咲きゆく彼岸花、そして散りゆく華
花や植物を操る力の原理がここにあった。
全 思風はひとつの謎を解き明かし、ほっと胸を撫で下ろす。体力を使い切ってしまったであろう華 茗沢を片腕に抱き、眼前に広がる美しい光景に目をやった。
何もなかった、ただ、枯れた大地。それが数秒前までのこの場所だった。
けれど今や、それすら眉唾物のよう。
カラカラに乾いていたはずの大地には緑が溢れ、木陰や木漏れ日すら産まれていた。風に遊ばれる草木の囁く音、蝶や蜂などの虫の姿すら当たり前のように横切っていく。
何よりも、地を覆いつくさんとする花たち。山茶花、桂花、薔薇など。美しく揺らめく花びらを携えながら、そわそわと、そよ風にあてられていた。
「……すごいね」
ふと、彩とりどりな花たちの中に一本だけ、まっすぐ天へと伸びた蕾がある。それは何かと指で軽くつついた。
瞬間、山茶花の幹がピンとはる。桂花は橙色の花びらを、ハラリと落としていった。薔薇は開いていた花を閉じてしまう。
「これは、いったい……え!?」
驚く彼の目の前で、全ての花は彩を失っていった。枯れたわけではない。花びらや幹も、萎れているようには見えなかった。
華 茗沢を抱く腕に力が入る。瞬きすら忘れたかのように、不思議な瞬間に魅入っていった。しかし……
「…………っ!?」
それは一瞬の間か。全ての花たちが蒼い彼岸花へと変わっていった。
地平の彼方すらも蒼く輝く、あでやかな彩に染まっていく。花びらの一枚一枚が輝いているかのように煌めいていた。
「……なんて、幻想的なんだ」
溢すつもりはなかった言葉が出、彼は慌てて口を塞ぐ。
腕の中にいる華 茗沢へと視線をやれば、両目を閉じていた。苦しそうに汗を流す様は、とても儚げである。
そんな、この世のものとは思えぬ風光明媚な刻を過ごした──寸刻、彼は強烈なまでの目眩に襲われる。
声をあげる暇もなく膝を折った。地へとひれ伏しはしないが、立っていることすらまはまならないほどに視界が回っている。
爛 春犂へと華 茗沢を預けようと振り向いた。けれど頼りにいている男も、彼と同じ症状に見舞われている。
──くっ。いったいこれは何だ!? なぜ、こんなに視界が揺らぐ? 吐き気はないのに、強烈なまでの眠気に誘われているような。そんな気分だ。
いったいなぜと考えたとき、腕に抱えいる銀髪の美しい者の体がぐにゃりとなる。
彼はぎょっとして顔を上げた。
──な、んだ、これは……。
華 茗沢だけではない。美しい花畑のある自然も、難民、姜子牙までもが形を保てないほどにねじ曲がっていた。
さしもの彼ですら、このような事態は想定していなかったのだろう。混乱と焦りを汗に乗せ、額から流していった。グッと拳を握り、唇を嫌というほどに噛みしめる。
苦しさに負けないよう、何度も愛し子の名を呼び続けた。
『──大丈夫だよ思、ここは過去。刻が流れただけだから』
「……小猫!?」
聞き覚えのある声にハッする。頭痛や目眩が押しよせるなか、周囲を見回した。けれど愛する子供の姿はない。
代わりに、先ほどまであった不快感が和らいでいった。目眩などがなくなったのを確認し、起き上がる。
けれどそこには、蒼い彼岸花などありはしなかった。華 茗沢の能力で築いた自然すらない。
腕に抱えていたはずの者も消えており、彼は焦った。急いで探そうと踵を返す。そのとき、誰かに腕を掴まれてしまった。正体を見れば、同じ時代をとも生きる爛 春犂である。
男は普段とは違い、慌てた様子で彼の動きを止めていた。
「……邪魔、しないでくれるかな?」
怒りに身を任せ、ドスの利いた声を発する。
「そうではない! 全 思風殿、あれを見よ!」
落ち着きすら感じられぬ瞳と声に、彼はすっとんきょうな声で返事をした。そして爛 春犂が指差す方を見やる。そこには……
朱く、燃えさかる焔が広がっていた。町の頑丈な障壁はどこにもなく、ただただ、鬱陶しいまでの朱に包まれている。
「……これは」
耳をこらしてみれば、数多の悲鳴が聞こえてきた。どこかで金属がぶつかる音もすれば、火の粉が燃え移って建物を壊していく振動すらある。
彼は爛 春犂へ、これは何が起きているんだと、肩を揺さぶった。
男はじっと熱い焔を見つめ、渋い表情になる。
「おそらく城下町……いや、城を含む辺り一帯が、戦場と化しているだろう」
それは殷王朝の終わりを意味するのだと、ぽつぽつと口述した。
「あそこを見よ。あれは姜子牙殿だ」
建物の屋根上に、見知った老人が立っている。隣には白い鹿のような動物もいた。
「……そうか。姜子牙が、王都に乗りこんだ刻まで進んだんだね。だけどあの隣の動物は……」
「実物を知らぬのであれだが……おそらく、霊獣の四不像なのだろう」
「……へえ。あれがそうなんだ」
落ち着きを取り戻した彼は、爛 春犂の話をおとなしく聞く。
「全 思風殿、姜子牙殿の向かい側にいる者。あれは……」
ふたりは視線を老人の真向かいへとやった。そこには町を丸ごと飲みこまんとするほどに巨大な、金色の毛並みの狐がいる。
狐は九本の尻尾を有し、瞳孔を細めていた。立派で艶々だったかもしれない毛並みはぼさついている。全身に傷があり、今にも倒れてしまいそうなほどにふらついていた。
そんな狐を凝望し、姜子牙が霊獣に跨がる。右手には指揮棒のようなものを持ち、それの切っ先を狐へと向けた。
「──妲己、これで終わりだ!」
霊獣とともに風をきる。そして指揮棒の先を狐へと突き刺した。
狐は抵抗するでもなく、黙って両眼を閉じる。
転瞬、銀の糸が狐の前に現れた。そして……銀糸の持ち主でもある者の体を、指揮棒のようなものが貫く。
「……なっ!」
姜子牙の驚きなど、誰の目にも留まらなかった。
傷だらけの狐、そして彼らの行く末を見ていた全 思風。爛 春犂もまたその内のひとりで、彼らは銀糸の先にいる者の名を呼ぶ。
さらり、さらりと、美しい銀の糸が地へと落ちていく。
細く、儚げな姿のままに。
ゆっくりと端麗な見目を違えることなく、その人──華 茗沢──は崩れ落ちゆく。雫を頬に伝わせながら、鉄錆た匂いを吐きながら──
皆が華 茗沢の名を叫ぶ。
「………っ小猫!」
けれど全 思風はたたひとりだけ、愛し子の名を借りながら手を伸ばしていた。




