転機
少年たちは再びバスケットに夢中になる。
俺だってまっとうな家族の下に生まれていれば、たとえ貧乏でも彼らのように日々を楽しめた。
テッドは心の内で、少年たちの笑顔を妬んだ。
ギャング間の抗争時代の影響を残す西区の奥地。
外国人旅行客に公開される情報サイトには、近づいてはいけないとまで表記されている危険なスポット。
三人家族が住むには手狭過ぎるアパートの二階で、幼少のテッドは世界を呪いながら息を潜めていた。
室内は紫煙とドラッグ臭で満ちており、平面全体には無数の酒ビンが転がっている。
両親の怒鳴り合いの喧嘩は、テッドにとって日常茶飯事の光景であった。
離婚を告げられて泣き喚いた時は、「大人になれ」と平手打ちをくらったものである。
どうやら世間の道徳観念では、理不尽を受け入れることが大人の証らしい。
大人になりきれなかった彼らが身勝手な理由でバラバラになるというのに、血を分けた子供に対して大人になれと口にする。
この世に生を受けた時からその理由を求めているというのに、両親はその証である愛情を注いではくれなかった。
生まれてきたことの意味を与えられないのなら、なぜ生命を作ろうと思ったのだろうか。
この疑問は、二十四年間生きてきた今でも答えが出せていない。
結果として家を飛び出したテッドは、生きる手段としてあらゆる犯罪に手を染めていった。
認めてくれたのはチームのボスと、兄貴分だった『あの人』だけだ。
胸の内に蔓延りだした負の感情が、一つの器官のように臓器を、心を侵食していく。
まだ幼かった時分、お前にもできることがあると技術を教えてくれ、それができると頭を撫でて褒めてくれた。
本当の家族よりも、家族に近い存在。それが、テッドの所属していたギャングのチームであった。
「こんな時、兄貴が居てくれたら……」
脳裏に浮かんだのは、己を弟のように可愛がってくれた『あの人』の姿。
彼から受けた叱咤激励は、テッドの人生を作り上げた全てと言っても良いくらいだった。
慣れない仕事に落ち込んだ時は、大きな手で背中を叩いてから頭を撫でてくれた。
そう、ちょうど今のように——。
「よぉ、お前、テッドだろ」
一瞬のことに、テッドは驚かされた猫のように飛び上がった。
振り返った先には、短く切り込んだ髪を銀色に染めた男が立っている。
「クラッシュ、さん……?」
十年という年月は長いものだが、整形でもしない限り個性は奪われない。
懐かしい面影を目の前の男性に見出したテッドは、我を忘れてクラッシュを抱きしめた。
「おいおい、あのチビがこんなにデカくなっちまいやがった」
「クラッシュさん、何処に行ってたんだよ! 生きてたなんて……あぁ、神様」
「よせ。神なんてものに祈ったって、酒は降ってこねぇ」
「変わってない。その口ぶりも、あの時のままだ」
興奮に比例したテッドの腕力を、クラッシュがやんわりと解く。
彼の口元がなにやら言いたそうに動いていたので、テッドは身を引いて顔を覗き込んだ。
クラッシュが話題を切り出したのは、それから少し後のことだった。
「お前、今までどうしてた」
「今朝まで監獄に居ましたよ」
「そうか。悪かったな、俺はあの時……」
「いいんです」テッドは大げさに首を振った。
「無事に逃げ果せたんでしょう。兄貴が生きていたんなら、それでいいんだ」
「チンピラのくせに、優しいところは相変わらずだな」
「ボスも兄貴も、俺の家族だから」
涙声で鼻を啜り始めたテッドを笑いながら、クラッシュが少しだけ距離を取る。
口角は上がったままだが、その実、彼は何かを伝えるタイミングを図っているようにも見えた。
「家族、か。俺はお前らを捨てて逃げたんだぜ。俺は今日この時まで、ここに帰ってくることを躊躇っていた。けどよ、また仲間に会えるんじゃないかと思ったら、殺されてもいいと思ったんだ」
「そんなことはない」
テッドは声を荒げた。向かいの少年たちが、こちらの様子を警戒している。
「他の奴がどう思おうと、俺にとって兄貴は家族だ。俺は今この瞬間も、チームを奪った奴に復讐しようって考えている。兄貴も覚えてるだろ……レストランの店長だよ」
「あぁ、あの男か……」
クラッシュは臭いものを嗅ぐように顔を顰めた。
「俺なりに調べたんだけど、アイツ今じゃコンサルト企業の社長だとか、複数の店のオーナーだとかやってやがる。俺はどうにかしてアイツを殺してぇ。じゃなきゃ、望まない抗争で命を落とした仲間たちに合わせる顔がない」
「落ち着けテッド。火蓋を切ったのがあの店長だったってだけで、結果は同じだ。抗争は、いつ始まってたっておかしくなかったんだよ。ただ俺達は、きっかけを探してただけだ」
それで、とクラッシュ。
「会ったのか。アイツに」
「あぁ、会ったよ。けど殺せなかった。俺に力が無かったから」
「どういうことだ」
クラッシュの問いに、テッドは卑屈に顔を歪めた。
「言葉の通りだよ。この十年間、俺は監獄の中で必死に闘うための技術を磨いてきた。全てはアイツを……イーサンを殺すために。けど、返り討ちにされたんだ。俺、どうすればいいんだよ。十年費やしたって、何も変わってなかったんだ。どうすればイーサンを殺せるんだ」
教えてくれよ、兄貴。
震える喉が情けなく思え、テッドはそれ以上声を発することができなかった。
「でかい図体でメソメソするんじゃねぇよ、みっともねぇ」
言葉ではそういうものの、クラッシュの口には微笑が浮かんでいた。
本当の兄がいたとして何か困難に当たることがあったら、兄はこのように懐の広さを見せてくれただろうか。
否、テッドはクラッシュを、実の兄のように慕っていた。
「俺がお前に協力してやる、テッド。実を言うと俺はな、人間の限界を超える特殊な技術を知っている」
「特殊な、技術」
テッドの言葉に、クラッシュが頷きを一つ返す。
「それを施せば、人間は自分の限界値を超えて闘いに挑める。お前がアイツに勝てないのは、勝てないと思い込んでいるからだ。どうだテッド……俺に付いてくるか」
困惑するテッドの眼前に、クラッシュの岩のような手が差し出された。
窮屈そうに伸びたジャケットの表面には、隠しきれない筋肉が堂々と隆起している。
俺も欲しい。その力が欲しい。
心臓の拍動が聴覚を刺激した。
脈打つ血管が、全身の熱を急速に沸点へと導く。
テッドは生唾を飲んだ。
クラッシュは今、この手でイーサンを葬り去る現実を与えてくれようとしている。
その誘いに言葉は要らなかった。
縋るように伸ばした腕が、クラッシュの手を力強く握り締めていたからだ。




