scene:17 ヴィグマン商会
麻袋の中には一ヶ月ほどの間に溜め込んだ魔煌晶が雑然と放り込まれていた。黄煌晶は少しだけ、一番多いのは緑煌晶で計量枡で二〇杯分ほど、その他に青煌晶が計量枡で三杯分。
そして、アリサが一番驚いた赤煌晶が十数個も有った。
「これ全部売って貰えるの?」
「全部じゃない。赤煌晶と青煌晶は幾つか手元に残して置きたいからね」
「ちょっと失礼」
アリサは麻袋を引ったくり中身の魔煌晶を調べ始めた。魔煌晶を一つずつ取り出し数えていく。黄煌晶は五六個、緑煌晶は三八六個、青煌晶は六一個、赤煌晶は十三個有った。
エイタは青煌晶と赤煌晶を幾つか取り分ける。
「こっちの分は売らない」
「えーっ、そんなぁ」
「残った奴で十分だろう。それより魔煌晶の相場を教えてくれ」
「私が嘘を教えるかもしれないわよ」
アリサがムフフと笑う。その笑いは邪気のないものでアリサがエイタを騙そうとしているとは思えなかった。
「一流の商人は客を騙しはしないもんだろ。騙されたと知った客は二度と騙した商人とは取引しなくなるからな」
アリサが肩を竦める。
「そう言われちゃうと嘘は言えないわ。黄煌晶は三〇ゴル、緑煌晶は九〇ゴル、青煌晶は三〇〇ゴル、赤煌晶は六〇〇〇ゴルよ。でも、これは上級品だった場合よ。濁りが有ったり、傷が有ったりしたら値段は下がるわ」
エイタは自分が知っている相場より三倍ほど高いのに驚いた。そう言えば、エイタが師匠の所で扱っていた魔煌晶は濁りや傷が有るものがほとんどだった。
……そうか、師匠の所で扱っていた魔煌晶は、質の悪い下級品だったんだな。だから安かったんだ。
「こいつの質はどうなんだ?」
「心配しなくていいわよ。エイタさんが持っている魔煌晶のほとんどは上級品よ」
アリサがメモ帳を取り出し計算を始めた。計算結果が出た時、アリサが何やら困ったように顔を曇らせる。
「どうした?」
「買取価格を計算したのよ。傷付いているのも少しだけ有るから、それを考慮して金貨五十一枚と銀貨三枚になる。持ち合わせが足りないわ」
「それだったら、買える分だけ買い取ったらいいじゃないか」
「駄目、リッジが邪魔しているのよ。次はいつ仕入れられるか判らないわ」
アリサは済まなそうな顔をして。
「初めての取引でこういうのは常識から外れているのだけど、半分を後払いにしてくれないかしら」
何度も取引があり、相手が信用出来ると判っているならいざ知らず、初めての取引で後払いというのは商売の常識から外れている。それだけヴィグマン商会は苦しいのだろう。
「いいけど、確実に売れる当てが有るのか?」
「今なら大丈夫よ、理由は知らないけど軍が質の良い魔煌晶を集めていて、魔煌晶が品不足になってるの」
軍という言葉にエイタは嫌な予感を覚えた。魔煌晶は兵器を作製するのに欠かせない素材だ。軍が大量に集めているなら、軍備を整えているとしか考えられない。
……まさか、戦争が起こるんじゃないだろうな。自由都市連盟のような小国が戦争に巻き込まれたら唯じゃ済まないぞ。
エイタは金貨二十五枚を受け取り魔煌晶を渡した。
「気になっていたんだが、アリサさんはヴィグマン商会の代表なのか?」
「そうよ、父の商会だったけど……」
アリサが暗い顔をする。
「親父さん……亡くなったのか、余計なことを訊いたな、済まん」
「父は商売には向かない人だったのよ。色々な事業に手を出しては失敗し、祖父の代には中堅商会の一つだったヴィグマン商会も傾いてしまった。だから……家から叩き出してやったわ」
「エッ」
子供が親を家から叩き出すと言うのは聞いた事がない。アリサも波瀾万丈な人生を経験しているようだ。
「エイタさんは、ユ・ドクトで泊まる宿を決めていないんでしょ。私の家に泊まるといいわ」
後払い金の事も有るので、その言葉に従う事にした。
その日の夕方、馬車はユ・ドクトに到着した。畑や果樹園が広がる農作地帯を通り、町中に入ると嫌な臭がして来た。スラム街だ、その臭いに気付いたモモカが怖がるような素振りを見せ、エイタに抱きついた。
スラム街で捕まり殴られた事を思い出したのだろう。
「大丈夫だよ。モモちゃん」
「うん」
コクリと頷くモモカは可愛らしく、アリサが微笑んだ。
廃材を利用して建てられた掘っ立て小屋が見渡す限り広がっていた。一万人以上の貧民がここで暮らしているようだ。
エイタは知らなかったが、貧民の中には子供を攫って売り飛ばす闇組織と繋がっている者もいて、モモカを商人に売り飛ばしたのをそう言う者の一人だった。
スラム街を抜けると緑の多い地域に出た。小さな一軒家が多く家には広めの家庭菜園と物置がある。この辺りの道で行き交うのは馬車ではなく、荷馬車で収穫物の野菜や果物を積んで市場に運ぶようだ。
馬車が中央部に入ると大きな商店が建ち並ぶようになる。ここで擦れ違う馬車の半分が傀儡馬が曳いていた。薄い鉄板に原色を塗装した物を被せた傀儡馬が多く、赤や青などの派手な色が目に着いた。
商店は二階建て・三階建てのレンガ造りの建物が多く、行き交う人々は光沢のある絹製の服を着ていた。
そして目に入ったのが、女性が連れ歩いている愛玩傀儡である。子犬・猫・子鹿・うり坊などが道を歩いている姿は違和感がある。しかも歩く動作が不自然で、生まれたての赤ん坊のように頼りない。そこが可愛いと上流階級の婦人や子女は騒ぐが、エイタから見れば残念な作品に思える。
アリサの家は中央から北側に入ってすぐに在った。小さな家や集合住宅が隙間なく建っている町並みは、モモカに故郷に日本を思い出させた。
道は細くなり、そこを行く馬車はほとんど本物の馬が曳いており、傀儡馬は居ない。道を歩く人々は赤毛で彫りの深い顔と黒い瞳が共通している。
アリサのように栗色の髪に青い瞳は珍しかった。
ヴィグマン邸は広い庭と薄汚れた蔵を持つ三階建ての建物で、没落という二文字を予見させる佇まいを見せていた。手入れがされておらず荒れた庭、大嵐で壊れた窓が修理されず放置されている所を見ると商会が傾き始めたのは昨日今日のことではないらしい。
「お帰りなさいませ」
馬車が玄関先に着くと中から執事風の爺さんが出て来て出迎えた。名前はアダム・セルナンティス、この家に残された使用人二人の中の一人である。因みにもう一人はアダムの妻カシアで食事は彼女が用意する。
「アダム、お客様が二人居るの。部屋を用意して」
「判りました」
屋敷の中は綺麗に掃除され、居心地が良さそうだ。暖炉の有る居間は、贅沢にガラスが使われており明るかった。この国で窓ガラスが使われ始めたのは二〇年ほど前からで、上流階級以外の家には窓ガラスは使われていない。平らなガラスを作る技法が広まっておらず、高価なのだ。
紅茶を飲みながら居間で寛ぎ部屋が用意されるのを待つ。モモカが物珍らしそうに部屋の中を見物している。久しぶりにゆっくりした時間が過ぎ、夕食の時間となった。
献立はウサギの肉を使ったシチューとサラダにパン、大きな屋敷に住む商人にしては質素な献立だ。因みにシチューに使ったウサギの肉はエイタが提供したものだ。
食卓に座っているのは、アリサとエイタ、モモカの三人だけ。アダムとカシアは別の部屋で食事をするのだという。使用人が主人と一緒に食事をしないのは当たり前のなのでエイタは不思議に思わなかったが、モモカは『何でだろ?』と言う顔をしていた。
「あの魔煌晶だけど自分で採掘したの?」
アリサがエイタに疑問を投げ掛ける。
「そうだ。場所は言えないが自分で採掘したものだ」
「傀儡工だと言っていたけど」
「仕方なく探索者の真似事をしたんだ。好きで迷宮に潜った訳じゃない」
「我が商会の専属として探索者になる気はない?」
エイタは首を振った。自分は職人であって探索者じゃないと思っている。
「だったら、うちの専属探索者の為に装備を作ってくれないかな?」
エイタがオヤッという顔をする。
「引き抜かれたんじゃないのか?」
「三人残っているわ」
探索者には自由探索者と専属探索者が有る。本来の探索者は自由探索者の事を意味し、探索者ギルドの依頼を受け迷宮に潜って魔煌晶や魔物の素材などを採取し戻る。
専属探索者は商会や個人と専属契約を結び、契約者のオーダーに従い迷宮に潜る。どちらにも一長一短が有る。自由探索者は依頼を自分で選べるので、一攫千金を目指し難易度の高い迷宮に潜る場合が多い。成功して大金を手に入れ、豪遊するのは探索者の夢だ。
一方、専属探索者はほどほどの難易度の迷宮に潜り、定期的に魔煌晶を採掘するスタイルが一般的だ。大金を手に入れる機会は少ないが、怪我をした場合など回復するまで契約者が援助するので、いざという場合の不安は少ない。
エイタは職探しを急いでいる訳ではないので承諾した。
「工房として使える場所は有るかな?」
「使っていない蔵が有るから、そこを使っていいわ」
その後、少し話してから用意して貰った部屋に行った。荷物を置き久しぶりに一人でボーッとしていると、ドアがノックされた。
返事をしてドアを開けるとモモカが居た。モモカも別の部屋を用意して貰ったはずなのだが、泣きそうな顔をしてドアの前に立っている。
「どうした?」
「一緒がいい」
見知らぬ部屋に一人で居るのは心細いようだ。エイタは笑って招き入れ、布団に寝かせた。柔らかい布団に包まれたモモカはストンと眠りに落ちた。
翌朝、朝食を食べてからアリサと一緒にヴィグマン商会へ行った。歩いてすぐの場所で中央部へ向かう大通りに面した二階建て中規模の店だった。
商品は魔煌晶を中心に、マナ珠、魔導工芸品を商いしていた。だが、商品の品揃えは悪く儲かっているとは思えなかった。
アリサは開店の準備をして、エイタから買い取った魔煌晶を陳列棚に並べ始める。
「お姉ちゃん、お手伝いする」
モモカがアリサの手伝いを始めた。店の中を箒で掃きゴミを集める。
店の準備が済み開店した頃、三人の少年がやって来た。年齢は十三、四歳だろうか。黒髪のヒョロッとした背の高い少年、赤毛でガッシリとしているが背の低い少年、最後は赤毛で中肉中背で素早そうな少年だった。
彼らの名前はメルク、ヒューイ、ジャスキー。ヴィグマン商会の専属探索者だそうだ。
「皆、子供じゃないか」
つい本音が零れてしまう。
「俺達は一人前の探索者だ!」
ジャスキーが吠えるように言う。この場合は自分が悪かったと思い、エイタは謝った。
「済まん、お前達の実績も知らずに若く見えただけで子供呼ばわりしてしまった」
実績という言葉を聞いて三人は怯んだ。
それを傍で聞いていたアリサが笑い出す。
「何だよ。笑う事ないだろ」
メルクが口を尖らせて言う。アリサがそれに応え。
「一人前の口を利くんだったら、青煌晶くらい持って来なさい。それより、君らの装備をエイタさんに作って貰う事になったから、よろしくしてね」
そんな話をしている間に、お客さんが入り始める。陳列棚に置いてある魔煌晶を目にしたらしい。
「ここに青煌晶が有ると聞いたんだが……」
口コミで魔煌晶が入荷したのを知った人々が、店を訪れ青煌晶と緑煌晶を中心に買っていった。近所の工房で働く職人たちのようだ。魔煌晶を買ってホッとした様子で帰っていく職人の姿を見ると本当に魔煌晶は品不足らしい。
探索者だったはずの少年三人もカウンターの内側に入り客の応対を始める。慣れているので、こういう事はよく有るのだろう。エイタとモモカは客が一段落するまで、店の奥で休憩する事にした。
昼、お客さんが一段落した頃、ガラの悪そうな男二人が店に入って来た。




