ある午後のLの小部屋
サイドストーリー『侯爵子息ラドルフと女騎士イリス』31話『マニア2人の相談会』のL視点のお話です。
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──暇だ。
普段は皇城でのワークショップやらお茶会やらで忙しくしてるものの、そればかりでは息が詰まる。
だから時々、こうして身分を隠し、相談屋なんてことをやってるけど。
世間の表も裏も知れて、これがなかなか辞められないんだよな~。
その日も客はなく、薄紫のベールを被って椅子に深く腰掛け、外の路地の音を聞いていた時だった。
──来たな、と感覚が告げる。
足音の間合いと重さ。
妙に迷いを含んだ歩き方。借金や痴情の縺れとは違う、もっと面倒な匂い。
扉が開き、金色の取っ手の向こうから一人の青年が現れた。
背は高く、服も一流。貴族、それも上位階級。
堂々としているようで、靴先はわずかに外向き、指先に力。自信満々ではなく、自分を繕おうとしている立ち姿だ。
「よくお越し下さいました。本日はどのようなお悩みで?」
ゆっくりと落ち着いた声でいつものように迎える。
「それが、毎夜、ある女性が夢に出てきて……」
ほう、夢の話から入るか。
大抵それは、現実でも執着している相手の証拠だ。
「だ、抱いてしまうんです。でも、現実の彼女はとてつもなく冷たくて──」
……はい、確定。恋愛こじれ案件。しかも本命は一人だけ。遊びでもない。なのに関係は崩壊寸前。
さらに聞けば、解決のためにロマンス小説を千冊単位で読み漁ったという。
これは類を見ない面白い話が聞けるに違いない……
「もしかして、あのロマンスノベル界の巨匠、レニー・ウォーエンの大傑作のことかい?」
青年の目が輝いてカッと見開かれる。
「もちろんだ──」
ああ、これは筋金入りのマニアだな。
そこからは座談会だ。
互いに名作を挙げ、展開や人物造形の妙を語り合う。
表向きは静かに頷いているが、内心では「お前、本当に恋愛相談に来たんだよな?」と何度もツッコんでいた。
気づけば五時間。
このままだと日が暮れても帰らない。
「もうさぁ、いくら考えても君の彼女は理解不能だから、グダグダ言ってないで自分からぶつかって行くしかないんじゃないの? こうしてる間に他の男に取られてもおかしくないって」
軽く言うと、彼はうつむき、低く呟いた。
「……そんなことしたって、拒絶される先しか見えない……」
(あー、これは重症だ)
臆病なくせに、心の奥では独占欲が強い。
放置すれば、一生机上の空論で終わるだろう。
「婚礼と一緒にそのまま本当に手に入れてしまえばいいじゃないか。一体何が悪いっていうんだ……」
あーあ、言っちゃった。
これは心底の欲望だ。
だが、そこに踏み込めば確実に相手を壊す。
ため息がつい漏れてしまう。
「そんなことをしたら、相手の気持ちを殺すようなものでしょ? 君は本当にそれでいいの?」
その瞬間、彼の目が揺れた。
何かを思い出している。過去の痛い記憶か。
やがて、彼は深く息を吐き、顔を上げた。
「……やっと、やるべきことがハッキリした。礼を言う」
来た時より、わずかに鋭くなった眼差し。ようやく火が入ったか。
「いいよ、いいよ。これは完全なるボランティア。たまにはこうして普段とは違う人と話して、刺激をもらわないと人生面白くないからね」
金を置いていったが、それは机の端に押しやり、見送る。
ベール越しに、去っていく背中を見送りながら思う。
──イリス、か。これだけ翻弄させるなんて。
さて、この先どう転ぶか……楽しませてもらおうじゃないか。