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アオハル・ガード  作者: k.はる
File No.0
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プロローグ

 あと一歩。そう聞いて思い浮かべるのは『惜しい』や『もう少し』など、足りないという意味が普通だろう。それが後悔を表すものなのか、はたまた希望を表すものであるかは時と場合によるが、どちらも『足りない』という意味には変わりないだろう。

 僕が今言う『あと一歩』は、勇気であり、逃げであり、決意である。恐れなどもうない。それ以上に僕は――――僕は、死を望んでいた。



 あと一歩というのは、僕が死ぬために必要な行動だ。片足踏み出すだけで、この辛い世界から解放される。世の中の嫌なことから逃れるための最も楽な方法。このくらい闇の中、切り立った断崖を吹き上がる磯風に逆らって身を投げ出せば、生きて見つかることはないだろう。よくて衝撃による即死。悪くても溺死か体温低下に伴う凍傷などの衰弱死だろう。どのみち、生き残ってしまうということはないはずだ。それなのに、この一歩を踏み出せないのは何故だろう。

 何所にも居場所がなく、家でも学校でも場違いという感覚になり、部屋に引き籠もるしかない。しかしその部屋は家具しかない空間で、ぼうっとして過ごしているのがほとんどだった。そうしていると頭に浮かぶのは哲学的な事ばかり。一番嫌いで、でも周りからは得意と言われてしまいそうな哲学。部屋を眺め、そこにある物や影や景色や自分の体について考え始める。あとは連装ゲームのように次々と話題が変わり、終着点はいつも生死。生きるとは何か。死ぬとは何か。そんな考えても答えが出てこないことばかりで悩んでいた。そうすると、自分が辛くなる。生きる意味が分からなくなって、自分の存在意義があやふやになって、そして無性に己を貸したくなる。他人との関係を絶てればいい。でもこの世の中一人で生きていけるわけもなく、結果として『死』という答えが出てくるのであった。

 生きることに未練はない。今死んでも後悔はない。なのになぜ、この一歩が踏み出せないのか。いや、理由などわかっている。少し前までは死ぬことがいけないことだと思っていた。それは親からの教えによるもので、幼少期、「何があっても自分から死んではいけない」とよく聞かされていた。だから死ぬことはいけないことだと、そう思っていた。でも今は違う。

 憲法で生きる自由は保障されていて、生き方は人それぞれ好きなものを選べる。そう、あくまで「選べる」だけ。選択肢は限られていて、新たな道を作ることは禁じられている。人々は生きることを強いられているのだ。生きる自由はあるのに、死ぬ自由はないなんて。それは果たして、人権を保障していると言えるのだろうか。

 ――――と語ってはみたが、あと一歩を踏み出せない理由はそんな教えやら決まりやらと言ったどうでも良いことではない。死んではいけないと思い込んでいた自分が、意図的に増やした人間関係こそが、僕の死への道を阻んでいるのだと思う。

 死んだ後この世界で何が起ころうと自分には関係ない、と簡単に切り捨てることも出来るはずなのに、どうも心に引っかかる。どれだけ自分の存在が薄片のようなものだとしても、死ねば一人や二人は悲しむ人が居る……と思いたい。例え悲しむ人が居なくても、少なからずある程度の人数に迷惑をかける。

 他人(ひと)、これを優しさと言うが、僕にとってはただの弱さ。軟弱で優柔不断な臆病者。勇気の無いただの愚者でしかないのだ。人の言葉に自惚(うぬぼ)れるわけにはいかない。それはお世辞であって本心であるはずもなく、結局、本当の意味で僕のことを視てくれている人なんていないんだ。偶然決められた枠の中で存在し、三人称として話題にあがるだけで、二人称として自分を考えてくれる人は――――。 

 悔しくて、今にも泣き出しそうになって(うつむ)いたその顔の前に、冷えた風が吹いた。その風の中に、ある香りを感じた。

 はっとして振り向くが、もちろん誰の姿もあるはずがなく、道なりにぽつぽつと、街灯が己の足元ばかりを照らしていた。波は静かだが、依然として磯の匂いが漂う中に、あるはずもない香りを感じられる。幻視とか幻聴とか、そういった幻覚の(たぐ)いなのだろうけど、心が和んで癒やされる。そんな香り。感じるだけで幸せになるこの香りの正体は分かっている。あの人の髪の香りだ。ひと月くらい前から、何の前触れもなくピタリと関係が無くなってしまったが、未だに忘れられない人。同じクラスの、ある女子生徒。付き合っていたわけではないし、二人して相手に対して一度も気持ちを言うことはなかった。でも、一緒にいるときはいつも居心地が良かった。お互いを思い合っていたからだと思う。そんな彼女が心に残っているのは、ある言葉の所為(せい)だ。

『もし君が死んだら、私も死ぬから』

 それは僕が死にたいと言ったときの話。根暗とまでは言わないが、このときから既に素が暗く、希望を失っていた。普段であれば表に出さないその性格だが、疲れていたからか、ある日(つぶや)いてしまったことがあったのだ。具体的に何を呟いたかは覚えていないが、それで自分に自殺願望があるのではないかと、不安にさせてしまったあの時の光景は、何度も脳裏に蘇ってくる。現に一歩を踏み出そうとしていた自分がいる。あの時の否定は、ほんの上辺の言葉に過ぎなかった。

 彼女と話さなくなっても、しばらくは自分の存在意義を考えることはなかった。なぜ突然話さなくなったのかという疑問でいっぱいになり、それどころでなかったというのが理由なのだが、彼女のおかげで考えずに済んでいたということは確かだろう。しかし周りの人を見れば見るほど、自分の寂しさが心の底から浮かんできた。現状を好んでいないが故、自問自答を繰り返し、過去が悪かったと言い逃れようとしながらも、自分に資格が無かったのだと決めつけている。居るべきではないのだと。空気を悪くするだけで良い意味など何もないのだと。

 あの時は彼女が居た。自分の居場所をつくってくれていた彼女が。耳にするところによると、彼女は誰かと――――同じクラスの人と付き合い始めたらしい。嘘だと思った。思いたかった。でも事実は僕の願いに応えてくれない。あの二人の様子を見れば、そんなことを知らなくても分かってしまう。本人達は隠しているつもりらしいが、あれを見て恋仲でないと思う人は居ないだろう。見ているこちらが恥ずかしくなるような照れ方。あれを見せられて何も考えずにいられるものか。久しぶりに孤独を感じたのはその時だった。

 彼女と仲が良かったとき、他の人とあまり話していなかった気がする。だからこそ、彼女がいなくなった今、前に戻ることすら出来ない自分は、ブラックホールへ投げ込まれたかのように、暗くなる一瞬を、とても長い時間と感じながら堕ちていく。

 暗い性格の人間は集団内の害だ。心を押し殺して振る舞えるほど、自分の気は強くなかった。自分はここに居るべきではない。だから。だから――――。

 波の打ち付ける崖下を覗くと、急に本能が目を覚ましたかのように、鼓動が速くなり、恐怖が体を覆い尽くした。あの冷静さはどこへ行ってしまったのか。たっていられなくなるくらい足が震えている。それならもう堕ちてしまえば良い、と足を踏み出そうとして、足が上がらず、ついには後方に尻餅をついてしまった。


 結局、勇気が無いんだ。


 そう分かってしまうと、全てがどうでも良いように思えてきた。力が抜けたように夜空を仰ぐ。強く輝く北極星の上にあるのは北斗七星。北を表すそれらは船上で方角を調べるのによく使われる星々。その周りにも、数多くの光が瞬いている。

 輝く星は全て恒星。地球のように自ら光らぬ惑星は、恒星の傍でひっそり存在している。見えなくても己の役目を全うしている。自分もそれでいいじゃないか。恒星の光を受ければ自分も明るくなるように。逃げも耐えも必要ない。例え自分が輝けなくたって、他人(ひと)の笑顔を見られれば幸せなんだから。そう考えると、自分の周りは幸せで溢れている。その中で過ごせている自分も、きっと幸せ者なんだ。

 いつの間に立ち上がり、星に手を伸ばしていた。届くはずはないけれど、何もしなければ奇跡も起こるはずがない。じっとしていても時間を浪費するだけだから、何かを望むなら行動しなければ。

 そうして僕は帰路に着こうとした。

 でも。

 今日は本当に死にに来た。遺書も残してきた。逃げ出さないように、退路は全て塞いできたのだ。帰ることは出来ない。笑ってごまかす勇気もない。輝いていた星々が雲に隠される。希望を持った矢先、すぐに闇に包まれてしまった。体は軽いのに足取りは重い。誰も居ない夜道を歩く。

「死なないの?」

 心が揺らぐと直ぐ、死に神が囁きかけるように――――違う、今のは人間の声だ。振り向くと、電柱に背中を預ける少女がいた。誰も居なくはなかったようだ。

「死なないの?」

 澄んだ声が、小さくも確かな音となって届く。

「死なないよ」

 その声に応える。突然現れた人間に対し何の違和感も覚えずに。分からない。分からないけど、少女に一切の怖さを感じなかったから。

「なんで?」

 その瞳は僕を見据えていた。勇気はないけど、恐れることはなかった。心を読まれているような気がする。それを僕は拒まず、自ら吸い込まれていくように答える。

「笑顔が見たいから」

 不意を突かれ何も考えられていなかったはずなのに、口は迷わず動いていた。

「自分が笑顔になれなくても、生きていれば笑顔が見れるから」

 少女はそれを聞くと、口元に手を当ててくすりと笑う。

「思ったより有望かもしれないわ」

 有望、とはどういうことだろう。自分は問いに答えただけ。その問いは入試や就職面接ではない。

「あ、気にしないで。こっちの話よ」 

 少女は電柱から離れ、僕に近づいてくる。

「死ぬ気ないんだよね?」

「うん」

「でも帰る場所がないと」

「えっ」

「君は現実に絶望して死のうと思った。でも勇気が出ない。だから逃げられなくして死に場を探した。良い場所を見付けたとき、女を思い出して死ぬのを辞めた。でも帰る場所は自分でなくしてしまったからどこに行って良いか分からない、と」

 初めて少女に恐怖した。一体いつから見ていたというのか。いや、仮に見ていたとしても、僕の思考までは分からないはずだ。声を発したわけでないし、何かを見たわけでもない。

「これ、何か分かる?」

 そう言って少女が取り出したのは、小さく透明な容器。香水だろうか。フタを取って、容器の口を僕の鼻に向ける。

「これは……っ」

「予想が当たって良かったわ。それにしても、こんな香り一つで人生変えちゃうなんて、ほんと単純よね」

 一層訳が分からなくなった。この香りは例の彼女の髪の香り。それをなぜ目の前の少女が持っているというのか。僕は少女を知らない。しかし少女は僕を知っている。この状況に、無力感しか覚えなかった。

「私はアオハル・ガード、青春を守る存在よ。この香りの持ち主から君の様子がおかしいという話を聞いたの。彼女には申し訳ないけれど、命は助けたのだし、いいわよね」

 姿勢を正して少女は言った。正直頭がついていかない。いきなり心情を読み取られ、それは全て相手の掌の上にあったと知らされた。しかも聞いたこともない謎の組織だと言う。頭の狂った人間だと放置することも出来るが、話を聞いた方が良い気がする。

「貴方に問います。私たちの組織に協力してくれますか? いえ、これは不正確ね。私たちの仲間になりなさい。これは命令です」

 仲間。その言葉に惹かれてしまった。聞くからに怪しいが、僕にはもう何もない。唯一残ったこの命ですら、手放そうとしていたのだ。最後の希望として賭けてみるのも悪くないと思う。

「分かりました」

 決して力強いとは言えない決意の返事。どうにも出来ず諦めた結果だったということもあるが、勇気の無さが一番の理由で声量は出なかった。それに対し(たしな)められると思っていたが、返ってきたのは優しい声だった。

「ありがと。おかげで平和的に済むわ」

 しかし、その言葉の裏を考えると、冷や汗が流れてきそうだ。

「でもごめんね、ちょっと痛くしないといけないの」

 少女は僕の手を引いて、崖の先まで歩いて行った。まさか突き落とされるのか、とも思ったが、さすがに杞憂だったようだ。少女は自身の腰に手を伸ばすと、光るものを取り出した。

「刃物っ!?」

「安心して。出来るだけ痛くならないようにするから」

 突き落とされるのではなく刺し殺されるのか。自殺から、事故を装った他殺になるのか。結局死ぬ運命だったのか。

 そう思いながら少女の顔を見ると、とても真面目な様子であった。とてもこれから人殺しを犯そうとしているようには見えない。少し怯えすぎていたようだ。ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

 少女が僕の左手の平を、上にして持った。そしてその人差し指に刃物を当てる。良く磨かれているようで、言われた通り、切られているのにほとんど痛みがない。血が滲み出て、滴り始める。少女は刃物をしまうと、血が流れる僕の左手を崖の先へと伸ばす。岩場の先に少しずつ血が染みていく。

「これくらい、かな。ここ押さえて、腕を上げてて」

 渡されたガーゼのようなもので血が出ていた所を押さえ、そのまま頭と同じくらいの高さまで腕を持ち上げる。怪我をしたら心臓より高く上げろとはよく聞くことだし、鼻血が出たときにキーゼルバッハ部位――鼻の骨と軟骨の間、目元から指一本ほど下の所――を押さえるように、出血時の圧迫は学校でも習う。想像よりもどくどく流れるこの傷に対してどれほど効果があるか判らないが、少しでも出血を軽減できればいいなと期待を込めて押さえ続ける。

 少女はと言うと、滴り落ちた血を擦っているように見える。わざわざ付けた血痕を拭きとろうというのか。細かい凹凸のある岩の表面は、いくら擦れど綺麗にならない。返って汚れが広がっているような気もする。「よし、こんな感じかな」と少女が言ったとき、血は引き延ばされたように残っていた。

「何をしてたの?」

「隠蔽工作」

 そう即答されて、思わず言葉を失いそうになる。

「んと…………もう一回言って貰える?」

「だから、隠蔽工作よ。いんぺいこうさく! これから貴方は裏世界の仲間入りよ。そのためにはまず、身を自由にしないと。訳あって私は生きてるままになってるけど、こう言う例外を除けばみんな戸籍上は死亡、または初めから戸籍に乗ってない人たちだわ」

 どうやら聞き間違いではなかった。それに限らず、もっと重要なことを知ってしまったような気がする。みんな戸籍上存在していない人間。通りで組織名を聞いたことがないはずだ。

「犯罪を犯すわけじゃないから大丈夫。そんなことしたら逆に私たちの存在がバレちゃうからね。私達は平和主義の秘密結社なのよっ!」

 不安は募るばかりなのだが、この少女を見ているとそう言った気持ちも晴れるような気がする。

「では、戸籍上生きているうちに、名前でも聞いておこうかしら。死んじゃったら名前無いもんね~」

「なくなるの!?」

「ほらほら、早くしないと名前無くなっちゃうわよ?」

「うっ、えと、(りん)丸芳(まるは)琳です。あの、本当になくなるんですか?」

 内心、親には悪いが今の名前を特別気に入っているというわけではない。でも名前というのは自分の存在を表す上でとても大切なもの。それが無くなるというのは、自分を証明するものが無くなると言うこと。裏社会に行くには仕方無いことなのだろうか。だとしても、存在意義を求め続けていた自分にとってはとても衝撃的たっだ。

「冗談よ」

 少女は口に軽く手を当て、幼く微笑んだ。

「でも、全部嘘ってわけでもないのよ?」

 今の名前ではなくなるの、と少女は言う。この世界に表の顔を持つ人はごく一部。いわゆるあだ名とか二つ名のようなものはあるが、裏社会の仲だけで生きる人間にとって氏名というのは使われないようだ。あえて言うなら、名前が変わる、と言うことだそうだ。

「じゃあ、こんな所にいるのもあれだし、そろそろ帰ろっか」

 少女が歩いて行くのを追うようにしていく。どこに向かうのか、何が待っているのか、さっぱり分からない。でもそこに、今まで見付けられなかった生きる意味があると信じて、今日僕は、法律上死んだのであった。

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