scene:46 キメラマンティス
縦穴から飛び出して来た魔物は奇妙な姿をしていた。全体的な姿形は真っ赤な蟷螂なのだが、胸部と腹部が亀のような甲羅に覆われてる。全長は三マトル《メートル》程で四本の足で立ち二本の腕には蟹のハサミのような手が付いていた。
「何だ、この化物は……」
その姿を見たエイタは、思わず口走った。
背中に甲羅が有るので羽は無いが、機敏なフットワークで駆け回る魔物はかなり手強そうだ。両手のハサミは金属のような光沢を持っており、人間の首など一撃で切り落としてしまうに違いない。
「これが新種の魔物なのか?」
ジクラム教授が目を皿のようにして魔物を見ている。フェルオルとエネモネは武器を取り出し油断なく構えジリジリと魔物に近付いていた。ヴェスターナは背中からマナカイトシールドを取り出すのに手間取り、一歩遅れてフェルオル達を追う。
エイタとメルミラは教授を抱きかかえるようにしてマジトラの所まで運び、マナシールドを展開させる。
リパルシブガンを取り出したエイタは、メルミラに凍結弾を使うように指示を出す。虫型の魔物は寒さに弱く凍結弾で動きが鈍くなる可能性があると判断したのだ。
「ヨシ、こいつを『キメラマンティス』と名付けよう」
後ろで教授が嬉しそうに声を上げた。エイタは命名しているような場合じゃないだろと思ったが、分野は違えど自分と同じタイプの人間らしい教授に何も言えなかった。
最初に攻撃したのはキメラマンティスだった。四本の足を自在に駆使し火炎杖を持つエネモネに襲い掛かり、凶悪なハサミを彼女の顔目掛けて突き出す。
エネモネは身を投げ出すようにしてハサミの攻撃を避ける。そこにフェルオルの雷撃剣が突き出された。雷撃剣はキメラマンティスのハサミで弾かれた。
エイタの目から見たフェルオルの突きはかなり鋭かった。それなのにキメラマンティスは容易くはね返している。キメラマンティスの反射神経が相当なものだと判った。
キメラマンティスの背後に回り込んだヴェスターナが戦槌を魔物の背に叩き込んだ。ガキッと命中した戦鎚が硬い甲羅に弾かれる。
「痛っ」
攻撃したヴェスターナの方が手を傷めたようだ。キメラマンティスの甲羅は鋼鉄並みに頑丈らしい。
「エネモネ、火炎攻撃だ!」
フェルオルは叫ぶように指示を出すと同時に、雷撃剣を魔物の足の関節目掛け振り下ろす。キメラマンティスが鹿のように軽やかにステップし斬撃を躱す。そこにエネモネが炎を噴き掛けるが、これも軽やかなフットワークで躱された。
「チッ」
舌打ちしたフェルオルは追撃する。それを嫌ったキメラマンティスが斜め上から巨大なハサミを振り下ろす。絶妙なタイミングで振り下ろされたハサミがフェルオルに命中する直前、ヴェスターナがマナカイトシールドを構えて割り込んだ。
巨大なハサミがマナカイトシールドにぶつかりヴェスターナごと弾き飛ばす。
「きゃああ」
それを見たエネモネが炎をキメラマンティスに向け放射する。風に棚引く煙のように伸びた炎は魔物の顔を焼く、それ程ダメージはないようだが、キメラマンティスが初めて後退した。
フェルオル達と魔物が離れた瞬間、エイタが魔物の胸を狙ってリパルシブガンの引き金を引いた。セレクトレバーを【3】に設定した専用弾は、音速の二倍近い速度で飛翔し魔物の胸に命中するも甲羅の表面を削り取っただけで運動エネルギーを使い果たし地面にポトリと落ちた。
「なんて硬い甲羅だ」
エイタは続けざまに引き金を引き連射した。甲羅にヒビくらい入るかと思ったが駄目だった。連射攻撃を受けたキメラマンティスはエイタに素早く駆け寄り巨大なハサミを振り回す。慌てて飛び退いたが脇腹を掠め革鎧が破け血が吹き出す。
「こいつめ」
メルミラも凍結弾を撃ったが甲羅に弾かれ効果は無かった。凍結弾は魔物の身体に減り込み、そこで魔法効果を発揮した場合のみ十分なダメージを与えられるからだ。
とは言え、メルミラの援護も無駄ではなく、エイタは敵から距離を取るのに成功し独り言のように呟いた。
「仕方ない。ちょっと無理してみるか」
エイタはセレクトレバーを【4】にして次の射撃チャンスを待った。
フェルオル達は弾き飛ばされたヴェスターナの無事を確認すると戦いに戻った。ヴェスターナは肩を脱臼し左の足首を痛めたようだが他は無事だった。
フェルオルが素早い剣捌きで再度攻撃するも、雷撃剣は甲羅とハサミには効き目がなかった。それ以外の足や頭へ命中した時は少しだけダメージを与えるようだ。
「君達、ヴェスターナを頼む」
フェルオルが声を上げた。
エイタはメルミラに視線を向け、壁際でぐったりしているヴェスターナを助けるように指示を出す。
「ヴェスターナをこっちに連れて来い」
魔物とフェルオル達の距離が離れた瞬間、エイタがリパルシブガンの引き金を引いた。肩を蹴られたような反動がエイタを襲う。「ううっ」と呻き声が口から零れた。
偶然にも専用弾は腹部の甲羅に命中し小さなヒビを作った。胸を狙ったのに命中したのが腹部なのは残念だが、セレクトレバーを【5】にすればかなりのダメージを与えられそうだと言う手応えを手に入れた。但し反動をどうにかしないと命中率が絶望的だ。
キメラマンティスは先程の攻撃を恐れたようで一旦後退していた。
「【5】は無理だな。味方を誤射してしまいそうだ」
ヴェスターナに肩を貸しメルミラが戻って来た。リパルシブガンをメルミラに預け、エイタはプロミネンスメイスを抜いた。
キメラマンティスはエイタを避け、フェルオル達へ襲い掛かった。フェルオル達とキメラマンティスの戦いは激しいものとなった。ただキメラマンティスがエネモネの火炎杖による攻撃を嫌うので互角に戦っているが、ダメージはフェルオル達の方が大きかった。
フェルオル達は巨大なハサミによる打撲や掠り傷を負い息が荒くなっていた。それに比べキメラマンティスは元気一杯と言う感じで部屋の中を走り回っている。
「ちょっと、見てないで何とかしなさいよ」
エネモネがキメラマンティスの隙を伺っているエイタに大声を上げた。大声を上げた事でキメラマンティスの注意がエネモネに向く。チャンスである。エイタはプロミネンスメイスの設定スイッチ(最近は武器モードと呼ぶようになっている)を【陽焔】にしプラズマの剣を形成させる。
背後からキメラマンティスの腹部に飛び乗ったエイタは、奴の足にプラズマの剣を振り下ろす。超高温のプラズマが足の外殻を焼き切り中の筋肉を断ち切る。
キメラマンティスがガクリと体勢を崩した拍子に、エイタは振り落とされた。地面を転がり起き上がると奴が目の前に迫っていた。巨大なハサミがエイタを狙って振り下ろされる。
エイタは巨大なハサミを躱すと同時に、その懐に飛び込みプラズマの剣を突き入れる。光り輝く剣がキメラマンティスの胸を焦がし穴を開けた。プロミネンスメイスの威力を見たフェルオル達は驚き目を丸くする。
『ギキキキッ』
魔物の悲鳴のような鳴き声が響く。キメラマンティスは大きなダメージを受けたが致命傷ではない。魔物の足がエイタを蹴り上げた。その身体は水平に三マトル《メートル》程吹き飛び地面に落ちてからもザザッと滑る。
エイタが吹き飛んだ時、手からプロミネンスメイスが離れ、フェルオルの目の前にポトリと落ちた。フェルオルはプロミネンスメイスを拾い上げヨロヨロしている魔物の首に叩き付けた。あれだけ手強かった魔物があっさりと首を落とす。
フェルオルに最も美味しい所だけ持って行かれたようだ。
「エイタさん」
メルミラが倒れているエイタの傍に駆け寄り助け起こす。肋骨が何本か折れたようだ。歯を食いしばり立ち上がったエイタは探索者として成功する為に何が足りないか気付いた。
本格的に武術を学んでいないエイタは隙が多く接近戦になると非常に脆い面が現れるのだ。
エイタは<治癒の指輪>を自分に使った。幾分苦痛が和らぎ周りを見る余裕が生まれる。
ヴェスターナの治療はエネモネが行っている。脱臼した肩を元に戻し湿布薬みたいなものを塗って包帯で固定。足首も同じように治療する。この国にも魔導回復薬と言う魔力を帯びた薬が存在するのだが、非常に高価でほとんどの探索者は所持していない。
迷宮で怪我をした場合は、傷薬や湿布薬を塗り包帯で保護するのが普通である。例外はエイタのように魔力制御を身に付けている者で<治癒の指輪>等の魔導工芸品を使って治療する。
治療に関連する魔導工芸品が一般的な物にならなかったのは、『治癒』の魔導紋様に使える魔力が人間から発せられた魔力にのみに限定されているからだ。アルコールから変換した魔力やマナ珠から取り出す魔力は『治癒』には使えなかった。
何故使えないのか研究されているが、その答えは出ていない。
ふとフェルオルの方を見るとプロミネンスメイスを弄っていた。エイタはフェルオルに近付き。
「ありがとう。返して貰うよ」
エイタが手を差し出すと嫌々と言う感じでプロミネンスメイスをフェルオルが返した。エイタの持つ武器が強力なものだと実感し、自分も欲しくなったのかもしれない。
一方、教授はマジトラから降り魔物の死骸を調べ始めている。
ジクラム教授はマジトラの後部に有る収納部から描画傀儡『スケッチアイ』を取り出しキメラマンティスの姿を描かせ始めた。
それを見たメルミラは何故か嬉しそうにニコッと笑った。自分の働く工房で開発した自動傀儡が使われているのを見て嬉しくなったようだ。
教授は魔物の姿だけでなく壁に刻まれた魔導紋様らしきものもスケッチアイで写し取った。教授は出来上がった絵を見て満足そうに頷く。
「便利な世の中になったものだ」
教授が呟く。以前は自分の手でスケッチしていたのだが、どうしても不完全な物になっていた。
「その傀儡を考案し開発したのは、エイタさんなんですよ」
教授の顔に驚きの表情が浮かぶ。
「何とそうなのか。君は素晴らしい技術者なんだな」
フェルオル達も知らなかったようでびっくりしている。
時刻は夜になっており、エイタ達は初めて迷宮で泊まる事になった。食事を作り直し、結局それが夕食となる。教授の分はメルミラが作った。
とは言え、野菜スープと黒パンだけなので味気ない。黒パンはライ麦パンで少し酸味が有り堅い。メルミラは美味しそうに食べているが、教授は不満そうに食べている。燻製肉でも買ってくれば良かった。
何処で寝るかという話になった。教授は隠し部屋に泊まればいいと言うが、魔物の死骸の傍で寝る気にはならなかった。隠し部屋を去る前に、フェルオルが魔物からマナ珠を回収した。
教授が巨大なハサミと甲羅の一部を持ち帰りたいと言うので、プロミネンスメイスで切り取って渡す。
一行は青煌晶が採れる地層が有る場所まで戻り、そこで野営する事にした。その夜は何事も無く過ぎ、翌朝青煌晶を掘り出してから帰途に着いた。
エイタ達が迷宮から出たのは昼を少し過ぎた頃で、すぐに探求者ギルドへ向かった。ギルドへ到着すると応接室に案内され、ヴィリス支部長が現れた。
「ご苦労様でした。魔物の正体が判ったようね」
ジクラム教授は頷き、スケッチアイが描いた絵を取り出し見せた。
「間違いなく新種の魔物だった。もしかしたら、ベルクテルの実験が関連しているかもしれんが、今後研究せねば真相は判らん」
支部長は教授からの報告を聞き頷いた。エイタも魔導紋様らしきものについて報告する。
「ふむ、魔物の脳から取り出した『魔法水晶』に刻まれていた魔導紋様だったのか」
詳しい情報は報告書を作成する事になった。因みにドタキャンした魔導学の権威も報告書を欲しがっているらしい。エイタとしては、あの隠し部屋で知った事実を報告書としてまとめ提出するつもりでいる。
但し魔導紋様らしきものを解析した結果は魔導紋様の基礎知識が有れば判る事しか書かない。下手に詳しい解析結果を書くとエイタ自身が持っている天霊紋に関する知識が知られてしまいそうだからだ。
工房に戻るとモモカが寂しそうな顔をして待っていた。エイタの顔を見るなり、駆け寄って抱き付いた。
「何だ。寂しかったのか」
「アリサもアイスも居たから大丈夫だったよ」
モモカがそう言いながらも、エイタの傍から離れようとはしなかった。
その日はモモカに付き合って一緒にゆったりと過ごした。骨折した肋骨も完全ではないので次に迷宮に行くまで、キメラマンティスのような防御力の高い魔物に対した場合の対策を考えるつもりだ。
エイタは報告書を探索者ギルドに提出し約束の報酬を貰った。報酬自体は微々たるものだったが、魔法水晶に刻まれていた魔導紋様(後に『魔法紋』と呼ばれる)を知り得たのは幸運だった。
魔法紋は中央にある魔導基と呼ばれる天霊紋が魔力の流れを制御する。『簡易魔力制御』の魔導紋様に似ているが、出力だけを制御する『簡易魔力制御』とは違い繊細な制御が可能だった。
隠し部屋に有ったストームウルフの魔法紋は周囲に有る大気を制御するもので、フレイムビートルの魔法紋は燃焼と結界の制御をするものだった。
ただ最後の魔法紋だけはよく判らない。
エイタは一日置きに探索者ギルドの訓練場に通うようになった。朝食を食べた後すぐに行き、支部長から短杖術の基本を習う為である。
ヴィリス支部長によれば短杖術の基本は型の修練にあるらしい。支部長が習得している冥撃短杖術は、眼に障害を持っていたボリュス・イェイグという天才的才能を持つ男性が創設した流派で、体捌きに独特の技を持つ武術である。
その型にも特徴があり、複雑な歩法と体捌きは柔軟な身体運用を必要とした。練習方法も独特で狭い間隔で地面に丸太を一〇本ほど突き立て、その隙間を縫うように移動しながら型の練習を行う。
練習に使う短杖は腕の長さ程の杖で、型の練習中に短杖を決して丸太に当ててはならないと言う決まりがある。もちろん、型の中には突きや打ち下ろし、払い等の動作を含んでいる。丸太に当てないと言う決まりは常に間合いを意識し短杖を自在に振るう技術を習得する為のようだ。
型の練習が終わると支部長と組手を行う。エイタにとって地獄とも言える稽古だ。まず、支部長の動きに付いていけない。支部長の短杖が体中に打ち込まれ青痣だらけとなる。
その日、漸く稽古が終わった後。
「支部長、ちょっと聞きたい事が有るんですけど」
「何だ。私は独身で恋人募集中だぞ」
「いえ、そんな事じゃなくて……」
ヴィリス支部長の眼が鬼のように険しくなる。エイタは慌てて謝った。言葉に気を付けなければ……。
「アッ、済みません。聞きたいのは強化装甲鎧の事なんです」




