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婚約破棄オブザイヤー

婚約破棄オブザイヤー2022

作者: 真昼

 







「エントリーNo.1!婚約破棄された公爵令嬢がこんな国滅ぼしてやると魔神と契約したけれど王子が邪神の信奉者だったせいで怪物大戦争!!!」



 いあ!いあ!クトゥ●フ!と叫びながら眼鏡のイケメンが頭で黄金色の酒瓶をカチ割った。


 いいぞーいあいあ!と合いの手を入れながら、酒場に集まった老若男女国籍問わない人々は、また新しい酒を開ける。


 丁度エールが運ばれてきた若手役人は、呆然とその光景を眺めることしか出来なかった。






  ∮





 年末の役所は地獄である。


 はい仕事、押し付けられる仕事、何処かから回される仕事、全力で他人にブン投げたのに豪速球で戻ってくる仕事書類接待仕事。

 よぼよぼの神父すらキャソックを翻して教会から教会に全力シャトルランするこのご時世、エリートと呼ばれる王宮勤めの役人は地獄のように忙しい。

 はいここの税金の比率と計算間違ってるから最初から全部やり直しあっそういえばここはやっぱ仕様を変えたいんだよねあとここの手続き分からないからやり方変えてあーでもやっぱ変えなくていいやいやでももっと良くなんない?


 もうやだ僕帰る、ねこちゃんのおなかに帰る!と叫んで走り去った同僚(53才・伯爵家出身)の分の仕事も回されて、新卒四年目の役人(22歳・男爵家出身・戸籍課)は、遂に本日4本目の羽ペンをへし折った。


 備品壊さないで貰えますぅ?!と庶務課からブーイングを受け、許してやれ2徹目なんだ!とドス黒い目元の上司(5徹目)が叫び返す。

 先輩……!と目を潤ませる若手に、気にするなお前はまだまだ働けるもんな、とやけに澄んだ目で上司は笑った。






「つ、疲れた……もう嫌だ……退職届を書く以外の為に指一本動かせない………」


「おっと手が滑った。……ご苦労ユージン、早速お前に行って欲しいところがーーー」


「うぁぁぁぁもう嫌だ!かえる!いえにかえる!かえる、かえるんだぁ!」


「こらこら、職場(ここ)がお前の家だろう」


 空が琥珀に染まる夕暮れ、震える字で書かれた退職届を破り捨てながら、上司は面白いこと言うなぁと微笑んだ。声は朗らかだが目が笑っていない。


 今日はこれに行ったら終わりだからなーと渡されたのは、朱色の封蝋で閉じた封筒。明らかに高価そうな箔押しのそれを開くと、中に入っていたのは招待状だった。



【婚約破棄オブザイヤー2022開催のお知らせ】



「……なんですかこれ」


「見た通り招待状だ。ほら、カーネリオン家の婚約破棄、担当したのはお前だっただろう?今年うちの婚約破棄は地味だったからなぁ、あれが一番ヤバい案件だった。顔出して来い」


「ヤバい案件」


 婚約破棄オブザイヤー。

 意味の分からない言葉に若手役人は首を傾げるが、確かにベリツフ伯爵家とカーネリオン子爵家の婚約破棄には覚えがあるし、ベリツフ伯爵家はクソだった。



 ーーー今や婚約破棄は世界の流行であり、一世を風靡するトレンドだ。

 今までに行われてきた婚約破棄は11500件を超え、昨日だって70件の婚約破棄の進展が報告されたと世界のデータバンクであるショウセ・ツ・ケンサクが教えてくれる(2022.12.25現在)。


 2つの家の婚約破棄もそんなありふれたもので、若手役人にとっては4年目にして初めて担当になる案件だった。

 婚約破棄された側であるカーネリオン子爵家のリュシカはヘーゼルの髪の18歳の少女で、手続きの為に初めて顔を合わせた時、ぽろぽろとデスクに涙を零しながら、サインをする手を震わせていた。

 薄っぺらな書類はベリツフ伯爵家とカーネリオン子爵家は合意の上で婚約解消する、従ってベリツフ伯爵家には一切の非はないと認めさせるもので、あらかじめ役人に渡された資料からすれば、ベリツフ伯爵家に押し付けられたということは一目瞭然だった。


 お互いが12歳の時にリュシカとベリツフ子息は婚約したが、当初から身分の低い彼女を子息は見下し、頻繁に周囲に愚痴を漏らしていたらしい。

 役人も数年前に通っていた貴族の学園に入るとそれはより顕著になり、子息は色々な少女達と、堂々と浮気をするようになった。ついに学園の卒業式でブロンドの美少女を傍に置いてリュシカに散々暴言を吐いた後、彼は婚約破棄を告げる。

 子息は一人息子で、いずれは伯爵家を継ぐ身だ。彼の両親は息子の不義理を責めるどころか、子爵家に圧力を掛けることを選んだ。



 良くある話なのだろう。伯爵家の息子が学園で火遊びを覚えて、貞淑な婚約者より愛嬌のある少女を選ぶのは。

 息子が可愛い高位の家が、身分が下の婚約者の家を黙らせて、息子の我儘を叶えようとするのも。


 その為に何も悪くないこの少女が傷物になって、誰かに後ろ指を指されなければいけなくなっても仕方のないこと。

 きっと何処かでも起こっている話で、ありふれた話で。役人の仕事は、このサインされた書類を然るべき所に渡して終わりな筈だ。



 それでも、ハンカチすら持たずに1人で涙を零す少女を見て、役人はなにか出来ないかと思ってしまった。


「……貴女が泣いている理由が、婚約者だった方に裏切られたからか、これからへの不安からかは分かりません。俺にベリツフ伯爵家を動かす力もありません。………けれど貴女が不幸にならない為に、どうすれば良いかを一緒に考えることは出来ます」


 変な事を口走ってしまった、と思ったのは少女の瞳が見開かれたあとで、けれど彼女が泣き腫らした若草色の瞳で役人を見たから、彼はサインされた書類を入れる筈だった封筒を、鞄に閉まった。



 それからは大変だった。

 彼女の話を聞いて子息のクズさに慄きながらはいスリーアウト!と叫んだり、リュシカの両親にこれこれこういう法律があってこの手続きをすれば法廷で争えますよと教えたり。


 リュシカもカーネリオン子爵家もクズ子息との婚姻は望まなかったから、争点はベリツフ伯爵家からの謝罪と慰謝料の有無になった。子爵家は金銭に困っている訳では無かったけれど、これからリュシカが前を向いて歩いていくためには、彼女に非がないという証明は絶対に必要だ。


 思いのほか財政が火の車だったベリツフ伯爵家が慰謝料やだやだ払いたくないうんぬんかんぬんコケコッコーと騒いだり、伯爵家子息がなんか今の彼女我儘だった……高価なプレゼントとか要求してくる……やっぱ結婚するなら従順な方が良いわ復縁しようぜと抜かしたりしたが、役人は怒りに羽ペンをへし折りながら、カーネリオン子爵家とリュシカには誠実に対応した。


 一役人にしては踏み込みすぎという自覚はあったが、伯爵家のモンスターぶりや後半伯爵子息がほぼストーカーになっていたこと、最初は自分を責める事が多かったリュシカが段々と笑顔を取り戻す姿を見ると、少しでも力になりたいと思ってしまったのだ。

 今目の前にいる5徹上司や猫狂いの同僚も当時は余裕があったから、助言をくれたり本当に忙しい時は一部の仕事を代わってくれたりした。

 裁判は半年掛かったがとうとう法廷でリュシカは全く悪くないと判断されて、要求した謝罪と慰謝料、両方が認められた。

 それが、2ヶ月前の話だ。



 少し昔に想いを馳せながら、若手役人は厚紙の裏を見る。金刷りで書かれた日付は今日、時間はわずか30分後な事に目を剥いた。


「いや間に合いませんよねこれ?!」


「安心しろ、会場はこの国の城下だから15分もあれば着く。お前なら大丈夫だと思うが、VIPも多いからよろしくな。あと1次会は21時までだが、その頃ーーーぐぅ」


 限界だったらしい上司が、遂に夢の国に旅立った。VIP?その頃?と疑問は多かったが悲しきかな社畜精神、床に転がる上司を置いて、役人は寒空の下、招待状に書かれている酒場に向かうことにした。





 眩しい店内に入ると、一気に暖気が身を包む。

 数年前にコーヒー・ハウスを改装して建てられたこの酒場は格調高く清潔感もあったが、エールやワインなどの酒やつまみの良い匂い、多くの人の騒がしさで充満していた。


「おっ、これで招待客は最後か?アンタ、エールで良いか?それとも飲めないたち?」


「エールで。……あの、貴方はもしかして、ファンバティ王国のーーー」


「おう兄ちゃん、エール一つ追加!ん?あぁ、ここで身分を気にする必要はねぇだろ。無礼講ってやつだ。座れ座れ!」


 いやんな訳ないが???????と若手役人は戦慄した。

 だって目の前にいる精悍な筋肉質の大男は、隣国ファンバティ王国の騎士団長だった筈だ。



 辺りを見回すと、流石に未成年は居なさそうだが、狭くない酒場を埋める人、人、人。

 しかも新聞で見るような有名人が、適当な卓に座って思い思いに酒を煽っていた。


 目の前にいる騎士団長以外にも、海の向こうの国の神官長とか世界有数の大国の国王様とか誰かは知らないけどむっっっちゃ高価そうな正装を着た後光の差してる高貴そうな方とか頭から角が生えてる魔族っぽい人とかなんか……なんか………何…………?って感じの宇宙人?みたいな沢山触手の生えた人?みたいな存在が、人種も国籍も宗教も関係なく、翻訳魔法で雑談や、様々な料理を楽しんでいたのである。




「………なんですかこれ」


「ん?お前も招待状持ってるだろ。婚約破棄オブザイヤー2022だ」


「あら、もう時間!皆集まったし、そろそろ始めましょうか。では今年幹事を務めますわたくしから開会の挨拶!今年も皆さん頑張りました、それではアーカムヘル王国、宰相のフリードリヒさんからどうぞ〜〜〜!」


 若手役人の困惑に気付かず、妙齢の美女ーーー数ヶ月前新聞で絵姿を見た、たしか魔法大国の女王陛下が、前に出て大ジョッキのエール片手に短すぎる挨拶を告げた。


 呼ばれて、眼鏡のイケメン―――多分アーカムヘルの宰相が、女王の隣に立ち、胸を張って口を開いた。

「エントリーNo.1!婚約破棄された公爵令嬢がこんな国滅ぼしてやると魔神と契約したけれど王子が邪神の信奉者だったせいで怪物大戦争!!!」


 いあいあー!と\\ドッ//っと場が盛り上がる。


「はいはーい!それでどうなったんですかー?!」


「今も戦争中です。国民は信者になるか魔神と契約するかの2択ですね、まあ大いなるク●ゥルフの信者たる我らが勝つに決まっていますが」


 正しい者が正義です、と焦点の合っていない目で語る宰相からは、僅かに潮の香りがした。


「やだー絶対しばらくはアーカムヘルに行きたくなーい!ありがとうございました、次の発表者の方、いますかー?!」


「はい!名探偵ホムホムの助手をしています、ワトリーと言います!私の国では婚約破棄された侯爵令嬢さんが王太子殿下を殺害して国から逃げたんですけど、王太子殿下には全く顔が同じ影武者の方が6人いらっしゃって、しかも影武者さんが殺されたふりをして公爵令嬢様と国を出た可能性もあるので誰が殺されて誰がいなくなったのか分からなくなっちゃいました!」


 次に前に出たのは長い裾のコートの少女で、えぇー?!と楽しそうに人々は驚きの声を上げる。


「おんなじ顔の王子様が7人いたって事ですか?」


「みたいです!失踪したり顔が潰れた死体が出たり死体作成の魔術痕が大量に見つかったりで、もう残り3人になっちゃいました!」


「名探偵ホムホムは謎を解けそうですか?」


「分かんないです!」


 \\\\ドッ////


 おんなじ顔なら顔潰す意味あるか?と役人の隣に座る騎士団長が首を傾げる。

 盛り上がる周囲とは裏腹に、ようやく状況を飲み込めた役人は、ぎこちなく騎士団長に問いかけた。


「あの……婚約破棄オブザイヤーってもしかして、世界中で今年起きた婚約破棄のうち、衝撃的なものを発表する会、とか……ですか?」


「そうだぞ?」


 炙られたゲソを齧りながら、騎士団長は答えた。遠くのテーブルでエントリーNo.1だったイケメン宰相が同じく頼んだゲソを拝んでいるのは見ないふりをしよう、だってあっちのゲソなんか緑だし動いている。


 慄く役人を置いて、女王の司会は続く。


「ホムホムとワトリーの活躍に乞うご期待、ですね!それでは次の方、お願いしまーす。ええと、カリッヒ王国王弟のベルナレフさーん!」


「俺か。さっきの2人の後はやりづらいな……。うちの国で婚約破棄されたのは公爵令嬢だったんだが、その後王太子を誘拐したんだ。今も2人は行方不明。うーん、やっぱり地味か?」


 いや無茶苦茶大事件では????と役人は震えた。もはや常識が分からない。もう駄目だこの世界。


「あらあら大変!どうして王太子様は公爵令嬢さんに婚約破棄をしたんですか?不仲だったとか?」


「いや?むしろ仲は良好に見えた。公爵令嬢の家は厳しくて有名でな、けれどアルベリヒ……王太子が上手く息抜きをさせて、側から見てもお似合いの2人だったよ。婚約破棄は3ヶ月前、王太子が誘拐されたのは2ヶ月半前。今も捜索は続けているが、手掛かりは全くない。諦める気はさらさら無いが、正直お手上げだ」


 肩をすくめる背の高い男性に、恐らく世界最高の魔術師でもある女王は、水晶玉を掲げた。


「では、わたくしが遠隔魔法を使って王太子殿下が何処にいるか覗いてみましょう!丁度叔父にあたるベルナレフさんがいますからね、血縁を辿ってアルベリヒ王太子の視界を共有してっと……この水晶から壁に投影して………。あら?」


 それは、ベッドを見下ろすアングルだった。

 水晶に映し出されたのは豪華な絨毯の端と、質の良いシーツに横たわる美しい女性。

 ラベンダーの髪をした、少女と大人の合間のような彼女は真紅のドレスを着ているものの、はだけて見える白い皮膚にはびっしりと鬱血痕や歯型が付いている。細い両手首には手錠が掛かり、ベッドの柵に繋がっていた。

 何千何万と喰まれたかのように唇はぽってりと腫れ、ドレスが似合う紅い瞳はぼんやりと伏せられて、腰を掴む男の手にも抵抗ひとつしない。


 腰から下は見えないが、唐突に見せられた衝撃的すぎる光景に誰かが驚きの声を漏らした。ネルラス、と目を見開いた王弟が呟いた所を見ると、彼女こそ王太子を誘拐した筈の公爵令嬢なのだろう。


 不意に、彼女に触れていた大きな手が、動きを止めた。王太子の視界に彼自身の傷ひとつない掌が迫ってーーー映像が、止まった。


「……切られましたね。分からないよう魔術を使っていたのですが、すぐに気付くとは素晴らしい。うちの国に欲しい位。……誘拐したのは公爵令嬢ではなかったという事でしょうか」


 先ほどまでの明るい笑みを消して、女王は王弟を見る。思考を巡らせる瞳は、最高の魔術師としての姿だった。


「……いや、攫う前の呼び出しの手紙など、確かな証拠は揃っている。ただ、昔からネルラスはアルベリヒに依存している所があった。それこそ、捨てられるくらいなら攫って閉じ込めてしまえと考える程に。そして多分アルベリヒはその依存を、心から歓迎していた。……ああクソ、やっと得心が行った。多分俺の甥はネルラスが思い詰め、何もかも捨ててあいつを求めるのを望んでいた。そこまで追い詰める為に婚約破棄をしたんだ。そうして思い通り国や公爵家も捨てたネルラスを、国や玉座に煩わされる事のない場所に閉じ込めている」


 苦虫を100匹噛み潰した顔をして、王弟が呟いた。甥は昔からとんでもなく優秀だったが、玉座にも、権力にも興味がなかった。巧妙に隠していたけれど、あいつが意識を向けるのはネルラスだけだったんだよ。

 共依存、という単語が、多分全員の頭に浮かんでいた。大きな溜息をひとつ吐いたあと、王弟は言葉を続けた。


「アグラレス女王陛下、アルベリヒの居場所は分かるか?それと、今の映像を法の場で証拠として機能する形にまとめる事は」


「両方可能です。しかし居場所の方は既にバレていると王太子も理解しているはず。今転移魔法を使った所で既にもぬけの空か、最悪魔法に干渉され、着地点の座標をずらされて飛んだ人間がバラバラになります」


 ブツ切りですね、と女王は近くのテーブルに並べられた焼き鳥の串を、軽く振りながら答えた。


「甥はそんな事はしない、と言い切れないのも最悪だ。……すまないが、俺はここで中座させて貰う」


「その方が良いでしょう、映像はこちらを。……魔術師として、出来ることがあれば協力しますよ」


「感謝する。……可愛い甥と、姪みたいに思っていた嬢ちゃんだ。どうにかするさ」


 女王は掌に乗る位の、刻印付きの水晶玉を王弟に手渡した。感謝を告げた彼は軽く酒場の面々に会釈した後、扉に向かう。


 言葉を発さなかった周囲はやっと賑やかさを取り戻して、思い思いに王弟に激励の言葉を掛ける。



「カリッヒ国王の子は王子ひとりだったか。ありゃ、あの王弟が次期王になるな」


 枝豆をつまみ始めた騎士団長が、頑張れよーと王弟に手を振りながら役人に話しかけた。


「え?でもまだ決まった訳じゃ」


「そういうもんだ。いくら優れていようが望まない奴に王冠を押しつけるのは、民の為にならん」


 言い切る壮年の男に、長年騎士団長を務める威厳と風格を感じて、役人は唾を飲み込む。


 酒片手に王弟を応援する周囲も、ちらほらと女王に王太子と公爵令嬢の居場所を聞いたり、転送魔術で何処かに文章を送ったりしている。手に入れたばかりの情報を国に伝えているのだろう。


「こういう情報共有も出来るのが婚約破棄オブザイヤーのいい所だよな。昔はもっとお固かったらしいが、今じゃもう、ほとんど忘年会だ」


「そうだったんですね……」


 今年1年で、新たに3300件以上の婚約破棄の報告が挙がっている。おおよそ2時間30分に1回新しく婚約破棄が起こるこの世界なら、そんな事もあるのかもしれない。



 そう考えながら役人がちびちびとエールを飲んでいると、いつの間に飲み干したジョッキを新しいものに変えた女王が、明るさを取り戻して宣言した。


「それでは気を取り直してNo.4!ファンバティ王国騎士団長、マイロス様!」


 女王の元気な言葉に立ち上がったのは、隣の騎士団長だった。


「おっ俺か。うちのは平和だぞー。婚約破棄30本ノックだ!」


 平和とは?????


 10秒前までリスペクトしていた騎士団長のとんでもねぇ発言に脳内を?で埋めつくした哀れな役人を置いて、場は一気に盛り上がる。触手で出来た宇宙人(推定)さんの触手もうねうねうねる。


「それは面白そうですね!婚約破棄したのは誰でしょう?」


「したのは貴族のガキ共30人、させたのは第2王子の婚約者の伯爵令嬢だな。アンタ、うちの悪法は知っているか?婚約に関わるアレだ」


「えっ俺?!……知っています。あっでもいや悪法だなんて!」


「いーっていーって。説明よろしく」


 にっかりと、ざっくばらんに騎士団長は笑う。

 唐突に話を振られて役人は困惑するが、こんな身分の高い人々とか宇宙人(多分)の前で黙り込む方が生きた心地がしない。固まりながら、記憶の中のページをめくる。


「……300年ほど前からある法ですね。貴族の婚姻に王家の許可を得る必要はなく、息子を持つ高位の家が、娘のいる下位の家に婚約を申し込んだら、下位の家は拒否することができない」


「その通り、身分の高い男にばかり都合がいい法だ。制定には昔の王が屑だったりそれを誅した高位貴族だったりがあるわけだが、本筋ではないから省略しよう。……自国の恥を晒すようなものだが、この300年ファンバティは悪法のもと婚姻が行われてきた。複数の家が求婚すれば身分の高い方が優先されるから、両想いの2人を引き裂いてドラ息子を嫌がる娘に押し付ける、みたいなことも起こっていた訳だ。改正したくても恩恵を受ける高位貴族が許さなくてな。そこで登場するのが、第2王子の婚約者だ」


 恥という単語を使った時とは違って、楽しげに騎士団長は言葉をつづける。深みのある声は聞き惚れるような低音で、誰もが話の次を待つ。


「その伯爵令嬢はとびきり愛らしい顔立ちと、明るいピンクブロンドの髪を持っていた。貴族の学園に入学した彼女は次々に学園の子息を陥落させ、婚約者と婚約破棄をさせた。驚くべきは同時進行は1度もなく、彼女の恋愛遍歴を知る子息すら落とした所だな。美しい少女は、相手をよく見て望むようにふるまう観察眼と、演技力もあったわけだ」


「すごーい!その子は第2王子の婚約者だったのですよね、問題にならなかったんですか?」


「政略による婚約で、王子とは碌に会話もしない仲だったからな。ターゲットの子息に婚約破棄をほのめかすときも、具体的な言葉は一切使わなかった。ならばと悪法を押し付けようにも彼女は王族の婚約者、無理やり結婚なんて出来るわけがない……彼女が入学してからの1年で、30人の男が婚約破棄をした。入学当初は大人しかったから、大体10日に1度のペースだな」


 1年でかよ!と周囲が大いにウケる。笑いごとか?と思いつつ、戸籍課期待のホープ且つリュシカの婚約破棄では半年掛けた役人は思わず身を震わせた。捌くそばから積み重なる書類が1まーい、2まーい……。


「ふふ、それは大変ですね!婚約破棄された少女達はどうなったんですか?その伯爵令嬢は、彼女達に恨まれてしまったり?」


 何かを悟ったらしい女王が、絶妙なタイミングで合いの手を入れる。さっきからやけに司会慣れしているが、魔法大国ではそういう技術も磨くのだろうか。


「皆すぐに別の男と婚約し直して、そのまま学園に通っている。法が許そうが恥も外聞もあるからな、1度婚約破棄しておきながらヨリを戻そうとする図々しい奴は、今のところ見られていない。……彼女達は、その伯爵令嬢にとても感謝してるよ。大人が解決するべき問題を子供に背負わせてしまったから、俺としては複雑だがな」


 優しそうで、けれど少し悔しそうな騎士団長の顔に、何かが腑に落ちた。

 望まない婚約を押し付けられる少女たち、次から次へと婚約破棄をさせて、感謝される伯爵令嬢。

 もしかして。


「……その伯爵令嬢が篭絡したのは、法によって無理やり相手を縛った子息ばかりだった……とか?」


「正解。この騒動が起きて、戸籍に関わる役人たちはブチ切れたし民にも不満が溜まってな。そもそもあんな法があるせいだと世論が動いた。そんなわけで、来年夢見草が咲くころには、多くの人間を苦しめた法は無くなるだろう。あの令嬢が汚れ役を引き受ける必要もなくなる。俺の国の話は以上だ。……より良き未来を願って、乾杯!」


 騎士団長の音頭に、誰もが笑顔で応えた。


「「「乾杯!!!」」」


 女王が、どこかの聖職者が、唯の青年が、人ですらない者が、1つの国の幸いを願って酒を掲げる。

 その為にこの催しはあるのだろうな、と役人は思った。国の現状を共有して、困ったら協力を求めて、誰かの、皆の幸福を、願って。

 いつか、どこかの誰かが、いま笑いあっている国の誰かと争うかもしれない。憎む日が来るのかもしれない。それでもこの楽しくて眩しい夜があった事実は変わらないから、皆、いまここで杯を交わすのだ。


 笑顔と歓談を嬉しそうに見ていた騎士団長が、席に戻って役人に声を掛ける。


「説明役ありがとな。はは、いいねぇこの空気」


「俺もそう思います。……凄いですね。どの国も、ファンバティ王国のお嬢さんも」


「だろ?ちなみに伯爵令嬢の本命はずっと婚約者の第2王子で、照れすぎて碌に話せなかったらしい。今リハビリ中で、しょっちゅう奇声をあげながら窓から逃げてる。……とはいえ、婚約破棄が起きてるのはどこの国も同じだな。ここに来たんだ、お前だってド派手に破棄の1つや2つしてるか、それともされた側だろう?」


 小休止なのか、皆感想を交えつつ酒や食事を楽しんでいる。チョリソーをつまみながらの騎士団長の言葉に、役人は面食らった。


「してませんよ、彼女だってここ数年居ません!」


「へえ、なら親族とか関係者か」


「そうではありますけど……確かに大変でしたね、破棄した側が追いすがって、付きまとって」


「よくあるやつだな。それで?」


「? それだけですけど」


「……………………………………………………は?」


 たっっっっぷりと間をあけて、騎士団長は疑問を呈した。近くのテーブルからも視線が集まる。


「嘘だろ?!なんかあるだろ、ゾンビとか全身ポテチマンとか」


「あるわけないでしょう?!普通の裁判沙汰ですよ、なんですかゾンビとポテチマンって!」


「去年と一昨年のお前の国の婚約破棄だよ!」


「俺の国で何があったんですか?!?!」


 ざわ……ざわ……とささやき声が聞こえる。やだ普通の婚約破棄ですって……そんなまさか……?と信じられないものを見るように、役人は視線の的になる。普通なことを疑われるとは?


 もはや世界と自分どっちがおかしいのか分からない。もしかしたら間違っていたのは自分かもしれない、世界はいつも正しい。It's real world。明後日の方向に向かう思考は、服の襟を掴まれ揺さぶられることで戻ってくる。気が付けば人も人以外も、酒場中の生物が役人を囲んでいた。

 焦った声で詳細を聞かれ、ぺしょぺしょと自分が担当した1件について説明する。


「おい、本当に普通の婚約破棄か?国中の婚約破棄で一番ヤバいのが唯の付きまといと裁判なのか?この1年何してたんだ?!」


「そんなことあるわけない、嘘だ!」


「人狼だ、吊れ!」


「宇宙人だ!UMAだ!逃がすな捕まえろ!」


「莠コ髢薙◆縺ケ繧九€€荳ク縺九§繧翫€€貅カ縺九@縺ヲ鬟溘∋繧九b縺�>」


 世界中の偉い人に責め立てられ、人狼や宇宙人扱いされ、たぶん本物の宇宙人にレインボーに発光し始めた触手で全身を絡めとられて、憐れな役人は絶叫した。翻訳魔法仕事しろ。







「ひどいめにあった……かえる……おうちかえる………」


「はーいみなさーん、2次会の会場はわたくしの宮殿でーす!転移魔法でばびゅんと飛んじゃいましょう!」


「かえるぅ……」


 酒場から出てインクを零したような空の下、21時。

 結局その後もみくちゃにされ宇宙人にはしゃぶられて、這う這うの体で解放されたと思いきや2次会に連行寸前の役人(2徹目・アルコール摂取済み)は、家恋しさに街灯に抱き着いて泣き出した。


「女王様ー1人駄目になってまーす」


「まだ沢山お話聞きたいから連れて行きまーす!ちょっと夜風に当てておきましょう!」


「カエシテ……カエシテ……ニクイ……カナシイ……」



「ーーーユージン様?」


 救いなど1つもないこの世はクソ、と怨嗟と悲しみの呻きをあげていた役人に、鈴のなるような声が掛けられた。ここ数週間聞いていなかった優しい声に、一瞬で正気に戻る。

 ドレスの上にコートを羽織った、2月前まで頻繁に顔を合わせていた少女が、駆け足でこちらに来ていた。白い息が闇に溶けて、ほつれたヘーゼルの髪が軽く揺れる。


「……リュシカ嬢?どうしたんですか、こんな遅くに」


 世界中のVIPを集められるだけあってこの辺りは城下でも治安の良い場所だけれど、貴族の女性が出歩く時間では無い筈だ。

 へーあの子が、という好奇心に満ちた囁きに警戒しつつ顔を向けると、さっきまでいた人々は忽然と姿を消していた。視線は感じるので、気が利いて出歯亀精神あふれる誰かが、姿くらましの魔術でも使ったのだろうそのまま帰れ。


「えっと……か、観劇の帰りで!屋敷に戻る途中だったんですけど、寄り道したくなっちゃって」


 街灯のほのかな光の下でも、彼女の若草の瞳は柔らかくきらめいていた。

 つんとした鼻の頭は赤くなっていて、寒いからかと少し心配になる。


「ここからカーネリオン子爵家の王都の屋敷だと、まだ遠いでしょう。馬車はどこかに停めてありますか?女性1人では心配ですから、良かったら馬車まで送りますよ」


「良いんですか、ありがとうございます!」


 2次会に行きたくないという下心も少しはあったが、嬉しそうに笑う彼女を見ると、穏やかで暖かい気持ちになった。

 抜けるって伝えないとな、と思った瞬間、軽く肩を叩かれる。行って来いと伝えるように。確証はないが、あの快活な騎士団長かなと思いつつ、会釈だけして少女の隣を歩き始めた。




「そういえば、寄り道をされていたなら何か用事があったんですか?」


「は、はい!用事っていうか……あの……」


「うん?」


「ユ、ユージン様に、会いに……戸籍課の課長様が、今日の21時ごろこのお店の前にいればお会いできるって、仰ってたので……」


 最近ずっとお忙しそうだったので、とリュシカは、蚊の鳴くような声で答えた。彼女の鼻の先や頬、耳まで赤いのは、寒さによるものだけだろうか。


『安心しろ、会場はこの国の城下だから15分もあれば着く。お前なら大丈夫だと思うが、VIPも多いからよろしくな。あと1次会は21時までだが、その頃ーーーぐぅ』


 数時間前の上司の言葉が思い出される。その頃、に続く言葉は彼女が来るかもしれないとかだったのだろうか。


 ちゃんと言え!と思考はまだ夢の国であろう上司に文句を叫ぶが、首から上は血がのぼり、役人の顔も赤くなる。


「ご、ご迷惑でしたか……?」


「い、いえ!俺も貴女に会えて嬉しいです!どうしてるかなってずっと思っていたので……じゃなくて!」


 人通りの少ない道の真ん中で、2人そろって赤面する。当然だが裁判が終わった2か月前から殆ど会う事は無くなっていたので、裁判が終わった今どんなことを話すべきか少し悩む。



 ふいに、役人の視界に、営業時間外のカフェが入った。1度だけリュシカとお茶をしたことのある、テラスのある人気の店だ。



ーーー裁判直前の頃、いつも彼女についているばあやが腰をやってしまい、ベリツフ子息が付きまとっていたことから、ちょうど仕事終わりだった役人がリュシカを送ったことがあった。あの時も、この道を通ったのだ。


 恐縮しきりだった彼女は、カフェの前を通る時、ほんの一瞬足を止めた。テラス席では、少女たちが楽しそうに雑談をしている。


「気になりますか?ああ、新メニュー、今日からみたいですね」


「あ、違うんです!……羨ましいなあって思って。在学中は、こういうところには行かなかったので」


 寂しそうな笑顔に、役人は裁判用の資料の1ページを思い出した。モラハラクソ野郎のベリツフ子息は女性が社交を行う事に抵抗を示し、高位貴族からなどの断れない誘い以外は、彼女が他人と交流を持つ事を制限した。自分は男女問わず散々遊んでおいて、だ。


「お友達に誘って貰った事は何度もあったんです、あんな奴の言うこと聞かなくて大丈夫だよって。でも断ってしまって。……今はそれを、少し惜しいと思います」


 彼女の視線の先には、失われたいつかの日々が浮かんでいるのだろう。


「ーーー今、俺と行ってみませんか?」


 若い緑が、またたいた。


「あ、いや、変な意味ではなく……練習というか。多分こういうのって、取り戻すのはいつでも全然遅くないと思うんです。カーネリオンさんのお友達も、誘われたら絶対喜ぶと思います。だから誘うハードルを下げるために、どんな感じなのか知っておくというか……すみません相手が俺で」


 1人でカフェとかも楽しいし良いもんなので……とごにょごにょ続ける役人に、彼女は笑った。


「いえ、お願いします!」


 そうして新メニューを頼んで、役人が居た4年前の学園の話や、彼女の友人たちの話を沢山した。家名ではなくリュシカと名前で呼んでほしいと言われたのは、その時だった。



 少し前を思い出した役人はーーーエリトス男爵家三男で、王宮勤め戸籍課の役人で、ただのエリトス・ユージンは、白い息を吐いた。多分、本当に単純なことなのだ。


「俺はーーーずっと貴女が気になっていて、貴女のことを、知りたいと思っています。今度はもっと明るい時に、食事に誘ってもいいですか?」


 彼の言葉に、若草色が喜びに満ちた。


「はい!……あら」


 リュシカは空を見る。

 つられて見上げる視界にはらはらと、雪が降る。

 闇をおぼろに白くして、音もなく、祝福のように。


 偶然か、それとも。

 さっきまで一緒にいた、雪を降らせるなんて朝飯前であろう魔術師や凄い人たちを思い出して、役人は笑った。

 そうしてリュシカと、2人で歩き出した。















勿論この後全員で尾行た

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