滅びゆく村
尖った山々がいくつもある。山には濃霧がたちこめ、雲のように広がっていた。
空は海のように蒼く、太陽が燦々と地上を照らす。雲はないものの、どこまでも続いていた。
ふと、遠くの空から鷹が鳴きながら飛んでくる。鷹は霧を物ともせず、地上目がけて落下した。
そんな鷹の眼には美しく煌めく運河が見える。
鷹は何を考えるでもなく、運河の上流へと飛んでいった。しばらくすると鷹の視界に大きな街が映る。
街のあちこちに河があり、小舟が置かれていた。人はそれに乗り、河をのんびりと進んでいく。
多くの建物は朱い屋根、柱になっている。朱い提灯を何本も飾り、それらが風によって時おり揺れていた。
左右の家屋の間にある道は細いものから太い場所まであり、常に人々で埋め尽くされている。
「……ピュイ?」
鷹は適当な屋根の上に乗り、かわいらしく小首を傾げた。
せわしなく動く人たちは、桃や白などの色を使った漢服を着ている。青空のような色もあった。けれど宵闇のような暗い色を着ている者は一人もいない。
鷹は人を観察することに飽きたのか、翼を空に向けて飛び去った。
しばらく飛んでいると、茶の葉をつけた木々が鬱蒼と生い茂る山を見つける。一番高い木に足を休ませ、首をかしげては軽く鳴いた。瞳孔を細め、くるくると首を動かす。
ふと、山の中に、モゾモゾと動く何かがいた。それを眼に映し、じっと見つめた。
鷹が休んでいるのは静寂が走る場所。されど、おぞましいほどの陰の気に満ちている山である。
鷹が降り立った山は、夔山と言われていた。夔を崇め、神を信ずる者が恐れる夔山と呼ばれている山だ。
獣も、人ならざる者ですら生きていけぬ、不気味な山である。木々は水分を喪い、葉は色落ちしてしまっていた。土はカラカラになり、地面には何かの骨が点々と転がっている。
その骨を、黄土色の肌をした人のような何かが貪っていた。それは一体や二体ではなく、十数体に及ぶ。ヨダレを垂らし、無造作に嘱している。
両目は白く、瞳孔は存在しておらず。
『…………』
一言も発することなく、ただ本能の赴くままに動いているようだ。
そのとき、土気色の何かは恐ろしいまでの生臭い息を吐く。両手を胸まで持ってきて、ピンっと前へ伸ばした。瞬間、ドスンドスンと音をたてて飛びはねる。
色素を失った葉をもつ枝に留まっていた鷹は驚き、鳴きながら飛び去っていく。鳴き声に紛れた羽音を惜しげもなく晒け出しては、空へと逃げていった。
土気色のそれは何度も飛びはねながら、前へと進む。邪魔な雑草に行く手を阻まれようとも、大木にぶつかろうとも、表情すら変えずに飛びはね続けていた。
寸刻、前後左右の草むらから同じ顔色の何かが現れる。それは一体や二体ではない。数えるのも億劫なほど、おびただしい数だ。
そんな者たちは皆、一様に同じ方向へと向かった──
□ □ □ ■ ■ ■
陰の気に満ちた山の麓には、ひとつの小さな村がある。
寂れてはいないが、繁栄もしていない。村の中にあるのは畑や田んぼ、牛小屋ばかりだ。周囲は山に囲まれ、空からは雪が降っている。とても静かでのどか。そんな印象の、何の変哲もない村だった。
そんな村は今、かつてないほどの恐怖に襲われている。村の四方、山を背にした側には火の粉が舞っていた。牛小屋辺りからは動物の鳴き声に混じり、ドスンドスンという奇妙な音が止まることなく響き続けている。
鶏が羽毛を撒き散らしながら村中を駆け、我が物顔で走り回っていた。
こんな状態であるにも関わらず、村人はいっこうに姿を見せない。
そんな村の入り口近くでは旗を掲げた馬車が数台、停まっていた。旗には[黄]と書かれている。
「──こりゃあ、酷えな」
先頭の馬車から言葉とともに降りてきたのは、中肉中背の若い男だ。
布で髪の毛を、頭の天辺でひとまとめにしている。顔立ちは平凡そのもので、何の特徴もなかった。あるとすれば上は黄色、下にいくにつれて白くなる漸層の漢服か。
そう言うしかないほどに、目立つ部分は何もない男だった。
「おい、お前ら。わかってるな? 殭屍の殲滅だぞ!?」
彼がそう告げると、他の馬車から同じ服装の者たちが数名現れる。彼らは一様に剣を持ち、頷いていた。
瞬間、ドスンドスンという音の正体となる者たちが、村のあちこちから顔を出す。
土気色の顔、黒目のない瞳、そして肌のあちこちに浮かぶ血管など。とても人間とは思えないような姿だった。
この者たちは殭屍と呼ばれる存在で、生きた人間ではない。動く死者だ。
それらは数秒もたたぬうちに村の入り口付近にどんどん集まり、黄色の漢服の者たちが動き出す前に地をたたく。
ドスン、ドスン……
両腕を前に浮かせ、飛びはねながら、馬車の周辺にいる人間たちへと近づいていった。
「怯むな! やつらを殺せー!」
何の特徴もない男が誰よりも先に地を蹴る。
後ろにいた者たちは彼を追いかけるように、剣を手に立ち向かっていった。
ある者は殭屍と呼ばれた存在を容赦なく剣で斬り、血飛沫を浴びる。またある者は殭屍を頭ごと切断し、動きそのものを封じた。
当然殭屍とて、黙って殺られてはいない。隙をついて相手の喉や腕といった、肌が露出しているところを噛んでいった。噛まれた者たちは苦しみながら剣を落とし、瞬く間に殭屍のようになっていく。
それらを繰り返した結果、徐々に人間側の人員が減ってしまっていた。
「……ちっ! 役にたたねー連中だな」
中肉中背の特徴すら見当たらない男を含み、数人だけとなってしまう。彼らは互いに背をくっつけ合い、死角を消しながら剣で応戦した。
「こいつら、どんどん増えてやがる……って、おい! あの餓鬼はどうした!?」
伸びてくる殭屍の腕を斬り、周囲を見渡す。けれど目的の者の姿は見当たらぬようで、彼は舌打ちをした。
「こんなときに、どこ行きやがった!? ……っ!」
瞬間、両目を瞑ってしまうほどの光が、村の奥地から放たれる。けれどそれは一瞬のことだったようだ。彼はすぐ様目を開け、我先にと殭屍を祓うために剣を握りしめる。
ふと、足元に違和感を覚えた。何かがあたった。そんな気がして地を見下ろす。
そこには、深紅色の結晶の塊が転がっていた。しかも、ひとつやふたつではない。
「……これはまさか、血晶石か!?」
拾おうと腰を少し曲げたとき、馬車を引くための馬たちが一斉に鳴き出した。何事かと見てみれば、村の入り口には新手の殭屍たちが待ち構えている。
なぜと考える暇もなく、彼らは襲いくる殭屍の群れを薙ぎ倒していった。