階級
須臾
一瞬
殭屍が走る。
そんな状況を見て、全 思風は眉を曲げた。腰を上げて腰にかけてある剣の柄へと触れる。
「……あいつらが走るなんて、前代未聞だな」
ほくそ笑みながら荷台から飛び降りた。馬をひくために前にいる瑛 劉偉に目配せし、互いに頷く。
瑛 劉偉は馬を落ち着かせると、急いで彼の隣に立った。袖の中から札を取りだし、走ってくる殭屍たちへと投げつける。
札は、次々と殭屍たちの額に貼りついていった。
「これで安心……っ何!?」
ホッとしたのも束の間、額に貼られた札は次々と落とされていく。それも化け物自らが手を伸ばし、剥がしていたのだ。
なぜそんなことができるのか。ふたりは驚き、眉間にシワをよせた。それでも経験豊富な彼らは怯むことなく、それぞれが行動を開始する。
「……嫌な予感しかしないけど。排除はさせてもらうよ」
全 思風の声がその場を駆け巡った。
地を蹴りながら腰にある剣を抜く。磨かれた鏡のように彼の姿を映す鋼は容赦なく、眼前の者たちを斬り刻んでいった。
手首を軽くひねり、剣で下から上へ。空を裂いていった。そのときに出た風圧が後方にいる殭屍たちにまで及び、化け物たちを吹き飛ばす。
咄嗟に黒い焔で階段を作った。宙へと放置した殭屍たち目がけ、剣を振り下ろしては、血飛沫の花を咲かす。
けれど彼には血の一滴とて、かかることがなかった。
「…………」
一通り終わると、肩にかかる三つ編みを鬱陶しそうに背中へと退ける。
そして地上を見下ろし、協力者とも云える男を見張った。
瑛 劉偉は攻撃というよりも防御、動きを封じるといった補助に近いやり方をしている。けれど札を額に貼って動きを止めるという行為が無駄とわかると、即座に戦法を切り替えていた。
札をしまい、代わりに愛剣を手にする。鞘から抜いた瞬間、疾風か現れた。すると化け物たちの手足が※須臾のうちに、ゴトリと音をたてて落ちていく。
全身に返り血を浴びながらも、殭屍たちを絶命させていった。
その姿は全 思風のようにとはいかないまでも、かなりの強者のよう。
凛とした佇まいからはじまり、ピンと伸びた背筋。どんな状況であっても怯えることのない精神は、歴然の戦士をも霞ませるほどだ。
「やっぱりあんた、強いよね?」
それを上空から見ていた彼は、口笛を吹きながら戻ってくる。剣をふって、ついた血を飛ばした。剣を鞘にしまい、共闘する男を褒める。
「いや。全 思風殿ほどではない」
返り血を浴びずにいることなど無理だと、首を左右にふった。
「……ふーん? まあいいや。それよりも爛 春犂……じゃなかった。瑛 劉偉、気は抜かない事だね。気配はまだあるからさ」
「ああ、名前の事なのだが……ここは公の場ではないゆえ、私の事は今まで通り、爛 春犂で構わぬよ」
呼び名を変えるのが面倒なのだろうと問われてしまった。
全 思風の心が見透かされてしまう。けれど両目を見開いてから微笑し「じゃあ、そうさせてもらうよ」と、呼び名を戻した。
「改めて云うけど。爛 春犂、殭屍の気配は消えていない。むしろ、濃くなっている」
空を指差す。
彼らがいる場所の上空は厚い灰雲に覆われてしまっていた。けれどすぐ近くの空は太陽の光が眩しいほどに明るい。
「この辺一帯というより、私たちがいる場所だけが暗くなってるんだろうね。その証拠に、ほら」
今度は真正面を指し示した。
瞬間、前方から殭屍が姿を見せる。それは一体や二体ではない。何百、何千と、数えきれないほどの群れをなしていた。
「……っ!?」
瑛 劉偉ならぬ爛 春犂は、先ほどまでの余裕など消えてしまっている。冷静さを保ってはいるようだが、額に汗が滲んでいるのが見てとれた。
それを確認した彼は意地悪そうに口元を歪ませる。爛 春犂より前に踊り出て、右手に黒い焔を宿らせた。
「ここは私がやっておくよ。あんたは小猫のところに行って、あの子を守ってあげて。それに……よーく、聞いてみなよ」
振り向き、己の耳をちょんちょんとする。
「……?」
爛 春犂は云われるがまま、耳をすました。すると……
『鍵、鍵、子供──』
もの云わぬはずの殭屍たちが、とある人物を指して口々に呟いていたのだ。
これには爛 春犂ですら冷や汗をかいてしまう。末恐ろしささえ覚えたようで、言葉を失っていた。
「最初は気づかなかったけど。ここには第三級か、もしくはそれ以上のやつがいる可能性が高い」
驚くあまりに声を出すことを忘れている男に、彼は淡々と教える。
「第三級? 何の事か?」
爛 春犂がようやっと出せた一声は、殭屍が謳うように口ずさむ音によってかき消えた。
全 思風はため息をつき、踵を返す。
「あいつらには階級があってね。第一級は、よく目にするやつらだね。血晶石を埋めこまれた人間が、よくなるやつかな?」
指先に集めた黒い焔を殭屍へと放った。化け物たちはその焔に焼かれ、塵となっていく。
けれど数十体ほどは焔を受けても平然としていた。むしろ喜ぶかのように、黒い焔を浴びている。
それを目の当たりににした爛 春犂は目を見開き、全 思風は舌打ちをした。
「第二階級は腐敗しない。妖力すら、溜め始めるんだ。当然、第一級よりは強くなるよ」
それでも修練を積んだ者ならば、問題なく倒せると伝える。
「問題はその上……第三級ぐらいからが、厄介なんだ。第二級までは肌の色は、何とか人間らしさを保つ事ができる。だけど第三級になると……」
ほらと、ある殭屍に視線をやった。彼が見つめた先には肌色の者など、ひとりもいはしない。いるのは草のように緑に染められた肌をした、不気味な何かだった。
その不気味な何かは口々に『鍵、奪え。子供、手に入れろ』と、呪文のように連呼している。
「あいつらは知性が戻りつつある。個体にもよるけど、生前の記憶の一部が戻っていたりもするんだ」
──正直な話、第三級なんて雑魚なんだよね。厄介なのは第五級ぐらいからだ。あそこまで到達すると、陽の光を恐れなくなる。簡単にひねり潰せはするけど……
そういう問題ではないのだ。
彼にとって、階級云々は二の次。一番重要なのは殭屍が何を狙っているのか。これだった。
「ともかくさ。私が闘ってる最中に、やつらが隙をついて小猫の元に行く可能性がある。そうなってしまってからでは遅い」
云っている意味がわかるだろうと、目に圧をこめる。
爛 春犂は、ぐっと拳を握った。焔に歠まれてもなおも動く殭屍を見、続いて荷車へと視線を走らせる。
化け物たちが求めている子供は荷台の中にいるようで、出てくる気配はなかった。
「……心得た」
瞳をきつくしめ、荷車へ向かって走り出す。
全 思風は男を眺め終えると、殭屍たちへと向き直った。
黒い焔を全身に纏わせ、片口を上げる。
「本当はお前らなんて、一瞬で消せるんだ。でも……」
瞳を朱く滾らせた。不敵よりも残酷な笑みを浮かべ、焔の勢いを強くする。
「小猫を狙った事だけは許さない。お前たち全員……」
前髪をかき上げた。鋭く、絶対零度の声が轟く。
普通の殭屍よりも強いであろう第三級の化け物たちは、彼の気迫に恐怖していった。それでも彼は怒りを収めることをしない。
「死ねよ──」
表情をなくした冥王としての口が、ひやりと動いた。




