冥現の扉の鍵
瑛 劉偉と黒 虎明がふたりへと近づいてくる。大丈夫なのかと問いかけては、子供の寝顔を見て胸を撫で下ろしているようだ。
そんな彼らに応えるように、全 思風は軽く頷く。
「……体力を使い果たして、今は眠ってるだけだよ」
腕の中ですやすやと寝息をたてる少年に、優しい笑みを送った。汗のせいで額に貼りついた子供の前髪をそっと横に退かし、周囲を見渡す。
戦闘の跡が地面、建物などに残っていた。主に黒 虎明が暴れたのか……彼の持つ大剣で削った跡が多く見られる。
──何でこいつ、こんなに猪突猛進なんだ。
殭屍になっていた町の住人たちに哀れみすら覚えるような惨状となっていた。
肝心の住人たちは皆、人間の姿へと戻っている。なかには目覚めている者もおり、徐々に騒がしくなっていった。
このままここに留まれば、要らぬ質問攻めに合うのだろう。そう考え、彼は瑛 劉偉たちに場所を移そうと提案した。彼らも同じ考えだったようで、賛同している。
「……とりあえず、林の中に行こう」
彼の提案に、ふたりは頷いた。
瞬刻、瑛 劉偉が腰にぶら下げている八卦鏡に変化が現れる。鳴ることはないはずのそれからは、鈴の音のようなものが聞こえてきた。次第に大きくなり、八卦鏡の紐はブツッと切れてしまう。
「……これはっ!?」
地に落ちた八卦鏡が鳴り続けた。それに一番驚いたのは他でもない、持ち主の瑛 劉偉である。
八卦鏡を拾い、未だに鳴り止まぬそれを凝視した。カタカタと小刻みに揺れるそれは、次第に大きく振動する。すると八卦鏡に意志があるかのように、彼の手から離れてしまった。
ふよふと宙を浮遊し、とある者の前で止まる。
長く美しい銀の髪を持ち、少女と見間違うほどに端麗な顔立ちの子供、華 閻李の前だった。
八卦鏡は子供の胸のあたりで、くるくると回っている。やがてそれは音もなく、少年の体へと吸いこまれていった。
「そんな馬鹿な!? 八卦鏡が閻李と一体化した、だと!?」
八卦鏡の持ち主であもある瑛 劉偉は、信じられないといった様子である。
眠り続ける美しい子供を凝視し、全 思風の腕から取り上げようとした。しかし寸でのところで、その手を払い退けられてしまう。
「……お前、私の小猫に何をする気だ」
怒気しかない、咎める瞳で男を睨んだ。どういうつもりだと、黒い渦を全身に纏い、殺意ある低い声で問う。
「この子を傷つけるつもりなのか?」
「……違う。そのような事は、断じてない」
瑛 劉偉は彼が放つ闇の波動にも臆さなかった。首を左右にふり、そうではないと告げる。
「──冥現の扉の鍵」
威厳のある姿勢を保ったまま、偽りのない言葉を放った。
「私が腰にぶらさげていた八卦鏡は、あるものを探すためだけに造られた特別な物だ」
一見するとどこにでもある普通の八卦鏡。けれど製造方法や、使用されている部品など。あらゆるものが普通とは異なっていた。
なかでも特殊なのが、とある術をかけてあるということ。これは先の皇帝からの勅命であると同時に、殭屍の謎よりも優先しなければならないことだと口にした。
「私が持っていた八卦鏡には、あるものに反応する仕組みが施されていた。今まで反応しなかった事は不思議ではあるが……」
彼の言う通り、八卦鏡は何度も、華 閻李へと近よっていた。けれど一度も反応を示すことなく、今にいたる。
「しかしそれが反応したという事は、閻李こそが我々が探している存在となる」
冥現の扉なるものを開けるための、唯一の鍵。それが華 閻李なのだと説を講じた。
「扉の鍵は常に狙われる。その理由も、意味も、貴殿はわかっておるのだろう? 冥界の王よ──」
「…………」
全 思風は無言で腕の中にいる子供を見つめる。若干、汗ばんでいる肌の少年に、彼はそっと微笑みを落とした。
「……ともかく、ここでは人目につく。場所を変えよう」
彼は子供を抱えたまま、複雑な表情で踵を返す。
彼らは町から目と鼻の先にある林の中へと入り、休息できそうな場所を探す。しばらくして、黒 虎明が広場のような空間を見つけた。彼らはそこへと足を運ぶ。
全 思風は腕に抱えている子供を降ろし、起こさないように配慮しながら横に寝かせた。
瑛 劉偉は食材を求めに一旦町へ出向き、黒 虎明は野宿のために必要な枝を用意する。
残された全 思風は、眠る子供の隣に腰を落とした。
いつの間にか、白虎が子供の枕になっている。青い蛇のような存在は少年の額に貼りつくように、蝙蝠は子供に寄り添うかたちで眠っていた。
「……神獣が二匹、か」
美しい子供の頬にそっと触れる。熱があるのか、少しばかり火照っているようだ。汗ばんでもおり、息遣いは荒い。
──冥現の扉の鍵。それの側には自然と、神獣が集まりやすいと聞いたことがある。だから白虎、青龍すらも、この子の元に現れたんだろうなあ。
考えてみれば、いくつものヒントは記されていたのかもしれないなと、改めて思い直していった──
† † † †
──ここ、どこだろう?
明かりのない、暗闇だけの場所に、華 閻李は立っていた。
誰もいない、ひとりぼっちという孤独が襲う。寒さからくるのか、寂しさが原因なのか。それもわからないほどの冷えが、子供の体から体温を奪っていった。
吐く息は白く濁っている。
それでも進まなくてはいけない。そんな気がしてならなかった。両腕でギュッと体を包み、ゆっくりと歩く。
──まるで、猛吹雪の中を進んでるみたいだ。視界が……
どこを見ても、白い靄のようなものがかかっていた。かろうじて上下だけはわかるものの、前後の感覚が掴めない。
なぜ、こんなことになっているのか。少年はそれすらわからなかった。
「……僕、何でここにいるんだろう?」
記憶が曖昧かつ、朧気のよう。それでも、行く宛のないここをひたすらさ迷い続けた。
──そう、しなきゃって思ったから。いつも僕の隣にいて、優しくしてくれる◼️……あれ?
ふと、脳裏に一人の青年の姿が浮かぶ。長い黒髪で三つ編みの、美しい青年だ。けれど顔も、名前すらも思い出せない。
──知っているはずなのに。僕に強さと、決断する力をくれた人なのに。
何も思い出せないよと、立ち止まってしゃがむ。踞り、膝を抱えて泣きじゃくった。
苛立ちや哀しみから逃れられないとはわかってはいても、どうすることもできない。その苦しみが子供の心を削っていった。
嗚咽を溢し、大きな瞳からたくさんの水を流す。しょっぱさすらある涙を拭く余裕すらなかった。
そのとき、聴覚が一瞬だけ何かを捉える。顔をあげて全身をそちらへと向けた。
「……何?」
小首を傾げる。
そんな子供の瞳に映るのは、ボロ雑巾のように横たわる白い毛並みの獣である。すぐ側には青い蛇がおり、二匹して眼前にいる者たちを睨みつけていた。
──あれは……牡丹と、青い蛇さん? 何をそんなに睨んで……え!?
言葉を喪うほどの驚きが子供を襲う。
睨みを利かせた先にいたのは……
亀のような甲羅を持つ、尻尾が蛇になっている存在。そして、赤い鳥であった。




