婚約者に逃げられた王太子殿下と、仕事に生きたい公爵令嬢。
ルーシア・コレントス公爵令嬢は怒りに震えていた。
それはそうだ。
王立学園を卒業し、王宮の文官になりたかった。
積極的に政治に関わりたかった。
国の為に働きたい。そう思っていたのに。
どうしてよ。どうしてわたくしが王太子殿下の婚約者??
ディテウス王太子殿下。
彼はマリーゼ・ライトラウス公爵令嬢と婚約していたのだが、その公爵令嬢がやらかした。
国外へ使用人と駆け落ちしてしまったのだ。
幼い頃からの王妃教育をこなし、美しさやその博識さからもその公爵令嬢は優秀な王妃になると皆から期待されていた。
それを見事に裏切って、隣国へ逃げてしまった。
隣国へ逃げた公爵令嬢を連れ戻す事は出来ない。
仕方がないので、次の婚約者を王家は探した。
そして、白羽の矢が立ったのが、ルーシア・コレントス公爵令嬢だったのである。
ルーシアは王立学園の成績も優秀で、これまた美しい金の髪の令嬢だったのだが、
結婚したくはないわ。わたくしは仕事に生きるの。
今更、王妃教育なんて、受けたくはない。
少しでも早く王宮の文官になって、国の為に仕事がしたいのに…
何で何で何で?
父であるコレントス公爵に文句を言えば、コレントス公爵も困ったように、
「王家の命は断れん。諦めてくれ。ルーシア。」
兄であるコレントス公爵令息、レイドも。
「お前位だぞ。結婚より、仕事がしたいだなんて我儘を言う令嬢は。普通は家のいいなりになって、結婚するものだ。女はな。」
ルーシアは怒りまくって、
「女性差別だわ。女性だって仕事がしたい。働きたいの。わたくしは王妃なんてなりたくない。いいわ。ディテウス王太子殿下にお会いして、お断りしてきます。」
ディテウス王太子殿下。
学園で遠目に見る事はあったが、彼はいつも婚約者の公爵令嬢と共にいて、話をした事はなかった。
仲良さそうだった二人は似合いの美男美女カップルで。
これで、この国も安泰ね。と、ルーシアも皆と同様にそう思っていた。
翌日、父が止めるのも聞かず、王宮へ出かけ、ルーシアはディテウス王太子に謁見を申し込んだ。
ディテウス王太子は王宮のテラスでルーシアと共にお茶をしたいと言うので、
ルーシアがテラスに向かえば、ディテウス王太子が本を読みながら席に座って待っていた。
秋の木の葉が、ディテウス王太子の黒髪に舞い散り、本に視線を落とし、長い足を組むその姿が何とも美しい景色を織りなしている。
いえ、見とれている場合じゃないわ。
この際、きっちりとお断りしなくては…
ディテウス王太子は、ルーシアに気が付くと、微笑んで、
「私も会いたかった所だ。さぁ、席に座りたまえ。」
「有難うございます。」
ルーシアはディテウス王太子の前に座る。
メイドが紅茶を入れて、ケーキと共にテーブルに並べ、
ディテウス王太子は、
「さぁ、冷めないうちに。」
「有難うございます。頂きますわ。」
紅茶を飲み、そして、ディテウス王太子に向かって、
「発言してよろしいでしょうか?」
「ああ。許可する。」
「婚約者になる事をお断わり致します。わたくしは王宮の文官になるつもりです。
王宮の文官になってこの国の役に立ちたい。これはわたくしの願いです。
わたくしは仕事に生きたい。どうかこの熱意を汲んで、わたくしが婚約者になる事、諦めて下さいませんか。」
ディテウス王太子は優雅に紅茶を飲んでから、
「王家の命は黙って聞くのが正解だと、君は理解していないようだね。」
「脅しですか。」
「君は…王妃にふさわしい令嬢だ。文官なぞ、男でもなれる。しかし、王妃は男ではなれない。そして、文官には出来ない国の為の仕事が出来る。魅力的だとは思わないかね?」
「文官では出来ない仕事…」
「そうだ。主に外交。そして、政治への助言も我が国は許される王妃の特権だ。勿論、その助言を採用するかしないかは私が決めるのだが。君にふさわしい就職先だとは思わないか?」
「それは…ええ…確かに言われる通りですけれども。
それでは、わたくしを正妃に、子を産むのは側妃を娶ってそちらによろしくお願いしますわ。
わたくしは白い結婚をし、仕事に生きたいと存じます。」
「どうして、そんなに男性を嫌がる…いや、女性である事を嫌がっているようにも見えるが…何か昔、あったのか?」
ルーシアは嫌な事を思い出した。
そう、自分の母の事を…
「わたくしの母は奔放な女性でしたわ。色々な男性と付き合って、父を困らせて…
今は亡くなりましたけれども。
わたくしは母のようにはなりたくない。女でありたくはない。
ただ、仕事に生きたい。そう思ったのです。」
ディテウス王太子はまっすぐにルーシアを見つめ、
「私は前の婚約者に裏切られた。彼女とは心が通って、いかに政略とはいえ、愛の溢れる夫婦生活を送れると私は信じていたのだ。彼女に対して愚かな事を信じていた私を笑ってくれ。彼女は使用人と共に隣国へ逃げてしまった。許せない。見つけたら殺したいくらいに。
私に向けたあの笑顔は嘘だったのか?私に紡いだあの愛の言葉は…」
ディテウス王太子は拳を握り締めて、
「君は君の母親と違う女性だ。ルーシアと言う女性だ。母のようになりたくはないのなら、どうか私と共に愛のある夫婦生活を送って貰えないだろうか。私は君だけを見つめよう。
側妃なんていらない。だから君も私だけを見つめてくれ。
ルーシア。お願いだ。私と共に走って欲しい。この国の為に…私は一人で走る事は出来ない。」
熱烈な口説き文句だった。
ルーシアは、そのディテウス王太子の言葉に、胸を打たれた。
「わたくしで良ければ、貴方と愛のある夫婦生活を送れるように、努力いたしますわ。」
テーブルの上のディテウス王太子の手に自分の手を重ねる。
ディテウス王太子への愛が生まれた瞬間だった。
正式にディテウス王太子の婚約者に決まったルーシア。
父も兄も大喜びで、
コレントス公爵は、
「うちから王妃が出るなんて、めでたい事だ。」
兄レイドも頷いて、
「本当に、王室に太いパイプが出来た。助かるぞ。ルーシア。」
ルーシアは二人に向かって、
「わたくしは、ディテウス王太子殿下の力になりたいと思っただけですわ。」
そう、日増しに増していく、ディテウス王太子への愛。
始まった王妃教育は大変だけれども、それを苦にならない程に、
いつの間にかルーシアはディテウス王太子を深く愛していた。
そしてついに、婚約者お披露目のパーティが王宮で行われる事になった。
淡い桃色のドレスを着て、ディテウス王太子にエスコートされて。
ルーシアは幸せだった。
貴族達が祝ってくれて、二人揃ってにこやかに挨拶をする。
そこへ、見覚えのある公爵令嬢が派手な赤のドレスを着て、王宮の広間へ入って来た。
ディテウス王太子の元婚約者、隣国へ逃げたはずのマリーゼ・ライトラウス公爵令嬢である。
「ディテウス王太子殿下。お久しぶりですわ。」
ディテウス王太子は不機嫌に、
「今頃、何用だ?お前にこの国への帰国を許した覚えはないが。」
扇を口元に当てて、マリーゼは微笑み、
「婚約者に戻って差し上げてもよくてよ。」
「どの口が言う。私には新たなる婚約者、ルーシア・コレントス公爵令嬢がいるのだ。」
ルーシアはにこやかに、
「ルーシア・コレントスです。わたくしが新たなる婚約者ですわ。」
マリーゼはホホホと笑い、
「まぁ、ディテウス様。ちょっとわたくしが隣国へ旅行しに行ったぐらいで、酷いですわ。
わたくしとの愛を忘れてはいないでしょう。何度もわたくしに愛を囁いてくれたではありませんか。」
ルーシアはマリーゼの前に進み出て、
「こういう事もあろうかと、調べておきましたわ。
一緒に逃げた使用人トーマスは、貴方から金品を奪って、逃走したみたいですわね。
使用人と身体の関係があったという調べはついておりますのよ。
そのような方がディテウス王太子殿下の婚約者にふさわしいとは思えませんわ。」
マリーゼが反論する。
「それでも、わたくしはディテウス王太子殿下に愛されておりましたわ。その愛が、わたくしの一時の過ちで失われるとは思えません。そうですわね?ディテウス王太子殿下。」
ディテウス王太子はルーシアの腰を抱き寄せて、
「一時の過ちだと?愛が冷めるのに十分だと思うが。マリーゼ。王族への不敬により、お前を投獄する。どこまで私を、そしてルーシアを馬鹿にすれば気が済むのか。牢でじっくりと反省するがいい。」
騎士達がマリーゼを拘束する。
「愛しておりますわっーー。許してっーー。王太子殿下っーー。」
叫ぶマリーゼは広間から連れ出された。
騒ぎが収まり、音楽隊が曲を奏でる。
差し出される手に手を添えて、二人で広間の中央へ移動して…
ディテウス王太子と共にダンスを踊る。
ルーシアは幸せだった。
自分だけを見つめてくれると言ってくれたディテウス王太子殿下。
わたくしも、貴方だけを見つめましょう。
共にこの国の為に走りましょう。
愛しておりますわ。ディテウス様。
ダンスの曲が終わり、ルーシアはディテウス王太子に抱き寄せられた。
唇にキスをされて、うっとりするルーシア。
何とも言えない幸せに包まれるのであった。
「トーマスよくやったな…」
「言われた通り、令嬢を隣国へ連れ出して…まぁ、甘い言葉を囁いてやって…
女の扱いに長けた俺ならば楽なものですよ。」
「これは約束の褒美だ。この事は内密に。もし、漏らしたその時は命は無いと思え。」
「おおっ…これだから公爵家は怖い。それでは失礼しますよ。」