「お帰り」「ただいま」
息をひき取った華 茗沢を前に、妲己が庇いたてをする。悪女と呼ばれていた彼女の思わぬ行動に、全 思風たちは驚愕を隠せなかった。
けれど刻は彼らを待ってくれるはずもなく……
再び、あの頭痛といった症状とともに、世界や景色がぐにゃりと曲がった。
前回同様、立っていられないほどの不快感を覚えた彼は片膝をつく。華 茗沢をしっかりと抱えながら両目を瞑り、そのときが終わるのを待った──
□ □ □ ■ ■ ■
ホーホーと、夜を現す野鳥の鳴き声がする。
全 思風は頭痛が治まったのを確認し、ホッと胸を撫で下ろした。彼の腕の中で眠る銀髪の美しい少年、華 閻李を見、ふふっと微笑する。
「……やっぱり、小猫だったね」
夜なのに煌めき続ける銀の髪に触れた。少女と見間違うほどに整った顔立ちの子供の額に、優しく口づけを落とす。
すると子供の長いまつ毛が動き、ゆっくりと目を開けた。
「……ふみゅう? ……思?」
「うん、思だよ」
彼の膝を枕にして眠っていた子供は、寝ぼけ眼で上半身を起こす。目をこすりながら小さなあくびをし、彼をじっと見つめた。
「ふふ小猫、大冒険の感想は?」
優しく、絶対的な笑みで尋ねる。
子供は顎に手をあて、うーんと考えこんだ。やがて全 思風と目線を合わせ、儚げに笑む。
「うん。結構ハラハラはしたけど、滅多に経験できない事だったと思うよ」
「ふふ、そうか。それはよかった」
ともに微笑みながら互いの指を絡めた。
「でも思、いつ僕が華 茗沢になってたって気づいたの?」
こてんっと、かわいらしく小首を左へ傾ける。その姿は非常にあいらしく、まるで小動物のよう。
全 思風は、んんっと顔がにやけるのを我慢した。膝の上に乗る子供の銀髪を軽く掬いあげる。くるくると絡ませようとするが、美しく艶やかな髪はいとも簡単にほどかれてしまった。
彼は諦めの苦笑いをし、銀髪の一房におとなしめな口づけを認める。
「そう、だね。初めは気づかなかったかな。でも、白虎たちが華 茗沢に懐いてたでしょ? あの辺りから、もしかしたら! って思ったんだ」
もともと蝙蝠の躑躅は人懐っこい性格だ。その躑躅だけならば疑うことはしなかったのだろう。
けれど白虎の牡丹、そして青龍。神獣である彼らは、【冥現の扉の鍵】の元に集まる習性があった。
その鍵とも云える存在の華 閻李に懐き、楽しそうにしている。
それを知っているからこそ、華 茗沢への彼らの態度がよりおかしく見えていた。
「たくさん食べてる姿を見たときは、君と重なった。ただあれは、半分妖怪の血をひいているからという理由だったんだよね」
人間と妖怪は違う。人は脆く、妖怪は霊力が高い。人間の器で妖怪の血と力を制御するためには、食欲で補う必要があった。
それが華 茗沢や華 閻李、華の一族が食欲旺盛な理由であった。
「……確かに僕も、華 茗沢も、どれだけ食べても空腹感は消えないんだよね」
「うん。それについては別にいいと思うよ。個性だし。何よりも、小猫が幸せなら、それでいいって思ってる」
ふっと、目を細める。子供を背中からギュッと抱きしめ、その温かさを堪能した。
「話を戻すけど……私が確信を持ったのは、華 茗沢が荒野を自然いっぱいにしたときなんだ」
血晶石の始まりでもある石を使い、華 茗沢はたくさんの自然を作りあげる。木々はもちろん、名もなき雑草、そして花たち。花は最終的には蒼い彼岸花へと姿を変えた。
そのおり、華 茗沢の姿は一瞬だけ変わっていく。その姿は愛してやまぬ、子供そのものだった。
「あのとき、彼と君が重なった。幻のように、ね。でも……」
子供の首元に腕を伸ばす。無骨で大きな手が、子供の細い首を優しくなぞった。
突然のことに子供の体はびくっと跳ねる。恐る恐る彼を見、大きな目を見開いた。
「あの姿はまぎれもない、私が愛している小猫だった。だから私は確信した。ああ、彼の中に魂が入ってしまっているんだなってね」
子供の首から手を離し、にっこり微笑む。自信に満ちながらほくそ笑み、端麗な見目を強く印象づけた。
「……私は、君を絶対に逃がしはしない。ずっと一緒にいて、楽しい事や嬉しい事、もっといっぱいしよう。って、決めてるんだ。もちろん、私が側を片時も離れない前提でね?」
「ふふ、なぁにそれ? 思ってば、それは重たいよ」
華 閻李は「えー?」と、半分諦めたように苦く笑う。
「もう! 相変わらずだなあ……って、あっ!」
ふと、何かを思い出したかのように、子供は両手で自分の口を押さえた。子供の首が、ギギギと音をたてるかのように動く。ひきつった笑みをしながら、あのねと口を開いた。
「何か間違えてるみたいだから、一応言っておくね」
「……?」
「あのね? 華 茗沢は、女の人だよ?」
「……はい?」
しばしの間、ふたりに沈黙が走る。やがて……
「はあ!? 華 茗沢、女だったの!?」
彼の叫びにも似た声が、近くの木に留まる鳥を驚かせた。そのとき、すぐ近くでドサッという音がした。
子供は何ごとかと振り向く。するとそこには、大きな袋を肩に担いで戻ってきた爛 春犂がいた。彼もまた衝撃を受けているようで、顔を青ざめさせながら口をパクパクさせている。
「あ、先生。戻ってきたんだ。って、あれ、先生? どうし……うわっ!?」
突然、爛 春犂が四つん這いになった。ぶつぶつと、男ではなかったのかなどと呟いている。
そんな彼を見て、子供は苦笑いしか浮かんでこないようだ。
「小猫、本当に華 茗沢は女性なのかい?」
「え? うん、そうだよ。あの人すごく細くて、胸はあんまりなかったみたいだけど。すっごく綺麗な女の人だよね?」
「ウン、ソウダネ」
全 思風は遠くを見ながら、はははとから笑いをした。
爛 春犂は「わからん! 閻李の一族は、わからなさすぎる!」と、後悔のようなものを口にしている。
「……こほんっ! そ、それについては私たちの落ち度という事だね。うん! そ、それよりも!」
半ば無理やり話題を切り替えた。わざとらしさもあったが、失態をいつまでも引っぱるわけにはいかないと気をとり直す。
「小猫は、いつ記憶が戻ったんだい?」
この質問に、子供はうーんと腕を組んだ。
上目遣いで彼を見、無邪気に頬を緩ませる。頬を赤らめ、恥ずかしげにもじもじと。左の人差し指を自身の唇にあて、えへへと照れ笑いをした。
「秘密だよ」
「んんっ!」
華 閻李の微笑みに花が咲く。
瞬間、彼は口を押さえて悶えた。
──ああ、小猫。なんてかわいいんだ。本当にかわいい。
目に入れても痛くないとはこのことかと、歓喜に浸る。そして再び子供を抱きしめ、両脇に手を入れた。軽々と子供を浮かび上がらせ、己の方へと向かせる。
子供はきょとんとした様子だ。
「小猫、お帰り」
子供の額に軽く唇を落とす。
子供は恥ずかしそうに顎を引っこめ、おずおずと顔をあげた。その瞳はとろけるよう、白い肌には火照った色がよく似合う。
そんな少年は儚く笑んだ。
「うん。ただいま」
ふたりは強く抱きしめあう。
月が輝く夜、再びふたりは同じ時間を歩みはじめたのだった。




