本物かどうかを聞きたいらしい。応えてあげて」
艶気を含んだ低い声音で、華 閻李を魂たちへと導いていった。
華 閻李は一瞬だけ目を見張るが、次の瞬間には頷く。
「あ、あのね! 僕、夢で見たんだ。男の人が頑張ってた。たった一人で扉の前に出て、生き残った人たちを守ってたんだ」
どんなに怖い思いをしただろうか。助けてと叫んでも、誰にも届かない。痛くて苦しい。そんな想いがあったのだろう。
そしてなによりも、大切な人にもう逢えなくなること。これが彼ら、彼女たちにとって辛いこととなるのだろうと語った。
そんな華 閻李の両目には、溢れんばかりの涙が溜まっている。
それでも命をかけて人々を守った、たったひとりの男……名も知らぬ兵を想う子供は、雫を頬に伝わせた。必死に語りかけ、声にならぬ声で嗚咽を溢す。
「あの男の人は、自分の身を犠牲にして皆を守ったんだ。でもね……あの人には、お母さんがいる。家族が待っているんだ。だから、彼がどこでどんな最期を迎えたのか。今どこにいるのか。それを知りたいんだ」
本当ならば家族の元へ返してあげたい。けれど死したあげく、行方がわからないままだった。そんな彼を母の元へと返す。その手助けをしてほしいと、必死に訴える。
全 思風はそんな子供の肩を抱き、白い頬に流れる涙を拭ってやった。いつものように優しく笑み、魂たちへと視線を送る。
『ここに嘘つきはいない。さあ、教えておくれ。君たちが知っている事を──』
泣きじゃくる子供の涙を、自身の袖で拭いてあげた。ゆっくりと、それでいて、二度と忘れえぬ声質を魂たちへと与える。
そのとき、魂たちは大きく揺れた。次第に焔のように燃えていく。しばらくすると人の形を成していった。
魂たちの姿は様々である。兵の格好をした男もいれば、女や子供も立っていた。
しかし彼は、彼女らは虚ろな瞳をしている。
「……どうやら、この関所の霊たちの魂魄が砕けたり傷んでしまっているようだ」
霊たちとの会話が難しくなるなと、ため息をついた。けれど腕の中にいる華 閻李の決意は固いようで、瞳からは諦めの色が見えない。
全 思風は肩をすくませながら、苦く笑む。
「うん、そう、だね。諦めたら駄目だよね?」
再び霊たちへ視線を走らせた。
静かに、されど気高く。
全 思風は瞳にそれらを宿し、もう一度彼らに問いかけた。




