狐が告げるは血晶石《けっしょうせき》、そして扉の鍵の意味
鏡の中に映るのは九本の尻尾を持つ狐だ。狐はもふもふとした尻尾をふりながら微笑む。
『──妾とのお話しは嫌かえ?』
一声、かわいらしく鳴いた。
すると華 閻李が、宙に浮く鏡に腕を伸ばす。鏡をそっと抱きよせ、中にいる狐を見つめた。その瞳はキラキラとしていて、期待のようなものがこめられている。
『ふふ、人の子よ。妾とお話し、どうかの?』
「うん、いいよ。狐さんとお話しなんて、滅多にできないもん」
その場に腰をおろした。瞬間、膝の上には白虎の牡丹が乗ってくる。頭の上には蝙蝠の躑躅、左肩は青龍が陣取った。
子供はそんな動物たちをひと撫でし、全 思風に視線をやる。
彼はため息をついた。愛する子には逆らえないなと、その場に座る。行儀がよいとはいえない姿勢で子供の隣に座れば、鏡を凝視した。
『……おお、怖い怖い。冥界の王は、心が狭いのおー』
わざとらしく、よよよと哀しむ。けれどすぐに瞳孔を細め、尻尾をゆらゆらとさせた。
「えっと、それで狐さんの正体は妲己……で、いいんだよね?」
『うむ。そうじゃぞ。妾は殷王朝を滅ぼした、あの妲己じゃ』
潔し。自らを妲己という妖狐であると、胸をはった。けれど一瞬のうちに表情は雲っていく。元気よく泳いでいた尻尾はしょぼんとなってしまった。
子供がどうしたのかと聞けば、妲己は首を左右にふって鼻をふんふんさせる。
『何でもない。それよりも……』
視線が行き着く先は子供ではなく、全 思風だった。彼の隣には爛 春犂が立っており、睨みつけるように見下ろしている。
妲己は彼らに向かって、くつくつとほくそ笑んだ。
『そう睨むでない。お主たちが知りたい事を伝えるために、妾はこうやって思念体だけで、鏡の中に留まっておるのじゃからの』
「……っ!?」
全 思風だけでなく、爛 春犂までもが食いつく。ふたりは両目を見開き、お互いを見合ってから妲己を直視した。
「……わかった。あんたの話を聞こう。ただし!」
彼は真剣な表情で、ぐいっと子供の腕を引きよせる。その弾みに鏡が落ちてしまうが、気にすることなく少年を包容した。
「小猫を傷つけるような事を云ったら、容赦はしない」
瞳に朱を滾らせる。静かな怒りは黒き焔を生んだ。焔の先は刃物のように鋭く尖り、鏡を突き刺さんとする。鏡の目と鼻の先でピタリと動きを止め、チリリとした黒い火の粉を一滴落とした。
妲己はやれやれとため息をつく。
『ほんに、その子が大事なのじゃな』
まあよいと、寛大な心で尻尾をふった。瞬刻、こーんと力強く鳴く。すると周囲の空気が変わり、温度が一気に下がった。
子供はその気温に耐えられないようで、ガタガタと震えている。彼は急いで自身の上着を脱ぎ、子供に着るように薦めた。
「おい! 小猫が寒がってるじゃないか!」
毛をむしり取るぞと、怒りに任せて脅す。
妲己はカラカラと笑いながらも、その行動をやめることはなかった。
「……こいつっ!」
額に青筋をたて、狐へ恨みがましく唾をはく。
腕の中にいる子供の唇は紫になり、指先がとても冷たくなっていった。少年のかしかんだ指を、自身の男らしい手で包む。
『安心せい。これから教えるのは、そなたたちが知りたがっていたこと。喉から手が出るほどに、のお』
愛らしい狐の姿のままに、いやらしく口角をつり上げた。再び遠吠えを轟かせ、鏡の中でぐるぐる回る。すると尻尾の一本が、ハラリと落ちてしまった。
これには全 思風ですら驚いてしまう。
けれど妲己はペロペロと、平然とした様子で前肢を舐めていた。毛繕いが終わるやいなや、狐は身体から離れた尻尾をムンズッと掴む。そしてそれを高く投げた。
『──よいか。よく聞くがよい。血晶石とは、血で作りし石じゃ』
狐の声は優しい歌のように、ポロンという音を刻む。離れた尻尾に触れれば、それは姿形を変えていった。橙色が朱くなり、小さな石のように転がっていく。
それを玩具として遊ぶかのように、妲己のかわいらしい前肢は動いた。
『見るがよい。これが、血晶石の正体じゃ』
狐は淡々と。それでいて彼らが知りたいことを、ひとつひとつ丁寧に教えていく。
血晶石は、妖狐である彼女の血を媒介にして造られたものだった。妖力と呼ばれる、人間には特殊な力。これを用いて造りあげることが可能である。
己が力を増幅させ、制御する。それが本来の用途であった。
『そなたたちが生きる時代の血晶石は、どうやら大きく改良された物のようじゃな』
どこまでも見透かす眼を持って、全 思風たちに真実を告げる。
『残念な事に、誰がどうやってというのはわかり兼ねる。それは今を生きるそなたらが、解決しなければならぬ事じゃ』
くあーと、大きなあくびをかいた。
「……そうか。あんたの血が、元となってたのか。何となくわかってはいたけど。って云うか、寒くする必要あるわけ!?」
いまだに寒さに凍える子供を心配し、狐を糾弾する。警戒心を高め、妲己を威嚇した。
狐はカラカラと、お腹を抱えて笑い転げる。転瞬、誤魔化しの利かぬ気迫を顕にした。
美しい狐として、人を騙すことに長けた女として。誰にも文句を云わせぬほどの妖力を放出した。
『──妾は、聞き分けの悪い子は嫌いじゃぞ?』
「…………」
狐は瞳孔に怒りを乗せ、彼は全身から溢れる黒い焔を見せつける。
どちらもが譲らぬ度量を垣間見せた。しかし……
「……っ!? 小猫!?」
腰を少しだけ浮かせた彼の袖を、子供が弱々しく引っぱった。青ざめた顔で体を震わせながら駄目だよと、彼を静止させる。苦しさに耐えながら狐へと振り向き、にっこりと笑ってみせた。
『……茗沢』
呟いたその名に、目頭を熱くする。眼に映るのは、大切な実子と瓜二つの顔を持つ子だ。
ぐしっと涙を前肢で拭い、優しい母のように微笑む。
『あの子そっくりなのは、顔だけではないのじゃな』
鏡の中で身体を丸めた。声を震わせながら鼻をすする。それでも伝えねばならぬことがあるのだと、前肢で両眼をこすった。
『──よく聞くがよい。この血晶石は先ほど云ったように、妾の血があれば造れる。当然、我が子である茗沢も、その少年も然りじゃ』
よいかと、神妙な顔つきになる。
『血晶石をその子供は造る事が可能。そしてそれは、そなたらが一番求めている疑問……冥現の扉の鍵にも繋がってゆく』
「……っ!?」
それを耳にしたさんにんは声を失った。全 思風と爛 春犂は、美しい銀の髪を持つ子供を注視する。
狐は彼らを茶化すことをせず、黙々と口を開いた。
『扉の鍵とは、膨大な力を得るために必要な存在。扉の向こうにあると云われておる、桃源郷。そこに辿り着くために必要な物と聞く』
桃源郷という聞き慣れぬ言葉に、爛 春犂と子供は首を傾げるしかない。
けれど彼……全 思風だけは違っていた。眉根をこれでもかというほどによせる。瞳には感情というものがなく、どこまでも続く暗黒だけが広がっていた。




