華の一族
華 閻李は夢を見ていた。自身と同じ顔だけど、もっと大人っぽい。そんな人になった夢だった。
けれどどこで歯車が狂ったのか。同じ顔をしたその人は……
薄れゆく意識を必死に保ちながら、静かに涙を流していた──
† † † †
何もない、暗黒だけが広がる空間に華 茗沢、そして華 閻李が立っていた。
同じ顔をしたふたりが笑めば、淡く光る蒼い結晶が降る。それが落ちれば地面に波紋を作った。ポンッという小さな音を鳴らし、蒼い彼岸花が生まれていく。
「──これが、わたしたちの結末だよ」
銀の髪がさらりと、美しく揺れた。囁くように伝えるのは華 茗沢である。
女性か、それとも男性か。それすらわからないまま、華 茗沢は哀しい笑みを浮かべた。
「母上も、父上ですら、やりすぎたんだ。豪遊と言えば聞こえは悪いけど……それだけの事をしていたんだ。民だけじゃなく、仙人たちが怒っても無理はないよね」
ふっと、瞳に影を生む。
華 閻李を見、すっと細くて長い指を伸ばした。子供の頬に触れ、弱々しいまでに美しく笑む。
「それでもわたしは、両親を愛している。母上の本心を知ろうともしない人たちがいるなら、わたしは前に出ても厭わない」
自分の身がどうなろうとも構わないのだと、震えながら語った。
「……ねえ。君は心から守りたい人、いるのかい?」
「え?」
突然の問いに、華 閻李は小首を傾げる。
華 茗沢を見れば、銀の髪で両目を隠して微笑んでいた。
「この手で守りたい。それでもわたしは弱くて、役にたたない。だからこんな事になってしまった。それに……」
笑顔が一転、両手で顔を覆う。悲痛な声で「母上、父上」と、呟いていた。やがて力なく背中を曲げ、その場に踞ってしまう。
「わからないんだ。父上も、母上も、わたしの事を道具としか思っていない。わたしの事なんか、愛してくれてなかったんじゃないかって!」
上辺や建前を振り払い、本音をぶつけた。
華 閻李は、どうすればいいのか悩んでしまった。それでも何もしないわけにはいかないと、大きな瞳を細める。
──愛されていない。そう思ってしまっているんだろうな。でも……
膝を抱えている華 茗沢の隣に座り、天を見上げた。
暗く、どこまでも底が見えない闇が広がっている。星も、空も、太陽や月さえもなかった。冷たくはないが暖かくもない。音はおろか、匂いすらしなかった。
「……僕ね。両親の顔、知らないんだ。声とかもわからないし、どんな人たちだったのか。それすらもわからない」
隣を確認すれば、顔をあげて涙を流す華 茗沢がいる。眉根を潜め、本当なのかと目で問うているかのようだ。
子供は肩をすくませる。
「僕だって寂しいって思うときもあるよ。町にいる仲良しな親子見てると、どうして僕だけ! って思うんだ」
「…………」
見上げた先には何もない。あるのは漆黒に染まった空間だけだ。
「それでも……僕をずっと想ってくれてる人がいる。寂しいなんて言葉を吹き飛ばしてくれるほどに、たくさんの愛をくれる人がいるんだ」
目を閉じれば、側により添ってくれている男の顔が浮かんでくる。
それは黒い髪を三つ編みにした、とても端麗な顔立ちの男だった。常に「小猫」と呼んでくれて、ほしいものを全て与えてくれる。お腹が空いたときも、熱を出したときも側にいて、優しい微笑みをくれる男だった。
「思はね、僕が記憶をなくしてしまっても、諦めずに側にいてくれたんだ。ずっと笑顔で、優しく抱きしめてくれる」
すくっと立ち上がる。
涙ぐむ華 茗沢の手を握り、立とうと誘った。
同じ顔をしたふたりは向かい合う。
ざあー……
風など吹かぬこの場所で、ふたりの髪は絡みあった。華 閻李より頭ひとつ分ほど背が高い華 茗沢は、両目を見開きながら子供の手を握り返す。
子供はそんな銀髪の者にふふっと、温かい笑みを送った。
「──伝えてみようよ。自分の気持ちをさ。それに愛されたいだけじゃなくて、愛してあげよう」
その結果、哀しみが増すだけかもしれない。それでも一歩、また一歩と、自分からよって行かなければ変わるはずがない。
子供は純粋な眼差しで告げた。
「誰だって、嫌われるのは辛い。だけど……それでも時は待ってくれないんだ。悩み続けていく内に、もうどうしようもないところまで行ってしまう。そうなったら、何もできなくなっちゃうよ?」
だから言葉で、本音をぶつけよう。
子供の少し高めな声が周囲を駆けた。
† † † †
銀の髪がふわり、ふわり。美しく、地へと華開いた。腹部にある痛み、そして口の中にある鉄のような味。これらが全て不快感となって華 茗沢を襲った。
ゴホッと、深紅の血を吐く。
耳に届くのは戦乱の最中の、火の粉が舞う音か。それとも……
「──小猫!」
「茗沢!」
待ち望んでいた男の声か。はたまた、愛してほしいと願った母か。
華 茗沢はそれすら考えることも、彼らの姿をのぞきこむことすらもできなかった。指のひとつも動かせない状態に陥り、視界が霞んでいく。
「小猫! 小猫、しっかりして!」
ただひとり、彼だけは血溜まりの中にいる華 茗沢を愛しき子として呼んだ。
彼、全 思風は銀髪の者の背中に腕を回す。上半身だけを起こし、青い顔色で必死に名を呼んでいた。
「小猫、どうしてこんな……」
困惑などという言葉が生ぬるく感じるほどに、彼の表情は悲壮感に満ちている。
「…………」
一方で、華 茗沢の瞳からは光が薄れていった。虚ろでしかないままの瞳は彼……ではなく、この場には似つかわしくない、毛並みが美しい狐へと向けられている。
狐はゆっくりと血まみれの者へと近づく。自ら妖術を解除し、美しい女の姿になった。
美しく着飾った姿の女性は、まさに絶世の美女そのものである。目鼻立ちはもちろん、体の細部まで。完璧とすら思えるような姿の、秀麗な美女だ。
その美女は腰を曲げ、倒れた華 茗沢の手をそっと握る。
「……は、は、え」
”母上”。そう言いたいのだろう。けれど紫になった唇から洩れるのは残酷なまでの鮮血のみだ。
「馬鹿な子じゃ。妾を庇うなど……ほんに、愚かな子じゃな」
愚かといいつつも、声や表情からは罵る空気を感じない。穏やかとはいわないまでも、どこか母性を覚える。そんな雰囲気があった。
華 茗沢は苦痛に襲われながらも、無理やり微笑む。
「……あ、して……」
「……? 何じゃ?」
女は銀髪の子の手を強く握った。
「………は、母上は、わた、を、父上、を、愛し、て……した、か?」
この言葉に、女は目を大きく見開く。けれどすぐに戻し、一瞬だけ瞳孔を動物のようにさせた。ふうと、軽く息をはく。
「何じゃ。そんは事も、気づかなんだのかえ?」
笑ってはいた。しかし嫌な笑みではない。むしろ瞳の奥にあるのは【愛】だった。
「…………は、え。わた、も……愛、し……て……」
華 茗沢の声も、息すらも止まる。開かれたままの瞳は瞬くとてなく、光を完全に失っていた。
女──妲己──は華 茗沢の最期をみとり、我が子の瞳に静かに手を置く。美しい出で立ちを姿勢に乗せ、踵を返した。
その先には姜子牙がおり、申し訳なさそうにしている。それでも彼女は悠然と立ち、桃色の唇を動かした。
「姜子牙よ、妾を討つがよい。ここで殷はしまいじゃ」
毅然とした、誇れる何かすらある声で口述する。
姜子牙は頷き、指揮棒のようなものに力をこめた。
「ただし、ひとつだけ約束じゃ。妾には……」
胸の上で両手を組み、息絶えている華 茗沢に微笑みを落とす。
「子供などおらなんだ。これを後世の歴史に刻む。これを約束してたもれ」
妲己は両手を広げ、目を閉じた。眼前に迫る力を受けながら、身を粉砕させていく。
この場、このとき、殷は終わりを迎えた。同時に妲己の子として生まれた華 茗沢は、その歴史から消えていったのだった。




