再会~記憶と想い~
黒の横縞模様の猫は、その場にちょこんと座った。前肢をペロペロと舐め、長い尻尾をふりふりとしている。
全 思風はそれを見下ろしながら、向こう側にいる大切な子供へ想いを馳せた。
──この白虎、何がしたいのか。まったくわからない。言葉が通じないのも困りものだ。それよりも小猫だ。あの子の無事な姿を確認しなきゃ。
白虎を持ち上げ、ふさふさな毛を堪能する。数秒後に猫を下ろし、ひんやりとする壁に手を当てた。
「小猫。もしも近くにいたのなら下がっててくれないかい?」
「え? 何、するの?」
幼い声が響く。壁の向こう側からする子供の声に怯えが混じっているようで、震えているように聞こえた。
それでも彼は「大丈夫だから」と、ひたすらに口述し続ける。耳を済ませば微かだが、服が擦れるような音がした。
「……下がったかい?」
「う、うん」
優しく諭しながら腰にある剣を抜く。
──こういう場所で大きな音を立てれば、下手をすると天井ごと崩れるだろう。だけど壁を壊す以外の方法がない。だったら……
「そこに蝙蝠がいるよね? 小猫は、そいつに従ってくれればいいよ」
そう言うと、向こう側から「キュッ!」というかん高い鳴き声がした。
──きっと今、小猫は怯えているだろうな。それに耐えようと、無意識に蝙蝠を抱きしめているのだろう。ああ、それを想像しただけでも可愛い姿が浮かんできてしまう。
にやけそうになる顔を無理やり戻す。数歩下がり、銀色に光る剣に自身の力をこめた。みるみる内に剣の色は黒くなっていく。やかて鋼部分が全て漆黒に染まると、彼は剣ごと腕を上げた。
両目を血の色のように朱く変化させる。眼差しを強くし、一気に壁へと剣を振り下ろした。
瞬間、壁はみるも無残に崩壊する。衝撃波となった突風が、ふたりの間を隔てる壁をきれいなかたちで斬り刻んだ。ガラガラと、土煙が舞う。
彼は無言で剣を鞘に収め、煙を手で払っていった。ゆっくりと、静かに足音をたてながら奥へと進む。
「……っ!」
歩んだ先には薄暗く、それでいて淡く輝く赤い彼岸花が地を埋めつくしていた。花の側には地底湖があり、天井から滴る雫を受けとめている。
それを見つめ、地底湖を軽くのぞいた。
そこまで深くはないが、子供が入るには些か無理が生じよう。魚などが泳いでいないのを見るに、あまり生物には適さない湖なのだろうということが推測できた。透き通ってはいるが、生水ということを考えても飲めたものではないはずだと呟く。
しばらくすると興味が失せた様子で、地底湖から視線を外した。大切な子はどこかと、周囲を見渡す。そのとき、黒い羽を持つ蝙蝠が飛んできた。彼の袖に噛みついて引っぱる。
「お前は躑躅か」
ぐいぐいと引っぱられながら、赤い彼岸花の中を進んだ。数歩程度歩いたところに、少しだけ盛り上がった岩がある。
「小猫!」
岩に凭れかかるようにして、ぼーとしている美しい子供に駆けよった。
「小猫、よかった!」
すがるように子供へと抱きつく。子供の銀の髪が両腕に絡みつくが、それすらも嬉しのだと微笑んだ。
強く、優しく。
子供の細い体を護るように抱擁した。何度も心配したのだと繰り返しながら、強者の体を崩さずに瞳を緩ませる。
「……えっと」
待ち望んだ子供の声に、彼は抱きしめていた腕を離した。
子供の頬から始まり、顔全体。そして手足や体など。あらゆる箇所に傷がないかを確認していく。
「……うん。傷はないようだね。よかった」
子供が抵抗する素振りを見せないのをいいことに、ひたすら触っていった。
子供が何が何やらといったようで、きょとんとしている。大きな瞳を瞬きさせては、こてんと首を傾げた。その姿は実に愛らしく、栗鼠などの小動物を連想させていく。
──んん! か、かわいい!
ずっと触れたくて、目に入れておきたかった存在を前に、彼の理性は少しだけ吹き飛んでいった。けれどいつものようにとはいかず、ただ、苦く笑うだけに留める。
「さあ小猫、ここから出ようか。外に出て、日の光を浴びよう」
一本一本が糸のように細い髪を指に絡ませ、軽く額へ優しい口づけを落とす。
彼基準にはなるが、これが最低限歯止めを利かせた行動だった。
「……え? あ、はい。えっと、それよりもあなたは?」
流されるように話が進むなか、疑問を投げる。
ほうけたままに、誰なのかと目で訴えた。
彼はうっと言葉を詰まらせる。けれど……
「そう、だね。私は君のためだけに生きる者、かな?」
不思議そうに小首を傾げている華 閻李に、名を伝えようとはしなかった。ただ、ひとつ。君を愛しているだけの愚かな存在なのだと、瞳に哀しみと嬉しさを乗せて笑む。
「僕の、ために?」
「うん、そうだよ。私は君だけのために生きて、君の側にいる」
子供の額に、甘い吐息をかけた。
彼は子供を横抱きにし、優しい眼差しのままに洞窟の中を歩く。
子供の腕にはいつの間にか小さな蛇のような生き物がいた。それを抱きしめるようにする少年の姿は、とても愛らしい。頭の上には蝙蝠、足元には仔猫のような姿の白虎がいた。
──ああ、この動物たちなんか目じゃない。小猫の可愛さは、動物よりも凄い。だけど……
記憶の混濁か。今回の出来事が子供の精神に強い衝撃を与えてしまったのか、全 思風に関する事柄を全て忘れてしまっていた。
それは全 思風のことだけなのか。それとも、黄 沐阳たちまでもか。
判断するものがない今、問うことへの難しさを痛感した。
「だから安心して。もう、怖い思いはさせないから」
口には出さない僅かな欲望とととに、来た道を引き返していく。壊した壁を抜け、侵入した場所を目指した。途中でたくさんの鍾乳石に出くわすが、暗がりそのものは夜目が利く彼にとっては何の意味もない。
それを知らしめるように一度も転ばす、当たらずに、侵入口までたどり着いた。
「さあ小猫、そろそろ皆のところに戻ろうか」
「…………」
「どうしたんだい?」
あまり喋らない子供に、少しだけの不安を乗せた眉で語る。
彼の腕に横抱きにされた子供は「えっと」と、とても云いにくそうにしていた。彼が遠慮なく云っていいんだよと伝えると、静かに頷く。
「あ、あのね。……僕の爸爸と妈妈は? どこに、いるの?」
迎えにきてくれないのかなと、大きな瞳に期待を持った。
それを聞いた彼は一瞬だけ両目を大きく見開く。子供の額に暖かい口づけをし、微笑んだ。
「……君の両親は、もういないんだ」
ごめんねと、寂しそうに瞳を細める。子供は「……うん。そっか」とだけ呟き、眠りについた。
そんな少年を見下ろす彼の瞳は憂いている。今にも泣きだしそうなほどに、濡羽色の瞳は名前の通り濡れ始めていた。
子供を抱く両腕に力が入る。唇を噛みしめ、華 閻李の前髪をいじった。
「本当に、ごめんね。君の両親は……」
高い位置にある山のせいで、風が強い。ふたりの髪が強風ではためいた。
そんな風が吹き荒れるなか、彼の瞳はさらに憂いていく。気丈な性格とは思えないような雫が、彼の頬を伝った。
「私が殺してしまったんだ──」




