第一歩
「綺麗過ぎる? えっと小猫、妓女なんだから化粧はするんじゃ?」
化粧は女性を変える。美しく、それでいて気品もある。それが化粧の魅力でもあった。
二人は女性ではないゆえに、化粧について詳しくはない。けれど女性が化粧を好むということは知っていた。
全 思風は、それについて何らおかしいところはない。きれいなのはいけないことなのかと、困惑気味に眉をへの字にした。
「これは姐姐に聞いたんだけど、女性は着飾る生き物らしいよ。全員がそうとは限らないけど……綺麗にすれば見栄えもよくなって、男性からの求婚も増えるんだってさ」
女の人の考えることはわからないよねと、彼の腕の中で考える。フグのように頬を膨らませ、あーでもないこーでもないとぶつくさ呟いた。
しばらくすると全 思風に鼻先をつままれ、ジタバタとする。
「思!」
「ふふ、ごめんごめん」
湿っぽい潮の香が飛ぶなか、華 閻李を床へと下ろした。
「……話を戻すけど、あの遺体は綺麗過ぎると思うんだよね。これは僕の勘でしかないけど」
櫓は少しばかり高い位置にある。そのせいか、風の影響を受けやすかった。
華 閻李の長く伸びた銀髪が、さらさらと揺れる。髪を押さえながら運河を見つめた。
「あの遺体がどこから来たのか。それだけでも、ハッキリしたかな」
確信めいたものを瞳に乗せ、櫓の柱へ凭れかかる。切れ長の目をした全 思風を見、どういう意味かわかるかと問うた。けれど彼はお手上げだ、と両手を軽く挙げて肩で残念がる。
「あの遺体、この地区で捨てられたのは間違いなって思う」
「え? 小猫、どうしてそう思うんだい? 確かにこの地区には妓楼だってあるけど、他の地区にも確かあったと思うよ?」
本気でわからないのだろう。全 思風は珍しく、すっとんきょうなまでに目を丸くさせていた。
華 閻李は立ち上がり、彼に背を向ける。木でてきた柱に手をつけ、両目を静かに閉じた。
「──思、この街を見てよ。運河は各地区を囲むようにして流れてるでしょ?」
街の玄関口でもある食材市場、職人たちが集う周桑、橋を渡った先にある住宅街。そして二人が今いる幸鶏湖、他にもいくつかの地区にわかれいた。
そのわかれを示すのが運河である。まっすぐな場所もあれば、短い距離で曲がるところもあった。全体的に曲がり角が多く、小舟ですら舵をとるのが難しいように感じた。
「この幸鶏湖区って、住宅街と周桑、食材市場。どの地区からも入れるっぽいんだよね」
徒歩であっても、運河からであっても、幸鶏湖にはたどり着ける。これがどういう意味になるのか。華 閻李は彼に問いながら、悪戯っ子のように笑った。
「小猫、私をからかうのを楽しんでないかい?」
「まさか。そんな事ないよ?」
ふふっと、子供らしい笑みを浮かべる。けれどすぐに微笑みはなくなった。かと思えば、突然着ている服を脱ぎだす。
「はあ!? ちょ、小猫、何やってるの!?」
驚きながらもしっかりと華 閻李を凝視していた。いつになく拡がる動揺のせいか、彼は耳まで真っ赤になっている。
脱いだ本人の華 閻李は首肯しながらも、服を彼へと渡した。どうやら全てを脱ぐつもりはないようで、漸層の漢服だけを身から剥がしていた。
「僕のその服を見て。凄いボロボロでしょ?」
「え!? あ、ああうん! そうにゃね」
「は? にゃね?」
「……ごめん、噛んだ」
華 閻李の突然の行動に動揺しすぎた結果、彼は舌ごと混乱する。恥ずかしさでいっぱいになった顔を両手で隠した。そのついでに、華 閻李から受け取った上着をすーはーする。
それを目撃した華 閻李は心底あきれた。少しずつではあるが彼の性格を理解しつつあるようで、真顔で釘を刺す。
「……言っとくけど、変態行為をしてほしくて渡したわけじゃないからね?」
「うっ! わ、わかってるよ」
首がちぎれんばかりに上下にふり、全 思風は強く咳払いをした。
「本当かな? ……まあ、いいや。それよりもその服、本当にボロボロだよね?」
風になびく髪を押さえる。銀の糸が一本、二本と、揺らめいた。
長いまつ毛が影を作り、大きな瞳に儚さを植えつける。
「…………」
全 思風は言葉を失った。渡された漢服をギュッと握る。
「あ、勘違いしないでね? 別に僕がどうのこうのじゃないんだ。問題なのはそのボロボロの服だよ」
「……と、言うと?」
華 閻李は自身の境遇を想い、全 思風が嘆いてくれているのだろうと察した。が、言いたいのはそういうことではない。
「いい? よく考えてみてよ。この街の運河は曲がり角が多い。そこに投げ捨てられて幸鶏湖区に流れ着いたのなら、体のどこかに傷がないとおかしいんだ」
妓女の遺体には、損傷ひとつすらなかった。服も破れてなどいなかった。
これがどういう意味か。華 閻李は目線だけで、彼に答えを求める。
「……確かに小猫の言うとおり、あの遺体はかなり綺麗な状態だった。という事は……幸鶏湖区からは動いていないってなるのかな?」
「多分ね。ただ、証拠とかがあるわけじゃないから、これはただの予想でしかないよ」
全 思風に返された漢服を着ながら、うんと頷いた。着終わると彼に向かって、ただ、と告け加えるかたちで話をする。
「思が言ってた柑橘類の香りがなぜ遺体からしたのか。それがわからないんだ」
情報収集した方がいいかなと、前向きな意見を言った。
しかし全 思風は首を突っこむのをよしとしないようで、断固拒否をする。
「小猫、危ない事はやめよう。あの死んだ妓女に恩があるわけでもない。ましてや全くの赤の他人だ」
そこまでしてやる義理はない。ハッキリと断言した。
それでも華 閻李は事件に首を突っこもうと意気がる。「思は休んでていいよ。僕一人でやるから」と、何となしに口にした。
全 思風が駄目だよと、肩を掴む。
その時──
「うわっ! お前、どうすんだよそれ!?」
櫓の下から男の声がした。どうやら一緒にいる太った男の服に包子の汁が飛び散ったようである。
太った男の方は慌てながらも、懐から柚子を取りだした。それをうまく潰し、服にこすりつけている。
「へへ、これならいい匂いだし、誤魔化せるだろ?」
「……ったく、かみさんに怒られても知らないからな?」
二人は他愛もない会話をしながらどこかへと消えていった。
しばしの間、華 閻李と全 思風は無言になる。けれどその空気を破ったのは全 思風だった。
「…………ねえ小猫、私が感じたあの匂い。あれって、何かを隠すためのものだったんじゃないかな?」
あえて、その何かがなにを指すのか。そこは言わずにいる。
華 閻李は察した様子で頷いた。
「……うん。死体の臭いっていうのかな? 腐敗した臭いを気づかせないため? なのかもって思う」
でもなぜ、そんなことをする必要があるのか。華 閻李たちは再び沈黙してしまった。
──死体が死亡した時刻を知らせないためってのが、一番濃厚だと思うけど。でもどうして? そんなことする必要なんて……
華 閻李はそこまで考えて、はたっと思考を止める。隣にいる全 思風を見れば、彼も何かに思い至った様子だ。
そして数秒後、照らし合わせたかのように声が重なる。
「──殭屍の実験体!」
互いを見張り、両目を大きく開いて確信した。
「あの妓女の死体にあった血晶石。あれがあるから、全てが繋がる。そうだよね? 小猫!」
「うん!」
誰が何のために、そのようなことをするのか。それすらわかっていない。けれど華 閻李の中では、枌洋の村のような惨劇に対する不安が募っていった。




