1話 新しい風
「何だこの腰抜けが!」
大男が俺に厳しい口調で言い放つ。
手には立派な刀を持ち、息を切らせてることもなく俺を睨みつけている。それはもう、へたれこむ俺を見下すかのごとくだ。
毎度の話だが、訓練で俺は一番最初に倒れてしまい、そして誰よりも剣の腕が上達しない。それでも、時折荷物を運んだり、食事の際には配膳を担当したりと一生懸命に仕事はこなしている。
「お前には取り柄がないな」
「そ、そんな殺生な物言いを!」
「良い。お前みたいなやつは軍人としても不要である。解雇通告を出す!」
「そ、そんな! 最近では何人分もの料理を運ぶようになれました! 駐屯地では、一度に五人分の皿を運べる人間はいません!」
「お前は軍人では無く、いったい何の腕を上げているんだ!」
「ひええ」
とにもかくにも、困る。辞職勧告であれば、まだ謝罪文を書いてそのまま軍人として居座っても良い。しかし、解雇通告は強制的に軍人としての籍をはく奪されてしまう。
「ここには、まだ来て少ししか経っていないんです!」
「確かに。お前は他の世界から来たとか言っていたな?」
「はい! だからその……お金が稼げないと、本当に飢えてしまいます!」
ハムスターのような目をして、俺は小隊長に土下座をする。こういう土下座はこの世界にきて何回目だろうか。既にプライドなんてものは存在しない。周りの兵士たちは嘲笑さえすることはしないが、我関せずといった感じでこちらを見ている。
「ならば、いっそ別の仕事でも探してみろ! だいたいなあ、異世界人が来たから可哀想だと、特別に入隊を認めてやったのだ。そいつを解雇しようが勝手だろう」
「う……」
確かにその通りだった。
ある日、来年に控える受験のための模試に行く途中、俺は神社が光っていることに気づき、好奇心で立ち寄ってしまったところ、この世界に来てしまっていた。そして、国は俺を保護してくれて希望の通り軍人にしてくれたのだった。
「さあ! 行った行った!」
小隊長は俺を邪険に扱うと、そのまま練習場の奥に引っ込んでしまった。周りの人間たちは、俺を憐れむように見ているが、特に声は掛けてこない。当たり前だ。こんな負け組に声を掛ける必要はない。
「本当にクビなのかなあ。俺、どうしたら良いんだろう」
俺はまだその場で、座り込むしかなかった。
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「雄一君! 今日入る新人の子って、もう来るのかね?」
「はい! 確か、お昼すぎだって言ってましたから」
俺は丁寧に机を拭いて、お客様がいつ来ても良いように準備をしている。とは言っても、今日は定休日で店が開くのは明日の話なのだが。
あれから二年、本当に大変だった。
結局小隊長に解雇を通達された俺は、そのまま軍の事務局に行き、正式に解雇が告げられた。
しかし、その場で、アルバイトの世話もしてくれたのだった。元軍人で、今は自営業をしている人が大勢求人を出していたらしく、俺はこの喫茶店というか、お茶屋さんで今はアルバイトをしている状態だ。
「今はこの茶屋、竜照庵も雄一君とわしの二人しかいないからねえ。もう一人くらい働き手が欲しいと持っていたところじゃよ。そうそう、昨日も話したが、新人の子の面接は圭祐君に任せたぞ」
「はい! 分かりました! でも俺の場合は軍にこういう話があったっていうのは良かったです。唯一、身についたお盆運びが役立てられたのですから」
「そうじゃな」
そう話すと、普段は目を閉じているような顔をしているおっちゃんが、急に目をくわっと見開く。こういう時は、何かを思い付いたり考えたりしたときだ。二年もいて、その特徴を少しずつ理解してきた。
「確かたしか。そういえば今日は将軍からのお達しがあると言うてたな」
「そういえば」
俺は今朝の瓦版の内容を思い出した。どうやら、将軍から今日何やら重要な御触れが出されるということだった。
この国には政治の一切を取り仕切る将軍がいる。将軍職は、村上家が代々、世襲をしているという。そしてその上には、王様もいるという不思議な構造になっている。シュハルト王という人が今の王で、政治は村上家の当主の家信という人が行っていて、シュハルト王はそれを承認するだけだ。
「わしらをまた縛り付けるようなものでなければ良いのじゃが」
「大丈夫ですよ! たぶん……」
ここ最近は、やたらと一般市民に対する締め付けが厳しくなった。軍の権威は上がり、身分の差がよりはっきりしてきたといって良いと思う。それでも、勉強一辺倒になっていた元の世界よりは、今の生活のほうが肌に合っているような気もする。
「じゃあ、わしは役所のほうへとちと出掛けてくるでの。面接はやっておいてくれい。合格ならば、わしが戻るまで留めておいてくれよ」
「はい! 分かりました! 行ってらっしゃいませ!」
手をひらひらとさせて、源三郎のおっちゃんは戸を開いた。
和服が非常によく似あっている。
どうも、この世界は変に和風なところがあれば、中世ヨーロッパのようなレンガつくりの家もあり、様々な文化が入り混じっている。それは将軍や王の名前を聞いた時から感じていた違和感だった。
「あのお……」
戸ががらがら、という音とともに開く。しかし、その音は小さく、非常にたどたどしい。
「いらっしゃいませ! 今日は生憎、営業はしておりませんで」
「ああ、違うんです! わたし! ここに面接に来たんです!」
「ああ! 面接の!」
俺は戸のほうを振り返ると、わずかに開いていることが分かった。おっちゃんから話は聞いていたが、声から察するに同い年くらいの少女だと思う。
ただ、中途半端に片方の顔が見えるかどうかという感じで実際はよく分からん……。
「こ、こちらへどうぞ」
俺は手を差し向けて、普段はお客様の座る席へと案内する。どうせ面接とはいえ、アルバイトなのだし、そんなに畏まってすることもないだろう。俺も学生時代にしたコンビニのアルバイトの面接は適当なものだったしね! そういえば、店長……潰れずに頑張ってるのかなあ。
「は、はい! 失礼します!」
少女が俺の座っている席の前を、姿勢を低くして足早に通り過ぎる。
その刹那だった。
髪から漂う、匂い、そしてサラサラとしていて秋の木の葉のように、一本一本がスローモーションに俺の視界に入ってくる。栗色をした、ロングの髪に思わず俺は見とれてしまった。こんなことは、この世界はおろか、元の世界でも無かったものだ。
「あ、あの……、どうしましたか? あ! わたし、失礼なことをしてしまったのでしょうか?」
少女は、俺が呆気にとられているのを勘違いしてしまったらしい。
「ああ、いや、ごめんごめん! こっちがぼーっとして……た」
改めて少女を視界に入れると、その美しさは倍増した。声や髪、匂いから想像するその倍以上の可愛さだった。目は大きく、奥ゆかしさを感じる。日本人のような特徴のある子なだけに、親しみはあるのだが、鼻筋も通っていて、男なら誰でもこんな子とお近づきになりたいと願うだろう。
「そう、ですか? なら良かったです!」
「くっはああああああ」
俺はそのまた満点以上の笑顔に心を奪われそうになっていた。
こ、これはいかんですよ! か、顔で評価をしてはいけないと分かってはいるが、もう軍配を上げても良いのではないだろうか!
「じゃあ、お名前からお願いします」
「静奈です。エトワス・静奈」
「良い名前だあ」
エトワスだとか何だとかの意味は知らない。だが、もうその何というか、俺はそういうしかない!
結局、いくつかの質問をしたが、いたって普通に受け答えをしてくれた。
モエンスという田舎の町から、自分を高めるためにこの首都ワンスまで来たというのは驚いた。
「じゃあ、これで面接はおしまいなんですが。俺は静奈さんを採用しても良いんじゃないかなって思ってます」
「本当ですか?」
それまで少し緊張気味だった顔が、一気に明るくなる。
きっと、あの時おっちゃんに拾ってもらった時の俺も、こんな感じだったんだろうなあ。
「あの、質問なんですが」
「ああ? おっちゃんですか? 店主の。 今、役所の方に行っていて」
「あ、違うんです!」
「え?」
「あの、ここって最初に貼り紙がしてあった時、住み込みも良いということが書いてあったのですが」
なあああにいいいいいいいい!
まさか! この子、住み込みがしたいとおおおおおおおおお!!!
この茶屋は三階建てになっていて、一階は茶屋。しかし二階と三階は部屋がいくつかあって住み込みが可能になっている。俺もそうしている。おっちゃんが言うには、もともとは旅館だったところを安く買ったのだという。なぜ安く買ったのかは知らん。
いや、しかししかし! もしもそうなるのであれば……? 俺は静奈ちゃんと暮らすということになってしまう! 仮にそうなれば俺たちは……! と、いかんいかん、そんなことを考えている場合じゃねえ。
会って初日だぞ。それにこの子はこんなに可愛いのに、俺は軍人を一か月ちょっとでクビになった異世界人。そりゃあ釣り合うわけもない。都会の闇に呑み込まれないでくれよ……。
「それはおっちゃんに聞けば許してくれると思います。部屋自体はたくさんあるので」
「良かったあ」
静奈ちゃんはそっと胸をなでおろす。よほど、この先の生活に不安があったのだろう。目にはうっすらと涙が見えるくらいだった。そして俺はそれを笑うことなんて出来ない。
「静奈ちゃんは、趣味とかあるの? 好きなこと」
「そうですね……。あるには、ありますけども」
面接の時とは違い、反応が良くない。もじもじとして、うつむいてしまっている。
「歌、です」
「歌あ!?」
俺は思わず、大声を出してしまった。
そりゃあ、大層な趣味だ。特にこの世界においては。
「そう、ですよね。ダメですよね」
「ううん。個人的には良い趣味だと思う。でも、この国は……一切の娯楽を、禁止しているから」
そう、この国は先代の将軍が、国民の引き締めを行うために、あらゆる娯楽が禁止されて勤勉であるようにとの御触れが出ている。本も学術書以外は出してはいけないし、そりゃあ歌を唄うのはもってのほかだった。
特に痛い趣味を持っている俺は、かなり辛い。しかし、その環境にもだいぶ慣れてきたというところだ。最初は……CDもないんだからとても辛かった。いや、それはもうね。
「良いんです! 所詮……趣味ですから。ここに来てからは、それも封印して、やめようって決めたんです」
「そう、だったんですね」
少し、どろっとした重い空気が場を支配し始めていた。こういう時に、何か声を掛けてあげたい。だけど、その言葉が出てこない。
それにしてもいい匂いの髪ですよね、っていうのか? 俺が無能すぎて解雇された話でもするか?
「おいおいおいおい! 雄一君! えらいことになった!」
勢いよくガラッと戸が開く。と同時におっちゃんが文字通り乗り込んできた。
そして視線は、俺の正面にちょこんと座っている静奈ちゃんの元に。
「ほう、これは中々に美人。いや、最初に面接がしたいといって来た時に会ってはいるんだがね」
なんちゅうことを言いやがるんだこのじじい! と思うそばで、外では慌ただしく人が行ったり来たりしているのが、全開きになっている外の様子から見て取れる。
「ここに、まだこの子がいるってことは、面接は合格なんじゃな?」
「あ、はい!」
「それは何よりじゃったな! いや、そんなことより、ふう、聞いてくれよ。将軍からの新たなお達しじゃ」
「は、はい」
「あたし何か、怖いです……」
「聞いて驚けい! なんとな! 娯楽が、全面解禁された!」
は?
「「ええええええええええええええええええええええええ」」
俺たちは叫んだ。
なぜ今になって、そんな唐突に?!
「ああ、もう大変じゃ。何か、わしらもやらねば! お客が減っちまうんじゃないか! もう、本当にこっちは困っちまうよ!」
俺は目線を少し外して、静奈ちゃんの反応を見てみた。そしてそのはず、静奈ちゃんは笑顔だった。
それはきっと、自分の趣味、したいことを出来る機会が生まれたからだろう。
俺がしたいことは、何だろう。う~ん、今は特に考えがつかないけども、ここの正社員になることかなあ。保険もちゃんと入りたいし、いつまでもアルバイトじゃあなあ。
ん? そうだ! 俺がその娯楽っていうのを逆に利用して、この茶屋を繁盛店にしてしまったら?
その時はおっちゃんも、俺を認めて正式に店を任せる「正社員」にしてくれるに違いない!
そしてそのためには……俺の好きな娯楽を通して何とかするんだ!
そう!
俺の好きな……娯楽! こんなダメな俺を認めてくれる存在! あの頃の生きがい!
「アイドル!!」
「ど、どうしたんですか! 急に!」
「改めて紹介しよう! 俺は畑山雄一! 君、アイドルやってみないか!」
静奈ちゃんが来た日、娯楽が解禁されたその日。
何かが動き出す、そんな気がしてならなかった。