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鳥になりたかった少女2  作者: 葉里ノイ
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第七章『戦』

  【第七章 『戦』】


 長男が生まれて四年後、次男が生まれた。

 更にその二年後、女の子が生まれた。

 六つも年が離れた長男は、新しく生まれた女の子を大層可愛がった。まだ何もできない妹の面倒をよく見るようになった。

 それにより構ってもらえなくなった次男は、一人で退屈そうに遊んだ。妹なんていなければ、遊んでもらえるのに。

 長男が小学校に上がると家にいる時間が少し短くなり、もっと遊んでもらえなくなった。舌足らずに喋る妹のことが、次男は嫌いだった。ぬいぐるみを持って次男に「あそぼ」とやって来る妹が嫌いだった。長兄を奪われて遊んでくれなくて、それなのに遊んでくれと言う妹に苛立った。

 次男も小学校に上がると、妹は一人でいることが多くなった。兄妹の中で一人だけ性別が違って、通う場所も違う。それに、次男に嫌われていると知っていた。だから妹は、一人で遊ぶようになった。

 一人で遊んでいた妹は、小学校入学前日に事故に遭った。道路で転んで、車に撥ねられた。

 妹は暫く入院することになり、長男は頻繁に見舞いに来た。次男は来なかった。

 退屈な入院生活。外で走り回ることもできない。

 ある日妹は、何かあった時のためにと母親に持たされていたお金を持って病院を抜け出した。病院ではちょっとした騒ぎになったが、陽のある内に戻ったので、然程怒られなかった。病院内を探検していたと思ったのだろう。

 外に出てこっそり買ってきた物を隠しながら、妹は退院するまでの間ずっと何かを作っていた。妹は頭もそんなに良くないし運動もできなかったが、得意なことがあった。

 妹が退院する日、初めて次男が病院に来た。荷物持ちとして来ただけだったが、妹は喜んで、作っていたものを次男に渡した。ずっと作っていたもの。手編みのマフラーだった。冬でも次男が寒くないように、とのことだった。次男は首を捻ったが、マフラーを受け取った。目が粗い部分もあったが、温かそうなマフラーだった。これをやるから私と遊べ、とでも言いたいのかと穿った見方もしたが、妹は笑顔で「ゆきにぃのお手々は冷たいから、あげる」と言った。手が冷たいならマフラーより手袋だろうと思ったが、黙っておいた。この件で妹が入院中に外に出ていたことが発覚し、両親に怒られた。

 病院から帰る時も妹は次男の手を握り、「お手々あったかくする」と言って離さなかった。手を繋いでいると、妹はよく転ぶことがわかった。何度も釣られて転びそうになる。

 赤信号の道路に転んで倒れなければ、車に撥ねられることもなかったのに。

 ああ、きっと守ってあげないといけないんだ。次男はそう思った。

 それからは次男は人が変わったように妹に構いきりになり、友人にもシスコンと茶化された。それでも構わず、次男の妹への態度は変わらなかった。


 そういえば退院した時、何かを言っていた。何だったっけ…………あ、そうそう、確か……


『ゆきにぃは、入院しないでね』


     * * *


「うわああああああん」

 声を上げて、手術室の前で大泣きする少女。

 廊下に響き渡っているが、誰も何も言わない。

 学園祭は中止になった。掠り傷や軽い怪我では済まない重傷を負った生徒が現れたのだ、中止にせざるを得ない。

 あれから雪哉は病院に運ばれ、ルナは、花菜に知らせた方がいいと教室に戻った。雪哉の血で赤く染まった制服と手に場は騒然となった。救急車のサイレンの音も聞こえていただろう。

 ルナは花菜のもとへ行き、傍にいた椎は青褪めた。事情を話すと、今度は花菜が青褪めた。すぐに病院に行くと言い、花菜、ルナ、椎に灰音、そして騒ぎを聞いた拓真が手術室の前に集まった。雪哉の受けた傷は深く、既に大量の血が失われており、出血性ショックで死ぬギリギリの状態だった。とにかく急いで輸血をすると言われ、同じ血液型の花菜は、自分の血を使ってほしいと無理を言って多めに採血してもらった。静かに座っていろと言われていたが、落ち着くことなんてできるはずもなく、花菜はずっと泣いている。時折気分が悪そうに口を押さえ、椎が背中を擦ってやっている。

 落ち着けるはずがない――雪哉の傷は深く、片方の肺が潰れていると聞かされれば。

 ルナは泣きじゃくる花菜に目を遣り、隣に座る椎に視線を遣る。椎はすぐに視線に気づき、ルナに困った顔を向けた。

 椎、ちょっと

 視線を逸らさず手招きする。椎は花菜に目を遣った後、そっと立ち上がる。

「すみません、慌てて来てしまったので、ちょっと電話してきます」

「ああ、わかった」

 近くに立つ拓真に小声で断りを入れ、ルナと椎は席を外した。灰音もすぐに気づき後についてくる。椎が行けば何も言わずとも灰音はついてくるだろうと思い何も言わなかったが、思った通りついてきた。

 電話をするというのは嘘だ。角を曲がり人のいない廊下まで歩き、足を止める。

「……椎、灰音。たぶん、雪哉さんは狙われてる……」

「狙われてる?」

「どうして?」

「襲ってきた畸形の人が『また避けた』って悔しそうに言ってた。きっと避けられないまで――殺すまで襲ってくると思う」

「一度躱したばかりに、執着されちまったということか」

「もし病院にまで来られたら、今度こそ避けられない。俺達でどうにかして畸形を……倒すことはできなくても、追い払うくらいはできないか?」

「殺すつもりで行かないと殺されるぞ。生半可な覚悟なら止めとけ。標的がこちらに向くのはごめんだ」

 椎を一瞥し、灰音は腕を組む。灰音が守りたいのは椎ただ一人だけだ。ルナのことも雪哉のことも他の誰も、守る義務も義理もないと思っている。

 そんなことは――わかっている。わかっているが、違界の力を一切持たないこちらの世界の人間であるルナが、違界の、しかも違界の人間ですら警戒する畸形に、どう立ち向かえばいいのか。雪哉を傷つけたあの奇襲で、ルナは初めて畸形を見た。話に聞いた通り、両腕が大きな鎌になっていた。大きな鎌は鋭利な刃と鋸のようなギザギザとした細かい刃がついていた。あの大鎌に斬られれば、真っ二つになるのも頷ける。雪哉も奇襲を察して一歩退かなければ、真っ二つになっていたかもしれない。

「そういえばあの畸形、『痛い』って頻りに言ってたんだけど、脚に細かい傷が結構あって、もしかしたら歩くのがきついのかも……」

「何だ、パニックになって過呼吸になりかけた割にはよく観察してんじゃねーか」

「……あんまり掘り起こさないでくれ」

 救急車を呼んだ後ルナは足が縺れそうになりながら教室に駆け込み、パニックで言葉が滅茶苦茶になり、落ち着けと灰音に一発殴られ正気を取り戻した。正気を取り戻す前に意識が飛びそうだった。

「その脚の傷、もしかしたら自分の鎌でやっちゃったんじゃないかな?」

 椎の考察に、灰音とルナはきょとんとする。

「だって、凄く大きな鎌なんでしょ? 持つ武器なら手放せるけど、腕が鎌になってるってことは、両手がないってことでしょ? 手がないとやっぱり不便かなって」

「なるほど……一理あるかもしれない。脚に虫が留まってうっかり鎌で叩いて負傷したとも考えられる」

「生まれてからずっと鎌なのに、そんな失敗するかな……。うっかり接触することはあるかもしれないけど」

「あ? 生まれてからずっとかはわかんねーだろ」

「え?」

「畸形には先天性と後天性がいる。先天性は生まれた時から畸形だが、後天性はある日突然体に変化が現れる」

「つまり、今の所畸形じゃない私と灰音も、明日は畸形になってるかもしれない! ってことだよ」

 まさに一寸先は闇ということか。殆どは畸形にならないけど、と付け加えるが、そうして自分は畸形にならないと思い込んである日突然畸形になってしまったら、発狂する者もいるだろう。違界の、殺さなければ殺されるという感情は、この後天性畸形も原因の一つなのではないだろうか。今日は同じ形体だった人間が、数日後には巨大な力を手に入れてくるかもしれないのだから。味方であったとしても、力を手に入れた時にまだ味方であるとは限らない。

「そうなのか……」

 わからないと言えば、もう一つ。畸形相手に互角に戦っていた結理だ。何なのだ、彼女は。宰緒は、味方につけて損はあまりないと言っていたが、こういうことなのか? 結理に関しても謎が多すぎる。宰緒は近年稀に見る物凄く嫌そうな顔をしたが、今は学校で結理を捜してくれている。雪哉が狙われているなら、畸形を追い返した結理がいてくれると助かる。何か武道でも嗜んでいるのかもしれない。宰緒が言うには、昔から喧嘩は強かったらしい。力任せに戦うと言うよりは、力を去なすような戦い方だったと。

 知人が襲われたのだ、次は我が身の可能性もある。宰緒も渋々結理を捜すことに頷いてくれた。宰緒は携帯端末を持っていないが、クラスの誰かに借りると言っていた。宰緒が携帯端末を持たないのは、居場所を知られたくないからだと以前言っていたが、結理は嗅ぎつけてきた。きっと結理対策だったのだろうが、彼女の方が上手ということか。結理が見つかるのか心配だが、彼女も宰緒を捜していると言うし、お互い捜していれば何処かで会えるだろう。

「梛原さんに頼りきるわけにもいかないし、やっぱり俺達も何かできればと思うんだけど……」

「私に言っても無駄だぞ。標的にされてもいないのに何でわざわざ危険に首を突っ込まないといけないんだ。死にたいなら勝手に死ね」

「でも花菜のお兄ちゃんだし、助けてあげたいよ」

「へぇ、どの口が?」

「いだだっ」

 椎の頬を抓り上げ、顔を引き攣らせ灰音は凄む。そうだ椎は見ず知らずの他人のために地雷原に飛び込むような奴だ。知っている者を助けようとしないはずがない。それを止めるのも自分の役目とも灰音は思っている。

「椎は黙ってろ。何もするな。おいルナ、他にも違界人の知り合いがいるだろ。そいつに頼め」

「ユウの家族か? でもユウや喜久川先輩は違界出身じゃないし……両親に頼むっていうのはちょっと……あんまり喋ったこともないし……」

「まどろっこしいな! 他に……そうだ黒葉とかいるだろ! すぐに飛んでくることはできないかもしれないが、電話で相談くらいできるだろ」

 それは確かに良い案かもしれない。黒葉なら付き合いも長いし話しやすい。だが……。

 ルナは携帯端末を取り出し時刻を確認する。現在の時刻は、午前十時半。

「イタリアは今、夜中の三時半なんだけど」

 日本とイタリアの時差は八時間。今は夏時間なので七時間だ。夜中の三時半ではさすがに皆寝ているだろう。

「起こせばいい。がんがんコールしまくれ。叩き起こせ。引き摺り出せ」

 迷惑すぎる。

「起きてるかもしれないだろ。何を悠長に寝てるんだ。違界だったら死んでるぞ」

 滅茶苦茶だ。

 でも起きている可能性に掛けてみるのも良いかもしれない。

「じゃあ一回だけ掛けてみる」

 電話帳から黒葉の番号を呼び出す。イタリアの方でももう夏休みは終わっているはずだ。学校の疲れが――いやよく考えたら黒葉は学校に行っていない。じゃあ毎日が休日の黒葉を一日くらい叩き起こしてもいいか?

 少し長い呼び出し音の後、電話が繋がった。起きていたのか、起こしてしまったのか――

『……Pronto? Chi è?』(……もしもし? 誰だ?)

 完全に寝惚けている。ルナが日本に越してからは黒葉はルナに対して日本語を使うようになった。今は相手が誰かわかっていないようだ。

「Sono io, Aoba. Scusami, Vorrei chiederLe qualche consiglio」(青羽だけど、ごめん、相談したいことがあって)

『ルナ……か? 何だこんな時間に。そっちは朝か』

 声が眠そうだ。申し訳ないことをした。

「寝てたよな?」

『何時だと思ってるんだ。それで、相談とは? こんな時間に掛けてきたんだ、さぞ急ぎの用なんだろうな』

 ルナは一息置き、頭の中で言葉を整理する。

「黒葉は違界の畸形って知ってるか?」

『! ……誰からそれを? 椎か灰音か?』

「それが……畸形が学校に現れて、怪我人がたくさん出て、女の子が一人殺されてる。先輩も重傷で、今手術を受けてる」

『お前は?』

「俺は今の所は何も……でも、先輩が狙われてるみたいなんだ。何とかして助けられないかな?」

『…………』

 黙り込む。しんと静まった端末の向こうで床を踏む音がした。ベッドから出て歩いているのか。

『……僕の意見は、近づかない方がいい、だな。話を聞く限り好戦的で危険だ。どんな畸形かはわかってるのか?』

 カチャカチャと硝子が触れ合うような音がする。キッチンに移動したらしい。

「両腕が大鎌になってるカマキリみたいな奴。跳躍力もそこそこ、かな」

『見たような口振りだな』

「うん……先輩は俺を庇って斬られたから……」

『そうか。何度もすまないが、お前は何処も斬られてないんだな?』

「斬られてないよ」

 何かを飲む音がする。寝惚けたまま聞く内容ではないと、眠気覚ましに何か飲んでいるようだ。

『畸形に傷をつけられると厄介だからな』

「椎から聞いた。毒素が体内に入るって。友達が少し斬られてたから」

『そうか……。その畸形は厄介だな。助けたいと言っても、何も持たない人間が挑んでも無駄死にするだけだ。戦闘経験の乏しいルナが真っ向から挑んでも勝てない』

「……わかってる」

『話くらいは聞いてやる。戦力に数えていいのは何人だ? 違界の人間が含まれていると多少はマシになると思うが、椎と灰音はどうなっている?』

「……灰音が反対してる」

『ああ……』

 納得の声。短期間ではあるが灰音の性格は把握した。

「それから、畸形も厄介なんだけど、実は他にも目をつけられてる違界の人がいて……」

『……すまないが、最初から話してもらえるとありがたいんだが。何か複雑な状態になってないか?』

「うん、まあ……結構複雑なことになってる……頑張って言葉を纏めるよ」

 少し長くなるかもしれないと前置きし、ルナはここ数日で起こった濃密な出来事を黒葉に話した。


     * * *


 救急車で生徒会長が運ばれ、学校は騒然となった。始まったばかりの学園祭は昨日に続き最後まで行われず、生徒は早々に自宅待機を言い渡された。さすがに二日連続となると警戒する。安全が確認されるまで登校不可になった。

 食品を扱っていたクラスは最低限の処理をしてから帰ることになり、一年四組は人手が少ないながらも処理を急いだ。が、その中に宰緒はいない。

(面倒くせぇ……結理に会うとか気が重いどころじゃねーし……青羽に何か奢ってもらわねーと。飴何ヶ月分にするかな)

 コートのポケットに手を突っ込み、今だけは仕方なくフードを外して廊下を歩く。宰緒は大きいので、とても目立つ。フードを外していればその内見つけてもらえるだろう。

 結理が短刀を持って畸形と戦い追い払ったとルナから聞いたが、結理は昔からよく短刀をこっそり持ち歩いていた。本人曰く護身用らしい。まあ、そういうこともあるだろう。

 短刀を人に向けて使っている所は見たことはなかったが、よく部屋で素振りしているのは見ていた。近所の子供達と喧嘩をした時は素手だったが、同年代の者はもう敵わないのではと思うほど強かった。アンジェも喧嘩が強いようだが、ああいうのとは違う。何と言うか、結理は圧倒的だった。おまけに毒舌。思ったことを歯に衣着せず口にする。敵にはしたくない人間だ。

 結理が今更何故宰緒に会いに来たのか知らないが、誰も連れず一人で来たようだ。これで付き添いの者が誰か一人でもいれば何があっても絶対会わないのだが、それをわかって結理は単身でここまで来たのかもしれない。どうやって居場所を特定したのか――いやあいつならすぐに見つけるだろう。だから、今更なのだ。会おうと思えばもっと早く、家を出た直後でも会うことは可能だったはずだ。今更会いに来る理由。それがわからないから逃げていたのかもしれない。

 校舎の中は人が疎らになり、食品を扱っていたクラスがほんの少し残っている程度になっていた。人が少ない方が人混みに紛れず捜しやすくてありがたい。見回りの教師が、用がないなら早く帰れと言ってきたが、面倒なので無視した。

(――あ。青羽の奴、結理の連絡先知ってんじゃねーか……言ってもらえばよかっ)

 ぴたり、と足が止まる。目の前の角に結理の姿が見えた。辺りを見回す結理と目が合う。

 思わず、逃げた。

「――待ちなさい」

 追い掛けてきた。

「足が遅いんだから、無駄な抵抗よ」

「うっ」

 すぐに捕まった。腕を掴まれ、宰緒は意を決して振り向く。

「あれ……」

 先程は慌てて逃げたので気づかなかったが、改めて見ると結理の頬に小さな傷があった。ああ確か畸形に接触した時にやられたって青羽が言ってたな、と納得しかけるが、違う、そうじゃない。

「お前、その傷は……?」

「ああ、これ? これは」


「何で何ともねぇんだよ?」


 こちらの世界の人間が違界の畸形の攻撃を受けると毒素が入り込みその傷は痣のように紫に変色し蚯蚓腫れのようになる。だが結理が畸形から受けた傷は変色も腫れもない、ただ少し赤い血が滲んだ普通の傷だった。

 宰緒の反応に、結理は瞬時に察する。

「あら、何処で知識を得てきたのかしら」

 隠すつもりはないらしい。

 傷に変化がないということは、違界の毒に対して耐性があるということだ。その耐性は実際に違界にいて違界の空気を吸って生活しないと得られない。それは、つまり。

「お前、元は違界にいたのか」

 結理は口の端を上げ見下ろすように言う。

「あなたが最初に私に会ったのはいつだったかしら?」

「小学校に上がった辺りか」

「そうね。その頃……正確にはその少し前、この世界に来たわ。そして今の家の養女になった。子供が生まれなかったらしくてね。私は頭も良いし、すぐに気に入られたわ」

「何で」

「あら、何が?」

 宰緒の言葉を遮り、結理は目を細めて見上げる。見上げられているのに見下ろされているような妙な感覚。

「何で違界人であることを黙っていたのか? ということなら、わざわざ言う必要はないし言った所であなたは信じた? 何で、今更あなたに会いに来たのか? ということなら、あなたのお爺様が倒れたから、知らせてあげようと思って。あとついでに馬鹿な後輩に教育をしてあげようかしらと思って」

 訊きたいことを先にすらすらと言ってしまう。

「後輩って?」

「まあ、お爺様より私の後輩が気になるの? あなたのそういう所は嫌いではないけれど、とても滑稽だわ」

「俺はもうあの家とは関係ない」

「関係ないってただ家出しただけで縁は切れていないのでしょう? まあ興味はないからどうでもいいのだけれど。それで? 後輩の話もどうでもいいから話さなくていいわよね」

「そうだな。どうでもいいし面倒くせぇ」

 睨むように対峙し視線を逸らさない。

「私の用はもう終わったのだけれど、もう行ってもいいかしら?」

「……待て」

 ここからが本題だ。まさか結理が違界の人間とは思わなかったが、それならそれで却って都合が良いかもしれない。畸形と戦う戦力としては申し分ない。

「お前が追い払った畸形を、もう襲ってこないようにしてほしい」

 結理はほんの少し目を見開く。

「殺せ、ってこと?」

「同じクラスの……青羽の友達の兄を狙って来る可能性がある。さっき救急車で運ばれた奴だ。お前も見ただろ? 畸形を追い払った時にいたはずだ。青羽はそいつを助けたいらしい。このまま放っといたら、お前が気に入ったあの目も畸形に潰されちまうかもな」

 にぃ、と結理は笑う。

「脅し? でもあの綺麗な目が手に入らないのは惜しい。この辺りは私の管轄じゃないから後輩に任せたいけれど、さあ何処で油を売っているのやら」

「後輩って誰なんだよ」

 結理の表情がすっと歪み、不快感を露にする。

「煩いわね。出来の悪い腐った後輩の話はやめてくれる? 畸形が現れても駆けつけもしない、怪我人は増える一方。このままじゃもっと死人が出るかもね。青羽君の目だけは私が守ってあげるから安心するといいわ。青羽君にも伝えておいてね」

 宰緒の胸座を掴み、結理はギラつく目で睨め上げる。

「面倒くせぇ」

 結理の手を払い、宰緒は再びポケットに手を突っ込み来た道を引き返す。

「じゃあお前はお前の好きにすりゃいい」

「そうさせてもらうわ」

 振り返らず歩も止めず行く宰緒の背に言葉を投げ結理も踵を返す。

 宰緒は少し早足になり教室に向かう。結理についてルナに話しておかなければならない。こういう時は携帯端末を持っていないと不便だと思った。


     * * *


「はあ、はあ……アアアアアァァアアア!!」

 苛立ちを抑えようとコンクリートの壁を腕で打ち砕く。

「何故避ける……何故殺せない……。私がこんなに痛いのに……」

 黒髪の少女に斬られた片腕が痛む。鎌で傷ついた両脚も痛い。この痛みを振り払うには、誰かを殺すしかない。殺せば束の間、痛みを忘れることができる。

「痛い……帰りたいよ……何故私だけこんな、こんな痛い……一人じゃ、一人じゃ痛いよ……早く、早く殺さないと、早く、早く……」

 ふらふらと壁に体を擦りながら、自らの鎌の刃で体に傷をつけながら、少女は歩く。

 こんな鎌いらなかったのに。生まれた時から腕の代わりに生えていた鎌。母体を切り裂いて血塗れで生まれた。生まれて最初に殺したのは母親。

 最初はとても不便で手がないし勿論指もなくて何も掴めない、こんな鎌はいらないと思った。練習して軽い物なら鎌と鎌の先で掴めるようになったが、少女は不器用でよく失敗した。大きな鎌では、物を掴めても背後に回すことは難しく、食糧ボトルを首輪の後ろ側に持っていくことができなかった。一人では何もできなかった。

 でも時が経つにつれ、殺すことに特化した大鎌はあまり嫌いではなくなっていた。大きな鎌はよく視界の外に行き、意図せず自分の体を傷つけることがよくあった。掠っただけでも、数が多ければそれだけ痛い。なのに、大嫌いではなくなっていた。

 誰でも殺せるから。――守れるから。そして、お揃いだから――

「ちゃんと帰るよ……痛くても帰れるよ。技師を捕まえて、すぐに帰る……」

 自分の鎌を見下ろし、少女は微笑む。痛みに顔を顰めて歪んだ微笑みになったが気にしない。

 少女は地面を蹴り、跳ぶように駆ける。


     * * *


 事の成行きを静聴していた黒葉は珈琲を一口啜り深く息を吐いた。

「……厄介だな」

 畸形一人でも相当厄介だというのに、治安維持コミュニティを名乗る違界人に目をつけられているとは。黒葉も、治安維持コミュニティというものは初めて聞いた。活動内容を聞くに、主な活動場所は違界ではなくこちらの世界だろう。黒葉も暫くこちらの世界に住んでいるが、違界関係の揉め事は先日のフレアとコルの騒動が初めてだった。黒葉自身も慎重に生活しているので、目をつけられてはいないだろう。尤も、治安維持コミュニティの規模がどのくらいなのかは定かではないため、この全世界に人数が配置されていない可能性もある。どんな組織かも今はまだ判然としない。下手に敵に回したくはない。

『未夜と畸形がぶつかってくれればっていうのは楽観的かな?』

「治安維持が仕事なら、情報を与えれば対応すると思うが。だがそれに頼りきるのも心配だな。畸形がそれだけ暴れていて、未夜という男は畸形の存在すら知らなかったんだろう? すぐに位置を特定できるとは思わない」

『俺も何か武器があればいいんだけど……』

「武器があるからと言って付け焼刃でどうこうできるものじゃない。ルナが正面から向かっていっても殺されるだけだ」

『はっきり言うなぁ』

 ルナの苦笑が通話口から聞こえる。何も力を持たないこちらの世界の人間であるルナを畸形と遭遇させたくはない、というのが率直な意見だが、このままその標的にされている人間の近くにいればルナにも危険が及ぶことは避けられない。

「いいか、お前は絶対に畸形に真っ向勝負を仕掛けるな。正面からでは勝てない。勝機が僅かでもあるとするなら、不意打ちだ」

『不意打ち……でも見えないくらい、風みたいに移動できる相手に不意打ちできるのか?』

「聞く限りは、見えていなかったのは多人数を相手にした時だけだろう? 少人数だと視認できている」

『確かにそうだけど』

「それから、その畸形はお前の先輩に相当執着してるようだからな。先輩を囮にして不意打ちをかけることは可能だろう。囮が殆ど動けそうにないというのが懸念材料ではあるが……」

 懸念どころか、不意打ちに少しでももたつくと囮は確実に殺される。囮を見捨てるような作戦だ。これではルナは納得しないだろう。

『やっぱり戦力不足か』

 意外とルナは冷静なようだ。食って掛かられると思っていた黒葉は少し安心した。

「戦力不足が否めないのは確かだが……そろそろ宰緒から連絡が来るんじゃないか? 僕と話していて大丈夫か?」

『あっ……そうだここに掛けてくるんだよな。じゃあ一旦切るよ。また後で電話……してもいいか?』

 また後で電話する、と言いかけたルナは、イタリアは今はまだ夜中だということを思い出し、怖ず怖ずと訊く体勢になる。

 黒葉は苦笑するように小さく息を吐く。

「起きていろということか? 事が事だ、起きていてやるから電話をくれて構わない」

『そうか、助かる! ありがと!』

 ぶつりと通話が切れる。

 黒葉は頭に手を遣り、やれやれと首を振った。どうしてこう、首を突っ込むというか巻き込まれるというか……。

 顔を洗ってくるかと黒葉は席を立つ。最悪なことにはならなければいいのだが。



 黒葉との通話を切り、ルナは椎と灰音に向き直る。

「雪哉さんを囮にして不意打ちをかけることに掛けた方がいいって言われたんだけど、戦力不足で難しいよな、やっぱり……」

 灰音は不快そうに舌打ちするが、椎は話を聞いてくれた。

「私も戦力、頑張る!」

 武器を形成すると電波をジャミングしきれないので、両手で銃の形を作り、撃つ仕草をする。すぐさま灰音に「お前は頑張るな」と軽く頭を叩かれたが。

「いいか、ルナ。私も椎も、畸形の存在は知ってるが見たことはない。そもそも畸形の数はそんなに多くない上に、畸形であることを隠してる奴も多いからな。だから畸形との戦闘経験もない。噂くらいは耳にするが、私らをアテにしてるならやめておいた方がいい」

 アテにしていないと言えば嘘になる。戦力になってくれればどれだけ心強いかと思う。だが死にたくないのは誰も同じだ。相手は違界人でも恐れる畸形で、しかも好戦的。戦闘特化したタイプの畸形だ、生半可な気持ちでは犠牲者が増えるだけだ。

「俺もサクみたいに銃が使えればな……」

 力のない自分が酷く無価値に思う。例え今から銃の練習をしても、今日明日ではどうにもできない。

「ルナ……」

 唇を噛むルナに、心配そうに椎が声を掛けようとすると、ルナの携帯端末が振動した。

「……ユウ?」

 画面に浮かぶ名前を確認し通話釦を押す。

『あ、出た。俺だ俺。俺』

 詐欺か。

「ユウ……じゃないよな?」

 声が明らかに違う。

『だから俺だって……ああ、久慈道』

 やっと聞きたい言葉が聞けた。宰緒か。

「ユウのケータイを借りたのか」

『だってよ、クラスの奴らもう全員帰りやがったんだよ。で、隣の教室で遊んでた喜久川を捕まえた』

『ルナやっほー』

『お前は黙って輪投げでもしてろ』

 佑一も一緒にいるようだ。

『でな、大ニュースだぞ』

「大ニュース? 悪いニュースだと嫌だな」

『良いか悪いかは判断しかねる。結理に会って話を聞いたんだけどな、どうやら結理も違界人らしい』

「は……? 梛原さんも!?」

『しかも喜久川とは違って、黒葉のパターンだ。小っせぇ頃に違界からこっちの世界に来て溶け込んでるパターン。畸形に負わされた傷に変化が現れてなかったから間違いない』

 ルナは水から上げられた魚のように口をぱくぱくと二の句が告げられない。どうして次から次へと違界の人間が……いや知らないだけで、意外とこの世界には違界人が多く潜んでいるのか?

『何か、自分の管轄じゃねぇから畸形をどうこうする気はないって言ってたんだけどな、お前の目がピンチになったら助けてやるってさ』

「管轄……?」

『その辺は全然聞き出せなかった。思えば、あいつの部屋には幾つか目ん玉が飾ってあったが、こっちの世界にはないような色も含めて色んな色だったから作り物だろって思ってたんだが、あれは本物の違界人の目だったのかもな……』

 そういう話はあまり聞きたくなかったが。

『まあそういうことだ。あいつはお前の目以外では動かないかもな』

 何故そんなに目だけ好かれてしまったんだ。頭を抱えたくなるが、その前に、多少期待していた戦力が得られないというのは辛い。

『そういやさっきから何度も掛けたんだが、何で繋がらなかったんだよ。暇にしとけよ』

「ああ……それはごめん。黒葉に電話してたんだ。畸形を相手にどうすればいいかって」

『ふぅん。で、何か良い案は思いついたのか?』

「それが……正面からは無理だろうから雪哉さんを囮に不意打ちを食らわせてみるのはどうかって。でも戦力が足りない」

『やべーじゃん』

「うん……後でまた電話してみるけど……」

『まあ頑張れよ。さっさとぶっ倒して平和にしてくれや。病院送りにされんのはごめんだし』

 完全に他人事だ。

「じゃあ、もう一回黒葉に電話してみるよ。そっちも何かあったら電話くれ」

『わかった。面倒くせぇから喜久川に電話させる』

『え、オレ?』

 きょとんとした佑一の声が聞こえたが、通話が切られた。大丈夫なのだろうか。

 いや心配すべきはこっちか。

 再び黒葉の番号を呼び出し、コールする。

 休まず携帯端末を握るルナに、椎は短く声を掛ける。

「ルナ、忙しいね」

「うん……あ、梛原さんは違界から来た人だって、サクが言ってた」

「あの長い黒髪の人?」

「うん」

「はっ、次から次へと湧いてきやがる。違界から逃げてきた意味ねぇだろうが」

 それは尤もな言い分だ。

 最初に違界のことに接触しなければ、ルナはまだ知らないままだったのだろうか。

「黒葉にこのことも話して――」

 端末を耳に当て黒葉が出るのを待っていると、遠くで悲鳴のような声が聞こえた気がした。

「……何か聞こえたか?」

「え?」

 今度ははっきりと悲鳴と何かが壊れる音が聞こえた。

「……何か来るな」

 灰音は椎とルナの前に立ち警戒する。

 目を細め、向かってくる者を一瞬でも早く視界に捉えようとする。

 同時にルナの携帯端末に黒葉が出た。

『……ルナか?』

「ちょっと不味いことになってる……」

『不味い?』

 廊下の角から、真っ赤な血を散らす大鎌の少女が現れた。

「畸形が……っ」

 空気が変わったのがわかった。端末の向こうで黒葉が一瞬息を止めたのがわかった。

 床を蹴り、跳ぶように駆けてくる。速い。

『ルナ、近くに違界人がいるなら首輪の電源を切れ』

「!? し、椎! 灰音! 首輪の電源を切れ!」

「は!? 死ねって言うのか!?」

「いいから! 早く!」

 言われた通りに電源を切らせる。何か策があるのかと、半信半疑で電源を切り、手は電源から離さない。

『携帯電話を敵に向けろ』

「わ、わかった!」

 見る見る内に差が詰まる。畸形ははっきりとルナ達に狙いを定め飛び掛かる。

『いくぞ』

 携帯端末を、迫り来る畸形に向けた。構えた大鎌が体を断とうと動く。


「――――っ!?」


 畸形はびくりと体を跳ねさせ、着地を外し壁に体を叩きつけた。

『今の内に逃げろ』

 雑音の混じった黒葉の声で我に返り、ルナは椎と灰音の手を引き廊下を走り抜けた。

 駆けながら灰音はルナから端末を奪い、苛立ちながら尋ねる。

「何だ今のは」

『? ……ああ、灰音か? もう電源を入れても構わない。持続性のない一撃の攻撃だ。ルナが以前違界のヘッドセットに害になる電波を送り込んだだろう? あれを参考にしたものだ。端末に負荷が掛かり雑音が走ってるようだが、まだ会話に支障はないだろう』

 イタリアでの出来事を思い出す。コルとフレアに奇襲をかけられた時、灰音諸共――いやあれを作ったのはルナだが使ったのは宰緒だ。黒葉はあの場にいなかったから勘違いしているのだろう。

「あれか……それにしては効果が薄いように見えたが?」

「灰音、やっぱりあの畸形、反応がない。居場所の追跡ができないよ」

「おまっ、何でもう電源を入れてるんだ! 危ないだろ!」

「え、も、もう大丈夫かなって……」

 全く、相変わらず危機感がない。

『……反応がない? さっきの攻撃が効いたということは電源は入っているはずだが……』

 聞こえていたのか、黒葉は小さく唸る。

『電源は入っているが、あまり機能していないのか? 鎌が生えた畸形なら別に武器を形成する必要もないか……。ヘッドセットが不良品、もしくは故障してるんじゃないか?』

「はあ!? 不良品!? 故障!? そんなもんつけてたら違界じゃ死ぬだろ馬鹿か!」

『馬鹿とは心外だが、ここは違界じゃない。ヘッドセットがなくても生きていける。それと、早くルナに代われ。お前と話しているとストレスが溜まる』

「上等じゃねぇか、今度会ったら殺すぞ。おいルナ、返す」

「えっ、わっ!?」

 軽く放り投げられ、慌てて掴み取る。一体どんな話をしていたんだ。何故殺すなんて物騒な会話になったんだ。敵はそっちじゃないぞ。

 人のいない廊下を走り、鍵の掛かっている部屋に身を隠す。鍵は灰音が破壊した。

「暗いな」

 真っ暗で何も見えない。

「これでどうかな」

 携帯端末の画面を光らせると、少し明るくなった。

「あれ? ここ圏外だ」

 一心不乱に走ったので、ここが何処なのかわからないが、圏外では黒葉と話せない。いきなり通話が切れて心配しているかもしれない。

「危険かもしれないけど、電波のある所に移動したいな……」

「ねぇルナ、あれ扉かな? 引出しかな? たくさんあるよ」

 服をくいくいと引っ張るので、椎が指差す方向を照らす。確かに椎の言う通り扉だか引出しだかが並んでいるが……

「もしかしてここ、霊安室じゃないか……?」

 急に寒気を感じた。

「や、やっぱり出よう。ここは入っちゃ駄目だ」

「は? 死にたいのか?」

「いやここでそういうことは……とにかく出よう!」

「死にたいなら仕方ないが、巻き込むなよ」

 言いながらも了承してくれたのか灰音はドアに向かった。外の安全を確認して慎重に出ればきっと大丈夫だ。

「よし、行くぞ」

 灰音は勢いよくドアを開け放った。警戒も確認も慎重さも何もなかった。

「ちょ、灰音!?」

「もたもたするな、椎も早く」

「あ、うん」

 ドアの外に出ると、誰もいなかった。どうやら上手く撒いたようだ。ひとまず安心して胸を撫で下ろす。

 だがそうではないことにすぐに気づいた。同時に血の気が引く。

「……違う、撒いたんじゃない……畸形の狙いは俺達じゃない! 雪哉さんだ!」

 ただ目の前に、進行方向にルナ達がいたから襲おうとしただけで、彼女の狙いは最初から雪哉だ。

 不意打ちどころではない。今すぐ雪哉のいる手術室に行かないと……あそこには花菜と拓真もいる。

 考えるより先に、ルナの足は手術室へと駆けていた。


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