青龍覚醒
それは、青龍としての神聖なる姿だった──
るるると、謳うかのような声で、青い蛇が舌を出す。蒼く輝く光を纏いながら、少しずつ、目に見えるかたちで身体を大きくさせていった。
やがて手のひらには収まりきらぬほどに大きくなる。鋭い眼光で、殭屍をねめつける。
『──るるるぅー!』
長い胴体を宙に浮かせながら、口元にある二本の髭をゆらゆらと。額の左右にある白く輝く角が、ときおり蒼く発光していた。
青く、美しい鱗を見せびらかすように、堂々たる姿勢で殭屍へと近づく。
子供を捕らえている化け物の顔に息を吹きかけ、これまでかというほどに瞳孔を見開いた。
瞬間、殭屍は土の中でもがき始める。手を離し、耳をつんざくほどの雄叫びをあげながら『い、だぁ、いぃーー!』と、悲痛を訴えていた。
目、鼻、口、そして耳。穴という穴から煙のようなものを出し、両目から血の涙を流す。
「るるるーー!」
それでも青龍は容赦なく、土の中にまで息を吐きちらした。
すると土が大きく盛り上がり、殭屍が外へと這い上がっていく。けれど皮膚は爛れ、溶けてしまっていた。身体の一部の骨が見えてしまってもいる。
殭屍はふらりと身体を前のめりさせ、見えているのかさえわからかい目を向けた。
青龍は子供を化け物の視界から隠すように、子供の前で浮く。鈴虫のようにゆったりとした鳴き声を放ち、殭屍を凝視した。
そして口を大きく開き、蒼くて冷たい焔を殭屍へとかける。
化け物は一瞬で凍りつき、数秒後には粉々に砕けていった。
「るるる!」
殭屍の最期を見届けるなり、青龍はえっへんと、鼻息荒くした。長い胴体のまま空中をくるくると回り、華 閻李に頬をよせる。
まるで誉めてと云わんばかり。子供のようにはしゃぎ、笑顔になりながら撫でてと急かした。
「……え、えっと」
子供からすれは、何が何だかわからかい状態である。どう応えるべきかよりも、何が起きたのか。それについての処理が追いついていなかった。
けれど甘えてくる生き物を無下にできるはずもなかったので、そっと頭を撫でてあげる。すると青龍の身体は、みるみる内に縮んでいった。最終的には青い蛇に戻ってしまう。
「るっるるー」
歌のような鳴き声とともに、笑顔で子供の襟の中へと潜った。そこから顔をひょっこりと出し、かわいらしく微笑む。
「……殭屍が、襲ってこない?」
一連のできごとに驚きながらも周囲を確認した。
未だに土の中にいる者もいるよう。土がひとりでに動いていた。手を出そうとすれば白虎が猫パンチを食らわせ、そこに蝙蝠も参戦している。
さながら、もぐらたたきのような状態となっていた。
殺伐とした空気のはずなのに、動物が遊ぶ姿があるだけで、こうも和むものなのかと子供は苦笑いする。
「よくわからないけど、助かった……のかな? ありが……痛っ!」
殭屍の爪が食いこんでいた足を見れば、その箇所だけ紫に変色していた。膨れあがり、まるで骨折でもしているかのうな激痛を伴っている。
少し動かしただでも、全身が重くなっていくのがわかった。
──殭屍に噛まれるだけが、感染方法じゃない。こうやって、殭屍に傷を負わされてもなる。そう教わった。
自身が殭屍になるのも、もはや時間の問題か。
子供の中では、諦めという言葉が過っていった。ふと、そのとき、上空から誰かが来るのが見える。
長い黒髪を三つ編みにした端麗な顔立ちの男、全 思風だ。彼は落ち着きを忘れたかのように、子供へとかけよる。
「──小猫!」
第三級か、それ以上の殭屍を相手に優勢していた男とは思えぬ慌てぶりだった。
子供の体を抱きしめ、もう大丈夫だからと、声を震わせる。強者らしさなど全くない。冥王としての品はあったものの、それでも國の頂点にたつ者とは考えられないような慌て様だった。
「もう、大丈夫だから! 私がずっと側にいて、君を護るから!」
子供の体が壊れない程度に力を入れ、強く抱きしめる。
「……えっと、思さん?」
突然抱きつかれた子供は困惑した。直後、足の痛みが限界となり、声にならぬ声をあげる。
「小猫!? いったいどうし……っ!?」
子供の足にある怪我に気づき、彼は顔色を悪くした。子供の体を抱きしめている腕を離し、足を凝望する。
「……これはまさか」
感染しているのかと、絶句した。急いで怪我をした足、左側の靴を脱がせる。足を隠している布をめくり、具合を確認した。
痛々しいほどの爪跡があり、そこから出血すらしている。白い肌は紫になっており、拳ほどの大きさになっていた。
彼は苦虫を噛み潰したように眉を潜める。子供の顔、首や手など。あらゆる場所を見てみた。
幸いなことに、子供の体のどこにも血管が浮かび上がってはいない。両目もいつも通りだったため、感染はしていないねと告げた。
「殭屍化していないのを見るに、小猫は抗体を持っているんだうね」
「こう、たい?」
聞いたことがないと、小首を傾げる。
「私もそんなに知っているわけじゃないから、あれだけど……人間の中には、殭屍に噛まれても感染しない人もいるそうだよ。極僅からしいし、私も、それを見るのは初めてなんだ」
さすがは小猫だ。微笑みながら、そう口にする。けれど次の瞬間、笑みは真剣な面持ちに変わった。
「……とは云え、このままにしておくと傷が悪化して、膿んじゃう可能性はある」
右手の人差し指に黒い焔を纏わせる。
「多分今夜は熱が出ちゃうだろうけど、こればかりは我慢してとしか云えないんだ」
できることなら代わってあげたい。けれどそのようなことは不可能だと、深いため息をついた。
指に絡めた焔を強くし、子供の足に火の粉を落とす。
「……っ! い、痛い、痛い! 嫌だ!」
火傷というには生易しい激痛が、子供の全身を襲った。
彼は子供の涙に手を止めてしまう。ぐっと唇を噛みしめ、指の焔を消した。涙をポロポロと溢す子供の頬に触れ、肩をすくませる。
「ごめんね小猫、痛いよね? じゃあ止め……」
「止めるでない!」
華 閻李にどこまでも甘い彼の背後から、低い声がした。
振り向けばそこには返り血を浴びた爛 春犂がいる。彼は険しい表情で、自身の漢服の袖を破いた。そしてそれを子供の口に咥えさせ、腰を曲げる。
子供の優しく抱きしめ、諭すように背中や頭を撫でていった。
「全 思風殿、閻李を大切に思うのならば、ときには心を鬼にせねばならん」
甘やかすだけが優しさではない。そう、言い切った。
「…………っ!」
心苦しさを唇に乗せ、彼は焔の輝きを強めていく。そして……
「ごめんね小猫、でもこれは浄化するために必要な事だから」
子供に嫌われたっていい。大切な子の命を護るためなからばと、ひたすら謝り続けた──
□ □ □ ■ ■ ■
焔で子供の足を浄化し、少年自身が落ち着きを取り戻した頃には、夜になっていた。
どっぷりと浸かる宵闇の下で熱にうなされる少年、華 閻李は夢を見ていた。
豪華な抽屉柜や机など。庶民では手が届かないような美しい装飾品が揃った部屋がある。そこには大きな床もあった。
けれど部屋の奥には不釣り合いなほどにボロボロの鏡が一枚、静かに置かれている。その鏡に映るのは美しい長い髪を持つ女性だった。
「…………」
女性は物言わぬまま、鏡を見つめている。美しい顔立ちではないものの、優しい瞳をしていた。
ふと、扉をたたく音がする。
「蘇妲己様、準備が整いましたか?」
「あ、は、はい!」
声に誘われるように、女性は部屋の外へと出ていった。
残された鏡は彼女の背中を映す。
しかし……そんな鏡の奥深くから、全身が黄金の毛で覆われた獣の姿が映しだされた。




