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鳥になりたかった少女2  作者: 葉里ノイ
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第三章『祭』

  【第三章 『祭』】


 違界にいた頃、震えが止まることはなかった。

 隙を作らないために眠ることも許されなかったが、可能なら眠ってしまって現実を忘れたかった。

 自分はいつ誰に殺されてどんな風に死ぬのだろう。そんなことばかり考えていた。娯楽なんてものは当然ない。気を抜けば命を落としてしまう世界。目に映る者は全て敵だと思え。そう言われて育った。だが今はもう、それを言った者はいない。

 物陰に潜んで息を殺してガタガタ震えて、どうしてこんな世界で生きなければならないのだろうと、目が虚ろになる。

 この世界の人間はもう、生きているのか死んでいるのかわからない。

(悪い奴なんか、皆死ねばいいのに)

 食糧がもう底を突きそうだからと拠点から外に出てみたが、道に迷って地上に出てしまった。慌てて地下に戻ろうとしたが、瓦礫に足を取られ転んでしまい、大きな音を響かせてしまった。音を聞きつけたのか、近くで足音がした。すぐに地下に引き返せばよかったのに、壁だらけで逃げ場の少ない地下に入るのを躊躇ってしまった。また迷うかもしれない、とも思った。だから咄嗟に、擦り剥いた脚に顔を顰めながらも地上を走ってしまった。

 そして今、後悔をしながら物陰で擦り剥いた膝を抱えている。もう、どうやって地下に行けばいいのかわからない。

(皆死ねばいいのに!)

 力んだ拍子に爪先が小石を蹴ってしまった。からころと瓦礫の間を転がっていく。そんな小さな音を耳に捉えたのか、銃声がした。すぐ背後――潜んでいる瓦礫の壁に着弾する音。

(見つかった……!)

 何もしていないのに。武器も何も持っていないのに。人を見れば殺さないと安心できない人間ばかりの世界。

 物陰から飛び出し、一目散に駆ける。膝が痛いなんて言っている場合ではない。痛覚を遮断しろ。もっと痛い目に遭ってしまう!

 後ろを振り返り、敵の姿を確認する。――一人だ。顔はよく見えないが、がたいの良い男だ。足も速そうだ……。

 ごくりと唾を呑み、前方に視線を戻した時、そこで目を見開いた。

「!?」

 もう一人――いた。

 後ろの男の仲間だろうか。銃を構えている。挟み撃ちにされた。

 近い。避けられない。防弾膜では貫通してしまう。防弾膜なんて所詮は雨避けだ。防弾壁がないと……でも防弾壁なんて高価なもの、持ってな――

 乾いた銃声が辺りに響いた。自分の右眼が潰れたことに、すぐには気がつけなかった。

「何だもう一人いたのか」

 後ろの男がぼやくように言い、前方に潜んでいた人間を一瞬の躊躇いもなく撃った。右眼を撃った人間は瓦礫の上にどしゃりと崩れた。男はそのまま銃口を下げ、右眼を撃たれびくびくと震える体に照準を合わせた。


 駄目だ――もう、死ぬ。


 目を閉じようと思っても、閉じることができない。

 男の指が引き金を絞る。

 その瞬間、男の持つ銃の銃身と引き金に掛かる指が滑らかに削がれた。次の瞬間には、男の太い首も綺麗に削がれ、瓦礫の上に鈍い音と共にごろんと落ちた。バランスを失った体も、すぐに傾き地面に落ちる。

 また別の奴が殺しに来たんだ。そう思った。最期はこいつの手か?

 ぼんやりとする左眼で新たな殺人者を見る。顔には防毒マスクを覆い、体には外套を纏い、目深にフードを被っている。手には手袋をつけ、肌の露出が全くなく、髪色も目の色も性別もわからなかった。でも身長は十一歳の自分とあまり変わらない――いや、少し低いかもしれない。子供か女か……?

 防毒マスクは一直線にこちらに向かってくる。手を上げ、くん、と手に力を籠めた。


 ああ、死ぬんだ。


 防毒マスクの手から放たれた細い紐のようなものは一瞬きらりと閃き、頭上を通過して、その向こうにいた撃たれた人間が指を掛けていた引き金と首をするりと削ぎ落とした。こちらからも殺されようとしていたなんて、気づかなかった。

 紐のようなものを仕舞うと防毒マスクは両手を上げ素早く指を動かした。

(手話……?)

 脳に直結しているヘッドセットが装着者の目からの映像を瞬時に読み取り言葉に変換し脳に伝える。

『大丈夫か? その目を治してやる。いくらなら出せる?』

(目を、治す……?)

 声を出そうとしたが、微かな息が漏れるだけだった。意識が朦朧とする。何も答えられない。

 閉じそうな目を見、回答が得られないと判断すると、防毒マスクはその場にしゃがみ、外套の中から何かを取り出した。何かはわからなかった。視界が霞み、もう殆ど見えていなかった。そのまま、ぷつりと意識が途切れた。



 次に目が覚めたのは、小さな廃墟の一室だった。視界が半分、ない。

 まだ頭がぼんやりとする。半分の視界でゆっくり辺りを見渡すと、あの防毒マスクが部屋の入口に座っていた。視線に気づいたのか、防毒マスクは外套から両手を出す。

『気分はどうだ?』

「気分……ぁ」

 声が出た。無意識だったが、声が出るようになっている。

『脳に少しダメージがあった。治療しておいたが、三日眠っていた。包帯を外して義眼の状態を確認してくれ』

「脳の治療……? 義眼も……?」

 こくりと防毒マスクが頷く。

 脳の治療をしたなら、こいつは医師か? だが義眼を作ったと言うなら、技師か? その両方である場合も珍しくはないが、今の所拒絶反応なども出ていないし、特に異常はないと思う。医師としても技師としても申し分がない。

 視界を半分覆っていた右眼の包帯を外すと、左右の目は同じようにくっきりと世界を映した。瞬きをし、目を左右に動かしてみても、違和感がない。

「見える……」

 異常がないことを確認すると、防毒マスクは立ち上がりこちらに歩いてきた。外套の中から割れた鏡の破片を差し出す。

『左右の目の色を揃えることは難しい。少し色が違うが、構わないか? その分割り引いておく』

 渡された鏡の破片を覗くと、確かに左右で少し色が違った。自分の元々の左眼は琥珀色。義眼の右眼は金に近い色だ。

「見えるなら気にしない……」

『それはよかった。代金は、始末した二人の分は気にしなくていい。脳の治療と義眼が一つ。色の違いを割り引いて――』

 初めてこいつを見た時も思ったが、こいつは何と言うか、医師や技師と言うより、商売人のようだ。

「これじゃ駄目か?」

 ポケットに入れて、いざという時のために大切に持ち歩いていた三粒の植物の種。何の植物かわからないしたった三粒だが、この世界ではそのたった三粒が大きな意味を持つ。

『死んだ種ではないな。充分だ。充分すぎる。義眼の質を上げることができる』

 種の上に掌を被せていたが、その手袋は種の状態が見られるものなのだろうか。種にも死があったとは知らなかった。

「質を上げるっていうと?」

『望遠機能や発光機能、映像記録などを付属することができる。試しに自分の目でしてみたいことなど言ってみろ』

 便利そうだと思ってしまったが、この濁った見通しの悪い世界で望遠なんて無意味だし暗いからと発光なんてしたら居場所がすぐにわかってしまうし映像を記録する意味も思い当たらない。

「目はこのままでいい。その代わり、その武器が欲しい」

 手の辺りを指差す。男達や銃をさっくりと切り落とした紐のような武器。今まで武器を持っていなかったから、殺されてしまうとびくびく震えながら生きるしかなかったんだ。武器さえあれば戦うことができる。自分の身を守ることができる。その武器はこいつの武器だ、簡単には譲ってくれないだろうが、新しく作ってもらえるかもしれない。

『これが良いのか? 構わない』

「え?」

 簡単に譲ってもらえた。

『でもこれは試作品で、さっきの種の価値には届かない』

 試作品でもあんなに強かったんだ。充分役に立つはずだ。両手首から腕に装着していたものを受け取ると、思っていたより重かった。こんな重いものを両腕に装着してあんな軽捷な動きを、そして手話を行っていたというのか。

「だったら、僕を弟子にしてほしい!」

『……は?』

 こんな腕の立つ医師だか技師だかに弟子入りすれば、きっと強くなれる。きっと今よりこの世界が生きやすくなるはずだ。防毒マスクは少し考えるように手を止めるが、武器も譲ってくれたんだ、きっと頷いてくれるに違いない。

「あの、僕は未夜って言います! あなたの名前は何て言うんですか?」

 勢い込んで尋ねる未夜を見詰め、防毒マスクは静かに手話を紡いだ。

『弟子なんかいらない。足手纏いだ。死に損ないが』

「え……?」

 突き放すような言葉だった。

『縋ってくる奴は嫌いだ。近くに支え棒があればすぐに掴まろうとする。最初から自分で諦めて他を利用するような奴は、さっさと空を掻いて倒れればいい』

 そっちが勝手に……助けたくせに。

 勝手に、支えたくせに。

『ああ、そう言えば名前も訊いていたな』

「……」

 酷く冷たい空気が流れた。


『名前は――紫蕗(しろ)


     * * *


 海辺の小屋で未夜は目を覚ました。壁に寄り掛かった身を起こし外を見遣ると、雨が降っていた。小雨ではあるが、小屋の中に少し吹き込んでいる。

 夢を見た。師匠――紫蕗と初めて会った日のことを。紫蕗には突っ撥ねられたが、あれから紫蕗の後ろをついて回り、周りをうろちょろしていた。弟子だと認めてもらえたことは一度もなかったが、近くにいるだけで学べることはたくさんあった。弟子だと認めてもらえなかった分、種の差額の代価だと食糧を分けてもらった。声も一度も聞けなかったが、紫蕗は声を失っているのだろうか。あんなに強いのに。と何度も思った。

 紫蕗にとって未夜は弟子ではないが、未夜にとって紫蕗は師匠だった。

 紫蕗に出会ってからたった一年。後ろをついて回れたのはたった一年だけだった。その後治安維持コミュニティに声を掛けられ、行く当てもなかったので参加した。違界を出たのは紫蕗と別れた一年後。それから五年、ずっとこちらの世界で活動している。と言っても問題に対応するのは今回が初めてだ。一年間紫蕗と共に過ごし、少しだけだが技師を名乗れるようになり、コミュニティの人間からは戦い方を学んだ。紫蕗に譲ってもらった武器も、重さを気にすることなく使えるようになった。今ならきっとどんな問題にも対応できる。きっと昔より生きやすくなっている。そう信じて。

 あの青羽という男は、きっと何かを隠している。原因不明ではあるが、その場にいたのに何も知らないのは不自然すぎる。それに――


     * * *


 学園祭が近づくと、怒濤のように日々が過ぎた。

 飾り付けられていく校舎。

 天気は台風の接近により少し雲があり風もあり、良いとは言えないが、予定通りに祭を決行することになった。

 グラウンドの出店準備の様子を横目で見遣り、ルナもせっせと調理室から教室へ焼菓子を運ぶ。

「もう時間ないよ!」

「早く早く!」

「やっべ、俺まだ着替えてねーし!」

 バタバタと準備に奔走する。

 着替えの終わった接客班は他の班のサポートに回り、クレープ班と焼き鳥班は廊下側の窓を外した前に道具を配置する。

 机を並べ合わせ布を敷き、テーブル席も作る。

「玉城、そこのアイスボックス開けてくれるか?」

「承知!」

 ケーキを持ち両手が塞がっているルナに、花菜はアイスボックスを開けてやる。大きなアイスボックスには、主にルナが作ったケーキが入っている。製菓班の女子達が、青羽君のケーキの方が美味しい……と言い出したため、殆どルナの一人仕事となってしまった。当分お菓子作りは遠慮したい。

「おいしそう……」

 隣にしゃがみ、キラキラと目を輝かせ花菜はケーキに釘付けになる。

「端やるよ」

 切り分けた林檎のパウンドケーキの端を与えると、花菜はすぐに齧り付いて幸せそうに笑った。

「青羽君、ケーキ屋さんやろうよ。おいしいよ!」

「蜂蜜練り込んでみたんだけど、どう?」

「熊になってもいいくらいおいしい」

「ごめん、意味がわからない」

 そんな会話をしながらアイスボックスの蓋を閉めようとすると、ぬっとフードに隠れた頭が覗き込んできた。

「――うわっ!?」

「俺も」

 花菜とは逆の隣に腰を落とし、手を出す宰緒。

「俺も働いたからなぁ、ご褒美ご褒美」

「サクもちゃんと働いたのか」

 宰緒は確か焼き鳥班だ。宰緒のことだからてっきり、面倒臭い、と言って端の方でサボっているのだと思っていた。

「鳥並べた」

「あ、そう」

 並べる仕事? よくわからなかったが、パウンドケーキのもう片端を宰緒の手に置くと、すぐにがつがつと食べた。

「俺今日朝メシ抜きだったからな。死ぬかと思った」

 朝メシ代わりか。また夜更かしして寝坊したのだろう。

 アイスボックスの前で三人でしゃがんでいると、突然頭上から声が降ってきた。

「こら、何サボってんだよ。あと五分だぞ」

 声のした方を見上げると、接客の衣装に着替えた勇斗が立っていた。接客班の衣装は花菜がデザインし、半分は彼女が制作した。慣れているため手が早いのだ。男子の衣装は黒を基調に青が入っていて、女子の衣装はピンクを基調に黒が入ってヒラヒラしている。女子衣装は可愛いと好評。男子からも可愛いとちらほら耳にする。

「さっき運んだケーキでとりあえず最後かな。ボックスが空けばまた持ってくる」

「私はおとなしくしててって言われたので」

「俺は仕事後の腹拵え」

「店に出すもので腹拵えすんなよ」

 尤もなツッコミだ。

 花菜はまた派手に転んだりしたのだろう。

 勇斗は忙しそうだ。

 教室の三分の一程を布を被せたボードで囲った中にアイスボックスを移動させ、接客班の花菜は外に出る。仕事は午前と午後の交代制で、花菜は午前中の担当だ。五分前ということで、午前中の仕事がない者はぞろぞろと教室を出て学園祭を楽しみに行く。

「青羽は午前フリーか?」

「製菓班は終日フリーだな」

「マジかよ……店番代われよ。鳥焼くだけだぞ」

「鳥焼くだけって言うなら店番しろよ。製菓班はもう充分お菓子焼いて仕事したんだよ」

「――あ」

 床にしゃがんで面倒臭そうな宰緒に溜息をついていると、唐突に会話を切られた。宰緒の視線を辿ると、焼き鳥窓の前に、フードを目深に被り外套で全身を覆った怪しげな格好の者が二人、立っていた。

「何だあれ、何処のクラスの出し物だろ。演劇部かな」

 物珍しげに見ていると、ふとフード頭がこちらを見た。気がした。声を掛けられた店番の男子がこちらを指差している。ように思う。

 店番の男子が振り返り、ルナに目を合わせた。

「青羽、お客さん」

「え、俺? 誰……?」

 フードで顔が隠れていて誰かわからない。腰を上げて教室から出ると、手前にいたフードが近づいてきた。ルナより少し背が低い。

「えっと……どちら様で……」

 三歩ほど手前まで歩いてきたかと思うと、突然そこから飛びついてきた。


「ルナぁ――!!」


「いっ!?」

 がっしりとルナに抱きつき、ぎゅうっと抱き締めてきた。飛びついた拍子にフードが外れ、淡い紫色の髪と空のような青い瞳、そして頭に装着したヘッドセットが露になった。クラスメイトや廊下にいた生徒達が「おお……」と色めき立つ。

「しっ…椎? ってことは、そっちは灰音……?」

 後ろにいたフードは黙って頷いた。

 店番で焼き鳥を焼いていた男子が「彼女?」とにやにや顔で尋ね、慌てて否定する。でもいきなり女子が抱きつくというのは、そういう誤解を招いてしまうだろう……どうしよう。

 だがその前に我に返る。もしかしたら未夜がまだ近くでうろうろしているかもしれない。この髪色とヘッドセット、そして首輪というわかりやすく目立つ記号が目に入ればすぐに椎が違界の人間だとわかってしまう。どんな手段でここまで来たのか知らないが、学校で騒ぎを起こしたくない。外れたフードを急いで椎に被せ、視線を浴びる廊下から逃げるように椎と灰音を連れて教室の中に戻った。

 店番男子はくるりと振り返りもう一度「やっぱ彼女?」とにやにや揶揄するように尋ねるが、面倒臭くなったのか横から宰緒がぼそりと「こいつのイタリア友達」と言うと、何かを納得したのかそれ以上揶揄されることはなかった。抱きつくくらい何でもない普通のことだと判断したのだろうか。宰緒に感謝する。だがイタリア友達が何故こんな格好をしているのかという新たな疑問が生まれた。

 ルナは椎を隅に座らせ、小声で尋ねる。

「どうやってここまで来たんだよ?」

 釣られて椎も小声になる。

「皆に教えてもらった。ルナの家と学校の場所。この時間だと学校の方かなって。会えて嬉しいな」

 にこりと笑う。

「その前だよ。イタリアからどうやって日本に?」

「えーと……灰音ー」

 ちょいちょいと灰音を呼ぶ。灰音も傍らに片膝をつき、小声での会話に加わる。

「紫蕗の試作品だという魔法玉が一つ余っていると聞いてヴィオから奪ってパスポートというものを作った」

 ヴィオの脅える姿が目に浮かぶ。

「パスポートを偽造したのか……」

 あの黒い玉、本当に何でもありだな。

「それで、何でこっちに? 向こうにいれば違界もこっちも知ってる黒葉がいて住みやすいのに」

「ルナに会いたかったの」

 屈託なく笑う。こっちが恥ずかしくなってくる。

「でも今は不味いんだよ」

「不味い?」

「違界の治安維持コミュニティに所属してるっていう人がこの辺をうろうろしてるんだよ。イタリアでコル達が暴れたあの件を探ってる」

 唐突な展開に椎はきょとんとする。首を傾ぐので、椎はこのコミュニティのことは知らないのかもしれない。

「そんなコミュニティがあるとは初耳だが、他人のコミュニティなんか一々把握していられないからな。とりあえず殺すか?」

 とりあえずメシでも食うか? みたいなトーンで人殺し発言をしないでほしい。相変わらず灰音は物騒だ。

「幸い今は学園祭中で、二人がそんな格好していても然程目立たない。フードは取るなよ?」

「うん、わかった。でも学園祭って何?」

「え? あー……お祭りだよ」

「お祭り……? 美味しい食べ物を食べたり踊ったりすること、って絵本で見たよ」

「踊らないけどたぶんそう、そんな感じ。何か食べてみるか? 焼き鳥とか……いきなり肉は無理か? クレープ作ってきてやるよ」

「何かわからないけど頑張って食べてみたい」

 イタリアにいる間、椎と灰音はこちらの食生活に順応するため、食事の練習をした。最初は流動食も喉に支えながら時間を掛けて食べていたが、ルナと宰緒が日本に帰る頃には固形物も多少喉を通るようになっていた。あれからも練習を続けていたのなら、クレープなら軟らかいし、食べられるかもしれない。

 ルナは立ち上がり、まだ客の少ないクレープ窓の円い鉄板を一つ借りる。

「青羽君、クレープも作れるの?」

 クレープ店番の女子が興味津々に覗き込む。

 幼い頃から母親が料理をする姿をよく見ていた。色々なものを作りたい、という母親はよく菓子類も作っていた。空でレシピを言える程ではないが、作り方は何となく頭に入っている。

 クレープのタネを掬って鉄板に流し、クレープ用の小さなトンボでくるくると滑らかにタネを薄く円く均一に広げていく。

「上手いね。私なんて厚さがぐちゃぐちゃだよ」

「手早くやればちゃんと伸びるよ」

 クリームを搾り、薄くスライスされた苺を並べ、チョコレートソースを掛けて生地をぱたぱたと折り畳む。紙をくるりと巻けば、クレープの完成だ。店番女子が小さく拍手する。

「代金はこの箱の中に入れればいいのか?」

「うん、ありがとうございまーす」

 鉄板を置いている机の下から紙箱を引き抜き代金を入れておく。

 クレープ片手に椎達のもとへ戻ると、椎が興味津々でアイスボックスを開けて見ていた。

「あ、冷やしてるんだから開けるなって。これやるから、ほら」

 慌てて蓋を閉め、出来立てのクレープを渡す。

「私の分は」

「俺のは」

 灰音と宰緒が同時に言った。

「ないよ」

 揃って舌打ちした。

 椎は手渡されたクレープを様々な角度から見回し観察している。

「やわらかい」

 小さく齧り咀嚼すると、椎は目を輝かせた。

「甘い! 私これ好き!」

 クレープをルナに突き出し、もう一口齧る。

「へぇ、味がわかるようになったのか」

「サクは部屋に引き籠ってたからなぁ……。砂糖を舐めてもらって、これが甘い味だって教えたんだよ」

「あー、なるほど」

 イタリア滞在中のことなのだが、宰緒はあの件の後も変わらず部屋に引き籠って端末に向かっていた。ルナ達が何をしていたかなんて知らないだろう。

「甘いのか。私は甘い味はあまり好きではなかったな」

 灰音は腕を組み唸る。

「じゃあ鳥食えば?」

 何故宰緒は投げ遣りなんだ。

「鳥?」

 鳥という単語に椎が反応する。

 店番男子が焼いた焼き鳥を一つ失敬し、椎に突き出す宰緒。

「これ」

「これが、鳥……? 空を飛ぶあの鳥……?」

 不思議そうにまじまじと焼き鳥を見る。

 椎の視線を浴びながら、宰緒が焼き鳥に齧り付いた。お前が食うのか。

「久慈道、後で金払えよ。つかお前も店番だろ。仕事しろ」

「青羽、頼む」

「何でだよ」

「ルナ、あの鳥の羽は? あれは何ていう鳥? あれ何?」

 どうしよう。何から説明すればいいのだろう。

 宰緒に倣い、灰音も店番男子から焼き鳥を一本奪った。食べ放題でも試食でも配給でもないことを早く教えなければ。

 灰音は串から一つ引き抜きもごもごと咀嚼する。

「私は甘い味よりこっちの味の方が好きだな。鳥がこんな味だったとは」

「ふわ……」

 椎が愕然としている。

「えーと……椎、これは鶏って言って飛べない鳥なんだけど、こっちの世界ではよく食べてるもので、その」

「鳥……食べられるんだ……。そう言えば絵本で見たような気がする……首を落とされて……」

 残酷な描写のある絵本だなとルナは思った。

「椎も食べるか?」

「た、食べてみる……食べたら飛べるようになるかもしれない」

「飛べないけどな」

 灰音は再び店番男子から焼き鳥を一本奪い椎に手渡す。店番男子が「青羽ぁ」と助けを求める。

「灰音、それは売り物だからお金を払わないと駄目だよ」

「金なら黒葉に貰ったぞ。お前に会うまでに必要だろうと」

「良い奴だな黒葉」

「でも飛行機でこっちに渡ってからはあまり使えなかったぞ」

「?」

 何となく察しはついたが、灰音がごそごそと外套の中から掴み出したものを見て納得した。灰音が持たされた金はユーロだ。

「そういえば黒葉はイタリアから出たことなかったな……。灰音、そのお金はこっちじゃ使えない。日本円に換金しないと」

「何? 使えないものを握らされたのか?」

「換金すれば使えるようになるよ。今は俺が立て替えておくから……えっと、後で返して」

 奢ろうかとも思ったが、先に金の価値を覚えてもらおうと返済を希望する。椎に与えたクレープはまあ、奢りで構わない。

 椎はクレープを飲み込み、焼き鳥の先を小さく齧り切る。まだ食べにくそうだ。違界で今まで喉に一度も何も通していないのだから当然か。

「んー、鳥も好きだけど、私はクレープの方が好き!」

 焼き鳥を飲み込み、クレープに再び齧り付く。焼き鳥を見てあんなに愕然としていたのに、もう順応している。早い。

 食べ物を与えていると椎も灰音も食べ物に集中しておとなしいので、このまま裏方の隅にいさせてもらおう。喉に物が通るようになったとは言え、まだ自然に食べられるようにはなっていない。集中していないとすぐに喉に詰める。


「青羽君! シフォンケーキあるー?」


 裏方のカーテンを少し開け、花菜がひょっこり顔を出した。

「どのシフォン?」

「えーと……紅茶!」

「わかった。出すから待って」

「げほっ、げほ」

「……大丈夫か?」

 急に声が通って驚いたのだろう、椎は苦しそうに咳込む。咳込んだ椎に、声を出した花菜も慌てて裏に入ってきて客に出すためのオレンジジュースを差し出す。

「だっ、大丈夫ですか? これオレンジジュースですけど飲めますか?」

「うぅ……」

 よろよろとジュースの入った紙コップを受け取り、ゆっくりと喉に通していく。

「ごめんなさい……」

 しゅんとする花菜に、気にするな、とフォローしておく。

「死ぬかと思った……」

 涙目になりながら、空になった紙コップを花菜に返す。

「青羽君のお友達ですか? 本当にごめんなさい……」

 頭を下げて謝る花菜に、椎はふわりと笑う。

「大丈夫だよ。私の不注意だし。背が同じくらいかなぁ、あの子と」

「え?」

 後半の意味がわからずきょとんとする。

 カーテンの向こうで「玉城さーん! まだー!?」と声が聞こえる。ルナはアイスボックスから紅茶のシフォンケーキを一切れ取り出し皿に載せる。

「玉城、はい」

「あ、ごめん! 忘れてた! えっと後はクリーム……あ、ありがと青羽君!」

 シフォンケーキを受け取り忙しなくクレープ店番女子からクリームを借りる。接客は忙しそうだ。

 椎はというと、あれだけ苦しい思いをしたのにまたすぐにクレープを齧っている。余程気に入ったのか。

 椎が嚥下したタイミングを見計らって話し掛ける。

「椎、あの子って? もしかして違界の子?」

「うん。私と灰音に転送装置を造ってくれたお爺さんと一緒にいた女の子。助手だって言ってた。その子と同じくらいの身長かなーって」

「ふぅん……」

「転送装置が完成した時、私達が転送された時、近くにいたのかなぁ。無事だといいんだけど」

「何かあったのか?」

 そういえば以前、二人の転送が邪魔をされ灰音が殺したとか何とか……。

「転送装置を嗅ぎつけてきた人達が、装置を造ったお爺さんを殺してたの。その時はあの子は見当たらなかったんだけど、何処かに隠れてたとかならいいんだけど、殺されて死角に倒れてたんなら……」

 目を伏せ、ぼそりぼそりと徐々に声が小さくなっていく。そんな現場、思い出したくないだろう。

「ごめん、嫌なこと――」

 椎の肩に手を置こうとした時、聞き覚えのある声が耳朶を震わせた。唾を呑み、ゆっくりと振り返る。

 取り外した窓から、未夜の姿が見えた。

「っ!」

 目が合いそうになり、慌てて顔を逸らす。気づかれただろうか。ルナに気づいたとして、椎と灰音はフードを被り髪もヘッドセットも首輪も見えていない。大丈夫だ、きっと気づいていない。

 未夜は接客に従事する花菜の姿を見つけ教室に入ってくる。

「椎、灰音、さっき言ってた治安維持の未夜がいる。後ろのドアから外に出ろ」

 教室の前のドアは客が自由に出入りできるようにしてあるが、後ろのドアはスタッフ――このクラスの生徒専用の出入口としていて、客は使えない。未夜も例外なく前のドアから教室に入り、裏方の作業場は完全に死角になっている。ルナの居場所を花菜に訊けば、彼女は理由もわからないまま答えてしまうかもしれない。椎と灰音のことも何か話してしまうかもしれない。フードを被った怪しい二人を、あの場にいた他のクラスメイトも見ている。見つかるのは時間の問題だ。逃げるなら今しかない。

「悪い人?」

「やはり殺すか」

「殺すな。逃げるぞ」

「クレープまだ残ってる!」

 半分ほど残っているクレープを掲げる椎を宥め、手を引く。

「持っていっていいから! 見つかったら殺されるかもしれないんだぞ!?」

「それは嫌だ!」

「やはり殺そう」

「やめろ! 学校で騒ぎを起こしたくない」

 銃を出そうとする灰音を落ち着かせ、二人の腕を掴んで廊下に飛び出した。

 違界の問題に学校を巻き込みたくない。それに今日は学園祭だ、学校外の人間も多く来校している。こんな人の多い場所で殺すだの殺されるだの物騒な争いを起こされたくない。

「おー、ルナー」

 隣のクラスの友人がルナの姿を捉え、クラスの出し物なのだろうヨーヨーを片手に手を振ってきた。

「寄ってけよー」

「ごめん! 今は無理!」

 走りながら軽く手を上げ断り、慌ただしく友人の前を駆け抜けた。

「ん? おお……急ぎか?」

 ルナ達の背を見送り、友人は手を振る。

 学園祭を楽しむ生徒と一般客の間を縫うように擦り抜け、ルナ達は廊下を駆けた。


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