枌洋(へきよう)の村
奥へと進むほどに霧がかかり、視界が悪くなっていく。
それでも全 思風は平然とした姿勢で歩いた。華 閻李を横抱きにし、楽しそうに鼻歌を口ずさむ。
そんな彼らの後ろには殭屍と化した人々がいた。ふたりを襲うでもなく、ただ彼らを先頭にして飛びはねながら進んでいる。
──これ、かなり異常な光景だよね。と言うか、この人って本当に何者なんだろう?
抵抗するだけ無駄ということを、子供はここ数日で学んだ。
横抱きにされて男としての何かがガリガリと削られてく。それでも涙半分、諦め半分で、全 思風にされるがままを受け入れた。
体格のよい彼を見る。意外に長いまつ毛のようで、瞬きをする度に影が降りていた。スッとした鼻や、形のよい唇。宵闇をつけたような髪と瞳など、どれをとっても端麗さが際立っている。
大きな肩幅を彩るのは太くて逞しい指だ。それが華 閻李の両膝の裏、背中へと回っている。
「ふふ、どうしたんだい?」
華 閻李からの熱い視線に気づいたようで、彼は無邪気な笑みを向けた。その場に立ち止まり、そっと子供の額へ唇を当てる。
子供は少しばかりの照れを隠しながら、えっとと言葉を生んだ。
「な、何で殭屍があなたに従っているの!?」
殭屍は五感はおろか、脳すら破壊されている存在である。どうやって生きた人間の場所を嗅ぎ分けているのかは不明だが、それでも誰かに従うということはまずなかった。
あるとすれば血晶石という、謎の力のみ。それでも、その力を使ったとしても、数十体を同時に支配するということができるのだろうか。
力を行使し続ければ倒れるだけ。できたとしても、殭屍側が暴走を始めてしまう可能性の方が大きい。
けれどこの男、全 思風が命を下した殭屍たちは、それらを真っ向から破っていた。
──まさかと思うけど、この人が村の皆を殭屍に変えたの!?
もしそうだとするならば、許せるはずがなかった。雨桐という幼い子供まで犠牲にするやり方に、華 閻李は嫌悪感を覚えていく。
「降ろしてよ! あなたがあの村の人たちを殭屍に変えたんてしょ!? 絶対に許せ……」
「私ではないよ──」
「え?」
霧をもろともせずに進む全 思風は、ゆっくりと答えた。横抱きにしている子供へ憂いた微笑みを送る。
後方にいる殭屍の群れを見、すっと両目を細めた。
「彼らを……枌洋の村人たちをあれに変えたのは、私ではない」
顎をくいっとさせ、ついてくる殭屍たちを注視する。
それにつられ、華 閻李も動く死体を眺めた。
彼らは、うんともすんとも言わない。息もしておらず、ただ生気のない瞳をしていた。胸の前で両腕を伸ばしたまま立ち止まっている。
「……あれらは辛うじて、私の言う事を聞くみたいだけどね」
華 閻李が知りたいことなどは口にしない。秘密は秘密のままにしておくのがいいのさと、軽く片目を瞑った。
当然、子供からしてみれば、そんなことでは納得などいくはずもない。頬を膨らませて、彼の厚い胸板をポカポカと叩いた。
「あっはっは。小猫のそれ、痛くも痒くもないよ。むしろ、ご褒美だ!」
心の底から喜んでいるのか。眉や目、口元が緩みきっていた。
──これは駄目だ。この人、言うつもりはないんだろうな。
全 思風の、華 閻李に対する態度はあまりにも甘い。そしてそれは、ときおり行き過ぎた思考回路とすら思えるほどだった。
こうなってしまった彼から聞き出すのは難しい。まだ短い間の付き合いではあるが、華 閻李は肩から脱力するしかなくなってしまった。
誤魔化されたということに一抹の不安を覚える。それでも進むしかないのだと、自分に言い聞かせた。
「さあ、行こうか。辿り着いた先で、真実が見えてくるかもしれないよ?」
飄々とした笑みを絶やさない彼に、華 閻李は少しだけ安心する。
全 思風が歩みを再開させれば、後ろに控えている殭屍たちが動きだした。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆
霧の中を進み続け、太陽が真上に差しかかった頃、二人は目的地の村に到着した。名は枌洋、人口数十人程度の小さな村である。
藁でできた屋根、水の枯れた井戸。建てつけの悪さが目立つ扉など、みすぼらしさでいっぱいの村だった。
澤善教のような華やかさなど、これっぽっちもありはしない。
けれど自給自足の生活の賜物か、畑には大根や人参などの新鮮な野菜が植えてあった。
「着いたね。……ん? チクチクするような? 私の気のせいかな?」
ひっそりと呟き、華 閻李を地へと降ろす。
カサカサと、丸くて薄い紙銭が何枚も飛んできた。子供はそれの一枚を取り、軽く遊ぶ。
「……やっぱり、滅んじゃったんだね」
寂しげな瞳で村を見回した。隣に立つ彼へと、どうしようかと問う。
ふと、全 思風は指を鳴らした。すると、ともに来ていた殭屍たちがカタカタと人形のように左右に揺れる。体全体を使って振子のように動く様は何と奇妙な光景か。
華 閻李が固唾を飲んだ。
「ごめんね小猫、どうしても確認しておきたい事があるんだ。少しの間、私に掴まっててくれるかな?」
「え? 確認って……うわっ!?」
横抱きではなく、胸板に華 閻李を押しつける。片手で支え、近くの家の屋根へと飛び乗った。そして家屋よりも高い位置にある大木へと身を投じ、太い枝の上へと着地する。
華 閻李は、こんな高い場所で何をするのだろうと首を捻った。
ふと、己を抱く男が、片手を前へと出す。そこは何もない……掴めぬ空と空気だけの場所だ。
彼は片口を上げ、ぐっと空の空間を握る。数秒後、陰気を纏った空間が発光した。目も開けていられないほどに眩しく輝き、やがて一本の剣へと形を成していく。
全 思風は不敵な笑みを浮かべながら、剣の鞘を手にした。
「さて、ここからが本番だ。私の支配から逃れた者たちへ、懺悔の時間を与えよう──」
宵闇だったはずの瞳は禍々しい色を帯びていく。それでいて妖しく、美しい、深紅へと変便した。




