⭐怠慢と恐怖
ざっ、ざっ、と、全 思風は森の中を疾走していた。右手には己が愛剣を、左手には枝から造り出した細長い剣を握っている。
──あの男、この私から逃れられるとでも思っているのか?
走る全 思風は息切れはおろか、汗一つすらかいていなかった。口角を軽く上げ、白い牙をちらつかせる。
そんな彼の前には、逃走する白服の男がいた。男からは時おり、ぜぇはぁという荒い息遣いが聞こえてくる。噎せて咳をしながらも、振り向くことなく前を走っていた。
全 思風は男の背中を凝視しながら微笑む。右手に持つ金色の剣で空を十字に絶った。それは衝撃波となり、瞬きする暇すらないほどの速度で男の元へと飛んでいく。
「……っ!?」
しかし運がよかったと言うのか……男は木の根に足を取られて転んでしまい、全 思風からの攻撃の直撃は免れた。
「くっ、そ……な、んだよ、あいつ!」
震えながら起き上がる男の額からは汗が溢れている。四つん這いになりながら、近づく全 思風に恐怖していた。
「あれ? もう終わりかい?」
つまらないなあと、無邪気に笑う。けれと金色の瞳は嗤うどころか、深い闇に染まっていた。くつくつと談笑しながら左右の剣先を地へと突き刺す。
諸刃の剣は文字通り、二本の剣か。それとも全 思風か。
全 思風は見下ろしながら、そんなことを囁いた。
恐怖で身を縮こませるしかなくなった白服の男に、哀れみの眼差しを送る。同時に、白服の男へ鋭く尖った瞳を投げかけた。
「ここにある木々は、花と同じ植物なんだ。小猫を形作る、生きた存在。それを……」
腰を抜かした白服の男の襟を掴む。白服の男は宙ぶらりんになりながら噎せこんだ。
全 思風はそれすら気にも止めず、淡々と息を吐く。
「お前ごときが触れていいと思っているのかい?」
自らを独占欲の塊であると告げ、白服の男の首を絞めていった。男がどれだけ苦しもうが、止めてくれと懇願しようが、全 思風の耳には届かない。
瞳は虚ろでもなければ、虚無でもなかった。
ただひたすらに、美しい少年へと愛を語りたい。そんな感情の、謂わば狂った思想が、全 思風の両目から滲み出ていた。
「……っ、く、狂って、やがる!」
「狂ってて結構。それが私だからね。……小猫をひとりぼっちにさせない為なら、何だってやってみせるよ」
白服の男の売り言葉は、動じぬ全 思風によって不発に終わる。さらには喜びだと、歓喜した。
白服の男は息も絶え絶えに、呆気にとられてしまう。けれど諦めていないのか、ジタバタとし始めた。
「……お前、鬱陶しいね」
地へと突き刺したままの細長い剣を抜き、感情のない視線で白服の男を見据える。
白服の男と全 思風の力の差は歴然。白服の男が暴れようともびくともしなかった。
「もう、いいや。お前との遊びを終えて、早く小猫のところへ……つ!?」
突然、全 思風の背に、眩しいほどの光が当たる。彼は両目をこれでもかというほどに見開いた。
白服の男を捕まえたまま、光が差す方へと向き直る。
光の正体は、村全体を囲う大きな彼岸花だった。太陽にも負けぬ眩しさと、毒花にふさわしい妖しさ。どれもが彼岸花、強いては護るべき少年の術として相違ない輝きを持っていた。
「……な、何だ、あれ、は!? ゴホッ!」
これには白服の男も驚愕するしかない。
しかしそれを全 思風が許すはずもなかった。白服の男が喋りかけた瞬間に、首を絞めていた手の力を強める。
「……ふふ、あはは! 素晴らしい! 本当に君は素晴らしいよ、小猫!」
金色の瞳が濁っていった。それでも光から目が離せず、発狂する。
「……っ!?」
白服の男は全 思風の豹変ぶりに、薄ら寒くなっていった。何がそんな風に全 思風を駆り立てるのかと、途切れ途切れに言葉を繋ぐ。
「あの餓鬼の仕業、だとす、るなら、放ってはおけなっ……っ!?」
刹那、白服の男の腹部に、細長い剣が刺さっていった。グリグリと、悲鳴をあげることすら叶わぬほどに深くねじりこんでいく。
それをしている全 思風は今まで以上に重く、冷ややかに、金色の瞳で白服を凝望した。
「君さあ、学習能力ないの? 私はあの光景に幸せを感じているんだ。だからさ……」
ズブッ。
剣が半分ほどまで、白服の男の腹へと入っていく。
「邪魔すんじゃねーよ!」
凶悪なまでの怒りに身を任せた。口調すらも乱暴になる。華 閻李へ向けられる優しさなど微塵も感じない。
冷酷なまでに相手を痛めつける様は、さながら妖魔だった。
彼岸花を形取った耀が、彼の美しい顔に重なっていく。ふいにそれは、妖の気のように背に広がっていた。
金色に妖しく瞬く瞳はいやらしく細められる。
「おい、お前。聞いてるのか? ……って、ああ。終わったのか。つまらないね」
白服の男を見れば、瞬きをしていなかった。いいや、することがもうないのだ。だらりとして動かぬ体と、開いたままの口。呼吸すら止めた白服の男は……
最後まで語ることを許されはしなかった。




