5話 サプライズ・ライブ!
「これは一体どうなっとるんじゃ……」
おっちゃんは、品物を出すカウンターで突っ伏している。
その姿は本当に困っているというような風には俺には見えない。どこか、春景の日差しを浴びた桜のみたいにぽかぽかとした笑顔も浮かべているように感じたからだ。
「そんなことしてたら、衛生的に良くないっすから」
品物を出すはずの場所にこうも突っ伏していたら、髪でも入ってしまうかもしれない。もっとも、頭の御山が寂しくなったおっちゃんのことなので気にする必要はあまりないのかも知れないが……。
「いやあ、だってのう」
おっちゃんの視線の先には、溢れんばかりの美女たちが二人。
白銀の髪を揺らしながら、妖艶な微笑みをする雪芽さんは、男性客を魅了してやまない様子だ。そして静奈ちゃんは相変わらず、一生懸命さがにじみ出ていて、思わず応援したくなる可愛さを持っている。
「いやあ、タイプの違う二人がいて良いですねえ。それに、人が増えてきたんですから、働き手は多いほうが良いんじゃないっすか」
「ああ~、まあそうじゃな。もし不況になったら雄一君を解雇したら良いしのう」
な、何をさらっと言っているんだこのおっちゃんは!! 心臓に悪いって何回も言ってるでしょうに!
「そうじゃないでしょうよ! ほら、もう開店同時に来た人だって待っているんですから。早く仕事してくださいよ」
「雄一君だって、はよいかんかいな!」
「俺が注文取ったりすると、いやな顔をされるんすよ! ああ、せっかくの盆捌きがなあ」
おっちゃんは、へいへいっというように手をひらひらとこちらに向けて、厨房の方へと帰っていく。
距離にしては、カウンターとはすぐの場所なのだが、ずいぶんと背中が丸くなったように見えた。
思えば、こんな風にゆっくりとおっちゃんの背中を見たことはなかったかもしれない。特に、仕事中となれば、である。
「ほおら! 注文たくさん取ってきちゃったあ」
雪芽さんは、自慢げに俺に用紙を渡してくる。
「ちょちょっと! どんだけ売りつけたの! さっきのお客さんたちって二人だけでしょう! 二十本も食べられるんかいな……」
ほほほ、と胸を張る雪芽さん。
ううん、これはこれで良いかもしれないな! 本当にこの人は、すらっとしたモデル体型なのに、出るべき部分はしっかりと出ている。素晴らしい! セクシー担当としても、きっとやっていけるはずだ!
それは年上だからこそ出せるものだというのか、俺は一応年上だろうということで「さん」付けにはしているのだが。
雪芽さんは、自分は幽霊であるということを自覚はしているようであるが、それ以外のことは知らないらしい。ともかく、あの物置にいて、自分では外に出られなかったということだけが分かっていることだという。そして、案の定のことを俺は言ってしまった。
まあた、アイドルになりませんかって言っちゃったよ。
素質のありそうな子を見つけたら、そんなことを言うようなやばい人になっちゃったのかなあ、もう。
アイドルってなんだい?
と、雪芽さんは言った。
当然、静奈ちゃんに話したことと同じように言ったのだが、反応はまるっきり違った。
面白そうだから! という理由でOKしてくれたのだ。
そして、生前も歌をしていたというので、これは即戦力! と俺は小躍りした。
そしてあることを考えた。
「どうしたんですか? どんな顔をして」
静奈ちゃんは、ニヤニヤしながらも、思考を巡らせている俺を気遣ってくれる。
さっきまでお客さんと少し話をしていたらしい。女性の人たちであったが、人気があるということは素直に凄いと思う。異性からはともかく、同性の人たちからも人気があるなんて、俺とは全然違う。
「ああ、大丈夫だよ。それより、今日の調子はどう?」
「あ、はい! な、何とか……なるんじゃないかって思います」
俺は、静奈ちゃんから言われて安心した。それは良かった。
これだけ安堵するのにはちょっとした、いいや、大きな理由がある。
今日は、サプライズ的に雪芽さんが入ってきてくれた。このことはとても大きい。当然、この機会を利用しない手はない! プロデューサーとしても、ここが腕の見せ所だ。まさに、今はみんなが静奈ちゃんのあのライブを心待ちにしているに違いない。
だからこそ、今日は静奈ちゃんに歌を披露してもらう!
今朝、貼り紙を店の前に掲示した。おっちゃんは、そんなんで人なんか来るかね、と少し疑ってはいた。正直、これで人が来なければ、静奈ちゃんも落ち込んでしまうかもしれない。当然だが、一回目があれだけ成功で終わったのだから、それ以上の結果を生み出すことは容易ではない。
だが、ここ数日の様子を見ていれば、それはないだろうと踏んだ。そして、今もその気持ちは一切揺らいでいない。
そして、俺はそこに雪芽ちゃんを出そうとしている。少しで良い。顔見せくらいの自己紹介をしてもらえば、またそれでこの茶屋に対する、いや彼女たちへの期待は嫌が応にも高まっていくはずだ。
「ありがとう。ライブまであとちょっとだから、頑張ってね」
「はい! 頑張りますね!」
そう言って、静奈ちゃんはとてとてと歩いて、また仕事へと向かっていく。あの時の光景を、俺はまた思い出す。本当に輝いていた。俺は、残念ながらああいう風になりたかったが、なれなかった。でも、それを手伝うだけの存在にはなれるかもしれない。そして、それがおっちゃんの店の繁盛にも繋がれば良い。
「あらあ、何をお話ししていたの?」
雪芽ちゃんは、団子を取りに来たついでにか、俺に話しかけてきた。
「ああ、今日ね。静奈ちゃんがライブを、ああまあ人前で歌うっていうことで、状態は大丈夫かなって。そういう話をしていたんだよ」
「へ~」
考え込むようにして、天井の方を見上げる。木目の板が敷き詰められている。決して綺麗とまでは言えないが、少し年季も入って、味わい深いものになっている。
「なら、あたくしも歌うわ」
「え?」
「だってえ、静奈ちゃんだけにやらせるのは可哀そうじゃない?」
いや、そんなことはないと思う。それは、静奈ちゃん自身が歌が好きだということでしていることで、彼女自身も今日やるということを話したら、大いに喜んでいた。
そして、雪芽さんがそれをすることにはまた、問題が出来てしまう。
「でもねえ、歌は出来るの? そもそも、歌っていうのが最近解禁されたばかりで」
「解禁? あたくしの時は歌なんてたっくさん世の中に出回っていたのよ?」
「は? ……あ、そうやんけええ!」
雪芽さんは言わば、生きる化石状態じゃないか! 言い方は最悪だけどもな!
当時はまだ、娯楽は禁止されてなんかいないんだ。だからこそ、多くの歌は知っているし、そもそも歌うこと自体のスキルは、ほかの誰よりも優れているのではないだろうか?
「ね!」
ウインクして見せると、雪芽さんは耳元に近づいて囁く。
「だから、あたくしも立たせてよ。あなたの作る、最高の舞台に」
ふわっとした髪と、小さくて透き通るような肌が近づくと、俺は思わずドキッとしてしまった。
しかし、これでもしも、もしも上手くいったのであれば……またしても前回のようなことになるのは間違いないばかりか、それ以上の事態になるのではないか! 仮に、だ。仮に失敗したとしても、初めてだから仕方のないことだと済ますことも出来る。それにこれだけの美人で、スタイルも良い。そんなことにはならないだろう。
リスクを考えてはならないぞ、俺!
「よし! やっちゃいましょう! ちなみに、何か唄えたりは!」
「とっておきのが、あるわよ」
雪芽さんはまたしても俺にウインクをすると、またしてもお客の待つ場所へと料理を運んで行く。
人をひらりと避けていく様子は、ダンスを踊っているかのようで、舞をまっているようにも見えた。それは素直に見とれてしまうほどで、彼女が幽霊であるということを忘れてしまう。
おっちゃんだって、こうした事実に頭を抱えてしまうのは仕方のないことだ。でも、そういうのも悪くはない。
「さあて! 俺も! サボらずに時間まで頑張りますかあ!」
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「それでは、今より。始めさせていただきます!」
こういうのは、司会というのだろうか、MCというのだろうか。ああ、どっちも同じような意味?
俺は二人のおぜん立てとして、大きな声を出す。
あらかじめ、昼が優に過ぎて、閉店の少し前と時間を決めていた。これは、仕事をちょうど早めに終わらせた人たちが来られやすいようにしたためだ。
今回は前と違って、今朝ではあるが告知をしているだけあってやはり多くの人に集まってもらった。
すでに満席である。戸を開いているので、立ち見の人もいる。
「立ち見は、わしのこの魂の料理を食わずして観るのか!」
とおっちゃんはさっきも話していたが、これで良いんです、と俺は腕を組みながら答えた。
そう、これで良い。例えば、俺の世界でも流行っているアプリのゲームは基本料金が無料だ。
結果、彼女たちのことを間近で、そしてさらに楽しみたいと思ってもらえないうちに、お金を取るというのはいささか道理に合わない。それはまだ早い。
搾取されてきた側、といえば聞こえは悪いけども、どうやったらお金を払いたいかくらいは多少心得ているつもりだ。
「よ、よろしくお願いします」
静奈ちゃんは、おずおずとまたちょうど舞台だった場所に立つ。
今では、その面影はなくなってしまったが、調理場のカウンターの前というみんなの様子を見て、見られる場所だ。もちろん、観衆との距離も近い。
多くの拍手を浴びる。
この中には、二回目だという猛者もいるかもしれない。そういった人を大事にしなければ……。
そして歌が始まる。
持ち歌は一曲しかないうえに、伴奏などもないアカペラだ。それゆえに誤魔化しが一切効かない。
「きっと……また約束して」
静奈ちゃんの精錬された歌声は本当に凄い。練習しているところを見たことはないが、どうやってのどの調子や、その音程をしっかりと捉えることが出来るんだろう。
「すごいのう……」
「本当に。圧巻ですよ」
観客も、食事をしながらの公演と言いながら、実際にはそれに手を付ける人はいない。いや、付けられないのだと思う。初めての人は、もう目を丸くしている。開いた口が塞がらないといった調子。
「ありがとうございました」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
「なんて歌声だ!」
「将軍に感謝しなければ! こんなものを一生聴けずに死ぬところだったあ」
割れんばかりの拍手。
一番後ろで見ていた人たちも、惜しみない拍手を送っている。その顔にはみな、笑顔が浮かび、他には泣きそうな者もやはりいた。最初にこれを聴いたら、そのインパクトはすごいものだって!
「さあ、そして。他には今日。もう一人、この竜照庵で働いてくれている仲間の人がいます!」
「「「おおおおおおお! 気になってたぜ!」」」
おっさんたちの野太い声がする。
さっき雪芽さんが働いているところを見ているから、余計にすごい興奮をしているのだろう。
竜照庵全体が、山のようにどっしりと胎動しているようだった。
「紹介しますね! 雪芽さんです!」
「な、なにい!?」
おっちゃんは声を出す。
観客の声も、一瞬にして消える。調理場の奥から出てきた雪芽さんは、さっきのような割烹着ではない。
「こ、これは……なんじゃ」
「着物ですよ」
「い、いや。そうじゃが」
「割烹着には近いでしょ?」
「じゃが、どうしてあやつには着物を?」
「あの物置にあったんですよ。そして、二人が同じ衣装、というのは今日はやめました。そもそも、雪芽さんが舞台に出ること自体が青天の霹靂。最高の提供。だけど、あの人は静奈ちゃんとは美しさ、アイドルとしてのベクトル、方向性は違います。だったら、下町所民感というよりは……ちょっと大人な貴族の女性というものを醸し出させる!」
「そんな、二つの隠し味を……」
「それだけじゃあない。俺は確信してますから」
「な、何を、じゃ」
「彼女の歌ですよ」
雪芽のいた物置に入っていたのは、大量の服だった。和服から洋服に至るまで様々。
彼女自身が着ていたものは、綺麗な白であったがそれゆえに汚れが目立っていた。だからこそ、情熱の赤い着物で勝負をかけることにした。
「今日から、働いておりますの。雪芽、と申します」
丁寧に頭を垂れる。
そこでようやくみんながざわつき出す。
「おいおい、何だよあの美人」
「着物ってだけで、大人っぽさが増していくぜ」
「お姉さんになってくれえええええ」
場はヒートアップしている。こ、これはまた静奈ちゃんとは違った空気だ……。
そして、雪芽は口をすぼめて、空気を吐き出して、ゆっくりと歌いだす。
「おおおお……」
おっちゃんも、俺も、観衆も感嘆の声を出してしまった。
「わたしがいなくなったとき 瞳の中にいるの あなたはずっと友達だから」
その細い声ながらビブラートの綺麗な声、静奈ちゃんよりは声が少し高いといった感じで鋭い矢を放ったように、その歌声が耳の中に入ってくる。
「これは、良い歌ですね」
「そうじゃな。友人を好きだった女性の、失恋って感じじゃな」
「余裕がありそうな雪芽さんだからこそ、こういう歌は意外性があってすっごく好きです」
「ああ、これは恐ろしい」
雪芽さんの隣で、静奈ちゃんもうっとりとしたような表情でその歌を聞き入っている。
もしや、この曲は雪芽さんの実体験なのではないか、とさえ思える。それくらいに感情を込めて、身振りのアクションも大きくなる。
そして、ずっと続いてほしいと思える時間も終わる。
「ふふ」
そう笑うと、頭をまた下げる。
何かがぱちんと弾けたように、拍手や指笛の音がまたしても包んでいく。
「すげー! すげえよこの店!」
「二人とも歌もだけど、曲もすっごい好きよ!」
「生きてて良かったあああ!」
方々で、みんなが感想を叫んでいる。
本当にこの人たちはすごい。俺にはないものを持っている。人を惹きつける力を、しっかりと持っている。そしてそれだけの実力が二人にはある。
雪芽さんは、静奈ちゃんをそばに寄せて、手を繋いで天高くつき上げた。
「今日は、ありがとうございましたー!」
静奈ちゃんはそう呼びかける。
二人は、俺を見てにっこり笑う。それに、俺も指を立てて、グッド! と合図した。意味は通じているか不明だが、その表情ですべてを読み取ったらしい。
またしても、竜照庵は揺れに揺れて湧いたのだった!