scene:57 チチラト村虐殺事変
ウェルナー湿原の位置を自由都市連盟の『北側』から『南側』に修正
最後に地図を添付します。
ウェルナー湿原の近くに在ったチチラト村は、牧羊を主産業とする村で人間の数より羊の数の方が多い土地だった。村の南側にある小山を一つ越えればウェルナー湿原と言う位置にある。
その村から小山の裾野までは草原が続き羊の餌場となっていた。
その日の午後、数人の羊飼いが羊を引き連れ草原で餌となる牧草を羊に与えていると、小山の方から何かが近付いて来るのに気付いた。
「何だべ」
羊飼いの一人が近づいて来るものを指差し仲間の羊飼いに尋ねた。
「……ありゃ変な動きをしとるな。人間じゃねえぞ、人型の傀儡か」
「人型やったら、軍の傀儡じゃろ。兵隊さんが訓練でもしとるのか?」
小山から近付く人型傀儡は五体。体長は一.八マトル《メートル》程で自由都市連盟の主力軍用傀儡であるモルガートと同じ程だが、モルガートよりがっしりした体格をしている。それにモルガートには二つの偽魂眼が組み込まれているが、その傀儡は単眼だった。
そして、特徴的なのは頭部に一本の角が有る点だった。
その傀儡は羊飼いを発見すると、一斉に駈け出した。草を食んでいる羊達を蹴散らし羊飼いに近寄る。
「な、何かヤバくないか……逃げた方がいいんじゃ」
羊飼い達は逃げようとした。───遅かった。謎の傀儡は背中に装備していた戦槌を取り出すと羊飼いに向けた。
「ウワッ!」「ヒャー!」
一人の羊飼いが頭から血を吹き出し倒れた。羊達も騒ぎ始め、村に向けて逃げ始める。恐怖で顔を歪めた羊飼い達も羊と一緒になって逃げる。
一人の羊飼いだけが村まで逃げ帰った。羊飼いは助かったと思ったが、次の瞬間絶望する。
謎の傀儡が彼を追って村に襲い掛かったからだ。村人のほとんどが虐殺された。極少数の村人が生き残ったが、生き残った者も心に大きな傷を負う。これが歴史書に『チチラト村虐殺事変』として名を残す出来事である。
連盟総長に命じられた偵察部隊がチチラト村に到着した。村の建物は焼け落ちていたが、襲撃者の痕跡は残っている。それを調べた偵察部隊の兵士が隊長に報告する。
「襲撃者の数は、軍用傀儡五体、人間が七名です」
村に火を放ったのは人間の襲撃者らしい。
「そいつらが何処から来たか突き止めろ」
偵察部隊で追跡が得意な兵士が足跡などの痕跡を追跡し、ウェルナー湿原から襲撃者が来たのを突き止める。村を去った襲撃者は来たルートを引き返している痕跡も見付かった。
ウェルナー湿原は自由都市連盟の南側に広がる広大な湿原地帯で、面積は自由都市連盟の国土より少し小さいほどである。
その広大な湿原は爬虫類や両生類、それに鳥などの繁殖地になっており危険な場所だった。特に湿原の奥に住む大トカゲ蛇は全長十五マトル《メートル》もある危険な奴である。トカゲなのか蛇なのか判らない爬虫類は、蛇の体に後ろ足だけが存在する奇妙な奴で、その足には水掻きが付いていた。
毒を持たない奴なのだが、力が強く後ろ足を起点とした鞭のような尻尾の一撃と巻き付いて絞め殺す攻撃で、湿原地帯の王者として君臨していた。
そんな奇妙な姿を目撃した者は魔物ではないかと勘違いするが、大トカゲ蛇は魔物ではない。死んでもマナ珠は残らない。その代わり肉は美味いらしい。
その湿原には道は存在しない。雨季になると湿原全体が水没する関係でウェルナー湿原に隣接する三カ国、自由都市連盟・ジッダ侯主連合国・カッシーニ共和国のどの国も開発に失敗していた。
今は雨季ではないのでウェルナー湿原に入るのは可能だが、他国まで辿り着けるとは思っても見なかった。
だが、謎の軍用傀儡は自由都市連盟のものとは思えない。他国の軍隊がウェルナー湿原を縦断するルートを発見し軍事目的に利用しようとしているのかもしれない。偵察部隊は大きな懸念を抱いた。
偵察部隊に三日ほど遅れてチチラト村に到着した軍用傀儡モルガートの小隊は、村に近いウェルナー湿原の近辺を巡回するよう命令された。
生き残った村人の証言や痕跡から、謎の軍用傀儡の正体が明らかになった。ジッダ侯主連合国のヴィグマンⅡ型である。特徴的な角やフォルムから正体を割り出したのだ。
報告を受けた軍はウェルナー湿原を縦断するルートを探し始めたが、中々成果は上げられなかった。
一方、ダルザック連盟総長はジッダ侯主連合国の大使を呼び出し抗議した。
「まさか、連盟総長は『チチラト村虐殺事変』の犯人がジッダ侯主連合国の人間だと仰るのか?」
「我々が調べた結果、使われた軍用傀儡がヴィグマンⅡ型だと判ったのだ」
大使が驚きの表情を浮かべた。
「そんな……何かの間違いだ」
「間違いでは有りませんよ、大使。どうやらウェルナー湿原を縦断するルートを発見したらしいですな」
「し、知らん。私は何の報告も受けてはいない」
「ほう……軍が勝手にやった事だと言うのですか」
「違う。その軍用傀儡を見たのは農民だという話では有りませんか。信憑性に欠けるとは思いませんか」
大使との話し合いは不調に終わった。後日、軍がジッダ侯主連合国との国境線を守るアシルス砦の守備兵力を倍増させると、ジッダ侯主連合国から抗議がなされた。
両国の不信感は高まり一触即発の状況となってしまう。
一方、きな臭くなった国際情勢に後押しされ、次期主力軍用傀儡であるメルドーガの量産は進んだ。しかし、量産を開始して判ったのだが、メルドーガの量産性は芳しくなかった。
当初の無闇に複雑だった設計を修正したのでエイタ以外でも製作可能となったが、製作が面倒な部品が三つ程残った。その三つが障害となり製作が遅れていた。
マルオス学院長がエイタに手伝って貰えばいいのではないかとオベル工廠長と設計主任に提案したが、設計主任が拒否した。軍用傀儡の開発者として誇りがそうさせたらしい。
「オベル工廠長、君は工廠の責任者だろ。何とか言ってくれ」
「エイタは街の傀儡工だ。そんな者より設計主任を信じるべきじゃないのか」
工廠長は設計主任の肩を持った。
連盟総長が聞いたら激怒するような状況である。マルオス学院長が厳しい目で二人を睨んで脅かすように言う。
「だったら、君達で何とかしろ。駄目だったら責任を取って貰うぞ」
量産を開始したばかりだとは言え、月に七機しか製造出来なかったのは問題だ。
その頃エイタは、アサルトスパ五〇機の製作を終えようとしていた。
マルオス学院長との約束では半年間工廠で働くとなっており期限が迫っていた。時間が有れば歩兵を支援するような物も開発してくれと言われていたが、アサルトスパの量産に時間を取られ、その余裕が無くなった。
だが、参謀本部の一部とマルオス学院長、連盟総長はエイタを手放したくなかった。
そこでエイタを軍の非常勤技術顧問に任命しようと申し出た。
マルオス学院長が頭を下げ。
「済まんが引き受けてくれ」
こんな時でなかったらエイタは断っていただろう。自由な立場で傀儡工として生きて行きたかったのだ。
「判りました。その代わり給料は現物で貰いますよ」
最高級の素材は軍に集まるので、給料代わりに素材を貰う約束をした。軍の技術顧問と言う肩書きも何かの役に立つだろう。
それに非常勤なので毎日工廠へ行く必要は無くなる。
ルチェス中尉はアサルトスパの開発が成功した功績で大尉に昇進した。同時に騎乗傀儡実験中隊の中隊長を命じられ喜んだ。
中隊に必要な人員は人事部の方で集めており、この一ヶ月で七〇名ほどが集まった。人事部にしては素早い対応だが、中身を知ってガッカリした。若い新兵ばかりだったのだ。
ルチェス大尉は気を取り直し新兵を育てようと決めた。取り敢えずアサルトスパを操縦する技術を叩き込もうと、朝から夕方まで騎乗訓練を開始する。
最近のエイタは午前中は工廠や演習場でアサルトスパに関連する仕事をし、午後からは自分の工房で仕事をすると言う生活を始めていた。
新人の訓練を進めている間にアサルトスパの不具合が見付かる場合がある。ちょっとした不具合ですぐに改修可能なものばかりだが、五〇機も有るので大変である。
アサルトスパの改修をしているとベルグルが近付いて来て、開発チームから仕入れて来た情報を教えてくれた。
「メルドーガだが、未だに『ダブルショットボウ』の照準システムが上手くいっていないらしいぞ」
エイタ達が開発したダブルショットボウはメルドーガにも正式に採用され、メルドーガの照準システムも修正が行われていた。
「参謀の連中は何でもかんでも新しい物を取り入れようとしてないか……本当にメルドーガに遠距離兵器が必要なのか?」
「カッシーニ共和国の次期主力軍用傀儡が『燃焼』の魔導紋様を使った長射程の攻撃兵器を開発したと言うからだろ。その軍用傀儡と相対した時、一方的に攻撃される可能性が有るとか言ってた」
オラグが開発したフレイムランチャーを大型化したような兵器らしい。威力次第では遠距離からメルドーガを撃破出来る可能性がある。ただ確率的には低いとエイタは思っていた。
『燃焼』の魔導紋様で引き起こされる爆発は広範囲に散らばるが、威力自体はそれほどでもない。装甲の薄いモルガートは駄目でも、メルドーガの装甲なら耐えられるだろう。
因みにカッシーニ共和国の次期主力軍用傀儡は『キルバイン』と名付けられたと聞く。
キルバインに遭遇して危険なのは、アサルトスパの方かもしれない。アサルトスパにはマナシールドが装備されているけれども、防御力は敵の矢を防ぐ程度なのである。
キルバインの遠距離兵器がモルガートの装甲を破壊するだけの威力が有るなら、アサルトスパのマナシールドは役に立たず、そのスピードにより砲撃を躱すしかない。
「ルチェス大尉に敵の砲撃を躱す訓練をした方がいいと進言するか」
ベルグルの提案にエイタは頷き。
「そうだな。一応言っといてくれ」
エイタはアサルトスパの改修を量産の為に増員された騎乗クモ製作班に任せる。アサルトスパは『騎乗クモ型』と言う名で分類分けされ、アサルトスパの量産チームは騎乗クモ製作班と命名された。
また、騎乗傀儡に乗る兵士は『騎乗兵』と呼ばれるようになった。
演習場に行くとオスゲート上級曹長の大声が聞こえて来た。
「隊列を乱すんじゃない!」
五列に並んで行進していたアサルトスパの列の一部が横に乱れている。
「【常歩】から【速歩】に速度を上げ、左旋回!」
オスゲート上級曹長の号令でアサルトスパの隊列は一斉にスピードを上げた。左に方向を変え標的の方へと移動する。隊列が五列から一列に変化する。
「模擬弾装填……【速歩】のまま狙え……撃て!」
ダブルショットボウの模擬弾は木製である。何故模擬弾を使うのかと言うと大型専用弾だと標的がバラバラになり訓練の度に標的を替えないと駄目だからだ。
厳しい訓練により騎乗兵達は技量を上げていた。但し【速歩】のスピードで進むアサルトスパの上から標的に模擬弾を命中させるのは難しかった。
命中率は三割ほどだろうか。最初の時の一割以下だった頃に比べれば大きな進歩である。
エイタは訓練の様子を見守っているルチェス大尉に近付き声を掛ける。
「訓練は順調そうだな」
ルチェス大尉はエイタの顔を見て。
「予想していたよりは早く仕上がっている。ただ新兵ばかりで本当の戦いを知らないのが心配だ」
「エッ?」
戦いを知らないと聞いて驚いた。軍の兵士は野盗退治などに出動する事を知っていたからだ。
その事をルチェス大尉に告げると笑われた。
「野盗退治に行くのは古参兵だ。新兵に戦闘の経験は無い」
「迷宮で魔物退治の経験もないのか?」
「兵士が迷宮に行くのを禁じている指揮官が多いんだ。戦い以外の場所で死なれては困ると言うのが理由だ」
迷宮に潜る探索者の死亡率は高く、一〇年経っても探索者を続けている者は三割程だと言われている。指揮官が兵士に迷宮探索を禁じるのも当然である。
訓練を終えた新米の騎乗兵達がルチェス大尉の方へ集まって来た。エイタとルチェス大尉はそれに気付かず言葉を交わしていた。
「だけど、命のやり取りをした事がない者が実戦で役に立つのか?」
エイタの言葉を聞いた騎乗兵達が目の色を変えた。
「ちょっと待て……俺達の事を言っているのか?」
騎乗兵の一人が声を上げたので初めて近くに彼らが居るのに気付いた。
エイタは集まっている兵士達の顔をよく見る。若い兵士ばかりだった。
「本当に新兵ばっかりなんだな」
「おい、それは俺達が頼りないと言っているのか?」
新兵の中には喧嘩っ早い性格の奴も居るようだ。ルチェス大尉が静かにするように命じる。
「ですけど、こいつが」
「口答えはするな。この方はアサルトスパの開発者だと知っているだろ」
「しかし……兵士でない傀儡工に戦いの何が判ると言うんです」
もっともな意見だ。ただエイタは対人戦には疎かったが、魔物相手の戦いには慣れていた。そして探索者ギルドのヴィリス支部長から冥撃短杖術の稽古をつけて貰っているので、対人戦も不得意という訳ではなかった。
そこにオスゲート上級曹長が現れ声を上げた。
「見る目が無いな。エイタさんはお前らよりよっぽど強いぞ」
「そんな馬鹿な。この人は傀儡工ですよ」
エイタは探索者として迷宮に潜っている事をルチェス大尉達には話していなかった。彼らはエイタをただの傀儡工と思っているのだ。
ただオスゲート上級曹長だけはエイタの動きを見て何か感じる処が有ったようだ。
ルチェス大尉は困ったような顔をしていたが、エイタの余裕のある態度とオスゲート上級曹長も言葉で、もしかすると腕に自信が有るのかもと考えた。
「エイタは何か武術を習っているのか?」
ルチェス大尉が尋ねた。
「短杖術を少し習っている」
「ほう、短杖術とは珍しい」
短杖術と聞いたルチェス大尉は感心してくれた。但し傍で聞いていた新兵の一人が鼻で笑う。
「ふん、ちょっと短杖術を習ったくらいで偉そうに」
小声だったが、充分エイタに聞こえるような声の大きさだった。これにはエイタもムッとする。
「偉そうなのはどっちなんだか。実戦に経験もないんだろ」
相手は新兵なので年齢的にはエイタと同じくらいである。
その新兵とちょっとした言い争いになった。
そして、激昂した新兵が言い放った。
「そんなに自信が有るなら、俺と勝負しろ!」
………………
何がどうしてこうなったか判らないが、エイタは短い棒を構え新兵の一人と向き合っていた。
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ラダルス大陸の概略図
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