黎明
その地は、誰も訪れぬ森であった。
様々な小国が覇を競う大陸の南端。険しい山脈で切り取られたかのようなその森は、山を越えたらすぐに海が見えるような場所であり、海もまた、岩が幾重にも突き出して船で訪れることも困難な地だった。海岸付近は土壌も汚染されていて、この地に住むほぼ全ての生物が毒をもつ。
常に雪が降り積もる険しい山か、毒の海か。どちらかを越えねばたどり着けないのがこの森であった。
ある時、一人の男が海から流れ着いた。
男は研究者であった。土地を肥やすための肥料を研究し続け成果を出したものの、研究材料が世界から禁忌とされるもの…死んだばかりの赤子、勝手に粉末にした国宝、絶滅が囁かれる貴重種…そういったものだったため、最終的に人々から拒絶され、逐われたのだ。
異常な研究を続けて毒に耐性のあった男は、その地で初めて一月以上生存した人類となった。
男はその地で一人、肥料の研究を続けた。そしておよそ10年後、肥料による生物の巨大化を為し遂げ、狂喜のうちに死んだ。
その後も、男が撒いた肥料により一帯の生物は所々で巨大化を続けた。
それは一メートルを越える虫であったり、1本で森と見間違えるほどの樹であったり、人を抱えて飛べるほどの鳥であったりした。
森はますます難攻不落となった。
ある日、二人の男女がやって来た。
男は、山の麓に住む狩人だった。恋人である女は薬師。二人は世界の果てにあるという幻の薬を探して山へ踏みいった。
そしてたまたま見つけた洞窟の中に迷い混み、偶然にも世界の果てだと言われる山脈を抜けた。
抜けた先は、まさしく別世界だった。
見下ろす先には巨大な木々や草花が繁り、子供ほどの大きさの鳥が飛ぶ。
「私たち…小人になってしまったのかしら?」
呆然とする女に、男は戸惑いながらも首を振る。
「いや。土や石は変わらないし、よく見れば見慣れた草もある」
「あ、本当!この匂い、苦草ね!ギザギザの葉っぱとか、裏が白色なのは同じね。とても大きいけれど」
「あっちはお前が好きな赤果だな。あの大きさだ。一つで満腹になるまで食べられるぞ」
「すてき!」
笑いあった二人は、そこに住みかを作って暮らした。森を調べる一方で洞窟を探索し、元の国へ帰る道を探した。
洞窟は山に複雑に走った亀裂や鍾乳洞などでできていた。その全てをたどっては印をつけ、少しずつ進む。住み着いた生き物はいなかったが、暗闇と這って進むほど狭い岩場、明かりも食料も持ち運ばねばならない環境。その作業は困難を極めた。
何年もかかった探索の末、やっと山を抜けたのは、彼らの子供たちだった。
二人の兄弟とその妹。幼い頃から森の獣たちを相手にして育った3人は体力も知識も人並み外れていた。世間の常識からも外れていたが。
3人は親が完成させた薬を届けるため、旅をした。
「時間がかかってしまったから薬はもう必要はないかもしれないけど、私たちが生きてあの人の無事を願っていることを伝えたいわ」
いつもそう話していた母のため。
訪ねた人は既に亡くなっていた。だが届けたその薬は巡りめぐって帝国の皇女を救い、3人はその際に縁故を結んだ貴族たちと婚姻した。
そして森の存在は、彼らの子孫へひっそりと語り継がれることとなる。