関所の悲劇
大きな月が光を地上へ落とす丑三つ時。逃げろと、誰が声あげた。
そこかしこから悲鳴が聞こえ、辺りは阿鼻叫喚を生む。
茶色の革鎧を着た兵たちが女子供を先導し、火の粉が上がる場から逃がそうとしていた。商人は大事な荷物を捨て、一目散に駆け出す。
「──こっちだ! こっちはまだ安全だ!」
そのなかの一人、革鎧に鉄槍を持った男がいた。彼は必死に皆を誘導し、安全確保をしようと躍起になっている。そんな男が持つ槍には、黒い房がついていた。
「さあ、早く中に!」
生き残っている者たちとともに三階へと逃げこみ、扉を閉める。
同じ革鎧を着た者たちとともに扉が開かないように、机などの物を重ねて廊下側へと押しつけた。
扉の外にある廊下からは、未だに悲鳴が轟いている。時おりプツッという鈍い音、人とは思えぬ雄叫びも耳に届いてきた。
建物の外を見れば、おびただしいほどの死体が転がっている。砂や雑草が見えていたはずの地面は既になく、あるのは赤黒い水溜まりばかりであった。
行商人が乗ってきたであろう馬の頭部はなく、身体だけが転がっている。
「……っ! なぜ、こんな事に……!」
部屋の中を注視すれば、逃げ延びた者たちが震えていた。女子供は泣き、農民の男たちは顔を青ざめさせている。
数名の革鎧を着た者たちは剣を手にしながら、どうしてこんなことになったのかと口々に語った。
「無事なのは我らだけか」
兵たちの中で唯一槍を持つ男は、視線を外から部屋の中へと移す。泥や赤黒い何かを革鎧につけながら、頬を流れる汗を拭った。
男はこのままでは死んでしまう。そう言い、数人の兵たちを集めた。
「皆、よく聞いてくれ。我々の、多くの仲間が亡くなった。突然現れた殭屍たちによって、だ」
兵たちだけではない。女も子供も、農民や行商人ですら、槍を持つ男の話を聞き入った。
男は息つく暇もなく、兵たちに伝えていく。
「知っての通り、ここに限らずあらゆる関所は、仙人様たちが作ってくださった結界で守られている。関所を中心に、周囲までその効果は及んでいる」
それは知っているだろうと、兵たちに告げた。
兵たちは頷く。するとボロボロになった農民が立ち上がり、槍を持った兵を睨んだ。
「それは知ってるべ! だけんども、この有り様だ! たまたま関所の近くに住んでたオイラですら、襲われた! 仙人だか何だか知らないが、そんな紙切れ一枚に頼るからこうなったんだべ!」
見れば部屋の柱には等間隔、扉には一枚の札が貼られている。一見すると札はただの長細い紙切れだが、一枚一枚には黒墨で模様のようなものが描かれていた。
「こ、これは黄族と黒族の仙人様たちが描いたものです。この札のおかげで、今まで無事だった」
それは確かなことだと、農民の言葉を跳ね返す。しかし……
「じゃあ何で、今こんな事になってるんだべ!?」
「そ、それは我々にも……」
槍を持つ手に汗が滲む。顔を下に向け、唇を噛みしめた。それでも話をしなければと、眉を寄せながら避難民たちと向き合う。
「ですが、ここにいれば大丈夫です! ここは仙人様たちが貼った、魔除けの札があります。これがある限りは安し……」
そのとき、扉を強くたたく音がした。いいや、たたくというには生易しいほどに強烈で、騒音にも似た音である。
女や子供は怯え、農民たちは短い悲鳴をだした。うわーと叫びながら部屋の奥へと逃げ、一ヶ所に固まる。
槍を持つ男は他の兵たちに目配せした。
兵たちは、庶民たちと同じように逃げだしたかったのかもしれない。手足が震え、目尻には涙すら溜まっていた。
それでも逃げない彼らを勇敢だと讃え、男は槍を構えて先頭に立つ。
「……こんな事なら、おっかあの言う事聞いておけばよかった」
呟いたそれは、自ら扉を開く音にかき消された。扉の前には殭屍と化した人々が群がっている。
弱腰になりながらも剣を両手で構える兵は死を覚悟するかのように、殭屍へと武器を下ろした。直後、その兵は体を強く押され、部屋の中へと戻されてしまう。
「た、隊長!?」
剣を持つ兵の言葉が終わる前に、扉は閉じた。
ドンドンと、扉をたたく音がする。それは殭屍と化した者たちのものではなく、先ほど突き飛ばした剣を持つ兵によるものだ。
「な、なぜです隊長!?」
兵の声は扉の奥、一番安全であろう部屋の中から聞こえてくる。
槍を武器とする男は扉が開かぬよう、自らの体で塞いだ。部屋の中から助けた民たちの声、そして残った兵たちの悲痛な叫びが扉越しに聴覚を揺るがす。
けれど彼は、決して扉から離れようとはしなかった。それどころか襲ってくる殭屍たち相手に、一歩も足を動かすことなく戦う。
「隊長! どうしてですか!? 我々も一緒に……!」
「駄目だ!」
兵たちの志や、民たちの泣き声が耳を打っていく。
必死に戦いはするものの多勢に無勢。槍を持ちながら、次々と全身が噛まれていく感覚に襲われた。
血を吐き、朦朧とする意識のなか、槍の切っ先を自らの喉元へと近づける。
「お前たちは……生き残ってくれ」
息を吐くこともできぬ。涙を溢し、扉に貼りつけてある札を剥がした。それを片手で胸に押しつける。
「化けも、の、ども。来るが、いい。この札、が、あるか、ぎりは……俺が、いるかぎ、り、は……」
未だに食い千切られていく体に鞭をうちながら、刃の先を喉へと向けた。
「……おっかあ。おっかあの言う通り、兵に志願なんてするもんじゃねーな。でも、誰かを守る事が夢だったんだ──」
絶対にここは通さない。中にいる部下や人々は守ってみせる。その意識を胸に、男は一気に喉へと槍を刺していった。
そんな男の胸に貼られている札は、模様が途切れていた──
† † † †
ホーホーと、梟の鳴き声とともに、華 閻李の目は覚める。上半身だけを起こすと、二人の男性が目にとまった。
一人は三つ編みで端麗な顔立ちの男──全 思風──である。もう一人は華 閻李の先生にもなる爛 春犂だった。
彼らは決して仲良くはない。むしろ犬猿の仲なのだろう。ただ一方的に全 思風が爛 春犂を嫌っている節もあるが、それでも仲良く笑い合うということをしない。
今も彼らは睨み合っていた。けれど話す事柄については一致しているよう。札や、ここで起きた惨事について意見を交わしていた。
ふと、華 閻李は全 思風と目が合う。
「あ、小猫、起きちゃったのかい? まだ夜中だから寝てても……って。どうしたの小猫!?」
華 閻李の頬にはたくさんの雫の跡があった。彼が驚きながら近づいている今もなお、それは止まることがない。
心配して駆けよる彼は、自らの袖を使って涙を拭いていった。優しく華 閻李を抱きしめ、怪我でもしたのかと問う。
「……ううん、そうじゃない。そうじゃないんだ。だけど……」
あのねと、夢の内容を語った。
それはあくまでも夢であり、空想にすぎぬ代物ではないか。華 閻李は止まらない涙を押さえるように顔を隠した。
すると爛 春犂が近づき、腰を曲げて子供の頭を撫でる。
「……閻李、それはもしかしたら、ここで起きた惨事の再現なのかもしれぬ」
「え?」
思わぬ援護に、華 閻李の両目は大きく見開かれる。これには全 思風も驚愕していた。
「仙道の中には霊力が異常に強い者もいる。その者たちは、お前のように時おり夢を見るそうだ。その夢の中身は自身が体験した事のないものばかりではあるが、まるで自分がそこにいるかのような感覚になるらしい」
袖から四つ折りにされた布を取り出し、涙を拭くよう促す。
「夢現再生術と言って、現実で起きた出来事を夢の中で再現する能力だそうだ」
もしも華 閻李が見た夢が事実ならば、何かしらの糸口になるのではないか。
彼は冷静に答えた。




