久々にのんびりと
るるるっと、かわいらしい鳴き声を喉から出すのは青い蛇だ。後ろには、白い毛並みに横縞模様の仔猫がいる。
仔猫はぐったりとしており、鳴き声はとても弱々しかった。
『……るるるっ!』
青い蛇は口を開き、長い舌を見せる。獣らしい瞳孔で真正面を凝視した。ギロリと、鋭い眼差しが向かうのは二匹の獣である。
一匹は亀のような甲羅を背中にしょっている、尻尾が蛇になっている生き物だ。
その隣にいるのは深紅の翼をはためかせた、美しい鳥である。
『るる!』
そんな二匹に、青い蛇が怒っているかのように舌を伸ばした。瞬間、鳥が亀の甲羅を足で掴み、どこかへと飛び差ってしまう。
取り残された仔猫と青い蛇は、無言で二匹が消えていった先を見つめた。
仔猫が傷を負いながらも必死に起き上がろうとすると、青い蛇は慌てて止めようとする。そんな彼らの目には大粒の涙が溜まっていた。次第に仔猫の方が我慢できなくなり、にゃあにゃあ鳴いてしまう。
青い蛇はおろおろと、子供をあやそうと必死だ。けれど仔猫は鳴き止むことはない。
青い蛇は自慢の身体の色が霞むほどに、顔色を悪くしていった──
† † † †
ホーホーと、どこからか梟の鳴き声がする。鳴き声に反応するかのように、華 閻李の瞼がピクリと動いた。
その動きにいち早く気づいた全 思風は、そっと子供の顔をのぞく。
「──小猫、目が覚めたのかい?」
「……ふみゅう?」
寝ぼけたときに出る口癖のようなものとともに、子供はゆっくりと上半身を起こした。重たい瞼をこすり、小さなあくびをする。
少年の隣を陣取る彼は、寝ぼけ眼な子供の頬に触れた。ぷにぷにとしていて柔らかく、瑞々《みずみず》しい。けれど白い肌に少しばかりの顔色の悪さをつけているようだと、眉根をよせていた。
「小猫、よく眠れたかい?」
「…………」
彼の低い声に、少しずつ意識をハッキリとさせていく。眠たい目をこすり、両頬を軽くぺちぺちとした。
「……えっと」
名前も知らない。そんな大人が目の前にいるのだが、不思議と怖くはなかった。彼においでと手招きされれば、素直についていく。
寝ていた場所からすぐ側には、焚き火があった。バチバチと火花が音を鳴らしている。焚き火を囲うように、棒に刺された何匹かの魚があった。
「まずは食べて、体力回復させないとね?」
ほら小猫と、優しい声音で焼き魚を渡される。
子供はそれ受け取り、もっもっと食べ始めた。一本、また一本と、寝起きであっても胃袋が無限なのは健在のよう。焚き火を囲んでいた数本の焼き魚は、一瞬で消えてしまった。
「あ、相変わらず、胃袋無限大だね?」
はははと、彼は苦く笑う。
「……ね、ねえ。ここ、どこ?」
魚によってお腹が多少膨れ、心に余裕ができたよう。先ほどまで気にとめることができなかった、今の状態について問うた。
周囲には大きな木がたくさんある。伸び放題に生い茂る雑草、歩きにくそうな土など。獣道のようなものまであり、子供はきょとんとした。
「ああ、ここかい? ここは、町の近くにある山の中だよ。町は混乱している状態だからね。一旦ここに避難してきたんだ」
ふたりがいる焚き火よりも離れたところに、大きな岩がある。そこには黒 虎明がおり、腰かけながら大剣の刃を磨いていた。
男の横には青い漢服を着た、瑛 劉偉がいる。彼は札を確認しているようだ。
「……先生、それに獅夕趙までいるんだ」
「うん。彼らは皆、君を助けにここまでやってきたんだよ」
そう言う全 思風の眉は、哀しそうに曲がっている。
「えっと……あなたは?」
やはりと言うべきか。子供の中で、彼の存在は消えてしまっていた。なぜ彼だけなのか。それは子供も、全 思風ですらわからないことだった。
子供は申し訳なさそうにしょぼくれる。
けれど彼からは「大丈夫だよ」という、優しい言葉が返ってきた。
──この人のこの笑顔、見た事ある気がする。優しくて暖かい。それに、ずっと側にいてくれそうな……そんな笑顔だ。それなのに僕は……
どうして忘れてしまっているのだろう。
苦虫を噛み潰したように口を尖らせた。
そのとき、岩の上に座っていた男が立ち上がる。そしてふたりの元へとやってきて、華 閻李をじっと見下ろした。
「──少女よ。本当に、この男の事を忘れたのか?」
片膝を曲げて、子供の小さな手を取る。
男らしくゴツゴツとした指は全 思風と同じだった。けれど彼とは違い、ささくれだっていたり、肉刺や傷などがある。ある意味では全 思風よりも男らしい、太くて頼りになる手であった。
「こいつはずっとともにいて、少女を心の底から心配してくれていた男だ。少女が消えたときは、まるで別人のように気が狂ってしまっていた」
ここぞとばかりに全 思風を話題に出す。
子供へ語りかける声は真剣そのもの。けれど彼を見る瞳だけは笑っているようにも思えた。
「誰の制止も聞かず、ひとりで突っ走っていてな。それはそれは、止めるのに大変だったんだ」
話題の中心となっている彼を凝視すれば、顔を真っ赤にしている。あー、うー、など。語彙力というものはもちろん、知性すら感じない動揺っぷりだ。
「殭屍に襲われた方がまだマシと思えるほどに、この男は我を忘れていてな」
すぐ側で全 思風が耳を塞いでいる。わーわーと、他者の声が聞こえるのを防ぐかのように大声を出していた。
それでも黒 虎明は続けている。すると、どうしたことか。傍観者であった瑛 劉偉までもが参戦し、ここぞとばかりに彼が恥ずかしがるような言葉を並べていった。
華 閻李が鎖に捕まった直後、全 思風は暴走をしてしまう。子供が全てである彼にとって、側にいないというだけで敵味方関係なく薙ぎ倒してしまった。
理性をなくし、飼い主から離れた獣を止めることなど不可能に近い。
黒 虎明は腕を組みながら「我ながら、いい例えだ」と、頷いた。
瑛 劉偉も男の悪のりにつき合うかのように、うんうんと首を上下に動かす。
「……は、はあ。大変、だったんです、ね?」
子供は小首を傾げた。
珍しく意気投合しているふたり。そしてそんな彼らに遊ばれては、顔を隠して「穴があったら入りたい」を連呼する全 思風。
そんな大人たちを見て、子供は大人って大変なんだと、しみじみとした。
からかう様子のふたりを見かねた子供は、全 思風の手を握る。
彼は突然のことに顔をタコのように赤くした。耳の先までも真っ赤に染め、挙動不審に目を泳がせる。
「ごめんなさい。今は、何も思い出せないんだ。だけどきっと……絶対に、思い出してみせるから!」
儚げに笑んだ。
「小猫……うん。うん!」
ずっと待ってるからと、優しく微笑み返す。恐る恐るこの背中へと腕を回し、静かに包容した。
お互い、記憶がなくても大丈夫。そんな気持ちが、ふたりの間に芽生えていく。
しかしそんな空気を破る男がひとり、ここにいた。ふたりの信頼に口を挟むように、黒 虎明が待ったをかける。
「……はっ! 待て! よーく考えたら、今が狙い時ではないか!?」
大きな体に負けず劣らずな声で、華 閻李を見下ろした。
子供は大きな瞳を丸くさせ、かわいらしく瞬きする。
空気の読めない男は再び片膝をついた。その手には適当なところで摘んできたであろう、黄色い花がある。それを子供へと見せ、純粋な眼差しで告げた。
「少女よ。この俺と結婚をしてくれ」
いつぞやの再現をする。しかし男は本気のようで、子供を見る目が輝いていた。
けれど……
「……えっと、ごめんなさい。僕ね。男、なんだけど……」
「…………え?」
黒 虎明は固まってしまう。
瑛 劉偉は頭を抱え、やれやれとため息をついた。
告白をされた本人はごめんなさいと、何度も謝っている。
そんな山深い場所には、全 思風がお腹を抱えながら大笑いする声だけが響いていた。




