狙われた子供
死者の魂を蹂躙し、従える。それが冥界の王である、全 思風がなさねばならぬことであった。けれど彼はそれを選ぶどころか、放棄しているもよう。
人間たちの暮らす世界とは真逆で、光すら当たらぬ暗き國。じめじめとした空気を常に纏い、そこに住まう何かしらが、彼へ媚を売る。
冥界とは、そんな場所だった。
──あそこにいる者たちは私自身などではなく、王としての地位しか見ていない。欲しいのならくれてやる。そう謂っても、誰も私を倒そうとしない。挑戦すらしてこないんだ。
そんな場所に未練などありはしない。あるのは、つまらない日々だけだった。けれど……
「──私のそんな日々を変えてくれのは、あの子だ。だから私は、あの子を護るためなら……」
悪魔にでもなろう。
低く、凪がざわつくような響きで、目の前にいる者たちへと忠告する。剣の切っ先を彼らへと向け、美しくも残酷な笑みを浮かべた。
軽く地を蹴り、一番近いところにいる第三級らしき殭屍の首を跳ねる。
「私の小猫を狙うというのならば、容赦はしない」
後悔しろと、片足で地を踏んだ。
□ □ □ ■ ■ ■
「──思さんたち、大丈夫かな?」
荷車の中で待つのは儚い見目の少年、華 閻李である。
子供は頭に蝙蝠、襟の中に青い蛇こと青龍を。仔猫のような姿をした白虎を抱きしめ、荷車の隅に身をよせていた。
震えてはいない。けれど外で何が起きているのか。それがわからないため、落ち着くことができなかった。そわそわとしながら窓から顔をのぞかせ、再び隠れる。それを何度も繰り返していた。
そんなとき、荷車の扉が勢いよく開く。
「閻李、無事か!?」
開けたのは子供が尊敬する男、爛 春犂だった。
華 閻李は彼の姿を目にした瞬間、緊張を抜く。不安げになっていた眉は元に戻り、笑顔すら浮かべていた。
「先生!」
安心感から腰を上げる。とてとてと、かわいらしい姿で彼へとよっていった。動物たちにまみれながら微笑む。
「……無事なようだな」
安堵の呼吸が零れたのを見、子供は小首を傾げた。
「えっと。はい。無事ですけ、ど……わっ!」
突然、彼に肩を掴まれる。見上げれば、先生と慕う男の表情から焦りを感じた。
いったいどうしたのかと尋ねると、彼は云いにくそうに口ごもってしまう。
「……よく、聞きなさい。外にいるのは殭屍だ。しかも、ただの殭屍ではない。どうやらやつらは第三級と呼ばれる、非常に強力な存在らしい」
一気に、まくし立てるように口述した。
けれど子供は階級などわかるはずもなかったので、両目を瞬きさせることしかできない。
「私も、先ほど知ったばかりなのだが……」
全思風に教えられことを、一通り話してくれた。
「……殭屍に階級があったなんて。僕、初めて知りました。だけど、考えてみれば納得いくかもです」
今までの殭屍はもちろん、今外にいる者たちのこと。
特に後者に関しては窓からのぞいて見た限りでは、普通とは異なる部分が多かった。それは見た目……特に肌の色が、どの殭屍とも違う。これが決め手となり、子供の中では合点がいったようである。
長いまつ毛をパチパチさせ、大きな瞳で窓の外に視線を走らせた。
「でも、わからないんですよね」
顎に手を当てて、うーんと考えこむ。美しく輝く銀の髪をさらりと揺らし、白虎を強く抱きしめた。
「どうして、ここに現れたんでしょう?」
子供にとって、今の状況はわからないことだらけである。突然現れた殭屍はもちろん、このような状態になってしまった理由すらも、預かり知らぬことであった。
「……やはりお前は、何も知らないのだな?」
「え?」
「いや、何でもない」
爛 春犂はどうしたものかと、眉間にシワをよせる。それでも話さねばならないことだからと、重たい腰をあげて語ろうと口を開いた──瞬間、荷車が大きく上下に揺れた。
彼が素早く子供の肩を抱き、転倒を防ぐ。けれど揺れは収まる気配がなかった。むしろ大きくなっていき、しまいには左右にすら振動していく。
「……これはっ!」
子供をしっかりと抱きよせ、彼は外へと飛び出した。瞬刻、荷車が真っ二つ割れてしまう。荷台をひいていた馬は驚き、ひとしきり暴れた後に逃げてしまった。
ふたりは馬が消え去る瞬間まで、何もできずにいた。
「閻李、怪我はないか!?」
「あ、はい。でも……」
いったい何があったというのか。子供は脳をこんがらがらせながら、ほうけてしまう。
──いったい何があったの? それに、先生の慌てよう。尋常じゃないよ。
震える体を無理やり起こした。足がガクガクとなり、立っているのも難しい。それでも確かめたい気持ちが強くなり、意地でも足を動かした。
転瞬、辺りの地面がボコッと盛り上がっていく。土だというのに水のように沼り、ドロドロだ。
爛 春犂が急いで子供の腕を掴む。そしてこの場から引き剥がそうと引っぱった。
「先……うわっ!」
彼の方が一足遅かったようで、子供は足を地に取られて転倒してしまう。けれどよく見てみれば、子供の足首には何かがくっついていた。
「え!? ……手!?」
ひっと、小さな悲鳴を漏れる。
そう。子供の足を掴んでいたのは、土の中から出てくるものとしてはあり得ない代物だったのだ。人の手のように指は五本ある。けれど肌は草のような緑色だ。それでも、人間のような姿形ではあった。
それが何なのか考える暇もなく、地面から次々と出てくる。なかには、器用に指先を動かしているものもいた。
それらは少しずつ、地から這い上がっていく。やがて数体のものたちが首から上を見せていった。
黒目のない、白い瞳。青白い血管を顔全体に浮かび上がらせ、鼻を塞ぎたくなるほどに臭い息を吐く。涎を垂らすものもいた。
「き、殭屍!? ……っ痛!」
掴まれた足首に、化け物の爪が食いこむ。
子供が激痛に眉をひそめても、涙を溜めても、彼らは動じることはなかった。
「先生! 助け……っ!?」
側にいる男へと手を伸ばす。しかし彼は、いつの間にか多くの殭屍に囲まれてしまっていた。子供が助けを求める声をあげても、華 閻李に近づくことすら困難になっている。
「閻李! ええい! 貴様ら、退かぬか!」
斬っても、術で応戦しても、土の中から次から次へとやってきた。八方塞がりな状態であるため、子供を助けに行くことすら叶わないようである。
そんな状態の爛 春犂に助けを求めることなどできないと知り、子供は伸ばした手を引っこめた。
──駄目だ。先生だって囲まれてる。ここで僕を助けようものなら、先生がもっと危なくなる。そんなのは駄目だ。だったら……
自分でどうにかするしかない。そう考え、急いで術で花を具現化させた。その花を長い筒──烏銃──へと変える。銃の引き金に指を乗せ、足を掴んでいる殭屍へと向けた。
けれど……
「うわっ!」
殭屍の動きは想像を超えるほどに素早い。子供が引き金をひく前に、子供の足を地中へと引きずり始めたのだ。当然、腕力のない子供はいいように引っぱられていく。
「……や、だぁ」
全身を震わせた。抵抗も虚しく、地へと引きずられていく。
もう駄目だ。
子供は死を直感したように、抵抗すら放棄してしまう。両目を瞑り、柔らかな頬に雫を流した。
『るるるるる!』
そのときである。子供の襟あたりが、不思議なほどに温かくなっていった。
同時に妙にかん高い、変わった鳴き声が耳に届く。子供は何かと、襟を見下ろした。するとそこには……
『るるる! るーー!』
蒼い光を放つ、青龍がいた。




