scene:34 カトブレパス戦
カトブレパスが嘶きエイタに向かって突進を始める。必死で逃げようとするエイタだったが、痛みで体が思うように動かない。口から泡を吹き迫って来る化け物を見て強烈な恐怖が湧き起こる。
その時、雷撃ボルトがカトブレパスの首に命中し火花が弾けた。首への攻撃はカトブレパスも嫌がり、突進するスピードが幾分鈍った。そのお陰で、エイタは辛くも突進を避けられた。
素早く立ち上がってモモカの方を見る。モモカが泣きそうな顔をしてインセックボウを構えていた。泣き出したいほど怖いのを我慢し武器を構えている姿は、エイタの気力を蘇らせる。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
モモカの心配そうな声にエイタは頷き、キメラスピアを取り出し素早く組み立て構えた。骨は折れていないようで痛みはするが動ける。
カトブレパスは獲物をエイタに決めたようで、姿勢を入れ替えると蹄で地面を掘り起こしながら残った片目を向けて来る。ヴィリス支部長もカトブレパスに攻撃を入れようと隙を伺っている。しかし、支部長の得物は細い片手剣だけ、まともにダメージを与えられるとは思えなかった。
「支部長は、退路の確保をお願いします」
エイタが叫ぶと支部長が「任せろ」と返事を返し、モーゲル達が立ち塞がっている洞窟の方へ向かう。
先程までズキズキしていた痛みが消えた。気力が戻り戦いの興奮で痛みが麻痺しているようだ。駆け寄ったカトブレパスがいきなり後ろ足だけで立ち上がり天井付近にまで伸ばした前足をエイタに向かって振り下ろす。
圧倒的な巨体が棹立ちになり攻撃して来るのだ。その迫力は半端ではなく、背筋に冷たいものが走る。必死で横に飛んでギリギリ躱したエイタは、キメラスピアを化け物の脇腹に突き入れた。十分な体勢からの攻撃では無かったが、渾身の力を込めた突きだった。キメラスピアの穂先が脇腹の表面で押し返されるような手応えが有った。やはりカトブレパスの毛皮は堅く掠り傷しか負わせられなかった。
カトブレパスがクルリと身体の向きを変え、エイタを後ろ足で蹴り上げる。身を投げ出すようにして躱し、キメラスピアを死に物狂いで振り回す。刺戦鎚の尖ったピックをカトブレパスの尻に突き刺した。遠心力と加速度が加わった切っ先は先端を化け物の尻に減り込んだ。
この攻撃には驚いたようでキメラスピアを突き刺したまま走り出す。結果としてエイタも引き摺られる事になった。
「凍結ボルトに変えて攻撃だ」
引き摺られながらモモカに指示を出す。モモカは急いでボルトを交換し、嘶きながら周囲を走るカトブレパスに狙いを定める。
「お兄ちゃんを虐めちゃダメ!」
モモカがインセックボウの引き金を引いた。凍結ボルトが風切り音を発し飛翔を開始する。カトブレパスの前足太腿に突き刺さり、その体温を奪う。少しだけ化け物の動きがおかしくなった。
カトブレパスは攻撃したモモカに目を向けた。
エイタはモモカが狙われるのに気付き身体を跳ね上げ、カトブレパスの動きを制止しようと足を踏ん張る。これはキメラスピアが突き刺さっている傷口を広げる事になり化け物が激怒した。
後ろ足で蹴りを放ちキメラスピアを空中へ蹴り飛ばす。エイタも余波を受け地面に転がった。
「えい」
モモカが可愛い気合を発し凍結ボルトを放った。ボルトは胸に刺さり胸の表面を凍らせる。凍結ボルトは確実にダメージを与えているが、インセックボウの威力が足りず、ボルトが深く刺さらないので体表に近い場所で魔導紋様の効果が発動し大きなダメージを与えられずにいた。
エイタの身体は傷だらけになっていた。
「駄目だ。ここで死ぬ訳にはいかない」
地面に転がっていたキメラスピアを拾い上げ、動きの鈍ったカトブレパスの首に突き入れる。だが、浅い傷を作っただけ。大きく首を振ったカトブレパスはキメラスピアをもぎ取り、地面に落ちたキメラスピアを蹄で踏み付け破壊する。
それを見たモモカは残っている凍結ボルトを矢継ぎ早に連射する。二本が胸に当り、残る一本が首に突き刺さった。首に刺さった凍結ボルトはその周囲を凍らせた。カトブレパスが苦しそうに藻掻き始めた。
「そうか、血管が凍って血が流れなくなったんだ。モモちゃん、特殊凍結ボルトで首を狙うんだ」
「判った」
モモカは特殊凍結ボルトをインセックボウにセットし、言われた首を狙う。動き回るカトブレパスの首を狙うのは難しかっただろうが、その場を動かず藻掻いている奴を狙うのは簡単だった。
狙い通り首に命中した特殊凍結ボルトは、カトブレパスの首を中心とする血管を凍らせ、脳に行くはずだった血を堰き止めた。カトブレパスは一層激しく藻掻き苦しみ、突然横倒しになって動かなくなった。
「アッ」
モモカが声を上げた。死んだカトブレパスの顕在値がモモカに吸収され顕在値レベルを上げたのだ。
張り詰めていた気が抜けたエイタは崩れるように地面に座り込んだ。
「お兄ちゃん」
モモカが走り寄り、エイタの指から<治癒の指輪>を抜いてエイタの治療を行う。
一方、ヴィリス支部長の戦いも終盤に近付いていた。モーゲルの雇った用心棒はベテランの傭兵ではあったが、支部長ほどの腕はなく、顕在値レベルも平均的な探索者ほどのようだった。
用心棒の一人は腕を切られ片手で剣を構え、もう一人は足に穴を開けられ地面に蹲っていた。
「どうやらここまでのようだな。観念しろ」
支部長の声に用心棒達が諦めたように項垂れた。モーゲルは形勢不利となった時点で逃げ腰となっていた。逃げなかったのは迷宮の中だからである。用心棒も連れずに魔物と遭遇すれば確実に死ぬと判っていた。
「クソッ、あの小僧の所為で……」
やけになったモーゲルは懐から短剣を取り出し体ごと支部長に特攻する。素人の攻撃など避けるのは易しかった。短剣の刃先を避けると同時に支部長の持つ片手剣が閃いた。
袈裟懸けに斬り下ろされた刃はモーゲルの背中を切り裂き致命傷を負わせた。ギルドが封印した罠を復活させ復讐の道具として使ったモーゲルに怒りを覚えていたのだ。
「リッジ様……」
そう呟いてモーゲルの魂は迷宮の闇に呑まれた。
ヴィリス支部長が用心棒を威嚇すると、二人は傷を庇いながら逃げて行った。気になっていたカトブレパスとの戦いに目を向けると終わっていた。
ボロボロになったエイタの横で小さな幼女が治療している。支部長は感嘆の声を上げる。
「<治癒の指輪>か、あの歳で魔力制御も出来るのか」
「大丈夫か?」
支部長が声を掛けると、エイタは顔を上げ頷いた。
「ええ、何とかモモカのお陰で倒せました」
エイタは倒れているカトブレパスを見た。折角モモカが倒した獲物だ、使えそうな部位を剥ぎ取らなければと考え身体を起こす。
「支部長さん、解体を手伝ってくれるか」
支部長が承知したので、マナ珠・皮・蹄・尻尾、それに持てるだけの肉を剥ぎ取った。
二人が解体作業をしている間、モモカは辺りを見物していた。そして、壁に見慣れた地層が有るのに気付いた。魔煌晶を採掘出来る地層だ。
モモカはエイタから貰った小振りのナイフを取り出し、そこを掘り返してみる。
「アッ、赤煌晶が出た」
モモカの叫び声にエイタと支部長が駆け寄った。モモカが手にしている魔煌晶は血のような赤だった。
「九等区で赤煌晶だと……」
ヴィリス支部長が絶句している。エイタは壊れたキメラスピアから刺戦鎚の部分だけを持って来て赤煌晶を採掘する。地層から転がり落ちた魔煌晶は全て赤煌晶で二十一個も見付かった。
こんな浅い場所で赤煌晶が採掘出来るのは朗報だが、カトブレパスは危険過ぎる。やはり封印するしか無いとヴィリス支部長は判断した。
エイタは壊れたインセックボウとキメラスピアを名残惜しそうに見詰めてから帰路についた。リッジを失ったモーゲルがこのような愚挙に出るとは考えもしなかった。商人なら商売で頑張れば良かったのに、卑怯な罠を使い探索者ギルドの支部長まで巻き込むとは正気とは思えなかった。
地上に戻り探索者ギルドへ行ったエイタ達は無事に登録を完了し、初心者の登録証を得た。登録したばかりの探索者が持つ登録証は青銅製だった。
青銅は銅と錫の合金だが、錫の含有量によって色が変わる。錫が少ないと純銅に近い赤銅色で、銅貨と同じである。もう少し錫を増やすと黄金色になり、更に増やすと白銀色になる。
ギルドの登録証は赤銅色の青銅板にエイタも知らない技術で文字を焼き付けたものだった。大きさは掌に乗る程で、モモカがクレジットカードみたいと言っていたが、それが何かは判らない。
探索者ギルドの支部長室に招かれた。その部屋は片付けられない女の部屋という感じだった。机の上には書類が山積みされ、雑多な本が部屋の隅に積んである。それに迷宮からの戦利品が床に散らばっていた。部屋の中央に置かれているソファーセットだけは使えるようだが、他は足の踏み場もないほど細々したものが置かれている。
その惨状を目にしたモモカが視線を支部長に向け。
「大人なんだから、ちゃんと片付けないとダメ」
ヴィリス支部長が困ったような顔をして。
「私としては片付けているつもりなんだが」
偶に独自の理論で物を整理する者が居る。本人にすれば合理的な理由が有るのだろうが、他人から見ればゴミ溜めだった。
ソファーに座ったエイタ達は、支部長から事情を聞かれた。エイタはヴィグマン商会とコルメン商会の争いと愛玩傀儡に関する事情を説明した。
「なるほど、事情は理解した。あの男の逆恨みに近いね」
エイタは支部長に理解して貰いホッとする。
「しかし、お前は優秀な職人なんだよな。何故、探索者になろうと考えた?」
「おいらは他国の人間なんだ。職人ギルドに入れないで困っている」
それだけで支部長は理解した。
「アデプトになって国籍を貰うつもりか」
高難度迷宮を中心に活動する探索者であるアデプトは、三〇〇人に一人の割合で存在し、ユ・ドクトを拠点としているアデプトは六〇人ほどしかいないと言われている。
「そのつもりなんだけど、支部長はアデプトに成る為には何が必要だと思います?」
エイタが真剣な顔で尋ねた。高難度迷宮ではカトブレパス程度の魔物は雑魚なのだ。そのカトブレパスと戦って死にそうになった自分。エイタはちょっと頑張ればアデプトに成れるんじゃないかと思っていた自分を自信過剰だったと反省した。
「そうだねぇ……探究心と用心深さかね」
支部長の答えを聞いて意外に思った。高威力の武器とか武術の技量だとか言われるんじゃないかと予想していたのだ。用心深さは判るが、探究心とは……
「迷宮で生き残るには迷宮を知る必要が有る。中難易度迷宮までなら勢いで攻略出来る事もあるが、高難度迷宮では通用しない。アタックする迷宮の場所によって装備や戦術を変える必要がある。高位ランクの探索者ほど探索前に迷宮を調べ出て来る魔物の情報を集めるものなのだ」
「なるほど」と頷くエイタ。
支部長がエイタのボロボロになった装備を観察し。
「その前にちゃんとした装備を揃えな。金をケチって命を危険に晒すのは馬鹿のやることだよ」
「はい、その事は身に沁みて感じた」
今回の迷宮探索はエイタに色々な事を気付かせた。まずは本気で迷宮に挑戦するなら本格的な防具が必要だと言う事だ。今回装備していた安物の革鎧は全くものの役に立たなかった。
防具もそうだが、武器の強化も必要だと感じた。インセックボウによる攻撃では堅い皮や甲殻を持つ魔物には通用しなくなりそうだ。
エイタとモモカのメイン武器は飛び道具であるが、魔物の奇襲に備え接近戦用の武器も欲しい。キメラスピアはカトブレパスに壊されたので新しい物を作ろうと思った。
エイタはキメラスピアを修理しようとは考えなかった。カトブレパスとの戦いでほとんど通用しなかったからだ。これから手強くなる魔物を考えるともっと強力な武器を装備したい。
そして、敵の接近を防ぐ盾役となる者が必要だった。
支部長から説教とアドバイスを貰い、ギルドから出た時には昼を大きく過ぎていた。ヴィグマン商会の在る北へと歩いているとメルク達と会った。
「師匠、どうしたんです?」
ボロボロの姿を見たメルクが心配そうに尋ねた。
「迷宮でカトブレパスと戦ったんだ」
メルク達は酷く驚いたようだ。カトブレパスがどんな魔物か知っているのだ。
「もしかして、倒したの?」
「モモカが倒した」
「モモちゃん、すげぇー」
メルク、ヒューイ、ジャスキーの視線がモモカに集まった。モモカは照れたようにエイタの腰にしがみ付き顔を赤らめる。
詳しい事情は後で話してやると約束しメルク達を別れ、ヴィグマン商会へ向かった。
商会は繁盛しているようだった。店の奥で帳簿を付けていたアリサに今日の出来事を話した。
「モーゲルの事は私も気になっていたんだけど、そんな事をするなんて」
「馬鹿な奴だよ。大人しくユ・ドクトから逃げていれば再起する機会も有っただろうに」
アリサがエイタに頭を下げた。
「ご免なさい。あなたを巻き込んでしまって」
「謝る必要はないよ。おいらも大儲けしたんだから、無関係じゃない」
今回の事件でコルメン商会とその関係者は消え、アリサも安心して商売を続けられるようになった。
その後もチサリーキャットと魔導診断器は売れ続け、アリサとエイタに大きな利益をもたらした。
第2章 愛玩傀儡編はここで終了です。
次章では迷宮探索がメインになります。




