scene:66 ホバースレッド
完成した水陸両用車は『ホバースレッド』と名付けた。
乗り心地を試してみる。場所はヴィグマン邸の裏庭である。ガードビーストをホバースレッドに連結し操縦席に座ると起動キーを差し込み捻る。魔力供給タンクから下部にある複数の魔力盾発生装置に魔力が流れ込み多数の小さな魔力盾がホバースレッドの底に発生し、その車体をふわりと持ち上げる。
それを確認したモモカが声を上げる。
「凄い……浮いてるよ。あたしも乗りたい」
エイタは笑って飛び乗るよう指示を出す。
モモカが飛び乗るとホバースレッドは少し揺れたが割りと安定している。モモカがU字型の座席にちゃんと座ったのを見てから、ガードビーストに進むよう命令する。
ガードビーストがゆっくりと歩み始めるとホバースレッドが滑らかに空中を進み始める。
「いいぞ、振動がほとんど無い」
メルミラがホバースレッドの動く様子を見ながら。
「裏庭は綺麗に整地されてますから、実験にはならないんじゃないですか?」
「そうだな。河川敷で試してみようか」
西のベルブル湖から南東のウェルナー湿原に向かって流れるプロスト河。ユ・ドクトには、その支流が幾つも有り、その一つがヴィグマン邸の近くを流れていた。
ホバースレッドにモモカとメルミラを乗せ河川敷へと向かった。門を出て道を進むと顔見知りと出会う。近所に住む知り合いなのだが……。
「エイタ、また変なもの作ったのか」
「変なものとは失礼な。これは画期的な乗り物なんだぞ」
「画期的だと……アレッ、こいつは車輪がねえじゃないか。どうなってやがるんだ」
「どうだ、驚いたか」
そんな会話を交わしながら、のんびりと河川敷に向かう。河川敷には暇な釣り人以外はほとんど人がいない。
エイタはガードビーストに河川敷を走らせた。全速力ではなく人間が走る程度の速さである。振動は少なく乗り心地がいい。停止させる時は徐々にスピードを落とさないと危ないようだ。
河川敷の雑草が生い茂っている場所や石がゴロゴロ落ちている場所などを走らせたが問題ないようだ。
ブレーキも試してみた。これは改良の余地が有りそうだ。
次に水上でも使えるか試す。
ガードビーストとホバースレッドの連結を外し、送風装置を動かす。ゴーッという風の音が発生し砂埃が舞い上がる。推進用送風装置を動かしホバースレッド本体だけで川へと向かわせた。
水面まで来ると橇の役目をしていた魔導盾を解除する。水の中では魔導盾が抵抗となるのではないかと考えたのだ。
ホバースレッドは水面に浮き推進用送風装置により自由自在に動かせた。ただ二つの送風装置はかなりの騒音を発し、街中で使えるものではなかった。因みに進む方向は推進用送風装置の風を送る方向を制御する事により操縦する。
取り敢えず大きな不具合もなくホバースレッドが完成したようなので満足し工房に戻った。
翌日、出来上がったホバースレッドをベルグルに見せる為に工廠へ乗って行った。
軍の敷地に入ってからは、ホバースレッドではなくガードビーストの方が注目を集めていた。どうやら、新しい軍用傀儡ではないかと勘ぐられたようだ。
工廠に到着しアサルトスパの整備をしている作業場所に来ると、ベルグルを始めとする傀儡工達が集まって来た。ここでもホバースレッドよりガードビーストに注目が集まる。
「エイタ、この変てこな傀儡馬は軍用傀儡なのか?」
ベルグルが代表して尋ねた。
「違うよ。こいつは迷宮探索で使っている防御用の傀儡だ」
「えっ、こんなのを迷宮に連れて行ってるのか」
傀儡工達が驚いた。迷宮にロバ型の傀儡を連れて行く探索者は居るが、それは荷物を運ぶ為であり魔物と戦わせる為ではなかった。
「これでもミノタウロスの一撃を受け止めたんだぞ」
傀儡工達が「へえーっ」と応えるが、ミノタウロスの一撃がどれほど凄まじいのか知らないので反応に困ったようだ。
「メルドーガの攻撃も盾で受け止められるんだよ」
「おおーっ!」「そいつは凄え」
個人的には未完成なメルドーガよりミノタウロスの方が強いと思うのだが、傀儡工達にはメルドーガの強さを理解出来ても一度も見た事のないミノタウロスは理解出来ないようだ。
ベルグルが不安そうな表情を浮かべ。
「まさか、アサルトスパだけじゃなく、そいつもここで作ろうとか言い出すんじゃねえだろうな」
「違う……何でガードビーストばかりに注目が集まるんだ。ガードビーストが曳いている方にも注目してよ」
漸く傀儡工の視線がホバースレッドへ向いた。
「変わった馬車だな。やけに頑丈に出来ていやがる」
「後ろの座席がU字型だと……趣味に走り過ぎじゃねえか」
「車輪は何処に収納したんだ。車輪を収納してもメリットは無いだろ」
「後ろの奴は……送風装置か。こいつで加速させようと言う仕掛けか。でも、こんなものを街中で起動させたら大騒ぎになるだろう」
皆が勝手な事を言っている。
エイタはホバースレッドに乗って魔導盾の橇『エアスレッド』を起動させ車体を浮かせる。
空気のように見えない橇という意味で、橇用に改良した魔導盾を『エアスレッド』と呼んでいた。
「オオッ!」
「初めから車輪なんて付いてないんだ。どうやって浮いてるんだ?」
「底から魔導盾を出して浮き上がらせたんだ」
エイタのエアスレッドは道の凸凹や障害物に乗り上げても衝撃をある程度吸収し車体に伝えないように改良されていた。普通の魔導盾を付けただけでは車輪より乗り心地が悪くなっていたはずだ。
ベルグルが感心し演習場で乗り心地を試そうと言い出した。
「いいけど、アサルトスパの整備はいいのか?」
「もう終わりだ。最後の点検をしている所だから問題ない」
エイタはベルグルと二人の傀儡工を乗せ演習場に行った。演習場ではメルドーガの動作テストをしているようだった。メルドーガが走り回りながら重そうなウォーアックスで演習場の地面に立てられた丸太を攻撃している。
ホバースレッドが演習場を走り始めるとメルドーガの動作テストをしていた連中も注目する。
その中にはオベル工廠長も居た。
「あいつら、何をしてるんだ?」
「さあ」
メルドーガ担当の傀儡工の一人が気のない返事をした。
「チッ……目障りな奴だ。少し脅かしてやろう」
オベル工廠長はメルドーガに命令を出した。この時の工廠長の精神状態は正常とは言い難かった。メルドーガの不具合が表面化した事で参謀本部からは責められ、部下達の中からは量産化が早過ぎたのではないかとの意見が口に上るようになった。
しかも工廠長の責任において不具合を修正し量産化を進めろと命令され、胃に穴が開く思いをしている。それが精神にまで影響を及ぼしているのだ。
命令を受けたメルドーガはウォーアックスを振り被りホバースレッド目掛け投擲した。
誤算だったのは、メルドーガの動思考論理を修正したばかりで確認テスト中だった事だ。確認する項目の中には投擲動作の確認も入っていた。
メルドーガには目標の目前五マトル《メートル》の位置にウォーアックスが命中するように命令していた。だが、目標を逸れガードビーストに向かって飛ぶ。
これに気付いたエイタ達は驚きの声を上げる。オベル工廠長を始めとするテストに立ち会っていた者達も顔を青褪めさせる。
ガードビーストは己に飛んで来る凶器を探知すると自己防衛反応を起こす。背中の盾を取り、飛んで来るウォーアックスに向かって突き出した。人間に命中すれば真っ二つにする威力を秘めた攻撃だったが、ガードビーストはウォーアックスをガッチリと受け止め撥ね返す。
「ウオーッ、撥ね返しやがった!」
オベル工廠長の周りから驚きの声が上がった。
軍用傀儡の攻撃を撥ね返せるのは軍用傀儡だけと言うのが世間の常識である。それなのに変な傀儡馬が新型軍用傀儡の攻撃を盾で撥ね返してしまった。
「おい、あれは奴が作った新型軍用傀儡じゃないのか」
「メルドーガが投擲したウォーアックスを、盾を使ったとはいえ、防いでみせるとは尋常じゃねえぞ」
攻撃を仕掛けた方は的はずれな意見を言っているが、攻撃を仕掛けられた方は、とんでもない恐怖を味わい激怒した。中でもベルグルは顔を真赤にしてホバースレッドから飛び降り、工廠長達に駆け寄った。
「貴様らどういうつもりだ!」
ベルグルは動作テストをしていた一団を睨み付ける。エイタは自分が怒り出す前にベルグルが怒り始めたので怒りを表すタイミングを失ってしまった。
「騒ぐな。メルドーガにちょっと不具合が有っただけだろ」
オベル工廠長の言葉にベルグルは目を吊り上げる。
「メルドーガに不具合だって……そんなものが有っても投擲の命令を出さなければウォーアックスを投げるはずがねえだろ。……何処の馬鹿が命令しやがった?」
その言葉を聞いて、オベル工廠長が不機嫌な顔になる。
「一介の傀儡工のくせに何て言い草だ!」
その言葉で、ベルグルは相手が工廠長だというのを思い出した。真っ赤だった顔から血の気が引く。
「……言葉遣いが悪かったのは……でも、命の危険が有ったかもしれないのですよ」
「ふん、臆病者が。これくらいで狼狽えおって。工廠から追い出されたいのか」
その一言にベルグルは沈黙する。
エイタが進み出た。
「権力を笠に着て、己の非を謝りもしないとは人間が小さくないですか」
正論にオベル工廠長が目を逸らす。
「う、五月蝿い、不愉快だ」
オベル工廠長は後の動作テストを部下達に任せ帰ってしまった。本当に器の小さな男である。
残されたエイタ達とメルドーガ担当の傀儡工達は視線を合わせる。メルドーガ担当の傀儡工が謝罪を口にする。
「申し訳ありません。工廠長の命令に逆らえませんでした」
エイタは肩を竦め、溜息を吐く。
「まあいい、それよりメルドーガの不具合はどうなんだ?」
メルドーガ担当の傀儡工達が暗い顔をする。
「難航しています。参謀達と戦闘アルゴリズムを検討し直し整理出来たんですが、それを動思考論理に反映させる作業が厄介なんです」
エイタにも厄介さの度合いが想像出来て寒気がする。正直関わり合いたくなかった。
「そうか……大変なんだな。こちらもアサルトスパの増産が決まりそうなので手伝えない」
傀儡工達ががっかりした表情を浮かべる。エイタが試作機の調査をやった時は不具合が山ほど見付かり傀儡工達は文句を言ったが、そのお陰で開発は大幅に進んだ。
傀儡工達としてはもう一度エイタに協力して貰い不具合の修正を早く進めたいのだろう。
先程謝罪した傀儡工が尋ねる。
「アサルトスパの増産と言うと何機くらい生産するのです?」
「三〇〇機だ」
その数に驚いた。自分達はメルドーガを五〇体揃えるのに四苦八苦しているのに。
「それは凄いですね。メルドーガなんか要らないんじゃないですか」
開発者自身が要らないとか言い出すのは、よほど量産体制の構築と不具合対応に苦戦しているのだろう。
エイタは何だか可哀想になる。しかし、ここで首を突っ込めば大変な事になる。それにオベル工廠長が黙って協力を受け入れるとは思えない。
「エイタ殿達が乗られているのは何ですか?」
別の傀儡工が質問する。好奇心が抑えられなかったようだ。
「魔導盾の魔導紋様を応用した馬車だ。車輪ではなく魔導盾で車体を浮かせて人や荷物を運ぶものだ。車輪ではないので酷い道でも楽に動かせるのが利点の乗り物だ。振動も少ないので乗り心地もいいぞ」
エイタが自慢すると傀儡工達が感心する。
「メルドーガの運搬にも使えるかもしれませんね」
「……そうだな。橇用魔導盾の上に荷台を付け、それをアサルトスパに曳かせれば輸送が早くなるかもしないな」
メルドーガほどの大型になると重量が半端ではなく、運搬にも苦労する。ちゃんと整備されていない道だと轍に捕まり立ち往生する事も有るのだ。
「こいつは製作費は高かったんだろ?」
ベルグルが確認する。安価なら軍でも導入するかもしれない。
エイタはホバースレッドをチラリと見た。これには赤煌晶や神銀を大量に使い過剰なほど高性能になっている。だが、陸だけで運用する荷車代わりのものとして製作すれば大分安くなる。
「ああ、これは水陸両用車なんだ。だから目が飛び出るほど高い。だが、メルドーガを運ぶだけなら、安く製作出来るんじゃないか」
エイタが応えると意外な方向から声がした。
「それは本当ですか?」
エイタ達の背後に何となく見覚えのある男が立っていた。輜重隊のコリベル中佐と傀儡馬管理班のユグル少尉である。
ユグル少尉はアサルトスパ用の雨具を提供して貰った時に知り合い、コリベル中佐とはルチェス大尉の紹介で顔だけは知っていた。
ユグル少尉とコリベル中佐は偶然演習場の近くを通り掛かり、ホバースレッドが目に入って近付いて来たらしい。
軍の兵站で苦労しており、悪路でも楽に物資を運べる可能性があるホバースレッドに注目したようだ。