scene:30 リッジとアリサ
コルメン商会の支配人室では、リッジが副支配人のモーゲルと売上の確認をしていた。
「チサリーベアの売上は金貨一七〇四枚となりました。今までで最高の売上です。但し……」
モーゲルがちょっと言葉を濁す。
「判っとる。工房からの買い取り価格を上乗せした件だろ。あれだけの数を急いで揃えるには、一体金貨八枚と奮発しなきゃならんかった。必要経費だ」
「ですが、工房の奴らに渡す前金を用意するのにシガーニ様から資金を借りました。利息を払わねば」
リッジが顔を顰める。シガーニと言うのは悪どい金貸しで借金を返せないと判ると身包み剥いだ上に殺し屋を送り付けるとの噂がある。
「狙い通り儲かったんだ。予定通り借金は返すし問題ない。それよりヴィグマン商会の動きはどうだ?」
「最近、下請けの工房と頻繁に打ち合わせをしているようです」
リッジがニヤッと笑い。
「新しいものでも開発したか。詳しく調べんといかんな」
モーゲルはリッジの顔を見て悪い顔をしていると思った。また、陰険な企みを考えているのだろう。
「リッジ様、今度はエイタと言う若造も警戒しているでしょう。この前のようには行きませんよ」
「判っているさ。現に魔導診断器の設計図を盗ませようと、ならず者を雇って夜中に工房に忍び込ませ設計図を探したが見付けられなかった」
エイタは設計図と試作品を工房に残さず、自分の寝室に持って帰るようになっていた。
「でしたら、ここは堅実にチサリーベアを売っていればよろしいのでは?」
リッジが馬鹿にするように鼻で笑い。
「モーゲル、商売を判っておらんな。世間の流行り廃りは思っている以上に激しいのだ。次々に新しい物を手がけねば、商売は行き詰まる」
「ですが、長年売れ続ける物も有ります」
「そんなもの、ほんの一部だ。その時その時で最も売れるものを商うのが一番儲かるんだ」
モーゲルはなるほどと納得した。だが、警戒している若造から新しく開発したものの設計図を盗めるかどうかは別である。
「心配するな。奴は下請けの工房を変えなかった。同情でもしたんだろうが、浅墓な考えだ」
リッジは自信有り気に告げる。その顔からはどす黒い邪気が零れているように見えた。
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リッジとモーゲルが売上の確認する数日前。
エイタは自分が見張られているのに気付いた。改良型チサリーベアの動思考論理を完成させ、試作品を作り始めた頃からヴィグマン邸の周りで不審な男達を見掛けるようになったのだ。
その事をアリサに相談すると、一つのアイデアをアリサが提案した。それは黒幕であろうコルメン商会のリッジを再起不能にする罠でも有った。
「判った。オイラはアリサのアイデアに基づいた愛玩傀儡を開発すればいいんだな」
「折角チサリーベアの改良型を完成させたのに悪いんだけど、お願いね」
「完成したと言っても、動思考論理が出来上がり試作品が形になっただけだから構わないよ。これから時間を掛けて動作確認をする前だったから問題ない」
アリサと細かい打ち合わせを行ったエイタは下請けに出す工房をどうするか相談した。
「ウトラ工房にするわ」
「でも、あそこはこの前……」
エイタがウトラ工房の信頼性について言おうとしたのをアリサが止めた。
「コルメン商会が買収した弟子が一人とは限らないと言いたいんでしょ。それは判っているけど、それでもいいのよ」
「何か考えがあるようだな。……いいだろう、任せるよ」
当初考えていた改良型チサリーベアは、命令者の動きを真似るという機能と何らかの楽器で命令するという機能を追加するものだった。だが、アリサの提案で従来型のチサリーベアに鳴く機能を追加しただけのものにする。
エイタは下請けを頼んでいるウトラ工房と一緒に新たな改良型チサリーベアの開発を始めた。そして、エイタにしては珍しいく開発作業の一部をウトラ工房に頼んだ。それは口の部分の開発である。
また、この開発の要となる鳴き声はユ・ドクト名物の角笛を使う事にした。角笛の工房は都市の北側にある工房街の一角にあり、エイタとモモカは改良型チサリーベアに使う笛を探しに行った。
ヒゲ面のオヤジが工房長で顔に似合わない可愛い音色の角笛を作っている。
「どうだ、中々いい音色を出すだろ」
ヒゲ工房長が自慢そうに胸を張る。工房の中には両手で持てるかどうか判らないほど大きなものから掌に乗るほど小さなものまで様々な角笛が並べてあった。
モモカが物珍しそうにアイスと一緒に工房の中に並べてある笛を見ている。
魔物の角から作られる角笛には奇妙珍妙な音色を出すものがある。その中で幾種類かの角カエルの角から作ったものをエイタは気に入った。角カエルには二箇所に節の有る中空の角があり、それを三つに切り分け笛とする。工房では三本の笛を一組として売られていた。
灰色角カエルの角から作られた角笛がたくさんあり、その音色を確かめる。モモカが三つの笛を手に取り順番に吹いた。
「ピプ、ピペッ、ピパ」
笛の音色としてはちょっと変わっている程度だが、灰色角カエルは低難易度迷宮にいる魔物なので、その角は比較的大量に手に入る。
赤色角カエルの角笛からは。
「ミュ、ミュモ、ミィ」
と可愛らしい音色がする。モモカは気に入ったようで何度も吹いている。愛玩傀儡には相応しい気がするが、灰色角カエルの十分の一しか居ない魔物らしく値段が高い。
最後に滅多に手に入らないと言われた銀色角カエルの角笛も聞いてみた。
「ヘケッ、ヘキョ、ヘカ」
聞いた瞬間、モモカはきょとんとした顔になり、エイタは笑い出した。エイタの笑いのツボに嵌ったようだ。
エイタは改良型チサリーベアの鳴き声に灰色角カエルの角笛を選んだ。
「お兄ちゃん、何でそれにしたの?」
赤色角カエルの笛を気に入っていたモモカが尋ねるとエイタは笑って。
「大量に必要だからだよ。工房長に聞いたら赤色角カエルの角笛は大量に作れないんだって」
「そうなんだ。赤いのが可愛いのに」
モモカは不満そうに呟いた。
その一〇日後に改良型チサリーベアの試作品が完成した。試作品をヴィグマン商会に持ち込んでアリサに見て貰う事にした。試作品の入った布袋を抱えて歩いていると付けられている気配がする。
「ご苦労な事だ」
付けられるのに慣れてしまった自分に、エイタはちょっと悲しくなった。エイタは勘違いしていたが、付けている者はコルメン商会の者ではなく調査局高等管理官ベスルの部下でエイタの身辺調査をしている者だった。
ヴィグマン商会に到着、商談室へ行くとモモカとアイスが待っていた。先に行っているように指示していたのだ。少し待つとアリサがハーブティーを三つ持って入って来た。
「ご苦労様、改良型チサリーベアが完成したと聞いたわよ」
「ああ、完成した。面白いものに仕上がったよ」
「見せて頂戴」
アリサが告げるとモモカは自慢そうに胸を張り。
「凄いの、踊りながら鳴くのが可愛いの」
懸命に説明しようとするモモカの言葉を、アリサは微笑んで聞いている。
エイタは袋から愛玩傀儡を取り出した。ほとんど以前のチサリーベアと同じだったが、口と顎の部分が違っていた。アリサからオルゴールを借りて曲を奏でる。
エイタがチサリーベアの頭をポンポンと叩くと二本足で立ち上がり口を開く。
「ピプ・ピプ」
鳴き声を上げたチサリーベアは、曲に合わせて手足を動かし始めた。リズムに合わせて踊りながら、時々合いの手のように「ピパ」とか「ピペッ」とか鳴き声を上げる。
その様子は可愛く滑稽で人を笑わせた。アリサは腹を抱えて笑い、改良型チサリーベアの出来に満足した。
エイタとアリサは改良型チサリーベアの販売をすぐには始めなかった。二〇日後にある収穫祭で新しい愛玩傀儡を発表し販売を始めると下請けの工房にはエイタが告げた。
アリサが予見した通り、ウトラ工房の弟子の中にコルメン商会と通じている者がもう一人居た。その弟子は改良型チサリーベアの情報と販売開始時期をコルメン商会へ伝えた。
その情報を知ったコルメン商会のリッジは高笑いして喜び、大急ぎで同じ機能を持つ愛玩傀儡を開発させた。元々のチサリーベアに口部分の改造と鳴き声を上げる機構を組み入れ、その鳴き声を制御する動思考論理を追加すれば改良型チサリーベアは完成する。
優秀な傀儡工ならば開発するのは難しくないものだった。
リッジはもう一度裏社会と繋がる金貸しシガーニから資金を借り、幾つかの工房に改良型チサリーベアの大量発注を行った。
そしてエイタ達が発売日と決めた日の五日前に同じ機能を持つ愛玩傀儡を発売した。改良型チサリーベアは富裕層に受け入れられ順調に売上を伸ばす。
それを知ったウトラ工房の親方が息も絶え絶えになりながら走ってエイタの工房に来た。
「エイタさん、申し訳ねえ。うちの弟子が裏切りやがった」
エイタは溜息を吐いて。
「またですか」
ウトラ工房長がまたも土下座して謝っている。
「本当に申し訳ねえ」
「その裏切り者の弟子はどうしたんです?」
工房長は肩を落としエイタに告げる。
「逃げ出しやがった。しかも金庫に入れてあった魔煌晶を全部持ってだ」
エイタはウトラ工房長が可哀想になってきた。工房長自身は実直で真面目な男なのである。そこはアリサも承知していてエイタに紹介したのだ。
だが、零細工房の給金は安く優秀な職人は集まらない。ちょっと問題が有っても雇うしかないのが現実だった。
「判ったから、頭を上げてくれ」エイタが優しく声を掛けると。
ついにウトラ工房長が泣き出した。
「エイタさん、俺は悔しいよ。給金は安かったかもしれねえが、弟子達には早く一人前になるよう技術を教えていたんだ。それなのに二度も恩を仇で返されるとは情けねえ」
エイタにも工房長の気持ちは察せられた。だが、むさ苦しいオッさんに泣き付かれても。……これが綺麗なお姉さんなら嬉しいんだけどとエイタは正直思った。
「ウトラ工房長、この対策はオイラが考えるから、今日は帰って休んでくれ。明日からは死に物狂いで働いて貰うから」
「済まねえ、今回の不始末を挽回する機会をくれるなら、俺は死ぬ気でやるぜ」
エイタがウトラ工房長を返した後、アリサがやって来た。
「リッジの奴、汚い真似を。……頭に来るぅー!」
アリサはある程度予想していたのだが、それが現実になると怒らずにはいられなかった。
「落ち着いて。コルメン商会を潰すには偽の改良型チサリーベアを販売してくれないと駄目なんだろ」
エイタの言葉でアリサは落ち着きを取り戻した。
「そうだったわ。準備はいいのね?」
「オイラが今日の内に制御コアと振動センサーを用意し、明日、ウトラ工房へ行って徹夜で作業して貰えば必要な数は揃うと思う」
アリサはエイタが抜かり無く準備しているのに満足してヴィグマン商会へ向かった。店に到着し中に入った瞬間、見たくもなかった光景が目に入った。
「やっと戻ったか」
何故か、リッジがヴィグマン商会で待っていた。絹製の上等な上着を着た豚はアリサを見てニヤニヤと笑っている。アリサは顔を顰め。
「よくここに来れたわね。面の皮の厚さを測ってみたいもんだわ」
「相変わらず威勢のいい女だ。そこが気に入っているのだが、今回の事で儂の力を思い知っただろう」
リッジの声を聞いている内に殺意に似た怒りが腹の底から湧き上がってくる。
アリサは顔を真赤にし頭からは湯気が出そうなほど怒った。
「卑怯な真似をして何が力よ。あなたに出来るのは設計図を盗んだり、他人の商売の上前を撥ねる事くらいじゃない。恥を知りなさい」
ニヤニヤしていたリッジも、アリサの言葉に怒りを覚えたようで。
「五月蝿い。お前は目上の者に対する礼儀がなっておらんのだ。それに女のくせに商売に手を出すなど生意気にも程がある」
リッジとアリサは暫くの間口論を続け、憤慨したリッジがヴィグマン商会を出て行った。去って行く商売敵の姿を睨みながら、アリサは呟く。
「見てなさい、リッジ。もうすぐ悔し涙を流させてやるから」