scene:22 クマ型愛玩傀儡
蔵を改造した工房で、モモカがクマ型愛玩傀儡のアイスと遊んでいた。アサルトウルフの毛皮を使ったアイスの外観は真っ白な小熊で胸に青いX印が付いて非常に可愛い感じになっている。
新しく設けた窓から入る陽光の下、可愛いモモカとアイスが遊んでいる姿は、誰もが心癒される光景である。
「アイス、左手を上げて、腰を振るのよ」
モモカがアイスに何か教えようとしている。だが、そのような機能のないアイスが出来るはずもなかった。
「モモちゃん、アイスには難し過ぎるよ。何を教えているの?」
「踊りを教えているの」
「そうか……今のアイスじゃ難しいな」
「アイスは踊れないの?」
アイスの構造を頭の中に描き、踊れるか検討してみた。構造的には問題無いようだ。しかし、踊りには様々な動きがあり、そのすべてを動思考論理に加えるのは無理だった。
「偽魂眼で命令者の動きを分解して記憶し、模倣するのは可能か。同じ動きなら省略すればいい」
エイタは動作模倣アルゴリズムを組み立て始めた。ただ、これを動思考論理化するには時間が掛かりそうだった。動思考論理の作成や修正には『動思考構築』の魔導紋様を刻印した構築ゴーグルが必要である。エイタはアイスを作製する時に自作していた。
ゴーグルと名付けられているがガラスは使われておらず、透明なガラスが使われる部分には魔煌合金の板が嵌められていて、その魔煌合金の板に『動思考構築』の魔導紋様が刻印されていた。
「モモちゃん、アイスが踊りを覚えるようにしようか?」
「ほんとぉ、絶対だよ」
「でも、ちょっと時間が掛るから待ってて」
制御コアの中に有る偽魂核に記録されている動思考論理を修正する作業は、偽魂核と構築ゴーグルを導線で繋ぎ偽魂核中の動思考論理を読み出し構築ゴーグルにより作り出された思念空間に、その動思考論理を展開する処から始まる。人に依って作り出される思念空間は違うようで、エイタが作り出す空間は巨大な水球の中に自分が浮かんでいる空間だった。
その水球の水には動思考論理が光る記号として展開されており、一瞬ですべてを把握する事が可能だった。思念空間に居る時のエイタは、思考が拡張され頭脳の三割ほどが使えるようになる。
普段の人間は一割以下の脳しか使っていない。それを構築ゴーグルが強制的に二割を追加で稼働させるのだから体に負担が掛からない訳がない。一日に構築ゴーグルが使える時間は三時間が限度だと言われている。
エイタはアイスの動思考論理を修正する時間以外を、魔導診断器の作成と量産クマ型愛玩傀儡の試作に使った。量産クマ型には鋭利な爪は付けず、人造筋肉も安物にした。ただ、毛皮だけは拘りたかった。
モモカがアイスを撫でるのを好きだったし、エイタ自身も気に入っていたからだ。
「動物だと狐とかイタチの毛皮がいいんだが、動き回る愛玩傀儡だと丈夫でないと駄目出し」
量産クマ型に使う毛皮を何にするかで悩んでいた。その悩んでいる時間もエイタにとっては楽しい時間だった。
「そうなると魔物の毛皮か……狐の魔物とかイタチの魔物とか居るんだろうか」
工房でアイスと戯れるモモカを見ながら考えているとメルクが訪れた。ボルトの補給に来たのだ。
「エイタ師匠、ボルトは出来てますか?」
工房を訪れたメルクは、エイタが嫌がっているのに師匠と呼んでいる。アリサが師匠でいいんじゃないと勝手に認めたからだ。
「もう補給か。早いんじゃないか?」
メルクが恥ずかしそうに頭を掻き。
「今、峡谷迷宮の六等区に潜っているんですけど、そこに居る魔物たちが素早くて仕留めるまでに何本かボルトを失くしちゃうんですよ」
「へええ、どんな魔物なんだ?」
「六等区には小川と池が在るんですけど、その周辺は毒尾カワウソや串刺し鳥、鬼山猫が棲家としていて近付く探索者に襲い掛かるんです」
「小川と池か……そこに何か有るのか?」
「ネズモの樹が有るんですよ」
「あの高級潤滑油の材料となるネズモの実が目的で行っているのか」
「それだけじゃないですよ。緑煌晶が採れる採掘場所も有るんです」
アリサが指示したのは緑煌晶の採掘だろうから、ネズモの実はメルク達の小遣い稼ぎだろう。エイタは毒尾カワウソと鬼山猫に興味を覚えた。その毛皮を量産クマ型に使えないかと考えたのだ。
「よし、オイラも峡谷迷宮へ潜るぞ」
「それじゃあ、俺達が案内します」
「あたしもアイスと一緒に行く」
モモカが声を上げた。それを聞いたメルクがアイスをチラリと見て首を傾げた。
「モモちゃん、その愛玩傀儡は置いて行った方がいいんじゃない」
「駄目、アイスは友達なの」
「魔物に襲われたら壊れちゃうよ」
メルクはモモカの大事な愛玩傀儡が壊れたら悲しむだろうと心配したようだ。
「メルク、アイスは大丈夫だから一緒に連れて行くよ」
エイタが言うとメルクは仕方ないと言うように肩を竦めた。
翌日、万全の装備をしたエイタとモモカはメルク達の案内で峡谷迷宮へ向かった。峡谷迷宮はライオス迷洞の最奥にある隠し通路を抜けた先に在った。
モモカは久しぶりの迷宮なので楽しそうにインセックボウを抱えて歩いている。アイスはモモカの足元で偽魂眼を左右に向けながら敵の出現を警戒していた。アイスに<索敵符>を付けたらどうだろうとエイタは考えた。脳の代わりに偽魂核を持つ傀儡が<索敵符>を使った場合どうなるのか。エイタは興味を惹かれた。
途中、マウスヘッドとウィップツリーに襲われたがメルク達が倒した。新しい武器に慣れたようで、マウスヘッドはインセックボウの遠距離攻撃で数を減らし接近して来た奴はジャスキーが仕留め、ウィップツリーは蹴り倒して、ヒューイがブーストフレイルで主根を叩き折った。
慣れた手付きでマナ玉やウィップツリーの鞭、樹液を回収するメルク達を見て、エイタは成長したなと感じた。
奥へと続く通路の近くで一箇所だけ荒らされていない採掘場所が有ったので、魔煌晶を採掘し緑煌晶と黄煌晶を入手した。それでも午前中に隠し通路に辿り着いた。一見壁のように見える場所に通路の入り口が隠されていた。張り出した岩壁の陰にポッカリと穴が空いており、そこを潜ると通路が有るのだ。
隠し通路を抜けた先には陽光が降り注いでいた。両側には岩壁が空を覆い尽くすようにそそり立ち、周囲の地域から隔離していた。岩壁の各所から瘴気が吹き出していなければ平凡な谷間なのだが、瘴気の所為で谷間は迷宮化していた。吹き出した瘴気は岩壁に遮られ拡散されず、谷の全域を覆い尽くしていた。
濃い瘴気の影響で魔物が生まれ、この谷間を危険な場所に変えていた。
「エイタ師匠、こっちです」
メルクが指差す方向から水の匂いがしてきた。地下にある迷宮とは違い、ここは緑の樹木や雑草などの植物が生い茂っていた。少し歩くと池が見えて来た。
定期的に<索敵符>を使って警戒していたエイタは、この場所に多くの魔物が存在するのに気付いていた。しかし、その魔力反応は小さくウィップツリー並でしかなかったので、必要以上に警戒していなかった。
「前から魔物が三匹来るぞ」
メルクが声を上げた。その声に反応してヒューイとジャスキーが散開する。
前方から毒尾カワウソが走り出た。その目前には黒いネズミが走っていた。この谷間には普通の動物も住み着いているようだ。
毒尾カワウソがメルク達に気付き、獲物をメルク達に変更した。駆け寄る毒尾カワウソにメルクがインセックボウで攻撃する。草叢の中を素早く移動する毒尾カワウソは、その動きでボルトの狙いを外し接近して来る。
小走りで走り寄るカワウソにヒューイがブーストフレイルを振り下ろした。カワウソはスパイクヘッドをヒョイと躱しヒューイに飛び掛かった。空中に飛び上がったカワウソを、ヒューイがマナバックラーで叩き落とし、もう一度ブーストフレイルを振り下ろす。スパイクヘッドがカワウソの頭に減り込み息の根を止めた。
もう一匹のカワウソはジャスキーと戦っていた。このカワウソは回転しながら毒針の付いた尻尾でジャスキーの足を狙った。ステップして攻撃を躱したジャスキーがスタンスティックを起動させ、その先端でカワウソの背中を叩く、バチッと音がしてカワウソの動きが止まった。
ジャスキーはスモールソードでカワウソの首を斬り付けた。体の痺れたカワウソは斬撃を躱せず首から大量の血を流して死んだ。
最後のカワウソはインセックボウを構えるメルクに向かうのを止め、目標を弱そうなモモカに変えた。小走りでモモカに駆け寄るカワウソの前にアイスが立ち塞がる。
アイスは短い腕を顔の前で交差させ、鋭い爪を勢い良く伸ばした。陽光に照らされた刃がギラリと光る。カワウソはアイスを無視してモモカに襲い掛かろうとする。
アイスは高性能な人造筋肉が詰め込まれた足で地面を蹴り、カワウソに体当りする。跳ね飛ばされて地面を転がったカワウソが起き上がろうとした時、その体躯に似合わない速さで踏み込んだアイスが鋼鉄の爪を叩き込んだ。
「ヤッタ―。アイス、つよーい」
モモカが大喜びする。その後ろで唖然とした顔でメルク達が突っ立っていた。
「何なんだ、こいつは」「愛玩傀儡じゃない」「外見は可愛いのに、動きが可愛くない」
メルク達が騒ぎ始める。エイタはニヤリと笑って自分の作品を満足そうに見る。自分で作った作品が思った通りに動くのは楽しいものだ。
「エイタ師匠、これは愛玩傀儡じゃなかったんですか?」
メルクがアイスを見ながら尋ねる。
「愛玩傀儡だよ。ただモモちゃんの護衛も出来るように作り直したんだ」
「普通のものでも金貨一〇枚はするのに、無茶苦茶高価な愛玩傀儡になったんじゃないですか?」
エイタはちょっと計算してみた。高級な人造筋肉と使った素材を合わせると金貨一〇枚ほどになっている。エイタの技術や手間を考えると金貨五〇枚ほどの値段になるかもしれない。
「モモちゃんの為なんだから、金の問題じゃないよ」
メルクはモモカに大甘なエイタに苦笑いを浮かべた。
「それより、カワウソの毛皮を回収してくれ。そいつの毛皮が新作の愛玩傀儡に使えそうか試したいんだ」
メルク達に毒尾カワウソの剥ぎ取りを任せて、エイタとモモカはネズモの樹を探して、その実を集めた。ネズモの樹は丸い葉っぱを付けたゴツゴツとした瘤のある樹で、胡桃のような白い実がなっていた。この実の果肉は薄い皮のようで中には硬い殻に包まれた大きな種が入っていた。
潤滑油は、この種の部分から搾り取った油分を精製したもので、この潤滑油は質の良い刻印呪液の素材となった。エイタは出来るだけ大量に欲しかったので、ネズモの実をリュックに詰め込めるだけ入れた。
エイタは久しぶりに狩りをする気になった。メルク達の戦いやアイスの活躍を見て体を動かしたくなったのだ。索敵して反応の有る方に向かう。メルクの持つ索敵具とエイタの持つ<索敵符>は同じ能力を持つものだが、そこに込められる魔力量により索敵範囲が変わって来る。エイタが<索敵符>を使った場合、メルクの索敵具より三倍の範囲を調べられるだろう。
「左前方に魔物が居るぞ」
エイタは先頭に立って進み始めた。遭遇した魔物は鬼山猫だった。焦げ茶色に幾つかの白い斑点が浮き上がった毛皮を纏った大型の猫であり、額の両端から短い角が生えているのが特徴だった。体の大きさは中型犬ほどで俊敏な動きをする敵である。
鬼山猫を視認した瞬間、エイタはリュックを地面に放り投げインセックボウを構えて引き金を引いた。発射されたボルトは鬼山猫に向かって飛翔しもう少しで命中という処で避けられた。
ボルトを躱した鬼山猫はまっしぐらにエイタに向かって来た。その速さはカワウソの比ではなく瞬きする間に距離を詰められた。それでもエイタは冷静にインセックボウの狙いを付け近距離でボルトを放った。
ボルトは鬼山猫の腹部に突き刺さり突進してくる勢いを殺した。それでも鬼山猫は死んではおらず、よろめきながらも向かって来る。エイタは背中に吊ったケースからキメラスピアの戦鎚の部分だけを取り出して鬼山猫に止めを刺した。
エイタはキメラスピアの戦鎚の部分を『刺戦鎚』槍の部分を『棍棒槍』と名付けていた。棍棒槍は短い棍棒に槍の刀身を付けたような形なのでそう名付けた。使い方はレイピアなどの刺突専用剣と同じになる。
形は奇妙だが普通の金属で出来ているキメラスピアは、ちょっと物足りない武器となっていた。ツルハシとは違い武器として作った刺戦鎚は片手で振り回すのに適したバランスになっており、その分一撃の威力は弱くなっている。
鬼山猫の頭に刺戦鎚の鎚を打ち込むと頭蓋骨が割れ、鬼山猫は絶命した。顕在値レベルが一人前の探索者並となっているエイタの筋力は一般人の二倍以上になっているので魔物の急所に命中すれば一撃で仕留められる。
暫く辺りを探して歩き、三匹の鬼山猫を倒した。一匹はインセックボウでモモカが仕留め、残り二匹はキメラスピアでエイタが倒した。
メルク達だと三人掛かりでやっと仕留める鬼山猫を、一人で仕留めるエイタに尊敬の念を持つ。
エイタは槍術の鍛錬と刺戦鎚と棍棒槍を使った鍛錬を毎日欠かさず続けていた。傀儡作りに必要な素材の中に魔物の部位や迷宮で採取するしかないものが存在し、今後も迷宮に潜ろうと考えていたからだ。
そして、エイタ自身も気付いていなかったが、心の奥に有る恐怖と怒りが鍛錬を続ける一番の理由となっていた。大使館での裏切りと苦痛はエイタの心に大きな傷を残していたのだ。
「ああ、いい汗かいた」
エイタが運動をした後のような事を言うと、メルク達が呆れたような顔でエイタを見ていた。
「師匠、傀儡工というのは強い必要があるんですか?」
ジャスキーが尋ねた。
「普通は迷宮なんかには潜らないし、魔物とも戦わないさ」
「だったら何故、師匠は鍛錬しているんです?」
エイタの表情が一瞬暗くなった。
「オイラには決着を付けないといけない事が有るんだ。その為には強さも必要なんだ……これ以上は聞くな」
メルク達はエイタの顔に浮かんだ怒りに気付いて、それ以上は尋ねなかった。
倒した魔物からマナ珠と毛皮を剥ぎ取り、ユ・ドクトに戻るために引き返した。ライオス迷洞を経由して地上に出ると太陽が沈みかけていた。
峡谷迷宮を攻略するには迷宮内で野営する準備も必要なようだ。